第二章 第三話(終)『翼化』
鷲の鎧獣騎士は、翼を大きく羽ばたかせると、瞬く間に上空へと舞い上がった。その際、いつどうやったのか、数匹の狼が、彼の細剣で斬り伏せられている。
次に、猛スピードで滑空すると、今度は数十匹単位で、狼達が薙ぎ倒されていく。
手も足も出なかった。
空の敵には、為す術がない。
いや、よしんば追いつけたとしても、あの剣技、剣速にはどうしようもない。とはいえ、空にまで追いつけさえすれば、まだ活路はあるかもしれないが、嘆いても願っても、当然、翼が生えてくる事はなかった。
ギオル=カラドリオスは、鎧化後、はじめて大地に身を降り立たせると、片手の剣先を突き出し、静かな、だが凄味のある口調で告げた。
「諦めろ。いますぐ鎧化を解けば、命までは奪わんでおいてやろう」
勝てる見込みのない戦い。
降伏は最も現実的だが、同時にシャルロッタが奪われる事を意味している。つまり、最も非現実的な選択。
千疋狼の狼達は、主人達とは真逆で、健気にも奮闘をしていた。だが、相対するグリーフ騎士団の面々が、彼らの首領の登場でその勢いを再燃させ、どうにも攻めきれていない。
即答を余儀なくされる、生死の二択。
何か時間稼ぎでも――。そう考えるイーリオは、視界の端にレレケを見た。何かを行おうとしている。だが、この状況下で何を? 考えている余裕はない。
大鷲の騎士を見据えた。
「何で――、どうして僕達を襲うんだ、あんた達は騎士なのに。問答無用で人を襲うなんて、それってどうなんだよ?!」
鷲の頭部が、少し傾く。
表情は不明だが、あからさまな侮蔑の空気。
「お前は何を言ってるんだ? 状況を作ったのは、全てお前らだろう。今更、赦しを乞うなど、笑止千万」
「先に襲って来たのは、あんた達、帝国騎士団だ。僕とシャルロッタは、その身を守って仕方なく、なんだよ!」
今度は、はっきりと嘲笑う声を響かせ、
「理由如何に関わらず、死線に身を置いた以上、仕方も何もなかろう。一度始まった命のやりとりの締め方は、どちらかの命を供物として、死神に捧げるしかない。それが嫌なら、今直ぐ己の刃を我々に捧げるんだな」
「そ……そんな事したら――」
「諦めの悪い孺子だ。それは即ち、まだ抗おうとしている証ではないか。鎧化を解かぬのが、何よりの証。真に己らを被害者だというなら、まずは降伏の証を見せる事ではないか?」
全くの正論に言葉を失くしかける。
「ガ……鎧化を解いたら、いきなり殺される……なんて事になるかもしれない。それこそ、僕の村を襲った連中は、理由もなく殺しにきたじゃないか。まずは僕達の身の保証を――」
「いちいち女々しい奴だな。もういい」
そう言って、大鷲はその両翼を羽ばたかせようとした。
イーリオはチラリと視線を送る。まだ、レレケの準備は終わってないようだ。
「ま……待って! なら、どうしてこの鎧獣だけでなく、シャルロッタまで狙うのか、何が目的かだけでも教えて」
「雀ごときに、鳳凰の真意など理解できまい。それと同じよ。貴様らにはまるで関係ない」
「関係はある! 状況に巻き込まれたのは僕らだ。それは紛れもない事実だろう? なら、真実を知る権利位はあっても――」
全てをいい終える前に、大鷲が空で剣を一振りし、イーリオの言葉を遮った。
「もういいと言った」
――まだか?!
