第二章 第三話(2)『荒鷲』
国境まで、一〇マイルほどの距離になった。
今、四人が馬で急いでいる高地を超えさえすれば、すぐそこはメルヴィグ領内だ。
もうすぐだという安心感で、四人はとりあえず一安心をしていた矢先、同じ馬に乗ったドグが、全身に緊張感を走らせる。突然身を固くしたので、それがイーリオにも伝わってきた。
その感覚は、ドグにしかわからなかった。
長年盗賊稼業をやっていただけに、彼の危機感知能力は、獣並みである。同時に、二体の鎧獣も、不穏な空気を嗅ぎ取ったのか、全身の体毛と尾っぽを逆立てる。
馬が台地の景色を抜け、見晴らしが開けたそこには――。
三〇人ばかりの騎士――鎧獣を連れた、騎士達が、道を塞ぐように隊列をなしていた。
四人は思わず息を呑む。
何も問わずとも、佇まいが明瞭に物語っていた。彼らは、帝国の待ち伏せだ。
見た所、数日前にイーリオを襲ったゴゥト騎士団ではないようだ。目の前にいる騎士達の鎧獣は、アイベックスではなく、オオカミや野生馬、豹など、様々な種族で構成されている。だが、山賊のような連中とは異なり、統制のとれた彼らの挙措は、訓練された騎士のそれである事は明白だった。
すぐさま、イーリオがレレケに尋ねる。
「レレケの言ってた、知り合いって――?!」
「駄目です。ここはまだゴートの領内。いくら彼が来てくれたとしても、ここでは遠すぎます。……あとちょっとの距離だったんですがね……」
ずらりと並んだ騎士達に、抜け道はない。
その時、シャルロッタが、状況にそぐわない気の抜けたような声を出した。
「すごーい。あんなに鎧獣がいっぱいあるの、初めて見たー」
緊張感の欠片もない彼女の声に、イーリオは呆れるしかなかった。
「何言ってんの……。僕達、また襲われるんだよ」
だが、今の彼女の言葉で少し気が楽にもなった。
「……けど、嘆いたってしょうがないか……」
イーリオの独白に、ドグは少し驚く。
「おめえ、切り替えが早ぇな」
「だってそうじゃない。ここで手をこまねいたって状況が良くなるわけじゃないし。〝目が合った時こそ、頭は冷静に〟だよ」
「何だ、それ?」
「ヒグマと遭った時の心得だよ。よく父さんから聞かされたんだ」
「へえ。じゃあ、次の心得は?」
「〝刺激せずに距離をとれ〟なんだけど、相手は既にやる気まんまんだしなぁ……。どう考えても逃げれる状況じゃないよね、これって」
「んな事、見りゃ分かるっつーの。戦う時の心得とかねえのかよ?」
「一人や少人数で立ち向かうな、ってよく言われたけど、この場合、数の上でも無理だし」
ドグはため息と共に、馬から飛び降りる。
どうにも緊張感に欠ける二人のやりとりを、シャルロッタは不思議そうに、レレケは面白そうに聞いていた。だが、状況は、それとはまるで真逆だ。
ドグは、手の合図でカプルスを側に寄せた。
「しゃあねえな。それじゃあ俺が、盗賊の心得って奴を教えてやるよ。――レレケ!」
不意にかけられた声に、レレケは驚きもせずに応じる。
「何ですか?」
「おめえの、あの鎧獣もどきで、あいつらを撹乱してくれ」
「いいですよ」
そう言って、レレケは懐から短筒を取り出す。
「イーリオ、おめえもやるんだぜ」
「え?」
「レレケ、俺とイーリオが突っ込んだら、おめえらは隙を見て馬を走らせるんだ」
「ちょ……、ちょっと待てよ、ドグ。君、あの数の騎士団相手に正面からやろうっていうのか?」
「言ったろ? 盗賊の心得を教えてやるって。こういうのはな、何事も先手必勝なんだよ。〝まずは逃げろ〟。――だけど、逃げれねえ時はこうだ。〝とにかく相手をビビらせろ〟。そんで〝その後逃げろ〟だ」
「結局逃げるんじゃないか……」
「馬鹿。いくらおめえのザイロウだって、あの数相手に勝てる訳ねえだろ」
