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銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第一部 第六章「神女と聖女」
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第六章 第五話(2)『幻霊狩猟豹』

 うつ伏せに倒れた後、強制的に鎧化ガルアン解除されたモニカとマーザドゥを見て、ガエタノ・ガエッティは、そこから導き出されるいくつかの答えを脳裏に浮かべた。


「……ヴィクトリアと言ったな。その鎧獣ガルーの能力、モニカと同じ、〝毒性〟のものじゃな。おそらく、神経系に作用する類いの。そしてそれは、マーザドゥだけではない。儂にも既にかけておるな(・・・・・・・・)?」


 ガエタノの姿は、人牛。

 牛科大型羚羊であるジャアイントイランドの鎧獣騎士ガルーリッターであり、対峙するヴィクトリアもまた、人獣の騎士。

 幻霊狩猟豹ファントム・チーターキュクレインの鎧獣騎士ガルーリッターである。


 覇獣騎士団ジークビースツ陸号獣隊ビースツゼクス主席官、ヴィクトリアは、鉄扇の武器授器(リサイバー)を翳し、貴婦人の佇まいそのままに、ガエタノの問いかけにも答えなかった。


 ――次席官の小娘……、あのブラックジャガーの鎧獣騎士ガルーリッターも相当であったが、この幻霊狩猟豹ファントム・チーターは、まだ底が見えよらんわ。


 モニカの駆るチベタンマスティフのマーザドゥ。彼女の完全追跡を誇る獣能フィーツァーを持ってしてもその姿は捉えられず、あまつさえ、武器は玩具のような扇ときている。にも関わらず、二度までもマーザドゥの攻撃を受け流したのだ。あの細腕と、飾り紛いの武器で。さすが、主席官というだけはあるかもしれない。だが、だからこそ――。


 ――獲物としては文句ないわい。


 油断ではなく、己に対する自信を胸に秘め、ガエタノは、相手の返事を待たずに、攻撃態勢に移った。



 金属棍を胸の前で掲げ、肺いっぱいに空気を溜め込むように、大きく胸郭を膨らませる。


 回復に努めていたマルガ=ウェヌスが、その挙動で、はたと気付く。


主席官エアスター、気をつけて! アイツの攻撃、目で見えませんから!」


 ――言うたところで、無駄じゃ。


 ガエタノは声に出さずにほくそ笑み、吸い込んだ息を吐き出す動きで、ジャアントイランドの口から、〝何か〟を放出した。

 見えない――という意味では、ウェヌスの獣能フィーツァーと同じかもしれない。

 だが、確かに〝何か〟があった。


 音――。


 〝何か〟の音はする。


 カッ、カッ、カッと、それは蹄が蹴立てる音に似ていた。


 しかも速い。


 速いと言っても、鎧獣騎士ガルーリッターの五感からすれば、速度はそれほどとは思えなかった――が、〝それ〟が何なのか、何をどうするもので、どこに放ったのかは、まるで分からない。

 よく、武術の達人が目隠しをして攻撃を避ける――などという大道芸があるが、そんなもの、実戦の場でハイそうですかと容易く実行出来るものではない。音がする以上、〝何か〟があるのははっきりしているが、この場合はむしろ、恐怖感や焦燥感を募らせるだけで、攻撃を回避する手助けにはまるでならなかった。

 それもそのはず、ガエタノ老人がジャイアントイランド〝ヘイズルン〟から放った〝それ〟は複数あり、そのほとんどがただの撹乱。完全に制御されつつ律動的に動き、敵の視覚だけでなく、聴覚をはじめとした他の五感をも狂わせるのだ。この攻撃は、特級の鎧獣騎士ガルーリッターでさえ、防ぐ事など不可能。それがただの(・・・)鎧獣騎士ガルーリッターならば、相手にもならないだろう。


