第六章 第二話(2)『手紙』
翌日。
ヴォロミティ山脈が近いせいか、朝靄が濃くでる街中で、一同が馬車に乗ろうとしていた時だった。
ピクリ、とドグが反応し、周囲を素早く見回す。
「どうしたの、ドグ?」
とイーリオが声をかけると、今度はミケーラも目つきを鋭く、辺りを睨んだ。
もしここに自分達の鎧獣もいたら、真っ先に気付いたであろうが、鎧獣は街境の獣屋に預けてある。
やがて、誂えたように、朝靄の一部が割れるように払われると、ヒタヒタと人影の気配がした。
一同が注意を向けると、女性が二人、靄の中から浮かび上がるように姿を見せた。
「貴女がたは――!」
身構えるクリスティオをよそに、イーリオは驚く。
その声色で、敵ではないと知ったクリスティオは、声の調子を落として「誰だ」と誰何した。
二人の内、肩までの短い髪の女性が、穏やかな口振りで挨拶をする。
「お久しぶりです、イーリオさん。それにドグさんとシャルロッタさんも」
「貴女は確か、覇獣騎士団の……」
「はい。陸号獣隊 主席官ヴィクトリア・メアリ・ルイーズです」
もう一人の女性も、明るい声音で名乗った。
「よっ、モンセブール以来だね。次席のマルガちゃんだよ」
両者とも、金縁を施した白い隊服に、主席と次席のみが許された、各隊の紋様。陸号獣隊は藤色の茨。ヴィクトリアのみ、隊長を表す腰までの短い外套を羽織っている。
「どうして、ここに……?」
驚きを隠せない一同に、クリスティオが不審げに問い質した。
「イーリオ、知り合いか?」
「え、あ、はい……。知り合い、と言いますか、前に挨拶を交わした程度ですけど」
思わずマルガが口を尖らせて不満を表す。
「つれない事言うねえ、キミ。それでもカイゼルン公とリっくんの弟子ィ?」
「いや、その……」
リっくんとは、弐号獣隊 のリッキー・トゥンダーの事。マルガのみ、そう渾名してるらしい。
返答に困るイーリオをよそに、クリスティオが値踏みするような目つきで、二人を睨む。
「その覇獣騎士団のお二人、それも部隊の両席官が何の用だ? 正直、美女が二人というのは普段なら喜ばしいところだが、我々も今は状況が状況でね。……それに、陸号獣隊と言えば、音に聞こえた諜報部隊だ。なら、こっちの事情も知ってるはずだな。覇獣騎士団に会っているなんて、〝見張り〟に知られると、いささか不味い事になる事くらいは。――だろう?」
すると、ヴィクトリアが微笑みを浮かべたままで、これに答えた。
「ご安心下さい、クリスティオ殿下。我ら二人がここにいる事は、〝灰巫衆〟には知られておりません。彼女らには昨日の内に、別のエサを撒いておきましたから」
軽やかで柔らかな響きの声。
肩までの長さに短く切り揃えた焦げ茶の髪に、反面、女性らしい曲線を持った豊かな肢体は、覇獣騎士団の隊服がなければ優雅な貴婦人にしか見えなかったろう。だがその見た目とは裏腹に、ヴィクトリアという女性は、覇獣騎士団でも諜報を旨とする陸号獣隊 を率いる主席官なのである。
優しげな面差しを舐めてかかり、どれほどの人間が暗闘に敗北してきたか。
メルヴィグ王国の〝裏〟を担うに相応しい実力を持っているのを、この場のほとんどが本当の意味で理解してはいなかった。
「エサ? そういう事か」
納得するクリスティオにイーリオが尋ねる。
「どういう事です? クリスティオ殿下?」
「この街に奴らの出迎えがなかった理由だよ。どうやったのか知らんが、この美女二人が、何かをしたらしい。……が、大丈夫なんだろうな?」
「ええ。〝灰巫衆〟は厄介な相手でしたが、それも獣使術という仕掛けがわからなかったから。タネがわかった今は、やりようもあります」
優しげな口調で、内容的には意味深な事を話すヴィクトリア。
「〝灰巫衆〟……?」
「アンタ達を見張ってた銀眼鏡の連中よ。名前も知らなかったの? あいつらは〝灰巫衆〟って言って、灰堂騎士団の諜報部隊、兼、獣使術部隊なのよ」
マルガの説明に、へえ、となる一同。
「別のエサっていうのは?」
「それは聞かない方がいいと思うよ。ま、ともかくさ、あんまり時間もないから、ちゃっちゃと用件を済ませちゃいたいんだけど。ボヤボヤしてたら、いくらアタシらだって、そのうち感づかれちゃうし」
「え……? それって?」
ヴィクトリアが微笑みを消し、静かな表情で告げた。
「これから向かうメギスティ院。貴方がたの行動に、我々も協力致します」