そう言うが早いか、ドグは、己の鎧獣、カプルスに向かって頷くと、首を巡らせて前方を見据え、いきなり全速力で駆け出す。駆け出しながら、彼は叫んだ。
「白化!」
走りながらの鎧化。
その身に白煙が覆われると同時に、煙から赤橙色の疾風が飛び出る。
カプルスがあらわれるのと同期して、レレケも、数頭の擬獣、貫通の巨牛を出した。こちらは鎧獣騎士ほどの速力はないものの、戦力の穴埋め程度にはなる。
カプルスを鎧化したドグは、両腕の鉤爪を閃かせ、俊敏さを活かした早さで、騎士達の列に飛びかかる。
だが、騎士達も手慣れたもの。距離があったが故に、充分に見定めた後、彼らも一斉に鎧化した。
白煙が、まるで噴火のように一列に吹き上がる。
三〇体の鎧獣騎士。
その身にまとった授器は、共通の形状をしており、彼らが同じ騎士の仲間に属するということが知れた。
これはいくら何でも無茶だ。
そう感じたイーリオは、シャルロッタに懇願し、急ぎザイロウを鎧化する。
今回は流石にシャルロッタも、すぐ理解したのだろう。否やも言わずに、ザイロウの鎧化を認めた。
ひらひらと落ちる淡雪を反射する、白銀の体毛。
それと同じく、白銀に煌めく授器。
全身が銀色に輝く、狼頭人身の雄々しき騎士。
鎧獣騎士ザイロウが、その姿を表した。
カプルスは囲まれまいと、その身を巧みに動かしながら、大山猫の狩撃走を使っていた。表れた人狼の姿に、ドグは叫ぶ。
「イーリオ、おめえの獣能を使え!」
成る程と頷く。
あれなら、数の優位さが覆る。
ヒグマの鎧獣騎士の時のように、意識の奥に語りかける。
応じる、声ならぬ声。
ザイロウが、その力の断片をイーリオに委ねる。
――いくよ!
「〝千疋狼〟!!」
ザイロウの全身から蒼味を帯びた白い霧が吹き上がる。
まだ昼間だというのに、見晴らしの良いはずのその一角だけが、突如、濃霧のカーテンに包まれ、気付けばそこには、一個の軍かと見紛う数の、幽鬼めいた狼が姿を見せる。
幽鬼の狼達は、出現と共に、辺りの鎧獣騎士を、手当り次第に襲っていった。
流石の騎士達も、この数にはどうしようもない。斬っても斬っても三〇対一〇〇〇では埒が明かず、イーリオ達に迫る事すらままならない。
やがて、騎士達の部隊に、綻びが生じ始めた。ここで、ドグがレレケ達に叫んだ。
「今だ! レレケ! 走れ!」
レレケはイーリオの馬も同時にけしかけ、騎士達の陣形が崩れた部分に向かい、一気に馬を走らせる。
イーリオとドグも目配せし、騎士の包囲網を突破しようとする。
そこへ、崩れた陣形の先――、〝千疋狼〟で作られた狼の数匹が、瞬く間にその姿をかき消された。
かき消した元凶に向かい、狼達は再度その身を踊らせるも、再びの断末魔。
イーリオは目を剥く。
そこに立っていたのは、鎧獣騎士ではなく、生身の人間。
針金のような瘦身の男――ギオル・シュマイケルであった。
ギオルは己の細剣を巧みに操り、その剣一本で、鎧獣騎士にも近しい力をもつ、千疋狼の狼を、次々に消していったのである。
イーリオとドグは、鎧獣騎士でもない男の放つ威圧感におされ、思わず動きを止めてしまう。
レレケもそれを察知し、己の馬を止めるが、イーリオの馬は興奮して止まらない。
そのままギオルのいる方向に向かって突進していく。
奔馬となったイーリオの馬が、ギオルにぶつかるその瞬間――。
再びギオルの細剣が閃光を発した。
馬は、まるで操られでもするかのように、その身を傾いで地面に倒れ込んだ。
そのまま、ぴくりとも動かない。
その剣速に、イーリオらは慄然とした。同時に、騎士達は湧き立った。
彼らの首領。彼らが主と仰ぐ男の登場は、その存在だけで、一団の勇を鼓舞するに足る。
「団長!」「ギオル団長!」と、口々に叫ぶ声に、レレケは一人驚く。
――ギオル? まさか、グリーフ騎士団のギオル?