 瞬間――


 幻霊狩猟豹ファントム・チーターキュクレインは、演舞のように華麗に宙返りをした。

 マルガのウェヌスでさえも目で追うのがやっとの速さで、鉄扇を二、三度翻すと、翻した宙空で、光の粒子が弾けるように舞った。

 浅い手応え。

 だが、粒子が消え入る直前、それは一瞬であったが、大型羚羊の残像を瞬きの中で垣間見せた。


 ――ほう。良い勘をしておる。


 攻撃を躱されて尚、ガエタノは驚きもしない。

 前に翳した金属棍を地面に鋭く突き立て、大きな音を立てる。

 同時に「爆ぜろ(フォイア)」と叫んだ。


 キュクレインのすぐ真横。

 右側で閃光が弾けた。

 音はない。ただ光だけ。だが、威力はあった。爆発に似たそれは、幻霊狩猟豹ファントム・チーターの体を、風になびく衣類のように吹き飛ばし、あたりの空間に不可視の衝撃波をまき散らした。当然、マルガにも爆圧はかかってくる。

 体勢を崩して、二、三歩よろけるが、無傷な片腕で視界を庇い、すぐさま上官の姿を確認した。

 キュクレインは、うずくまるような格好で、回廊の隅の方にまで飛ばされていた。


主席官エアスター!」


 思わず動き出そうとするマルガに、再び見えない〝何か〟が襲いかかった。たたらを踏むような危うさで、何とかそれを回避するも、上官の元へは近づけず、むしろ逆に、ガエタノの方へと距離を詰めてしまう。


「モニカを相手に、なかなかの奮戦。見事であったが、儂が相手では、どうやらここまでのようじゃのう。お主らでは、儂は倒せぬよ。いや、例え相手が〝覇王獣〟であっても、儂の攻撃は破られん」

「……随分と、大きな口を叩くじゃない」

「ヒョッ、次席の小娘よ、お主こそ、満身創痍の割に、まだそれだけ喋れるとはのう。じゃが残念ながら、お主の上官も、儂の攻撃には何も出来ぬ事がわかったであろうが。何やら仕掛けをしたようじゃが、それも無駄骨じゃて。貴様ら旧式の鎧獣ガルーなどに負けるはずがない」

「――旧式?」

「冥土の土産に――と言いたい所じゃが、そんな愚かな台詞を言うほど、儂はおいぼれてはおらんわ。何も分からぬまま、あの世に行くが良い。絶望と共にな」


 腕の傷と、先ほど受けた怪我で、体の自由が効かないマルガ=ウェヌスに、一足で近付くガエタノ。いたぶるように、もてあそんだりなどしない。そういう勝者の奢りこそ、足元を掬われるお決まりだからだ。

 まずは確実な獲物から、迅速に始末を付ける。直接この手で倒せば、尚の事、着実だ。手抜かりなどない。老齢とはしたたかさと同義だと、心得ているからだ。それはマルガからすれば、絶望が形をとったに等しかったかもしれない。少なくとも、この老人に油断など、微塵も有り得なかった。


 ガエタノ=ヘイズルンが、金属棍を大きく振りかぶった。老齢とは思えぬ速度なのは、鎧獣騎士ガルーリッターであるからだけではないだろう。

 先ほどの衝撃波のせいで動けないのか、キュクレインは――微動だにしていない。

 振り下ろされるまで、時間は寸暇もなかった。音は着いてくるように後から空を裂き、回廊の石畳に大きな破壊を残した。


 ハラリ、と体毛が宙を舞う。


 ――回廊の――床――


 ――ブラックジャガーは――いない。


 宙を舞った体毛が、長い顎髭のものだと気付いた時、決着はついていた。

 鮮血が、全身を叩き付けるように揺らした。

 人獣の体毛が、迸る血潮で赤黒く染まっていく。

 

