第一章 第七話(1)『獣使術』
父は、イーリオが旅立つ前の日、彼にこう言った。
「儂が何で旅に着いて行かないのかって? そりゃ、今育ててる鎧獣がいるしな。それを放り出してはいけまい」と、いかにもといった父らしい回答が返ってきた。
父はイーリオの知る限りでも、様々な鎧獣を作っていたが、ヒグマの鎧獣を作る際は、特に注意を払っていた。
育成も難しいのだが捕獲も困難で、目的の対象熊を発見したら、その場ですぐに捕獲せず、一度は必ず引き返す。その後、クナヴァリ村や近隣の猟師の手を借り、捕獲していた。一人でヒグマを相手にする事は、自らエサになりに行くようなものだと父はよく言っていた。
また、こうも言っていた。
「ヒグマが最強の鎧獣かと言われると、難しいな。種別で言えば、ゾウと並んで最強の部類なのは間違いないだろうが、野生動物の内はともかく、鎧獣としての仕上がり具合で、実力は変わるからなぁ。ほれ、〝黒騎士〟なんてのもあるだろう? 儂は一度見た事があるが、あれはもう別物、別格だな。ある種の突然変異と言ってもいいだろう。だがな、普通の鎧獣でヒグマの鎧獣と戦った場合、まぁ、勝てる見込みはよっぽどじゃない限り、ないな」
それほど強いのかと問うと、
「地力が違う。鎧獣騎士時には、授器を使わず素手のみで、城の城壁を砕いたという話もある。作った儂本人は見とらんがな。そのくせ、動きは俊敏で決して遅くないうえに、分厚い皮下脂肪と筋肉で覆われた体は、鎧獣騎士時に、その何十倍も堅固な鎧になるから、殆どの攻撃、例えば火薬でさえ通じない。だから小国の帝家鎧獣にヒグマが多いのもそういうわけだ。――ん? 倒し方? そうだな……。単純にヒグマよりも強力な、それこそ〝黒騎士〟や〝百獣王〟みたいな鎧獣であるか、それが無理なら一番いいのは、鎧獣騎士になる前に倒しちまうかだな。これが一番確実だ」
そう答えていた。
※※※
「鎧獣騎士になる前に倒すのが一番でしょう」
レレケは山賊のヒグマの鎧獣に対し、まず、そう言った。
イーリオもそれには同意だ。父の言葉を思い出しても、それしかないように思う。
「もっとも、貴方の鎧獣なら、あのヒグマだって倒せるかもしれませんがね」
レレケはそうも言うが、それは不確定すぎる。大体、鎧化できるかどうかも分からないのだ。
その事実をレレケに言うと、彼女はとても興味深そうに、微に入り細に穿って、その時の状況をつぶさに聞きたがった。隠した所でいずれ分かる事だし、レレケなら鎧化出来なかった理由が分かるかもしれないと思い、イーリオも町での出来事を細かく告げた。彼女も群衆の中で見ていた一人なので、最初は、鎧化できなかったのではなく、わざとしなかったのだと思っていた。だが、シャルロッタを守る時にしか鎧化出来ないと聞き、非常に興味津々といった態に変わった。
「今はどうなのですか? 鎧化できますか?」
砦に向かう途中の山腹で、レレケは尋ねてきた。
「どうだろう……?」
不安げな目でザイロウを見る。
「試してみては如何ですか。確実に鎧化できれば、勝機も好機も高くなりますよ」
レレケの言葉は確かで、イーリオも試してみる事にした。
その場で鎧化を試してみる。
だが、ザイロウは反応しない。むしろ、鎧化の態勢をとっても、興味ないといった感じでさえある。
これを見ていたレレケは、しばらくじっと考えた後、おもむろにこう言った。
「シャルロッタという少女の許可がなければ、鎧化できない、ですか……。そんなのは普通ありえないのですがね。そもそもイーリオ君は、ザイロウと〝結印〟したのですか?」
結印とは、鎧獣を自分専用のものにするために行う儀式のようなもので、これを行えば、自分以外の人間は、その鎧獣を鎧化出来なくなる。同時に、自分の体格なども馴染ませられるので、鎧獣を手に入れた騎士は、これを必ず行っている。
「……それが、実は結印らしい結印をしてないんです。村に居る時にしてみたんだけど、何の反応もないし、シャルロッタからは意味がないって言われちゃうし……」
「意味がない、ですか……。ますます不思議だわ。全く未知の、新しい技術が用いられた鎧獣でしょうか……。と言っても、あり得ない、あり得ないと言って考えを固くしては、何も進展はありません。ここは一旦、〝シャルロッタという少女の認可なしでは鎧化できない〟という事実を前提に考えてみましょう」
