第六章 第五話(1)『研究記録』
イーリオ達と別れ、灰堂騎士団の司祭、スヴェインに同行してより、数ヶ月。
女性錬獣術師にして、この世に数人しかいない、獣使師レレケこと、レナーテ・フォッケンシュタイナーは、父・イーヴォ・フォッケンシュタイナーと再会し、様々な事を知った。驚いた事は数知れず、新たに知った事や、明らかになった事など、とても簡単に述べる事は出来ないほど――。
だが、その中でただ一つ確信を持てたのは、神女ヘスティアを頂点とした、黒母教ナーデ教団と灰堂騎士団、彼らの行いを見過ごす事は、到底出来ないという事だった。
父や、かつての恋人スヴェイン・ブクらの考えは聞いた。それが全てなのか――おそらく一端でしかないのだろうが、彼らの言わんとする事は、全くもって理解出来ない、というわけではない。同じ学究の徒であれば、納得出来ない話でもないのだ。
だがそれでも――彼らの主張や思惑を肯定したとしても、その結果、いや、その過程で、罪なき命を奪い、恭順せぬ者を排除しようとする彼らのやり方は、彼女の倫理に反するものであり、とても太母神信仰たる黒母教のやりようとは、認める事など出来なかった。
奇妙なのは、レレケが彼らになびかぬ事は、彼らも分かっているようであり、それでいながら、彼女に協力を求め、黒母教に閉じ込めていた事である。閉じ込めた、と言うよりも、放置していたに近い程、外部との接触を除けば、寺院内での彼女の行動に制限は少なかった。
ずっと閉じ込めておけば、いずれ頑なレレケの心も彼らに理解を示すと考えたのだろうか。確かに父もいるし、そうした意図は考えられなくもない。彼女とて、父の真意や、どうして父が生きているのか、そしてそれを何故、教えてくれなかったのかを、今よりもっと聞きたくもあり、ここに居る限りは、父の研究に手を貸す事としていた。それは、真実を知りたいという意味もあるが、黒母教で生き抜く為の処世術だとも言えた。どちらにしても、黒母教や灰堂騎士団の実体を知るには、ある程度恭順の姿勢を示さねばならない。
だがそれにしても、一向に入信の洗礼を受けもせず、教義を受け容れる事を拒み続ける彼女を見れば、いい加減、彼らも気付いていただろう。
しかしそれでも、イーヴォやスヴェインは、彼女を放逐しなかった。その意図がどこにあるのか、結局、レレケは最後まで読み取る事は出来なかった。
その日、父の研究室で、ある鎧獣の研究をまとめていた彼女の目に、意外な人物が飛び込んで来た。それが、彼女にとっての、事の発端となった。
黒衣・黒髪・黒の仮面――。
見間違うはずもない。
ゴート帝国南端、国境付近の荒れ地にて、イーリオやドグらと共に出会った、奇縁の騎士。
〝三獣王〟黒騎士。
あの黒騎士が、メギスティの寺院内の回廊を歩いていた。レレケの居る研究室の窓から見えた漆黒の姿に、思わず、食いつくように窓辺に近寄り、凝視するレレケ。
何故、彼がここにいるのか?
黒母教に雇われた?
教団内の誰が?
何の為に?
しかし、傭兵である以上、雇う以外に黒騎士と黒母教との接点など考え難い。見た目や名前とは裏腹に、レレケの知る限り、黒騎士は黒母教に帰依などしていないはずだ。
――それに、〝黒騎士を雇う〟というのも、腑に落ちない話だ。
黒母教には、一国家に匹敵すると言っても過言ではない、教会騎士団〝灰堂騎士団〟がある。内部に居たからこそ知り得た事だが、十三使徒のみならず、構成される層の厚さは、大国の国家騎士団に匹敵するほどだ。当然、武力の援助など、現状において必要とも思えない。
では、黒騎士が黒母教に改心しに来たとでも? レレケは黒騎士に詳しい訳ではないが、一瞥以来、彼が神を敬うような敬虔な人物であったなどと、お世辞にも思えるとは言い難かった。
強者であろうとなかろうと、信仰心と腕っ節に直接的な関係はない。強き者でも神を深く信じる者は多いし、そう言う意味では灰堂騎士団の十三使徒はいい例であろう。だが、黒騎士からは、そういう者達と一線を画する、ある種の無信心主義と言おうか、虚無的な隔絶感を、レレケは感じとっていた。
実際、黒騎士は主をこれと定めた事がないと聞いている。神どころか、主君でさえ、ただの一度も仕えた事のない彼であるのに、いきなり宗旨替えをして、帰依するなど――信心絡みであれば尚の事――考え難い。
では何故、黒騎士がここに? ――と、結局、疑問は振り出しに戻る。
黒騎士の動向が気になったレレケは、研究文献を物色するのにかこつけて、比較的害のなさそうな信徒達のみに限定し、寺院に訪れている黒騎士に関する情報を尋ねて回った。
