第二章 第二話(3)『残賊』
翌朝。
イーリオらは食堂で朝食を済ませると、早速、出発の準備にかかった。
全員の準備が終わる頃、オーラヴも、町の入口まで見送ろうと声をかけてくれた。
「折角、こうやって知り合えたんですから」
と、どこまでも爽やかな少年に、イーリオも名残惜しい思いを抱く。
市門の入口付近、イーリオらは己の鎧獣を受け取ると、オーラヴに別れの言葉を言った。
「道中、気をつけて」
「オーラヴさんこそ、助成金、上手くいく事を願ってますよ」
二人の少年が互いに握手を交わしてる時だった。
ドグがイーリオの袖を引っ張ると、城壁の外を顎で指した。イーリオが目をやると、そこには、薄汚れた風体の男が四人。剣呑な目つきでこちらを睨んでいる。問題なのは男達ではない。傍らにいる三体の鎧獣だ。
「何人か見た事あるぜ。ありゃあ、〝山の牙〟に居た連中だ。おそらく生き残りって事だろうな」
ドグの言葉に、嫌な予感が頭をよぎる。
「まさか……」
「そのまさか、だろうさ。待ち伏せたんだろう、俺らを」
ドグの言う通り、果たして男達は敵意を剥き出して、こちらに歩み寄って来た。
その内の一人が言い放つ。
「てめえらだな? お頭を卑怯な手でハメたって野郎共は」
「ハッ! 何が卑怯な手だよ。お前ら山賊崩れの方がよっぽど薄汚ねえっての。おめえら見てなかったのかよ? 俺らはな、正々堂々、ゲーザをやっつけたんだよ」
まるで自分が手を下したように、傲岸と胸を張るドグに、イーリオは何か言おうかと思ったが、やっぱりやめにした。
「ドグぅ、てめえこそ、俺達を裏切っておいて、何のうのうとしてやがる? 分かってんだろうな? どうなるか」
「てめえらこそわかってんのかよ? くどいようだがな、俺らはあの〝ボルソルン〟に勝ったんだぜ? ゲーザの鎧獣に。お前らごとき三下が敵うと思ってんのか?」
「何がお頭に勝った、だ。こっちぁ知ってるんだ、てめえらが卑怯な罠にハメて、お頭を殺した、って。俺たちもあの時砦に居りゃあ、んな事にはみすみすならなかったのによ……!」
男は苦々しげに吐き出す。どうやら、あの時、あの場にいなかった連中らしい。そう言えば、三人は目にした風体だが、騎士然とした一人のみ、ドグも知らない顔だった。
「前口上はもう充分だ。悪いが、おめえらを生きては帰さねえぜ」
そう言って、男は自身のハイエナの鎧獣を側に寄せる。
「白化!」
白い噴煙と共に、三体の鎧獣騎士が表れた。
二体はハイエナ。残りは、野生馬だ。野生馬の鎧獣は、ドグも知らない男がまとっているらしい。
――あんな鎧獣、〝山の牙〟にいたっけ?
疑問は感じたが、ドグは元々深く考えるタチではない。ともかくこいつらをやっつけてしまえばいい事だという短絡的な発想で、頭に浮かんだ疑念をすぐに打ち消した。
突然、町の入口に表れた、三体の鎧獣騎士に、辺りは騒然となる。
中には逃げ惑う人もいた。
四人いた門兵は、手にした槍を翳して、こちらに警戒の姿勢を示す。その内の一人が、「警護騎士を、早く!」と叫ぶ。
その声を聞きつけ、ハイエナの一人が、荒々しく警告を発した。
「騒ぐんじゃねえ! 俺達ゃ、このガキ共に用があるんだ! 何もしなけりゃ、この町に手出しはしねえよ!」
彼らとて、警護騎士や憲兵が来ては厄介だということだろう。だが門兵は、突如表れた無頼の鎧獣騎士の言葉などまるで聞き入れる素振りもない。明らかに敵意と警戒を剥き出しに、「早く呼んでこい!」と叫んでいる。無理もない。鎧獣騎士の姿は、それだけで人々を震え上がらせる。獣頭人身の筋肉の体躯に、鎧と武具を纏った容姿は、いくら見慣れた人々でも、根源的な恐怖を連想させてしまうのだ。猛獣に対する生物としての、恐怖の記憶――即ち、襲われる、という記憶を。
ハイエナの一体が舌打ちすると、下半身を屈伸させ、長大な跳躍を行った。
ひと蹴りで一ヤード以上の跳躍。
しかも、駿馬よりも遥かに早い。
二度三度と地面を蹴って、息つく間もなく、門兵に肉迫する。
「ひっ!!」
門兵が気付くのと、断末魔が重なった。
ハイエナの棍棒の一振りで、四人の上半身がごっそりと吹き飛ばされる。
血飛沫の噴水が吹き上がり、周囲の人々の悲鳴が谺する。
市門の辺りは恐慌状態に近い。だがそれでも、警護騎士の姿は表れなかった。遅れているのだろうか。いや、こういう事態に備え、必ずこういった規模の町には、一人以上の鎧獣騎士の警護騎士が、入口付近に常駐しているのが通例なのに、今は影も形も見えない――。