「前提に、って、それでどうなるんですか?」
「いいですか、ザイロウという銀狼の鎧獣にとって、鎧化とは許可のいる行為である。ならばその許可は、どうやってとっているか? 貴方の話通りなら、その少女の額が光を放った後、鎧化できるようになったといいます。でしたら、その発光現象こそ、鎧化への許可だと考えるのが、この場合、一番納得がいきます」
それはイーリオも考えていた。だったら、シャルロッタのいない今、彼女の元にまでザイロウを連れて行かなければ、鎧化出来ない事になってしまう。
イーリオがそう告げると、レレケもその意見に首肯する。
「けれども、一度目と二度目で、光り方が違ったんですよね? それは何故でしょうか? 単に意味のない事? それとも、何か意味があったのか? この場合、違いは彼女が攫われたという事実があります。攫われた人間は何をするでしょうか? 自分を助けて欲しいと考えるのが当たり前ですよね。けれど、鎧化出来なければ、助けてもらう事は出来ない。だったら、認可を与え、いつでも鎧化出来るようにするのが、攫われた人間が、普通考える事ではないでしょうか」
「それが、あの時の光の違い、だと?」
シャルロッタが大山猫の鎧獣騎士に攫われた際と、ゴゥト騎士団に襲われた時とでは、額の光が全く違ったのである。
最初は、辺り一面を照らし出すような、光の奔流となって額が輝いた。それは眩しくはあったが、ザイロウに向かってというより、イーリオとザイロウ、双方に向かって放たれたように感じた。けれど、二度目の際には、光は筋のような細い真っ直ぐの線となって、ザイロウの神之眼にのみ、光が届いたのであった。
「でも、だったら、何で認可を与えられた今でも、鎧化出来ないんだ?」
「問題はそこです。シャルロッタという少女は、何と言いましたか? 〝私を助ける時しか鎧化出来ない〟そう言ったのではないですか?」
「つまり……認可はあっても、助ける状況じゃないと、鎧化出来ないって事?」
「話が早い」
「ちょ、ちょっと待って、そんな、助ける時かどうか何て、鎧獣に判断出来るの? 大体今だって、そもそもシャルロッタを助ける為に、予行として――」
そこまで言って、イーリオは気付いた。
「やっぱり貴方、察しがいいわね。そう、さっきのは、〝本番〟じゃなかったから」
「い、いやいや、それでもおかしいよ。本番かどうか何て、どうやって判断がつくのさ」
「そこですね。……こうやっては如何でしょうか? 今からザイロウに向かって、真剣に、心の底から、少女を助けに行くんだ、と念じて――、場合に寄っては言い聞かせて、それで鎧化してみて下さい」
念じる? そんな事で? 思いっきり訝しげな表情をしたのだろう。レレケも苦笑気味に答える。
「ええ。無茶苦茶な事を言ってるのは、私も分かっています。けれど、そもそもが無茶苦茶な、規格外の鎧獣ですよ。この際、常識なんてものはどこかに仕舞っておいて、考えつく事をやってみるのが最良じゃないでしょうか?」
「まぁ……、そうだけど」
「それに私、非常識なの大好きですから」
不気味な笑みを浮かべてレレケが言うと、息が合ったように、イーリオとザイロウは思わず後じさった。
イーリオは一息深呼吸をすると、今度は、先ほどとは打って変わって、心も表情も真剣にし、ザイロウに向きなおる。
「ザイロウ。お願いだ。君の力を貸してくれ。彼女を……シャルロッタを、助けたいんだ。お願いだ!」
ザイロウの瞳も、真っ直ぐにイーリオを見つめる。
何故だろう。いけるような気がしてきた。
ザイロウに背を向け、イーリオは声を上げる。
「白化!」
……。
…………。
「まさか……」と、レレケ。
何も起きなかった。
「いや! 待って、今の流れなら、確実に鎧化しちゃうってノリでしょう! 何なの? こんだけ時間割いて、ただの一人相撲? そういうオチ?!」
「私もいるから一人相撲じゃないですよ」
「そういう話じゃないから、レレケ!」
滑稽な二人組を尻目に、ザイロウは早く目的地に行こうと言わんばかりに、欠伸を一つする。
二人と一匹を樹上で見ていたドグは、
「何してんだよ」と、ため息まじりに呟いた。