そう思った矢先、
「イーリオ君上出来です! 二人とも、こっちに来て!」
レレケの叫びに、いち早く反応する。
「チッ! 時間稼ぎか、あの孺子!」
惰弱を装い、活路を開こうなどと、アジな真似をする。
二人はすぐに、レレケの側に寄ると、まずはドグに向かってこう言った。
「説明はしません。いいですか、私が合図したら、あの大鷲に向かって、〝飛んで〟ください」
「は? 〝跳ぶ〟のか?」
「いえ、〝飛ぶ〟んです。感覚は勝手についてきます。いきますよ!」
何が何だか訳が分からない二人に、レレケは問答無用で短筒を向ける。短筒は四本。それぞれ一本づつ渡し、残りの二本をレレケが持つ。二人に渡した短筒は、レレケの持つものと、紐状のもので先端が繋がっている。
まずはドグに向かって言った。
「〝翼化〟!」
レレケの合図と共に、、レレケの短筒が光を放つと、光は紐をつたい、ドグの短筒に達する。すると彼の持つ短筒から、濛々とした煙が大量に吹き出した。
「う……、うわっ、何だ、ゲホッ! 何だこれゲホ!」
「短筒を離して結構ですよ。さ、いってください、ドグ君!」
訳が分からないままに、ドグは跳躍をしようとする――が、感覚が違う。
本能のままに、彼は大地を蹴った。
――うわっ
地面が足下に見える。体が宙に浮く。いや、〝飛んで〟いる。
イーリオは目を見張った。それはギオルも、そしてグリーフ騎士団も同じであった。
カプルスの背に、乳白色に輝く、巨大な翼。
まるで天使のような羽が、彼の背に生えていた。
「オ……俺、空を、空を飛んでる?!」
何もしなくとも、翼がまるで全て知っているかのように、彼の体を空中で自在に移動させた。流石に呆然となっていたイーリオだが、レレケの声で我に返る。
「あれが奥の手、翼化です。大鷲の神之眼を中心に、貴方たちの神之眼の欠片を混合させ、一時的に擬獣のような能力を付与させる。獣使術の中でも上級の技」
「あの時の、ザイロウとカプルスからとった神之眼の――!」
「そうです。ただし、これには欠点が有ります。翼化できるのは、時間にして僅か十五分ほど。しかも、鎧獣にかかる負担も相当なものがあり、解除後は、強制的に鎧化解除されてしまいます。一時的なものでしかありません。ですから、敵が動揺している隙に、さっきドグ君が言った事を実行するんです」
「ドグが言った事?」
「〝とにかく相手をビビらせろ〟。そして〝その後逃げろ〟ですよ」
イーリオは頷く。やはりレレケは頼りになる。
「じゃあ、僕も!」
「ええ」
言わずもがなの動きで、レレケはイーリオにも同じように試みる。
「翼化!」
濛々とした煙。
飛び出すイーリオ=ザイロウ。
だが――。
その足は地面を蹴っていた。
翼は、ない。
「え? ない?」
一番驚いたのはレレケだ。
「そんなはずは……! 術式を失敗した? 配合? いえ……どういう事?」
「レレケ」
ザイロウの顔で振り向くイーリオ。レレケは驚くしかない。
これで、戦いの趨勢は、空を翔る大山猫の騎士と、最大翼長の大鷲の騎士に託される事になった。
あの奇術師のような女の術である事は疑いようもなかった。
空を飛ぶ鎧獣騎士など、そんなものはあり得るはずがない。私やその他の鳥類の鎧獣騎士ならともかく、大山猫が空を飛ぶなど、そんな非常識な事……!
だが、面妖極まりない羽を持った大山猫は、飛ぶ事に慣れるかのように、ほんの少し空を旋回すると、たちまち、こちらに滑空し、飛来して来た。
ギオルは動揺し、空の主が飛ぶ事を忘れたように、地面を後じさる。
大山猫の授器の鉤爪が、カラドリオスの顔、数十インチ先をかすめた。大きく飛び上がる大山猫は、空を旋回し、再び滑空の姿勢に入る。
そこで、ギオルも我に返った。
あまりの非常識な出来事に、思わず正体をなくしていたが、元来、大空は己の領域。
それはテリトリーにして、不可侵の聖域だ。
あのような破廉恥な化け物が、己の領分を犯すなど言語道断だと、にわかに血が逆流する。
「調子に乗りおって……!!」
己の翼をはためかせると、大地を蹴り、彼も空へと舞い上がった。
ドグは興奮していた。まさか空を飛んでいるなんて……!