さらにハイエナは、市門の上に目を向けて、今度は上方に飛んだ。棍棒の授器は口にくわえ、両手両足の爪を壁の石組みにひっかけると、巧みに壁を飛び上がりながら、登っていった。
壁の上には、騒ぎを聞きつけて集まって来た数人の弓兵がいる。ハイエナは瞬く間に壁を登りきると、今度は弓兵に向かって、猛然と棍棒と爪を振るった。時間にして数秒も満たないうちに、弓兵は全滅。
ハイエナは血に塗れた棍棒を再び口にくわえ、今度は跳躍だけで、市門をひとっ飛びで降りた。鎧獣騎士にとって、城門などは無きに等しい代物なのだ。
瞬く間に幾人もの死体を作り出した山賊に、イーリオ達は息を呑む。
生身で鎧獣騎士に立ち向かうなんて、殺してくださいと言っているようなものだから、仕方ないとはいえ、だ。
これを見ていたオーラヴも、流石に鎧獣騎士相手に勇を奮うのは、愚かでしかないと理解しているのだろう。悔しそうに俯いているように見えた。
大騒ぎとなった現状を収拾する意味でも、ドグは黙っていられなかったのだろう。
「イーリオ、やるぜ」
と、既に気持ちは戦闘のそれへと切り替わっていた。
血の気の多い小さな年長者は、大山猫の鎧獣、カプルスを呼び寄せる。
だが、イーリオは、渋い顔をしていた。
「んだよ? ビビってのんか? おめえのザイロウなら、あんな奴らどうって事ねえだろうが」
その言葉にイーリオは、さらに渋い、というか困った表情をした。
「忘れたの? ザイロウは、彼女を守る時にしか鎧化出来ないって」
イーリオが言い終わるや否や、しまった、と表情に表すドグ。同時に、成り行きを見ていたオーラヴも、驚きで目を丸くする。
「け、けどよ、このままだったら、シャーリーも襲われちまうんだぜ。これだって、立派に〝守る〟事じゃねえか。なぁ、わかんだろ、シャーリー」
「だから勝手に、彼女の名前を略すな。――どうかな、シャルロッタ。これは君を守るためなんだ」
二人の必死な言葉に、事態がいまいち呑み込めていないのか、シャルロッタは小首を傾げている。
「あたしを守る? 何で? だってあたし、まだ襲われてないよ」
「いや、このままだったら確実に襲われるんだって。見ろよ、あの様を。わかんだろ?」
流石にドグ一人で三体の鎧獣騎士の相手は難しい。敵は既に鎧化してる以上、いつ襲ってくるかわからない。言葉にも、真剣さが滲み出て来た。
「本当? イーリオ」
「ああ。本当」
イーリオも、事態の急変に必死な顔になってしまう。
「じゃあお願い、イーリオ。あたしを守って」
その言葉と共に、彼女は両の手を祈る形で組み合わせると、やがて彼女の額に、幾重もの色彩を放つ、プリズムの輝きが浮かび上がった。
光は収束して宝石に象られると、そこから一筋の光が、ザイロウの神之眼に繋がる。
それを見たイーリオとドグは互いに頷くと、
「白化!」
と、同時に叫んだ。
オーラヴは、突然輝き出したシャルロッタの光に、動揺を隠しきれない。「まさか……こんな事が」と、思わず声に出す。レレケも興奮気味に、彼の言葉に応じた。
「びっくりですよね……私も直接この目にするのは初めてです」
互いの鎧獣が、二人に覆い被さり、白煙が全身を包み込む。変形する授器。身体に力が充満してくる。
鎧獣騎士ザイロウと、鎧獣騎士カプルスが、姿を表した。
「今日は俺も、トバしていくぜ」
と、意気軒昂に言うと、カプルスの授器の篭手から、巨大な三本の爪が飛び出した。
両腕で六本の鉤爪。
これがカプルスの授器の真の姿。
すぐに獣能を発動させ、相手の動きを予知する。
同時に、ドグの脳内にも野生の本能が喚起されていく。殺られる前に、殺れと――。
互いの出方を探りながらも、鎧獣騎士の間合いは、通常の人間のそれとは比較にならない。彼我の距離は、一ヤード以上あったが、既にして間合いの中であった。
カプルスの獣能〝感覚鋭敏〟が三者の動きを感じ取る。
即座にイーリオに言い放った。
「右、来るぜ!」
野生馬の鎧獣騎士が、猛然とザイロウに突進した。
馬の跳躍力に、鎧獣騎士化による力の増大。
速度は常人の視認を超えていた。だが、野生馬の拳は、地面を抉るも、ザイロウに擦りもしない。続けざま、ハイエナの一体が咬撃の牙をたてるも、これも俊敏に躱す。
身をひねり様、手にした武器授器、〝ウルフバード〟でハイエナの頸骨を叩き斬った。
土煙をまきあげながら、地に倒れ込むハイエナの鎧獣騎士。
「貴様ッ!」
鮮やかな一撃に、市門側に居たもう一体のハイエナが目を剥く。
