第一章 第七話(3)『獣能』
ドグ=カプルスは、感知した。
来る。左から鉄槌の一撃。その後、突進する。
瞬きもない程の直後、その通りの一撃が、大山猫と大狼に襲いかかってきた。白銀の人狼は、姿勢を崩されてシャルロッタから少し距離を取らされてしまう。
――今だ!
狙い通り。ドグ=カプルスは跳躍し、一気に距離を縮めた。
銀髪の美少女、あの子をこの手に!
衝撃。
ドグの視界が無茶苦茶に反転する。
その後、激痛が全身を襲った。視野は狭まり、火花のようなチカチカしたものが見える。
何だ? 何がどうなった? 全く理解出来ない。彼女は? 彼女はどうした? 見ると、目の前に、銀狼の鎧獣騎士と、銀髪の少女が立っている。
イーリオは戦慄した。態勢を崩していなければ、やられていたのは自分だった。実際は、ドグがトンビが油揚げを攫おうとしたのだが、イーリオには、自分達を庇って大山猫の鎧獣騎士がやられたように見えたのだった。
イーリオは、超人化したザイロウの視界で、確かに見た。
腕が伸びたのだ。
突進する態勢の人熊の鎧獣騎士から、鉄槌を持たない方の腕が、まるでゴムのように伸び、人猫に激烈な一撃を与えたのだった。
幸い、ドグ=カプルスは無事らしく、致命傷には至ってないようだったが、それでも、立つ事もままならいようであった。
口惜しそうに地面を這うドグ=カプルスを見下しながら、人熊の鎧獣騎士は、それでも忌々しげに声を絞り出す。それはまるで、魔王の眷属のような、嗄れ声。
「ドグぅ……、てめぇはそこで這いつくばってろ。後で散々、いたぶってやるからよぉ。――まずはてめぇからだ、狼の……。あの時の狼が、まさかこんなクソガキだったとはな……!」
腕が伸びたのは、おそらく熊の獣能。
身体の一部を増強するのが獣能だが、時に優れた鎧獣ともなれば、異能に近い、まるで超常のような能力を獲得することがある。このボルソルンという熊の鎧獣は、かなり名のある錬獣術師によって作られたものなのだろう。腕が伸縮自在に伸びるなんて獣能、滅多にあるものではない。
ドグもまた、ボルソルンの獣能を目にしたのは始めてだった。いつもはその性能のみで他者を圧倒していたので、ドグも見た事はなかったのだ。獣能を考えに入れなかったわけではない。けれど、熊とこの男のイメージから、筋力増強とか、どうせ力任せの獣能だろうと高を括っていたのが災いした。
全くの油断。
「孺子……、俺ぁ、あの時言ったよな? 次に会ったら潰してやる、って。人の善意を無にするたぁ、どうやらおめえには、記憶力ってもんがないみたいだな」
この言葉を聞いた途端、イーリオの頭に血が逆上った。
――何だって? 善意だと?! シャルロッタを攫っておいて……!
イーリオの獣性が目覚める。
鎧化したものの、灰色熊の迫力に圧倒されっぱなしだったので、彼の血が、いつもの沸騰する感覚になっていなかったのだが、途端に鼓動が、ドクン! と大きく脈打つようだった。
「この子を攫ったクズが、どの口で善意なんて言いやがる! どうにも臭いと思ってたのは、あんたの鎧獣の獣臭さじゃなく、お前の腐った腸の匂いのようだったな」
無論、鎧獣に獣臭さなどあるわけがなく、それは悪罵以外の何者でもなかった。
これを聞いたドグが、横たわりながら唖然とする。
馬鹿。煽ってどうすんよ? ――けど、
「へっ……胸のすく台詞吐くじゃねえかよ……痛ててて」
このイーリオとかいう坊ちゃん、案外、面白い奴だな――。と、思い直したドグだが、現状はさらに悪化してしまう。
今の言葉で、噴火寸前の火山が臨界にまで達したようだった。
よっぽど腹に据えかねたのか、イーリオの台詞に逆上したゲーザ=ボルソルンは、大人三人でも持ち上がるだろうかと言えそうな重量級の鉄槌を片手で振り回し、人狼に迫った。
これを躱したイーリオ=ザイロウに、獣能で伸ばした腕を背後にまわして、死角から襲ってくる。だが、ザイロウはこれも躱す――と同時に、空を斬った鉄槌が、翻ってイーリオを直撃。
息が詰まる。
吹き飛ばされた人狼は、砦の柵に当たり、柵ごと薙ぎ倒されてしまう。
土煙と木片が舞い上がり、柵の周りにいた山賊は、倒れた丸太の下敷きになってもがいている。
「ゲホッ! ゲホッ! ゲホッ!」
土煙の向こうから、聞き知った人の声。
レレケが埃を払いながら立っていた。どうやらレレケのいる所まで吹き飛ばされたらしい。彼女の周囲には、まるで主を守るように、半透明の水牛が防壁のように彼女を囲っていた。
「大丈夫? レレケ」
呻き声まじりで、イーリオは身体を起こしながら問いかける。
「イーリオ君! どうやら鎧化出来たみたいですね。素晴らしい! ……けど、この状況は、あんまり喜ばしくないようですね……」
土煙の向こう、吹き飛ばされた拍子に、シャルロッタと離されてしまった。
そして、煙と瓦礫を掻き分け、ゆっくりと人熊が近付いて来る。
「敵さんも鎧化しちゃいましたか……。あれ? あの鎧獣……?」
「どうしたの?」
「あの授器……、もしかして、〝ボルソルン〟じゃないですか?」
「知ってるの? やっぱり、有名な鎧獣?」
「有名というか……、貴方にとっては、馴染みのある鎧獣ですよ」
「僕にとって……?」
「ええ。あの鎧獣の作者、確か貴方のお父君、ムスタ卿だったはずです。あの授器の曲線や配置、それに仕上がり具合、間違い有りません」
驚くイーリオ。
まさか自分が、父の作った鎧獣と矛を交える事になるとは――!