だとしたら、とんでもない人物が追っ手になったものだ……と。
グリーフ騎士団は、ゴート帝国四大騎士団の中でも特に異色な部類で、別名〝寄せ集め騎士団〟などと揶揄されていた。ようは、統一された生え抜きの騎士達ではなく、傭兵紛いの腕利き達がその母体となって結成された騎士団で、畢竟、構成団員達も、一癖も二癖もあるような連中が多い。そんな荒くれ者の集団が、曲がりなりにも騎士団として秩序を保てるのは、ひとえにこの団長によるところが大であった。
〝神速の荒鷲〟と異名をとるこの男の実力は、癖者の多い騎士団員をして、心酔たらしめるものがあり――。
――それに、彼の鎧獣。
レレケの怖れが形となる。
再びギオルに襲おうと牙を剥く幽鬼の狼は、己の牙が届く前に、その身を切り裂かれた。
今度は、ギオルの剣によってではない。
空から飛翔した刃が、狼の体を引き裂いたのだ。
イーリオは驚愕した。
ドグも声すら出せない。
まるで空の一部が覆われたかのような、巨大な影――。
影ではなく、それは巨大な翼――。
鷲。
それも、翼長一〇フィート近くはありそうな、見た事もない巨大な鷲。
――ハルパゴルニスワシ!
もしくは、ハースト・イーグルと呼ばれるその大鷲は、史上最大の猛禽類であり、現在この世界では、その数を激減させた希少種である。
巨大な鷲は、頭部や脚部などに、武装の鎧、授器を身につけており、悠然とした仕草で、ギオルの傍らに降り立つ。それはまるで、大空の王者そのものといった風格であった。予想外の敵に、ザイロウが放った狼達も、思わず攻めあぐねる。
身構えようとするも、大鷲が威嚇の哭き声を出すと、狼達はびくりとして、その身を竦ませた。
ギオルは、剣さばきとは対照とも言える余裕のある動作で、己の鎧獣に命じた。
「〝カラドリオス〟よ――白化だ」
大鷲は翼を広げ、文字通り、両翼で包み込むように、ギオルの体の繭となった。
白煙が巻き上がると、すぐさま、弾丸のような〝何か〟が、煙の繭を突き破って、直上に飛翔する。
巨大な弾丸は、上空高く舞い上がると、滑空するようにその身を降下させ、イーリオらの七ヤードほど手前で、突如〝弾けた〟。
翼を広げたのである。
表れたのは、黒色の羽毛に、翼の先端は白く輝く、有翼の騎士。
鷲の頭。
両腕は翼になり、先端にはそれぞれに細剣が授器として握られている。
脚部は猛禽類特有の、鱗状の足に獰猛な爪だが、そこも強靭な授器で武装。
翼長展開すると、鎧獣時の十フィートどころではない。二〇フィートはあろうかと言う大きさだ。
数少ない、鳥類の鎧獣騎士。
しかも、レレケの知る限り、唯一のハルパゴルニスワシの鎧獣。
鳥類は、その大きさ故、鎧獣になる種は、殆どないに等しい。コンドルやハゲワシ、ダチョウなどはあったが、それも扱い辛いものが多い。そんな数少ない鳥類の鎧獣、しかも、ハルパゴルニスワシの鎧獣である。
〝神速の荒鷲〟の異名は、決して比喩ではなかった。
彼が、鷲そのものであったからだ。
しかも、剣技は一流のうえ、扱い難い鳥類の鎧獣を自在に操り、大空を制する彼は、まさに空の覇者。いかな跳躍力を持つ鎧獣騎士と言えど、空にまでその牙や爪を届かせる術はない。
――〝カラドリオス〟のギオル……!
レレケは考えを素早く巡らせる。
ザイロウの潜在能力は、目を見張るものがある。だが、それはあくまで潜在能力。特級の鎧獣と言えど、今のイーリオの腕前では、相手が悪すぎる。ドグとて同じだ。こちらは、実力はあっても、流石に〝神速の荒鷲〟相手ではどうにもならない。
かといって、逃げようにも、空からの追撃だ。
――なら、ここは……!
短筒の擬獣に命じ、貫通の巨牛を元に戻した。そして、懐から、別の小さな容器を取り出す。それは、ホルテの町に滞在中に、イーリオとドグに頼んで採取させてもらった、ザイロウとカプルスの神之眼を削った粉である。
神之眼は、鉱石ではないので、傷付き、欠けても、粉々に破壊されない限りは自然に修復されていく。そこで、ほんの僅かでいいからと、彼らの鎧獣から、僅かな量を削らせて貰ったのだ。目的は勿論、研究のためではあるが――。
――まさか、ここで〝あれ〟を使うとはね。
だが、相手は如何にも分が悪い。
ここは躊躇している時ではないと、彼女は判断した。