そこへ、赤橙色の疾風が、殺到した。
「余所見してんじゃねえぞ!」
カプルスの鉤爪が、獲物の狙いを定めて連撃を繰り出した。
だが、油断はしたものの、ハイエナは何とかこの攻撃を受けきる。
すぐに距離をとって、カプルスの周りをジグザグに動き回った。一見、無駄な動きのようだが、これは立派な鎧獣騎士の攻撃術、狩撃走の一種だ。
ハイエナはライオンやヒョウなど、他の補食動物に比べてスタミナが多い。その運動量と高速の動きを利用して、相手を撹乱しようというのだ。目まぐるしい動きに、ドグ=カプルスは、舌打ちをする。だが、カプルスの〝感覚鋭敏〟なら、次の動きも完全に把握できるというもの。同期した己の感覚に集中し、惑わされないよう、意識を高める――。
開始わずか数秒でのされてしまったハイエナを一顧だにせず、野生馬の鎧獣騎士は、変化した蹄で鎧われた両拳を、鼻息荒く叩き合わせた。
馬の鎧獣騎士は、珍しくない。速力もそうだが、スタミナが多いのが最大の特徴であり、また、彼らの脚力は、いざ戦いに転じると、非常に強力な武器となるからだ。後ろ足は二足歩行でそのまま速度そのものとなるが、前足は両腕となって大地を蹴りあげる力が、敵への攻撃手段に変貌する。その膂力は凄まじい。馬の蹴り上げる力は、馬力と呼ばれる通り、数トンもの威力がある。ましてや鎧獣騎士ともなれば、その一撃で、家屋の石壁など、紙細工同然と化すであろう。また、鎧獣騎士時、前足の蹄は指を覆うプロテクターに変化する事で、近接格闘では強大なアドバンテージとなる。
その手に持つは、両刃の剣。ザイロウの片刃のウルフバードと異なり、よく見る直刀の形状をしている。
武器授器の攻撃に、蹄の拳。跳撃や蹴撃にも警戒しなくてはならないので、なかなかに手強い。
イーリオは直感した。
――こいつの動き、山賊のものじゃない。
どこがどうというのではない。だが、あえて言うなら、山賊やドグの無規則で乱雑な戦い方ではなく、最初に戦った騎士団や、どこかの元騎士団長だったという山賊の首領に通じる、規則的で無駄のない動き方をしていた。
獣能を使うか?
けど、こんな所で無駄にネクタルを消費するのは得策じゃない。それに、補食獣型鎧獣にも、他の戦い方はある。
〝山の牙〟の戦いを思い出し、両腕に力をこめた。
今度は、ザイロウから飛びかかった。直線的な動きを避け、右に左にその身を翻しながら、相手の虚をつこうとする。だが、相手も手慣れたもの。ザイロウの動きに惑わされる事なく、自身も脚力を活かして撹乱する動きを見せた。
まだ騎士になって日の浅いイーリオなだけに、どうしてもザイロウの性能に頼らざるを得ない。必然、動きも読まれやすいものとなってしまう。
相手の拳が、ザイロウを捉える。
強力な一撃を、防具の授器で流しきる。
それでも、全身に痺れるような衝撃が伝播した。だが、それこそがイーリオの狙いであった。拳を受けて、相手に近接する。相手はウルフバードを警戒して、そちらに意識を定めた瞬間。空いた左手に力を込め、爪と拳による一撃を繰り出した。
爪撃。
補食獣型鎧獣騎士ならではの戦法。
先だって、ヒグマの鎧獣騎士がカプルスに放ったのと同じものだ。あれは、〝腕が伸びる〟という獣能付きではあったが、本来は、武器と併用して扱うもの。
ザイロウの一撃は、野生馬の盛り上がった胸筋を切り裂き、光粉の混じった鮮血を迸しらせた。光粉は、ネクタルの輝きだ。
致命傷には至らないが、相手の動きを止めるには十分だった。怯んだ隙に咬撃を織り交ぜた攻撃を繰り出し、今度こそ、ウルフバードの一閃で、相手の腹部を断つ。おそらく、中の騎士にまで達した傷だろう。
だが、野生馬の鎧獣騎士は、いささかも怯む色を見せず、再度、己の剣を振るってきた。
これにはイーリオも驚いた。
けれどもその動きは精彩さを欠き、油断していたとはいえ、ザイロウの性能差で相手の剣を身を捩って躱すと、同時に、咄嗟の手数でウルフバードを放つ。
今度は、丸太のように太い首を斬られ、野生馬の鎧獣騎士は、螺子の切れた人形のように、静止しながら倒れ伏した。
相手を斬った勢いで態勢を崩したイーリオ=ザイロウは、その場にへたり込んだ。
荒々しく肩を上下させるイーリオ。
ふと、思い出したように視線を動かすと、カプルスの方も、相手のハイエナに留めを与えていた。
息巻いて待ち伏せしていた山賊達であったが、瞬く間に肝心の鎧獣騎士がやられてしまい、生き残った一人は、悲鳴を上げながらその場を駆け去っていった。