しかも、この翼、空の飛び方を熟知しているように、自分が頭に思い描くだけで、自在に動いてくれる。
――これなら!
ドグは己の獣能〝感覚鋭敏〟を全開に、ここぞとばかりに、大鷲の騎士に向かっていく。
だが、彼は知らなかった。この力が、わずか十五分しか保たない事を。
何より、カラドリオスと、ギオルの力を――。
空中で交差する二体。
互いの刃がぶつかる刃音が、辺りの狂騒にかき消される事なく、谺する。それはまるで、神話に出てくる神々の戦いのようであった。
息を呑むイーリオ。自分も加われない事に歯がゆい思いをするも、今はドグに懸けるしかない。幸い、敵陣に隙が生まれつつある。
「レレケ、シャルロッタ! 今だ!」
イーリオの合図に頷く二人。イーリオが先頭に立ち、二人の道を切り開く。
――もってくれよ、ドグ!
祈るような気持ちで駆け出す。
千疋狼で造られた幽鬼の狼達が壁となり、一筋の道が見えた。
――抜けた!
かに思えた。
ドゥッ!
三人の眼前で、空から大山猫が降ってきた。
足を止め、駆け寄るイーリオ=ザイロウ。大山猫の翼は、片翼が無惨に斬り刻まれていた。そこへ舞い降りる、大鷲の騎士。
「奇術紛いの〝奥の手〟も、こんなものか」
わずかな――時間にしてほんの数分ほどの希望。それは十五分を待たずして、もろくも崩れ去った。
早すぎる終わりだった。
「ま……まだだ! まだやれるぜ、俺は」
墜落した衝撃で、全身の骨がバラバラになったような痛みが走っていたが、それでもドグは、立ち上がろうともがく。その赤橙色の体は、もっと赤い液体によって、あちこちを汚していた。数度、剣を交えただけとは思えぬほどの、何度も何度も斬られた跡。
その二つ名の通りの姿となったギオルの前では、盗賊あがりの鎧獣騎士など、とるに足らぬ相手でしかなかった。
だからこその騎士団団長。
だからこその〝神速の荒鷲〟。
――今度こそ、万策尽きたようね……。
レレケも手立てが見つからない。やがて、カラドリオスは、その大翼と細剣を華麗に操り、次々に〝千疋狼〟を葬っていった。
イーリオは手立てを考える。
レレケを、いや、シャルロッタだけでも逃がす方法はないか……!
だが、そんなものありはしない。
そこへ、聞き知った男の声が、彼らの耳朶を打った。
「観念したか? イーリオ・ヴェクセルバルグ」
背後より――まだ距離はあったが――ゆっくりと近付いてくる白と黒。
白いのは、白虎にまたがった、少年の姿。
黒いのは、艶めいた黒のローブをまとった、黒衣の女。
「オーラヴ……!」
その姿に驚くイーリオ。何故、彼がここに?
それに、その騎乗している虎。
それは鎧獣。
一体どうして、という疑問は、すでに答えが用意された出題のようなものだった。
「やはりそう……。彼は追っ手だったってわけ」
レレケの呟きに、驚きはしなかった。オーラヴの跨がる白虎の鎧獣こそ、何よりその事実を、雄弁に物語っているからだ。
「見事な力だな。ザイロウは」
お互いの姿がはっきりとわかる距離まで近付いた彼は、そう言って白虎の背より降り立った。
襟元に毛皮のついた、高価な外套。
白を貴重とした衣服は、高貴な身分の証だと言わんばかりであり、あの少年騎士のオーラヴの片鱗すらない。だが、その顔、その容姿は、紛れもなく数時間前に目にした彼に間違いなかった。
「改めて、挨拶をしよう。こちらの女官は、余の配下エッダ」
黒衣の妖艶な女性は、恭しく礼をする。
「そして余は、ゴート帝国皇太子、ハーラルである」
「面白い!」
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