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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第一部 第六章「神女と聖女」
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第六章 第六話(3)『巨狼再臨』

 マテューこと、灰堂騎士団ヘクサニアの密偵、十三使徒の第十一使徒フランコが任務を果たして姿を消そうとすると、彼の行く手を阻む格好で、二騎の人狼が、彼に立ちはだかった。

 クリスティオとミケーラの主従だ。


「止めといた方がいいですよ。今、あんたらの相手にしているのは、ホレ、そこの――」


 黒い風が空を裂く。

 黒騎士の剣風。

 主従の二人はかろうじてこれを躱し、その隙にプロングホーンは、素早く駆け出していた。


「待て!」


 クリスティオ=ヴァナルガンドが追いかけようとするが、プロングホーンの駆足あしは速い。野生の種でも、チーター並みの速度を誇り、場合によってはそれすら超えてしまう俊足なのだ。

 黒騎士が立ちはだかる今、いかなヴァナルガンドでも、追いつく事は不可能だった。


「いいのですか? 黒騎士あなたの戦場が、予期せぬ輩に汚されてしまいましたよ? それでもまだ、戦おうとするのですか?」


 恐るべき圧を放つ黒騎士に、ミケーラが、僅かに声を震わせて問い質す。


「戦場に不確定要素はつきものよ。むしろ、俺の剣をかいくぐって、事を成した彼奴めの手腕を天晴れと言うべきだろうな」


 プロングホーンの乱入など、まるで意に介していないかのような黒騎士。

 どうあっても戦おうとするのか――。


「だが、その不確定要素のせいで、こちらの戦力は不十分です。貴方の望む戦場は、もう作れません。それとも、一方的に蹂躙するのが、貴方の流儀とでも?」

「不十分? 何を言っている。お前らの戦力は、まさに今、整わんとしているのではないか」


 黒騎士の言葉の意味を計りかねた主従は、気付いたようにイーリオに視線を向けた。



 イーリオは、ザイロウを纏った人狼のまま、両膝をつき、大山猫の頭部を見つめていた。

 凝と――身動き一つせず。

 手を伸ばせば生々しい頭部があるというのに、それを触れもしなかった。



 触れないのではない。

 触れられない。

 触れれば煙をあげて、消えてしまいそうだったから――。



 意識を眠らせるザイロウの中に、主人の心が流れてくる。

 それは津波の前の引き潮に似て、荒れ狂う乱流を前に、耳が痛くなる程の静けさを伴っていた。

 駄目だ。

 我が主よ。その本能に身を委ねてはいけない。

 〝ロムルス〟を失ってより幾百年。悔恨を噛み締めるように生き、次も生き、その次も、と繰り返してきた我が生が、尽きてしまいかねない。

 やっと見つけた〝世界の開拓者(ヴェルト・ピオニア)〟を、こんなに早く失う訳にはいかない。

 止すんだ。

 その扉を開くのは。



 ――突如、ザイロウの体から、青紫の煙が吹き上がった。


 今まで、見た事のない気体。

 煙は濃密に滞留し、大きな雲のようになって、たちまち回廊を満たしていった。

 ザイロウの周囲にいた、残った人狼の千疋狼タウゼントヴォルフ達は、まるでそれが当然のように、次々に気体に飛び込んで行く。




 動揺と異変による騒ぎで、誰も少女の叫びに耳を貸す者はいなかった。

 ドグに命じられ、物陰に隠れていた銀髪の少女――シャルロッタ。

 荒い息を繰り返し、脂汗を浮かべながら、悲痛な声を絞り出す。


「駄目……。イーリオ。まだその〝扉〟は……開けちゃいけない……」


 だが、少女の声も、銀狼の思いも、少年には届かない。


 少年の心を満たしていたのは、ひたむきな絶望と、苦しげな怒り。


 何も言わず、声にも出さず、儀式のように命じられた。



巨狼化リーゼヴォルフ



 紫煙が荒々しく掻き消され、中から巨大な獣が姿を見せた。

 全長五〇フィート(約一五メートル)を超す、巨大な狼が。



 怪物、と呼んでもおかしくない、巨大な狼に似たモノ。

 だがそれは、以前表れた時とは著しく違っていた。


 大きさも一回り以上巨大になっているが、それだけではない。かつてティンガル・ザ・コーネに追いつめられ、姿を見せた巨大な狼は、熱波を伴い、赤味を帯びた炎の巨狼だった。