思いもよらぬ皮肉な偶然に戸惑いを覚えるも、現実は戸惑っている場合ではない。ザイロウの全身を確認すると、どうやら目立った外傷はないようだ。イーリオ自身もどういうわけか、あの衝撃にも関わらず、特に身体に違和感はない。
……これは、後にレレケによって解明されるのだが、ザイロウは、通常の鎧獣にはない、装着者の傷を癒す能力が備わっているのだ。これにより、素人 騎士同然のイーリオでも、これから続くであろう数々の激戦を乗り越えてこられたのである。
この場合も同様で、衝撃を受けた直後、イーリオは全身に複数の骨折があったのだが、即座にザイロウがこれを治癒。全身、無傷の状態になったのである。ただし、この回復能力、決してザイロウだけのものではない。他の鎧獣も、多少なりとも、騎士の傷を癒す能力は有している。ただ、ザイロウのそれが異常なまでの力と早さを持っているのであって、通常、短時間とも呼べない程の瞬時の早さで、骨折が完治する事はあり得ないのであった。とはいえ、これも後に判明するのだが、この治癒能力、決して良い事ばかりではない。回復すればするほど、あるリスクを背負ってしまう事になるのであるが――。
イーリオ=ザイロウは立ち上がる。
だが、立ち上がった所で、あのパワーと装甲、それに変化する攻撃に対し、手だてが見つからない。どうする? シャルロッタを担いで行こうにも、距離が空いてしまった。
躊躇っていると、再び、人熊の伸びる腕が襲いかかってきた。
何とかこれを躱すも、今度は両腕が伸びてくる。しかも片方の腕には鉄槌。辺りは暴風が吹き荒れるかの如く、石や樹木が滅茶苦茶に粉砕されていく。防戦一方のイーリオ。吹き荒れる破壊の嵐の中、レレケが叫んだ。
「イーリオ君! 貴方の鎧獣、そのザイロウなら、ボルソルンにだって負けてないはず! 臆せず立ち向かってください!」
そんな事言ったって……!
この激しい攻撃の中、何をどう立ち向かえっていうのか。
――無責任な事を言って!
「獣能です! ザイロウの獣能を使うんです!」
――何だって?
イーリオは耳を疑った。
本来、獣能とは、鎧獣と相性が合い、さらに訓練を重ねた末に獲得出来る、高度な異能である。それを一朝一夕の間柄のザイロウと自分が、すぐさま出せるなんて、そんな事出来るわけがない。
だが、レレケは続けて叫んだ。
「忘れましたか?! ザイロウは、規格外の鎧獣なんです。常識に捕われないで、非常識だろうがやってみるのが最良じゃないですか?!」
――さっきはそれで失敗したじゃないか。
心中で悪態をつくも、だからといって自分に良い手だてがある訳ではない。追い打ちをかけるように、レレケが更に続ける。
「私に見せてください! 非常識な力を!」
別に貴女に見せる為に戦ってるんじゃないんだけど!
けど、やるしかない。どうせ、駄目で元々だ。敵の間隙を縫い、イーリオは神経を集中する。
ザイロウ! ――ザイロウ!
目を閉じ、呼びかける。
――頼む! お前の力が必要だ! 僕に力を貸してくれ! お願いだ、ザイロウ!
時間にして、一秒にも満たないようなほんの一瞬。けれどそれは、イーリオにとって、永遠とも呼べる程に長い空白。目を閉じた向こう、何かが反応した。
聞こえてくる――、いや、頭に流れ込んでくる、ザイロウの思念。
――ザイロウ! 力を貸してくれるのか!
――そう、獣能だ。君の特殊な力を教えて欲しい。……どうすればいい?
思念が答えを導き出す。閃きが、瞬きになる。
――え? まさか? ……そうなのか?!
答えられた内容に、イーリオは驚きを隠せない。レレケの言う事は、決して誇張などではなかった。まさに規格外。そんなのは聞いた事がなかった。
だが――!!
イーリオが目を開く。僅かな空白とはいえ、時間にして〇・五秒。一瞬にして、目の前にボルソルンのかぎ爪が飛来してきた。上半身のみを仰け反らせてこれを躱すと、イーリオ=ザイロウは、一旦、距離を取る為に跳躍する。
「何だぁ? 逃げる気か?」
ゲーザ=ボルソルンの言葉に、イーリオ=ザイロウは、睨み返した視線で応える。
「はっ! やる気まんまんじゃねえの」
イーリオは大きく息をついた。初めての獣能。
行くぞ!