結局、山賊のアジトまで近付き、まずはレレケが、擬獣を使ってシャルロッタがどこにいるか探る。その後、レレケの擬獣でシャルロッタのいる所から一番遠い場所で騒ぎを起こして山賊共の気を引き、その隙にイーリオが乗り込む、という、何とも無謀な作戦に出る事になった。
勝機は一つ。
イーリオがどれだけ早く、シャルロッタの元まで辿り着けるか、というところだ。
あの、頭目のヒグマの鎧獣より早く鎧獣騎士となり、鎧化出来なくする。そうすれば、こちらの勝ちだ。
やがて二人と一匹は、アカマツの柵で覆われた堅固な砦を、その目におさめたのであった。
懐から筒を一本出し、レレケはその中に、豆粒のような神之眼を入れる。筒はすぐに発光し、蒼白い煙が吹き出した。
「これは……?」
「〝消失の猿〟です」
レレケが告げると同時に、煙が吹き払われ、中から半透明のリスザルが表れた。
「この子でこの中を探ります」
そう言って、砦を見上げる。
「けどさ、この猿が調べた事、どうやって僕らに伝えるんだ?」
「それなら心配ご無用。私がしているこの眼鏡。これこそ、擬獣を使役するだけでなく、意思を通わせる事の出来る、私の特別な道具なのです。これを着け、さらに――」
言った後、先ほどの筒に、何やら溶液を注ぎ込む。
「――これをします。〝作図〟! それに、〝自動筆記〟!」
声に出したが、猿の見た目に変化はない。
「……?」
「まぁ、見た目ではわかりませんが、これで、このリスザルが見たものを、地図におこしてくれるのです。勿論、私たちの知りたい情報まで加えてね」
――しばらく後。
辺りが段々と暗がりになってくる少し前に、リスザルはレレケの元へと戻ってきた。
姿を現した猿に羊皮紙とペンを渡すと、リスザルは一心不乱に羊皮紙に何かを書き込んでいく。ものの数分もしない内に、そこには砦の内部を記した、詳細な図面が出来上がっていた。内部の人の数、それに人の動きや、目的のシャルロッタのいる場所までが克明に書かれている。
「すごい……!」
「これで中は分かりました。これによると……ん〜、目的の少女は、砦の中央の建物、その一番奥の部屋にいるってことですね」
辺りが暗くなるのを待って、二人は作戦を決行した。
まず、砦の外と中で、騒ぎを起こす。起こすのは、レレケの消失の猿と、消失の鴉だ。
姿を出さずに、あちこちで悪戯をしたり、物音をたてたりする。
畢竟、夜になって油断していた山賊達は、すわ何事かと驚き、慌てふためく。その隙に、歩哨の目を盗んでイーリオとザイロウが中に潜入した。ザイロウは大きいので目立つのだが、元々が大狼という、優秀な狩猟者だ。騒ぎに乗じて姿を潜ませ、目的の少女の場所まで、速やかに近付いていった。
一方、エッダという黒衣の美女からの報酬に思いを馳せ、良い気分で酒盛りをしていた〝山の牙〟の頭目ゲーザは、砦に起こった突然の騒ぎに、思いもよらず不愉快な気分にさせられていた。
最初は、あの狼の鎧獣騎士が来たかと思ったが、騒ぎはどうも要領を得ない。突然、桶が宙に浮いただの、見えない何かに引っかかれただの、奇妙な鳴き声を聞いただの、まるでガキ共のような騒ぎだ。苛立ちは怒りへと変わり、自分の部屋から外へと出る。
もう一匹の擬獣で観察していたレレケは、頭目の姿が表に出たのを確認すると、自分の放った三体の擬獣を一斉に呼び戻した。
――かかったわね。
三体を仕舞うと、今度は懐から、ちょっとした瓶ぐらいの太さはありそうな大きめの筒を出し、そこに、先ほどの三体の擬獣の時とは違う、大きめの神之眼を数個入れた。
「出なさい。〝貫通の巨牛〟」
すると、その瓶のように太い筒から煙がたち、そこから半透明の水牛が、入れた数の神之眼の分だけ姿を現した。
「行きなさい」
レレケは半透明の牛に命令すると、水牛は鼻息も荒々しく、四方に分かれて一斉に砦の柵へと突進していく。
けたたましい轟音をあげ、柵が揺れる。
山賊達は、次から次に起こる怪奇な現象に怖れ戦いた。
これを樹上で見ていたドグも、レレケの起こす不思議な技に、さすがに驚くしかなかった。
こんな、妖術紛いの技を使う奴がいるなんて――。
ともあれ、驚いてばかりもいられない。
騒ぎが大きくなった頃合いを見計らって、ドグもまた、砦の内部へと入っていった。