 ガエタノの視界が大きく傾ぐ。


「ヒョッ……?」


 出血しているのは己。ガエタノ=ヘイズルンの頸部からだった。

 中のガエタノにまで深く届いた切り口は、明らかに致命傷。纏う鎧獣ガルーの頸動脈は勿論、ガエタノの頸部まで、深く断たれている。

 何が起こったのか理解出来ぬまま、ゆっくりと体を後ろに向かせると、霞む視線の先に、ブラックジャガーの鎧獣騎士ガルーリッターがいた。

 ガエタノは絶句した。――いや、言葉にしようにも、次から次に溢れてくる己の血で溺れてしまい、声にならない。


 ブラックジャガーの姿が、たゆたう水面のように揺らめくと――やがて黒の獣は、幽けき白亜の人獣へと変じていったからだ。


 その手に持つのは、金属製の扇。先の部分が、光粉混じりの血で濡れている。


「そ……そうか……儂…に、ま、まぼろ……し、を……。それ…が、お主…………の、フ、フィー……ツ」


 断末魔のような微かな声で、やっとそれだけを口走るガエタノ。


「非常に良い〝目〟をお持ちのようですが、私の事は、見通せなかったようですね」

「な……じゃ……と?」


「貴方が見たのは幻覚ではありません。私は今まで、本当にウェヌス(・・・・・・・)になっていたのです(・・・・・・・・・)


「……」


「そこの少女が第二の獣能フィーツァーを使えますように、私も使えます。第二獣能デュオ・フィーツァーを。〝罪女の業(ディ・ゼンダリン)〟と、〝艶女の姿ライツェント・シュミンケ〟。それがキュクレインの能力の名前です。あの世への手向けにしてください」


 ガエタノとは真逆の、勝者の余裕をもって、彼女は老騎士が事切れるのを見つめた。

 キュクレインの体には、受けたはずであろう傷などまるでなく、白亜の授器リサイバーが艶かしく輝くばかりだった。



※※※



 回廊の隅で体を休めるマルガに近寄り、キュクレインは手を差し伸べて立たせてやった。傷はまだ深々とあったが、動きには不自由なさそうだった。


「ありがとうございます、主席官エアスター。……こっちで見てたら、もう何が何だか、でしたよ。あのじいさん騎士、どこからどこまで幻を見てたんでしょうね?」

「私の〝罪女の業(ディ・ゼンダリン)〟は、せいぜい私を感知できなくなるだけですよ。その程度の深さしか(・・・・)って〟ません」

「それじゃあ主席官エアスターは――?」

「昨日から入ってます。レナーテ殿の〝荷物〟を運び出すのに時間は要りましたが、彼女自身は既に安全な所に避難してます。貴女も、〝気付かせる〟役目は、充分に果たしましたよ」

「ありがとうございます」


 マルガが言った後、キュクレインは「蒸解ディゲスティオン」と唱え、獣化を解除した。


 白煙と共に姿を見せたのは――ここにイーリオが居たら、目を丸くしただろう――ヴィクトリアではなく、レレケだった。


 だが、マルガはそれを見ても、何も驚かない。むしろ、感嘆に似たうめき声が漏れるだけだ。


「そのままで鎧化ガルアンしたんスか? お化粧だって、鎧化ガルアンには良くないっていいません? それなのに、その格好であの動きって……」


 服装も、メギスティ在住時のレレケのものだ。その貫頭衣のような、たっぷりとした長衣を脱ぎ、顔を丁寧に拭うと、一瞬で表れたのは、ヴィクトリアの顔であった。被っていたカツラも取り、体に貼り付くような、ぴったりとした騎士スプリンガーの衣服を着ている。




 ヴィクトリアは、まずは黒母教の信徒に化け、メギスティの中へと一日早く前乗りしていたのだ。内部の大まかな位置関係や、レレケの居場所の目処は、前にも述べたように、手紙で把握している。誰にも気付かれる事なく、侵入を果たした後、彼女はレレケに接触し、彼女の齎した貴重な〝資料〟――荷物――を運び出すと共に、密かにレレケを脱出させた。その上で、自分は寺院にレレケの身代わりとしてレレケそっくりに扮装して残り、イーリオ達の陽動や、マルガの侵入までの数時間、彼女に成り済ましていたというわけだ。


