第二章 第一話(2)『秘密』
「無敵じゃねえか、それ」
レレケの言葉を聞いてまず反応したのが、ドグであった。
レレケが言う、ザイロウの治癒機能の事である。
〝山の牙団〟壊滅の報は、ドグの軽口も手伝って、たちまちの内に近隣の町や村に広まっていった。
では、イーリオ達はというと、仲間だと(無理矢理?)認めさせられてしまったドグの治療が済むまで、一旦ホルテの町に滞在を余儀なくされ、結局二日もの間、この町で無為な時間を過ごす事になったのである。幸いな事に、壊滅のお手柄をたてた一行という事もあって、治療はタダで済む事になり、その点は助かったのだが……。
しかし一方でイーリオ自身も、激闘の疲労が蓄積していたのもあり、すぐに発てる状態ではなかった。結局、計らずともドグの回復を待つ事になり、やっと旅立てる状態になったというわけである。
その間、真実、無為に過ごす訳にもいくまいとレレケはザイロウの事を調べ、その結果、色々とわかった事があった。
そのひとつが、ザイロウの異常なまでの治癒能力だ。
それは素人同然の騎士であるイーリオが、何故こうも勝ちを拾ってこられたかの裏付けにもなった。
ただ単に治癒機能が優れている、というものではない。
まずはじめに鎧獣の治癒機能とは、〝ネクタル〟由来のものである。
ネクタルとは、通常の食料を必要としない鎧獣の摂る、唯一口にするものであり栄養源。その活動の源となる糧食の事である。
基となるのは、アムブローシュという蚕のような虫の排泄物、即ち糞である。それを薬液に浸して乾燥させ、その後固形化させたものをネクタルと言った。精製過程はあまり美しくないが、完成されたネクタルは、日に透かすと黄金色に輝くところから、〝輝きの菓子〟などと呼ばれることもあった。
形状は主に四角い立方体をしており、大きさは与える鎧獣により、大中小様々。人間が食す事も出来、滋養強壮や病人食として使う地方もある。
このネクタルが、鎧獣の摂るたったひとつの食べ物であり、これが体内の至るところに満ちる事で、爆発的な力を生み出す事が可能となっていた。
また、ネクタルの満ちた鎧獣の体組織は、強靭な自己修復能力を持っており、様々な傷を瞬時に癒す力も持っていた。騎士は、鎧獣を装着時、自身の体組織を鎧獣と一部融合させており、その結果、鎧獣のみならず、装着者本人にも常人ではあり得ない治癒能力を与えているのである。
ザイロウは、このネクタルの体内備蓄量が尋常ではなかった。
山の牙団との戦闘後、ザイロウとカプルスにネクタルを与えたところ、ザイロウは通常のこのサイズの鎧獣が摂るネクタルの、およそ二〇倍以上をペロリと平らげた。
これにはイーリオのみならず、シャルロッタを除く全員が驚いた。
大食らいなんてものじゃない。
ゾウやサイでさえ、この半分で充分だというのに。
しかも、基本鎧獣において、ネクタルの摂取は動物の食事とはかなりかけ離れたものであり、過食や拒食は鎧獣において存在し得ないのが普通である。つまり、大食らいの鎧獣なんてものは存在するはずがないのだ。
となれば、考えられるのはひとつ。ザイロウのネクタル備蓄量・必要摂取量が、通常の鎧獣をゆうに超える許容量であるという事。レレケに計測によれば、それはおよそ三〇倍近くだという事である。
これを知ったレレケは、ある仮説をたてた。
おそらくザイロウは、体内に備蓄された膨大なネクタルによって、尋常ならざる力を発揮しているのであり、件のイーリオの治癒も、それの副作用のようなものであろうと。副作用という事は、本来の効能は別にあり、それが装着者の身体向上機能なのだという。
ザイロウ装着時、体の一部を癒着・融合させているイーリオは、ザイロウのネクタル燃焼も自身の中に取り込んでいるのだ。それによる爆発的な身体性の向上なのである。
つまりレレケの考え通りなら、ザイロウをまとった者は、それだけで自然と超人的な力と、超人的な治癒能力を有する事が出来るという事になる。
「成る程なぁ。それで、おめえみたいな素人臭ぇ騎士でも、あのゲーザのボルソルンに勝てたってワケだ」
レレケの説明に、ひとしきり納得するドグ。
「けれど、良い事ばかりではありませんよ。ザイロウが膨大なネクタルを欲するという事は、それだけエネルギー消費が激しいという事。治癒や、爆発的な活動能力は、そのままネクタルの激しい消費を意味します。幸い、イーリオ君達が出会って数日、その前の事も考えると、まだこの後数日間は活動も出来るでしょう。けれど、さらに激戦で何度も深手を負いなどすれば、たちまちザイロウの備蓄ネクタルは底を尽きます」