 だが、今目の前にあるそれは、白銀に光を放ち、毛先が紫がかって、幽鬼めいた炎のように揺らめいていた。いや、実際に燃えていた。蒼味がかった紫は、炎の熱気を辺りにまき散らし、側にいる者から灼き尽くしてしまいそうだった。


 その熱のせいか、山の土砂がパラパラと崩れ、足元の石畳に降り注ぐ。

 巨大化したザイロウでは、回廊でさえも小さな細道にしか見えない。さながら、山肌の杣道に、巨大な象が姿を見せたようなものだ。自身の大きさで、崖下に転落しそうでさえある。


 だが、不確かな足場を改めるように、巨狼は突如、激しい跳躍をし、崖とは反対の山腹に四肢を引っ掛けた。

 その巨躯に似合わない、恐るべき俊敏さだ。

 そして一声――


 ウォォォン


 と、遠吠えをあげた。



「何だ? 何なんだ、あれは?」


 見た事のない巨大な怪物を目の前にして、クリスティオにいつもの傲岸さはなかった。問いかけられたミケーラとて、どう返事していいかわからない。

 仲間ドグの死――。

 そして、イーリオの変身――。

 そう、イーリオだ。


「あれはおそらく……イーリオ様」


 ミケーラの答えに、クリスティオは言葉が出ない。分かっていた。あれがイーリオだと。しかし、あまりの変貌ぶりに、思考が待ったをかけていたのだ。

 そんな馬鹿な。あれがイーリオだと? あんな……あんなモノ……。


 ――獣能フィーツァーですらない。



※※※



 メギスティを離れた、反対側の山道にも、これを見ている人影が一つ。

 丁度、イーリオ達の居る回廊の反対の山間だが、そこは一見、メギスティと繋がってないように見える場所だ。つまりは抜け道。黒母教でも一部の者しか知らない秘密の抜け道を通って、その人物はこの異様な光景を眺めていた。


「擬似生体化した体が、余剰エネルギーで熱放射を放っとるか。何という濃度のプルートイオンだ。あんなもの、生身でアテられれば、即死してしまうじゃないか。まったく、エールもバールも、とんでもない化け物を作ったもんだ……」


 独り言を呟いたのは、レレケの父、イーヴォだった。

 彼の目には、これから起こるであろう出来事も、これから為されるであろう結果も、全て予測の範疇にあった。

 ――もうここに用はない。

 後は上手く事を成してくれるだろう。

 分かっているからこそ、彼は一人、先んじてこの場を後にしようとしていた。

 やがて一言。誰に聞かすまでもなく、喜色を滲ませた声で呟いた。


「その抗いが貴様の断末魔だ。最初と最後に生き残りし獣、原初の三騎、そのすえ――〝罪狼〟よ」


 片頬を吊り上げ、イーヴォは踵を返す。



※※※



 巨狼はヴァナルガンドもかくやと言わんばかりの速度で、再び跳躍をする。

 着地で石畳がめくれ、同時に前肢の一撃で、メギスティ黒灰院の塔の一つを大きく損壊させた。続けざま、その近くにいた灰堂騎士団ヘクサニア鎧獣騎士ガルーリッター数騎を、まとめて薙ぎ払うと、素早い動作で一騎に噛み付き、狼が獲物を捕獲する仕草でくわえた。悲鳴と怒号が巻き起こる。