 もし、この間にイーヴォ・フォッケンシュイタイナーに会いでもしたら、返答内容によっては、変装がばれてしまうおそれもあった。勿論、錬獣術アルゴーラの専門的な知識など、ある程度ならば受け答え出来るよう、前もって知識は入っている。だが、イーヴォやレレケの研究は特殊すぎて返答など出来るはずもなく、そればかりが気がかりではあったが、なるべく鉢合わせしないように行動していた――というわけだった。


 だがそもそも、こうも前もって救出出来るのに、イーリオ達やマルガらが陽動をし、尚且つ変装までする必要がどこにあったのだろう? 答えは簡単で、追跡のための時間稼ぎであった。

 鎧獣騎士ガルーリッターの足は速い。成人女性の足ならば、いくら懸命に逃げたとしても、灰堂騎士団ヘクサニアらが鎧獣騎士ガルーリッターを出せば、至極容易に追いつかれてしまう。馬車や馬を使って、一日以上は時を稼いでおきたかった。それならば、追撃があっても、鎧獣騎士ガルーリッターで交代で背負うなりしながら移動すれば、レレケを安全圏まで逃がす事が出来るだろう。


 そう考えての――二段構えの作戦であった。


 イーリオ達の騒ぎと、マルガの侵入の、二つの陽動。

 本命は、変装の達人でもあるヴィクトリアによる潜入。前者の二つは、もっとも障害になるであろう、灰堂騎士団ヘクサニアらの目を欺くためのもの。

 それが今回立てた、レレケ救出の計画であり、現在の所、事は上手く運んでいる。



 

「むむ……」


 体の線がはっきりわかる騎士スプリンガーの衣服を見て、マルガは何とも言えない溜め息を漏らした。


「何ですか? マルガ?」


 自分の胸を思い起こしながら、上官の持つ豊かな膨らみに、羨望と憧れを抱く。


「いえ、何でもないッス。てゆーか、マジ、敵わないッス」

「? ――ヘンなですね」

「それよりこの二人の鎧獣騎士ガルーリッター……。手強いってのもありましたけど、何ていうか、不気味でしたね。こっちの女の子の方は、主席官エアスターの使うのに似た獣能フィーツァーでしたし、こっちのジイさんの方は、鎧獣術士ガルーヘクスとか言ってましたっけ……。何なんでしょうね、あの攻撃?」


 視認も感知も不可能だった、消失(ヴィニッシュ)と進(・ウンド・ヴ)撃の(ォルケン・ア)羚羊(ンテロープ)なる技。


「それについては、レナーテ殿が教えてくれるでしょう。それよりも――おかしいのは……」


 短く切り揃えた焦げ茶の髪を揺らし、長い睫毛を伏せて、ヴィクトリアの表情は曇った。


 妙だった。


 これだけの騒ぎなのに、回廊こちらには誰一人姿を見せない。無論、イーリオ達の陽動が功を奏しているのだろうが、それでも、灰堂騎士団ヘクサニアの両名のみが姿を見せるのみで、人影すら見えないというのは、あまりに奇異だ。

 こちらの方とて、騒ぎになっていてもおかしくないはずなのに。


 そこへ、轟音が響いた。


 地を震わす激しい揺れと、残響が尾を引く固い音の波。

 鎧獣騎士ガルーリッターの騒ぎか? 音のしたのは、確かに、イーリオ達が騒ぎを起こしている方だ。

 ヴィクトリアとマルガの両名は頷き合う。すぐさまヴィクトリアは、キュクレインを鎧化ガルアン。変装を解いたので、鎧化ガルアン後の動きは先ほどよりも円滑だ。人の居ない場所を辿り、寺院の屋根にまで到達した時――。


「これは……」


 ヴィクトリアが絶句した。

 何事にも動じない。

 主席官が動じる姿など見た事がないマルガだったが、そのヴィクトリアが、あからさまに動揺している。だが、マルガも、そこに驚く余裕などなかった。


 目の前に表れた光景――。


 そこには――。

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― 新着の感想 ―
様々な戦いがあり、どれも面白いですが、この戦いはイチオシです! モニカやガエタノの不気味な技、キャラに対してマルガとヴィクトリアもキャラがいい。そして強い! 押されていると見せかけて、決着がついた…か…
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