「底を尽くと……どうなるの?」
自分の事だけに、思わずイーリオも身を乗り出して聞き返す。
「それが、この間の戦闘直後の、強制的な鎧化解除でしょうね」
山賊団の熊の鎧獣騎士との激闘直後、命じてもいないのにザイロウは強制的に鎧化を解いたのである。本来、鎧獣は装着者たる騎士の命なしに、鎧化の解除は出来ないものなのだが。
「使えば使う程、装着時間は短くなっていく……。確かに鎧化の時間は限定されてますが、それにしてもと言ったところでしょうか。それから問題はもうひとつ」
「まだあるの?」
「今は大丈夫ですが……この大食らいです。目下、我々の最大の問題は、このままだと、いずれ旅費が尽きてしまいかねない、という事です」
これには一同も蒼然とした。そうだった。旅費は潤沢ではない。ネクタルは安価で手に入るものであるが、通常の二〇倍も費やしていては、塵も積もれば何とやら、である。強力な力は、決して便利なばかりではないという事だ。
「ま、つまりは戦いをなるべく避ければいい訳だろ? 深く考える事ねえじゃねえか」
ドグの能天気な言葉に、イーリオはげんなりとした。
だが、彼の言う事も尤もである。ようは戦いを避け、まずは国境を目指す事。ドグや山賊達との戦いと、二日間の滞在は痛かったが、今後の道程を考えれば、ドグやレレケといった旅の仲間は心強い事この上ないとも言える。何せ両者とも、争闘を避ける技能の持ち主だからだ。
さて、ドグも回復し、一同はいよいよホルテの町を後にした。
二日の間にイーリオは、旅の目的とそのきっかけの出来事も語っていた。
はじまりであるゴゥト騎士団の襲撃のくだりに、二人が興味津々なのは勿論だったが、レレケなどはイーリオのペンダントにも強い興味を覚えた。見せて欲しいとお願いされ、これから共に旅をする仲間だとあれば、あまり拒むのもはばかられると思い、イーリオはそれを快諾した。
旅嚢に仕舞った母の形見のペンダントを出し、レレケに手渡す。ゴゥト騎士団との件で、歪み変形したそれを、レレケと横から覗き込むドグは、ためつすがめつ眺めた。
「お袋さんの形見ねえ……。成る程、錬獣術師の持ち物らしい、高そうな代物だ」
そう言って、ドグは興味をなくしたが、レレケはじっと見つめている。
「どうした、レレケ?」
「……ん? いえ、何でもございません……。しかし、ここまでいびつに変形していては、元に戻すのは難しいですよね」
「そう。だから父さんは、メルヴィグにあるバンベルグ村のホーラーって錬獣術師に会って、直してもらえって言ったんだ。その人なら、このペンダントを直せるからって」
イーリオの言葉に、レレケは硬直した。
え?
「……今、何とおっしゃいました?」
「さっきも言った、メルヴィグにいる錬獣術師に会いに行くって話だけど。その人が、バンベルグって村に住んでて、名前がホーラー・ブクさん」
耳にした名に、レレケの能弁な舌は、氷づけになったように固まってしまう。
「何? レレケ、知ってるの?」
「何だよ、メガネ女。お前、その何たらって奴の知り合いか?」
レレケに嫌な汗が出る。
「……いえ、何か聞いた事……あるなぁ〜って思いまして……けど、名前違いでした。うふふ」
まさかここで、ホーラーの名前を聞くとは……。成る程、〝彼〟なら、このペンダントを直す事が出来るだろう。いや、このペンダント、かなりいわくのある、しかも厄介な〝仕掛け〟が施されたものである事を、彼女は密かに気付いていた。ならば、ホーラー程でなければ、修復する事は困難だと言うのも頷ける。
とはいえ、彼らの目的が、まさか自分の〝師匠〟だとは……。
許可なしで飛び出して来た身としては、己の師匠の元に戻るのは勘弁願いたい。だが、この銀狼の鎧獣と銀髪の少女の謎を、このまま見過ごすのは、レレケの探究心が許さない。ならばどうする。何とかして師匠に会わず、ペンダントの修復方法を見つけ出すか、あるいは、師匠に会うまでに、銀狼の謎を探り当て早々に別れるか、もしくは――。
何にせよ、自分とホーラーが知り合いだなどと、彼らに知られては不味い。ここは己の身上を誤摩化して、〝その時〟まで穏便にやり過ごすのが一番だろう。一人、心中でそう考えるレレケであった。
そんな事がありつつ、一同は兎にも角にも、次の町、ナーストレンドを目指して進んでいった。




