第六章 第五話(終)『光狼』
イーリオ達の攻防に目を奪われ、灰堂騎士団の連中も、動けずにいた。が、余波を食らう形で数名が倒された現実を目の前にして、我に返るように、己らの責務を果たさんと行動を開始した。黒騎士への加勢は、どう考えても無理だろうから、自分達が手を出せる相手――つまり、ミケーラやシャルロッタを捕縛せんと動き出した。となると、立ちはだかるのは大山猫の〝カプルス〟を纏った、ドグだ。
リッキーに鍛えられたとはいえ、ドグはもともと騎士団の人間でも何でもない。才能がないとは言わないが、イーリオのように鎧獣が特別というわけでもなければ、特筆するような戦闘の才に恵まれているわけでもなかった。
複数のオグロヌーが迫ってくると、相手取るだけで精一杯。自分一人でシャルロッタ達を庇えきれるかどうか……。
「ドグ君、私の事は構いません。貴方はシャルロッタ様を守る事だけに集中して下さい」
ミケーラが声を荒げるも、そんな気遣いに意識を向ける余裕もなかった。
「おそらく、もう間もなくです。もう間もなく、ですから」
「?」
ミケーラの言葉の意味が判分からず、思わず彼女らの方を振り返ってしまう。
そこへ――
「危ない!」
叫び声に反応して、前に向き直ると、尾黒牛羚羊の鎧獣騎士が一騎、間合いの寸前にまで迫っていた。だが、ドグに焦りはなかった。状況は決して余裕のおけるものではないが、ドグとてそれなりに場数を踏んできている。ましてや、いつぞやに至っては、ゴート帝国の特殊部隊〝不死騎隊〟とも渡り合ったのである。
肉迫しつつある敵・鎧獣騎士の実力がいかほどか、瞬時に見抜いた上で、冷静に対処した。
大山猫の人獣騎士の体が、倒れ込むような格好で前方に傾いだ。かと思うと、オグロヌーの眼前で、またたく間もなく姿が掻き消える――。
一騎のオグロヌーの背後に、衝撃。
深々と突き刺さった手甲鉤爪。三本の刃が胸部から覗いている。
――と思えば、鉤爪の刃が消え、カプルスの体も再び消えていた。
そのままうつ伏せに倒れ込むオグロヌーの一体。
急激なまでの急停止と急発進。
リッキーから教わったレーヴェン流でも、ドグがもっとも得意とする技〝瞬転〟だ。
オグロヌー達は、激しい出入りに着いて行けず、ただ狼狽えるばかり。
――いける!
平の騎士程度なら、今の自分でも充分に渡り合えると確信した。――が。
それでも多勢に無勢だった。
いくらレーヴェン流の技があっても、いまのドグでは、数騎を同時に相手取るには実力不足だった。
やがて数度の攻防の後、不意を衝いた鎚矛の直撃を受け、大きく吹き飛ばされてしまう。
息が詰まる。呼吸が出来ない。
おそらく防御した両腕にも、ヒビが入っただろう。これが牛科鎧獣騎士の一撃。軽量級の大山猫など、一振りで形勢逆転させてしまう。
だが、息をつく間もなかった。ダメージからの回復もままならない内に、とどめを刺そうと、続けざまにオグロヌーの数体が襲いかかってきた。
――クソッ!
毒づいてもどうにもならない。
イーリオ! と助けを呼べば速いのだろうが、それではイーリオの足を引っ張るだけだ。そんな事で彼の相棒を名乗る資格などあるわけがない。
幸い、敵はまだこちらの動きを完全に捕捉出来ている訳ではなかった。
痛みに耐え、逃げの一手に絞れば、時間はある程度稼げる。しかし、そればかりではいずれ敵の手がシャルロッタ達に回ってしまうかもしれない。
どうするべきか――。
意識が焦りを生み、焦りは動きを鈍らせる。
鎚矛にばかり眼を奪われていたドグの油断を見破ったのか、オグロヌーの角を用いた直線的な頭突き――角突撃が襲った。
普段なら擦りもせずに躱せるはずが、思わぬ意識のたわみを衝かれてしまう。
躱そうとした際に、平衡を崩し、足をもつれさせたドグ=カプルス。有り得ない失態。致命的な隙だった。
――しまった!