驚く一同。しかしそれは、良くない提案だった。
「いや、ちょっと待って。申し出は有り難いけど、奴らの本拠地に行ける条件に――」
「大丈夫。存じております。協力と言っても、あくまで影ながら。貴方がたとは基本的に別に動き、尚且つ密かに目的を果たします。勿論、敵に気取られる心配などございません。私達二人は、決して気付かれる事なく、隠密裏に動きますから」
「連中に、気付かれず……? 目的? 目的って何なんですか?」
「貴方がたの目的と同じですよ。クラウス様の妹君、レナーテ様をお救いする事。そのために私たちは来ました」
「レレケの救出……。そうか、リッキーさんやカイ殿下から聞いたから……」
イーリオの納得に、ヴィクトリアは笑顔でのみ、返した。
「でも、救け出すって……。いや、そもそもレレケの現状を知らないんです。彼女がそれを望んでいるかどうか」
「実は私たちは、レナーテ様から手紙を受け取りました。丁度、貴方がたがプットガルデンでカイ王子と会っている頃に」
「手紙?!」
「はい。彼女は、獣使術の〝鳩〟を使って、ジルヴェスター殿に手紙を送ったのです。そしてジルヴェスター殿はそれを国王陛下にお見せになり、私達二人が派遣されてきた、というわけです」
手紙の内容をヴィクトリアが語る――
――私がモンセブールの街でいなくなったのは、シャルロッタさんを助けるため、スヴェインの要求を受け容れたから。イーリオ君とドグ君もですが、リッキー殿や伍号獣隊の方々、何より、陛下をはじめとした皆様には、いらぬ心配をかけたと思っており、お詫びのしようもございません。
そして今、自分は灰堂騎士団の総本山、メギスティ黒灰院にいます。
そこで死んだと思っていた父イーヴォ・フォッケンシュタイナーに会いました。
父は錬獣術師として灰堂騎士団の連中に力を貸し、〝怪物〟などの実験生物や、鎧獣を麻痺させたり狂わせたりする危険な薬品を開発しております。そう、兄クラウスの鎧獣が子供を咬み殺したのも、その父の作った薬品のせいだったのです!
何故、父が自分の息子を嵌めるような真似をしたのか。その事情に関しては混みいっており、詳しい事はここに書くには枚数が足りませんが、とにかく、父やスヴェインらは、古の力を求め、メルヴィグ王国だけでなく、大陸全土の国々に害をなそうとしているのは明らかです。
自分はそれを、黙って見過ごす事など出来はしませんが、かといってこの寺院を自力で抜け出すのも、きわめて難しいのです。
私の獣使術とて、彼らは術の原理や正体を知っているから、その隙を与えてくれません。何度か試みようともし、この一回を、やっと出来たというところです。
……無論、この手紙がジルヴェスター殿のお手元まで、無事届いていればの話ですが……。
では何故、私が今になってご連絡を出来たか? 当然、疑念に思う事でしょう。
それは、ここメギスティ黒灰院が、現在、とても慌ただしい状況になっており、彼らに隙が生まれたからです。
慌ただしい状況――私も聞こえてきた話でしかありませんが、どうやら彼ら黒母教の連中は、このメギスティから別の地へと、移ろうとしているようなのです。
そして私は思いつきました。
父イーヴォは、以前よりイーリオ君の鎧獣であるザイロウとウルフバードにとても興味を示しておりました。研究に役立つから、是非見てみたい。
そこで私は言ったのです。
では、イーリオ君を呼び出し、ここ、メギスティ黒灰院に来てもらってはどうだろう。私の招きなら、来てくれるはずです、と。父はそれを了解してくれました。おそらくこの手紙が届いた頃、イーリオ君の元にも、灰堂騎士団の使いが向かっていると思われます。
とても厚かましいお願いなのは重々承知しているのですが、イーリオ君達がここに来たとき、覇獣騎士団の方々のお力も借り、このメギスティから助け出していただけないでしょうか?
不可抗力であったとはいえ、自分からこの地に来る選択をしておいて、虫のいい話なのは充分分かっております。もしくは、これが敵の罠ではないかと勘ぐる事もあるでしょう。けれど、これは兄クラウスの事だけでなく、灰堂騎士団が画策する、おぞましい計画を阻止したいからなのです。どうかそれは信じて欲しい。それを阻止するため、是非ともイーリオ君はじめ、メルヴィグ王国の方々にも力を貸していただきたいのです。
どうかお願いします――
淑女のように美しい主席官が、朗々と述べた手紙の内容を静かに語り終えた。