本来はこういう時こそ、彼女の擬獣が役に立つはずなのだが、黒母教にはスヴェインをはじめ、獣使術に通じている者が少なくない。おいそれと術を使えば、彼女の動きが怪しまれてしまう。あくまで気になったので尋ねたという、さりげなさを崩さず、聞き込みをしたというわけだ。
信徒全員に尋ねる事が出来ない以上、手に入れられる情報に限りがでるのは当然だが、それにしても、黒騎士に関して、どの信徒も大した情報は持っていなかった。むしろ、そんな者がメギスティに居る事さえ、知らぬ者の方が多かったほど。かといって、レレケが黒騎士を見誤るはずもない。
結論から言えば、大した事は分からなかったのだが、収穫がないわけではなかった。探りを入れていく中で、メギスティの寺院で水面下に進められていた〝遷宮〟が、近々行われるという情報を、彼女は知り得たのだった。
ある者がチラリと漏らしたのだ。黒騎士なる傭兵の来訪は、〝遷宮〟のための保険のようなものではないかと――。
〝遷宮〟に関する情報を入手したレレケは、内容の真偽や詳細を入念に確認した後、これは千載一遇の好機と判断した。スヴェインらに気付かれぬよう、密かに隠し持っていた、とっておきの擬獣を使い、メルヴィグ王国のジルヴェスター主席官に、密書を送ったというわけだった。
助けが来るかどうかは、賭けだった。
確信などない。例え父が生存していた事実を密書にしたためたとはいえ、余人からすれば、国家に楯突く連中に、のこのこと着いて行った人間だ。罠と思われるのが普通だろうし、彼女も黒母教の仲間になったと捉えられても、仕方がなかった。
だが、旅の仲間のイーリオ達を思い出した時、何故か彼らは来てくれる――そう、強く思えたのも確かだった。
同時に、ここから出るという事は、父と袂を分かつという事も意味していた。父・イーヴォに関して、心残りがないわけではなかった。
生きていた父。
死んだと聞かされていたはずの錬獣術師イーヴォ・フォッケンシュタイナー。
一体何があったのか? 何故、すぐに連絡をよこさず、黒母教で、浮き世と離れて研究をしているのか。
父は偉大な錬獣術師であり、家族想いの優しい父親であった。あったはず――。優しい――そのはずなのに――。
何が彼を変えてしまったのか? 変えられてしまったのか?
神話の宝剣、原初の授器〝ウルフバード〟を求めて――という事においては、父は何一つ変わってなかった。父は今も、神話上の〝ウルフバード〟を探求している。
だが――。
それでも、ここまでであっただろうか?
確かに、錬獣術の研究においては、多少なりとも、家族を顧みないきらいはあったろう。しかし、家庭を蔑ろにして研究に没入するなど、熱心な研究者なら珍しい話ではないし、レレケの家族もその事は充分理解していた。つまるところ、それほどの範疇でしかないという事だ。ましてや立派な実績を持つ者であれば、私事を脇に追いやってでも没頭する事など、珍しくはない。父に関しても、そこから大きく外れるほどではなかった。なかったはずなのに――。
ましてや、家族を見捨てるだけでなく、それどころか、人倫を踏み外してでも探求を止めないほどの求道者であっただろうか?
メギスティに来て知った、父が行っている研究の数々――。
合成鎧獣をはじめとした、新式の鎧獣。
ゾイ・ネクタル。
人造神之眼。
何よりも、〝ウルフバード〟の生成――。
研究の記録を辿れば、それがどれほどおぞましい過程を経て行われてきたか――そしてこれからも行われるかが、分かってしまう。
どうしてこんなモノが必要なのか?
いや、そもそも、本当にこれだけの研究と成果を、父が一人で成し遂げたと?
疑問も謎も尽きないが、どの問いに対しても、父からの回答はなかった。どれだけきつく問いつめても、まるで娘の思いなどどうでもいいと言わんばかりに、研究に耽り続けていた。
――これは本当に父なのか?
それらの疑問を解く事が、何よりも優先すべきはずだった。それこそが、彼女の〝目的〟なのだから。しかし、数ヶ月に及ぶ滞在期間で知り得た情報から導き出した、恐るべき陰謀にレレケが気付いた時、彼女の理性は、一刻も早く、この事をメルヴィク国王レオポルトに知らせねば――と強く訴えたのだった。
勿論、理性だけではない。
兄・クラウスの無実――。
陰謀の露見は、それを晴らす事にも繋がるのだ。
父と兄。
家族を見捨てた父。
嵌められた兄。
どちらを選ぶかなど、悩むまでもなかった。
……後に彼女は、〝敵〟の策謀とその真意を知る事となる――。
だが、本当の意味でその真実に気付いた時、それは考えうる最悪の形で、実現されてしまう事となるのだった――。