振り下ろされる鎚矛。
――が、それは永遠にドグを害する事はなかった。
敵・鎧獣騎士の両腕が、低い残響と共に、いきなり消し飛んだ。
数拍の間を置いて、あらぬ方向に、鎚矛を掴んだままの両腕が落ちる。
「グァァァァッ」
肘から下が無くなった両腕を震えさせ、オグロヌーが絶叫した。
ヴン、ヴン。
カプルスの耳が何かを捉えた。
今度はオグロヌーの首が飛ぶ。
血流が噴水を上げる前に、ドグ=カプルスは体勢を起こして距離をとった。
――何だ? 何が起こってる?
周囲に意識を向けると、再びさっきの音。
ヴン、ヴン。
羽音? 虫の羽音のような低音で空気を震わせるような音。
光が奔った。
大山猫の動体視力でもっても、光が音を伴って、駆け抜けたようにしか見えなかった。
光の後で、次々と灰堂騎士団の鎧獣騎士達が地に倒れ伏す。
ここで、イーリオ達もドグの周りで起こってる異変に気付いた。クリスティオは焦りを含んだ舌打ちを盛大に響かせた。
「あいつ……余計な事を……」
ヴン。
羽音が止み、光が形となって石畳に姿を見せる。
最初に眼に飛び込んだのは、鮮やかな黄色。
続いて明るい白灰色の毛並み。
不釣り合いなまでに大きい両手剣を、軽業師のような器用さでクルクルと回すと、それを逆手の両手持ちで構えた。
オオカミ。
人狼の鎧獣騎士。
大狼ほどはないが、かなり大型の部類だろう。深い毛並みで輪郭が隠れそうな姿態を、細身の引き締まった授器が露にしている。その姿は女性のもの。
「もう、ご安心を、ドグ様」
人狼から聞こえた声は――
「ミケーラ……?」
何より目を引く、鮮黄色の授器は、丸味を帯びて曲線的だ。
イーリオも驚くが、黒騎士も意外そうな声を出した。
「その黄色の授器。アクティウムの〝黄色の一番〟か?」
低いが、よく通る黒騎士の声は、ドグの元にまで届いた。当然、ミケーラにも。
「いいえ。それは前にこの〝ウォルカヌス〟を纏っていた駆り手。私はただの騎士。ネブラスカオオカミの鎧獣騎士、〝ウォルカヌス〟のミケーラ・バルディと申します」
ミケーラが騎士だった事は薄々気付いていたが、こうも凄まじい手練れだとは思いもよらず、イーリオはしばし呆然となる。
「ドグ様。貴方は直接、シャルロッタ様を。雑魚は全て、私が引き受けます」
その言葉は驕りでも嘲りでもない、至極当たり前の響きをもって辺りに谺した。
だが、さっきの一瞬の戦いを目にした後では、そこに疑念を挟む余地など、あるはずもなかった。
「イーリオ様、貴方は私の合図で獣能を。若様。――若様は、本気を出して下さい」
「本気を――だと? 俺は本気でやっている。それより何だ? 何故お前が指図する? 大体、俺の言いつけを守らず――」
「いいえ、若様は本気を出しておりません」
クリスティオが言い終わる前に、ミケーラはピシャリと遮った。
「……」
「レーヴェン流の技で上手く攻めておられるつもりでしょうが、そうではないでしょう? 若様は本来、違います。本気で戦いなさい、クリスティオ・フェルディナンド・デ・カスティーリャ」
「……」
「〝黄金のピッコロ・コロンナ〟は何のためです? 怖れは無用です。この――私がいますから」
金毛のタテガミオオカミは、そっぽをむいて、苦々しげに低く唸った。
「作戦会議は済んだか?」
黒騎士の声が、少し違うようにイーリオは感じた。
何だろう? 喜んで……いる?
「さぁ、今度は四人掛かりで来い。後ろのお前ら、お前らはこれ以上手を出すな。俺の〝遊び〟の後で、いくらでも捕まえるなり何なりするが良い。今は……俺の時間だ」
ドグも加われと言う黒騎士。
四対一。
それでも、まだ――。
ミケーラの合図と共に、この日、最後の騎士戦が幕を明ける――。




