第六章 第七話(1)『道標』
大地が火を噴いた。
雲は海の底に消え、海水は巻き上げられて天に吸い込まれた。
空はとうの昔に、昼である事、夜である事を忘れ、終焉の色のみを映していた。
朽ちかけた崖の上に、彼らは立っていた。
あちこちで吹き上がる火柱と、雨水のように止まない稲光が反射して、彼らの姿は影になって判別できない。数人の人影。その内の一人が言った。
「人類は滅んだ」
別の誰かが続けた。
「お前が新世界の人類となるのだ」
その言葉にいい知れぬ嫌悪感を感じ、イーリオは首を振った。
何故僕が? 何故僕なんだ? ここには誰もいない。誰も居やしないじゃないか。そんな中で、僕一人が生きろと言うのか?
崖の下で、崩れる大地に押し潰されていく人々。炎は形となって、まるで魔物のように人々を――生き物を――灼き尽くしていく。
嫌だ。みんながいない。みんなのいないこんな世界で、どうして僕だけが生きていくんだ?
「何を言っている? お前は一人ではないぞ」
――え?
「仲間ならいる。ほら、手に持っているじゃないか」
――手?
自分の手。視線を落とすと両手で包むように――
大山猫の頭部があった。
頭部はずるりと剝け、中から柘榴の実のように、血まみれの人間の頭部が落ちる。
ドグの首。
気付けば、周りには無数の死体。
崖下の人々はみな、己の知ってる顔ばかり。
リッキーの死体。レレケの死体。カイゼルンの、クリスティオの、父の――
そして、シャルロッタの――骸。
悲鳴をあげようとするも、声が出ない。
どうして? どうしてこんな事に――
声が言った。
「抗いたくば、ウルフバードを目覚めさせるのだ」
「ウルフバードこそ、星の城への道標」
※※※
自分の背丈近くありそうな巨大な掌を、漆黒の刃で受け止める黒騎士。
巨人となった人狼は、腕の一振りで寺院の塔を破壊したほどなのだ。その恐るべき一撃を受け止め、耐えている。いや――
「噴ッ」
巨大人狼の掌底をはね返した。
「おおっ」
寺院の中からどよめきが起こった。
あれが黒騎士。三獣王。そしてヘスティア様の加護の力よ、と。
続けて跳躍し、巨大人狼に一気に肉迫する。だが、巨大人狼は、左の拳を出して、勢い任せに払いのけようとした。黒騎士はこれは空中で身を捻って躱し、黒刀を蒼白く輝かせる。まるで蒼い光が刃先に集まっているよう。
刃が閃く。
黒い閃光が、白銀の体毛を切り裂いた。
「グオオオオオッ」
巨大人狼の左腕が切り刻まれ、血の代わりに白い光が噴き出す。
寺院の信徒や、灰堂騎士団の鎧獣騎士の歓声が、一際大きくなった。
遠巻きになった位置でこれを見ていたクリスティオ達は、ただ呆然と見守る事しか出来なかった。
一方で、シャルロッタの額には、くっきりと七色に輝く結石――神之眼が浮かび上がり、その意識は今にも途切れそうなほどぐったりとなっていた。ただ、うわ言のように「駄目……イーリオ」と繰り返すばかり。ミケーラが、ネブラスカオオカミの鎧化を解きもせず、ただ抱きかかえるのみであった。
シャルロッタのこの現象は、一体何なのだろうか?
イーリオが巨大な人狼と化し、黒母教のヘスティアが出現してから向こう、彼女はおかしくなった。そして、光の道を巨狼となったザイロウに注ぐと、巨狼は巨大なままで人狼と変化した。まるでシャルロッタが、ザイロウに力を注いだかのような――。
超常以外の何物でもない現象の数々。
更に、シャロッタに酷似した姿の、神女ヘスティア。
情報量が多すぎて、整理出来ないのは、クリスティオだけではなく、この場の四人ともがそうだった。だが、自分達の本来の目的を見失うほど、女性陣は取り乱してはいなかった。
「ヴィクトリア主席官。目的はどうなりましたか? イーリオ様のご友人の救出は?」
ミケーラが思い出したように問いかけた。クリスティオもハッとなる。そうだ。そもそも黒騎士と剣を交えたのも、騒ぎを起こして、救出の為に陽動となる――それが目的だったはずだ。
「ご安心を。レナーテ様は既に安全な場所に向かっておられます。むしろ今は、この状況を――イーリオ君を何とかしなければなりません」
頷く、ミケーラ。
ふと、気付く。
巨大人狼と黒騎士の戦いを見守っていたヘスティアが、こちらに視線を向けていた。
誰を――何を、見ている?
視線はそう――シャルッロッタに注がれていた。
シャルロッタの苦悶が一際大きくなる。
「シャルロッタ様!」
ヘスティアの方に向き直ると、その姿は消えていた。
馬鹿な――。鎧獣騎士の知覚で感知出来ないなんて――。
シャルロッタが、頭を抱える。
「駄目……。やめて……」
黒騎士が、蒼光りする黒刀で、空を裂いた。
巨大人狼の左腕が、切断され、宙を舞う。
「おおっ!」「やったぞ!」
寺院の信徒達が湧いた。
灰堂騎士団の鎧獣騎士らも、大きく頷き合う。
これは――もしかして、いけるんじゃないか。
そうだ。圧倒的だ、黒騎士殿は。
いける! いけるぞ!
そのような声が、あちこちで上がり、熱気が大きなうねりとなって、群衆に広がっていく。
誰かが叫んだ。
「今だ! 黒騎士殿に続け!」
それは鬨の声となって、瞬く間に灰堂騎士団の騎士を包み込む。
我先にと、一斉にオグロヌーの鎧獣騎士が、大きな群れとなって、巨大人狼へと殺到した。
それを、冷ややかに見ている黒騎士。
「馬鹿が」
小さく侮蔑の言葉を放つも、誰一人聞こえていない。
オグロヌーの人獣騎士の群れが、次々に飛びかかった。
しかし、群がる羽虫のようなその様は、そのとおりの結末を迎える事となる。
巨大人狼が、失くした方の左腕を振り払うと、同時に左腕が出現した。
――左腕の瞬間再生。
オグロヌーの騎士達は、虫のように払い飛ばされた。続けざま、巨大人狼は再生した左腕を地面に突き立て、回廊に亀裂を走らせる。黒騎士が、いつ、どうやって見つけたのか、ヘスティアを抱えて跳び上がった。
これを見ていたヴィクトリア達も、咄嗟の判断で「皆さん、逃げて!」と叫ぶと、一斉に跳び上がる。ミケーラはシャルロッタをそのまま抱える格好で。
巨大人狼の突き刺した左腕を中心に、蒼白い炎が、火柱となって吹き上がった。
火柱は断続的に吹き上がり、死を呼ぶ列柱となる。
ある者は消し飛び、ある者は炎に巻かれ、ある者は焦がしたまま瓦礫に潰された。
メギスティの寺院も、一瞬にして、半分が灰燼と化してしまう。
「ウォォォン」
巨大人狼が吠えた。
その声は怒りにまかれ、渦のように奔騰していたが、どこか悲しげでもあった――。




