第六章 第二話(1)『馬車旅』
夏も終わりに近付くにつれ、街道にはビロード毛蕊花や旗竿桔梗が咲き始めていた。日射しは充分強いが、木陰に入れば肌寒ささえ感じられるほどにはなってきており、秋の虫達の声も、時折聞こえてくる。勿論、アカマダラなどの夏らしい虫も見えはするが、そろそろカラフトキリギリスやヨーロッパクロコオロギなど、秋の虫達の季節も近い。
遠くの空には、ヨーロッパアマツバメの群れが、冬に向けて旅立ちの準備をするように、美しい軌跡を描いて滑空をしていた。
それらをぼんやりと眺めながら、気まぐれに尋ねるシャルロッタに、何が楽しいのやら、ミケーラは細かくあれは何という鳥だ、これは何々という花だと、幼児に言い聞かせるように説明していた。
プットガルデンに向かう旅でもそうだったが、無表情、無機質な美人という見た目のミケーラだが、これがどうやら、意外にも面倒見の良い一面があり、シャルロッタに対する世話は見ているこっちが呆れる程に丁寧であった。ただし、その顔つきは、全くの無表情のままではあったが。
出で立ちも挙動も含めて変人なようで、実は極めて常識人なレレケは、気配りのある優しいお姉さんという感じでシャルロッタの世話をしていたが、ミケーラはそれとは違うようだった。どちらかというと、過保護な教師といった感じだ。
しかしそのお蔭で、シャルロッタお決まりの「何で?」攻撃に、一同が晒されずに済んでいるのはとても有り難くもあった。
そうした一方で、メギスティ黒灰院に向かう旅の途次、その行く先々の宿泊場には、黒母教の不気味な使いがイーリオ達を迎えてくれていた。
皆、一ツ目が描かれた銀製の目隠しのようなもので顔を覆われた女性で、おそらく十三使徒のデヴリムなる男の配下の者だと推察された。
デヴリムもまた、同じ目隠しで、顔を覆っていたからだ。
これは、旅の安全を保証するという意味だろうが、どう考えても、お前達を見張っているぞという警告にしか見えない。呆れる以上に不気味な事この上なく、こちらの思惑など、とっくの昔に見抜かれているようにすら感じられた。
微笑ましいシャッロッタとミケーラの声を耳にして、街道を進みながら、イーリオは師匠のカイゼルンを思い出す。
イーリオが旅立ちを決意したと告げると、カイゼルンは「戻ってきたら前以上にシゴいてやる」と言ってくれた。既にクリスティオとの契約の日数は過ぎ、教えを請える条件は失ったというのに、カイゼルンは意外にも修行の継続を告げてくれたのだ。
「こんな中途半端なヘタれ状態で、百獣王の弟子だなんて名乗られたら、オレ様の沽券に関わるからな。せめてあんなヘボ王子ぐらい、ヒネってやれるようになんねえと、教えたオレ様の恥になっちまう」
ヘボ王子とは、プットガルデンのロワール城で、リッキーと共に戦った、灰堂騎士団のファウスト王子の事である。
何のかんのと言いながらも、弟子であるのを正式に認めてくれた事や、また、クリスティオに協力するよう言いつけてくれた事といい、師匠の意外な気遣いに、イーリオは案外良い部分もある人なんじゃあ……と、ちょっとだけ見直す気持ちになった。
実際、師匠の言いつけで同行をする事になったクリスティオは、この上なく心強い協力者だ。
彼自身が、一流の騎士であり、カイゼルンから獣騎術を教わるまでもなく、既に〝ヴァン流〟なる獣騎術を修めた身でもある達人。
胸に輝く黄金の首飾りは、尻尾の大きな狼を象っており、これはピッコロ・コロンナという、ヴァン流騎士の証である。黄金色は皆伝者にのみ許された色で、流派でこの色なのは、僅かしかいない。
だが、何より心強いのは、彼の鎧獣、金毛のタテガミオオカミ――
〝ヴァナルガンド〟であった。
そのクリスティオだが、もう一人の旅の同行者、ドグとはどうもそりが合わないらしい。何かと突っかかるドグに、それをいなすクリスティオ。ドグからすれば、実力的に敵わないだけに、腹立たしさは尚一層募る。
今も女性二人の声を破るように、馬車に揺られながら、天幕の中で何やら揉めている。
「だから、うっとおしいから立つな、つってんだよ! その腰布、何なんだ? ヒラヒラさせやがって、カッコつけてるつもりかよ?」
馬車の御者はイーリオが買って出ていた。疲れればミケーラも交代してくれるが、基本的にはイーリオが行っている。
この馬車は、騎士や錬獣術師がよく用いる〝ガルー・キャリッジ〟と呼ばれるもので、二台の車を連結式のトレーラーでつなぎ、二頭以上の馬が牽くものだ。後方の車には鎧獣が乗せられ、前の方に人が乗る。プットガルデンに向かう時もこれを二台使ったのだが、ようは鎧獣の運搬も兼ねたもので、大型動物などは当然載せられないし、費用もかさむので、個人で持つ者は少ない。今回はカイ王子が手配をしてくれたから使用できるが、普通は騎士団や獣猟団、錬獣術師などが所有する。
イーリオが御者を出来るのは、父との暮らしの中で何度か使っているからであり、ミケーラは王子の付き人の経験上、使った事があるからという事だ。
「これだから、愚民の中でも最底辺の愚民は困る。ものを知らんようだから、今回は有り難く教えてやろう」
「教えてなんかいらねえよ」
「これはヴァン流を扱う騎士が身につける布で、コーダストールというものだ。お洒落ではないが、俺が身につけるとお洒落になってしまうのだから、勘違いするのも無理はないがな」
「だから教えていらねえ、って言ってんだろうが」
そんなデコボコな旅を今日も続けていると、気付けばメギスティ黒灰院のあるウンタースベルク山が見える所まで来ていた。いよいよ敵地の近くだと気を引き締め、あと数日の行程を前に、宿場で夜を過ごそうとすると――何故かこの宿では、いつもの灰堂騎士団の使いの女が姿を見せなかった。街の入口、宿屋、そして街の出口には必ず姿を見せているのに、今日は入口でも、宿屋でも一度も見かけていない。
自分達の寺院が近くなれば、その必要はないという事だろうか?
それも奇妙な話ではあると思いつつも、反面、この宿に限っては、見張られているという居心地の悪さを感じない、伸び伸びとした夜を久々に過ごす事が出来た。