 巨狼の顎は、一息で銜えた騎士を砕き、首を回して黒灰院の壁に叩き付けた。

 破砕音の後、中から悲鳴が巻き起こる。


「くそっ。無茶苦茶じゃないか」


 ヴァナルガンドとウォルカヌスが、距離をとって後方に退がる。


「あれは……本当にイーリオなのか? あれではまるで――」


 勝手に口をついて出た言葉だったが、クリスティオが全てを言い終えるより先に、「シャルロッタ様!」と、ミケーラが彼女らしからぬ声で遮った。

 クリスティオが振り返ると、そこには苦しげに背中を震わせ、蹲っているシャルロッタの姿があった。


「どうしたんだ」


 背中を丸め、まるで寒さから身を守るように小さくなったシャルロッタだったが、そこから不意に、光が漏れる。蹲った中で、光源でも押し包んでいるかのように。


「これは……?」

「分かりません……」


 クリスティオの問いに、ミケーラも言葉を出せない。ザイロウに続き、シャルロッタまでもが奇妙な現象にかかってしまうのか。


 シャルロッタが上半身をあげた。

 息も荒く、目には涙を浮かべて。


 だがそれよりも、溢れ出る光が、クリスティオ主従の目を奪った。

 光の奔流。シャルロッタの額から、眩い七色プリズムの輝きが溢れ、周囲に輝きをまき散らしていた。


「だ……駄目」


 呻くような声でシャルロッタから声が漏れると、額の光が徐々に収束し、弾ける輝きとなって、一直線に、巨狼となったザイロウへと注がれた。

 瞠目するクリスティオ主従。彼らは初めて目にする。シャルロッタの、この不思議な現象を。


「これは――!」


 ミケーラが思わず声を出す。

 光のみなもと。シャルロッタの額に浮かび上がる、金剛石ダイヤモンドのような塊。


神之眼プロヴィデンス……? まさか、神之眼プロヴィデンスを持った人間、だと?」


 光を注がれたザイロウは、大きな吠え声を上げる。

 やがてむくむくと、体を揺すったかと思えば、大きく姿勢を変化させていった。――いや、姿勢を変えたのではない。形が変わっていく。巨大な狼から、銀色に輝く、巨大な人狼へと。


 身長にして、五〇フィート(約一五メートル)以上はあろうか。塔の高さに並ぶ、人狼の巨人。

 巨人の出現と共に、シャルロッタは崩れるようにその場にへたりこんだ。


「シャルロッタさん!」


 俯いているが、額に神之眼プロヴィデンスがあるのははっきりと分かる。

 巨大人狼が、右手を払って、塔の一つを全壊させた。瓦礫が砲弾のように辺りに飛び散り、寺院の窓や壁に二次的、三次的な被害をもたらしていく。

 逃げ惑う黒母教の人々。

 突如表れた、神話の中から出て来たかのような人獣の巨人。混乱と恐怖は絶頂を極めんとしていたその矢先――。



「鎮まりなさい」



 凛、とした声が響き渡った。

 それほど大きくもないだろうに、何故か全員の耳に届く声。ザイロウでさえ、声に反応して、動きを止める。


 寺院の中庭。

 逃げ惑う人々が足を止め、その人垣が割れて、鈴の音が響く。

 りん、りん、と。

 三人の女性。錫杖を持つ二人は、中央の一人にかしずくように、途中で歩みを止める。

 儀礼の、華飾ではないが、厳かな衣類を身に纏った中央の女性は、フードで顔が隠れてよく見えない。そのまましっかりとした足取りで、どんどん巨大な人獣の方へと近寄る。

 全員が動きを完全に静止し、固唾を飲んで見守った。

 クリスティオ達にも見える位置まで、女性は巨人に近付いた。


「あ……あ……」


「シャルロッタさん?」


 シャルロッタが涙をこぼし、苦しげな声を漏らす。


 人獣の足元の女性は、躊躇いのない動きで、フードを外した。


「神女様……」


 誰かが呟いた。


 「神女様」「ヘスティア様」と、次々に声が上がる。

 同時に、クリスティオとミケーラも、その顔を目にして、息を呑む。その顔は正に、今、目の前で苦しげに呻いてる少女――シャルロッタと瓜二つだったからだ。

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