第六章 第一話(2)『予兆』
メルヴィグ連合王国王都レーヴェンラント。
その主城、獅子王宮の玉座の間に、国王レオポルトがいた。両脇には二人の男。覇獣騎士団 弐号獣隊の主席官ジルヴェスターと、王国宰相のコンラートである。
三人の前には、女性が二人。
陸号獣隊の主席官ヴィクトリアと、副官である次席官マルガの両名だ。
手紙を読み終えたジルヴェスターが、それを恭しくレオポルト王に掲げる。
当年とって三十一歳の若き王は、手紙にざっと目を通し、やがて全員に尋ねた。
「どう思う?」
口火を切ったのは、ジルヴェスターだった。
「助け出すべきでしょう! 事は我々、覇獣騎士団にとっても一大事。見過ごす訳には参りませぬ!」
相変わらずの大音声で、語気も強く、ジルヴェスターは吠えるように言った。
「まぁそうですがね。しかし罠の可能性も大いにあります。レナーテ嬢が帰依してるんやったら、のこのこ死地に飛び込むようなもんです」
ジルヴェスターの勢いに顔を顰めながら、コンラート宰相が反論した。
コンラート・フォン・ラスペ。
メルヴィグ国政の最高責任者であり、最大の権力を持つ人物。
三十八歳とかなり若い執政官だが、外政、内政を問わず、彼の果たした実績は、史書一冊分を費やしてもまだ足りないと言われる程である。見た目は細面の、温和そうな文官だが、その実績に違わぬ切れ者の一面を持っている。
「ただ、いずれにしても放っとくいうんも出来んでしょう。監視の目をかいくぐり、一匹だけ放つ事が出来た、伝達の鳩なる技。それに託されたレナーテ嬢の手紙。そこに書かれている事が真実なら、敵地に向かおうとするイーリオ少年との連携も出来なくはありません。いえ、むしろするべきでしょう」
南方訛りの強い言葉で答える。
「そうだね。ならば、だ、その灰堂騎士団という集団について、あれから分かった事はあるかい?」
レオポルトがかしずくヴィクトリアに尋ねる。
「百年以上前、黒母教の一司祭に過ぎなかったナーデという人物が教派を立ち上げ、ナーデ教団を設立した際、過激派で実行を主体とするために僧侶騎士の集団を実動部隊としました。それが灰堂騎士団のはじまりだと言われていますが、実体はかなり謎に包まれています。黒母教正教はほとんど形骸化しており、今やナーデ教団こそが黒母教とも言えますが、その裏には灰堂騎士団の暗躍があったとも。その人員や規模も不明ですが、おそらく一国の騎士団にも相当する戦力があると予想されます」
「先の、怪物騒ぎでイーリオ君が相手したというラフなる騎士は、サンティアゴ騎士団で突撃隊長だった人物だろう? 今の報告にあった、カイの城を襲ったアンドレアなる騎士も、マチルダ広場の争乱の折りに、寺院を一人で潰したオグール人の傭兵騎士だったね」
「あの、エステバン修道院の事件ですか?」
驚いた声を発したのは、ジルヴェスターだ。
「はい。ジェノバ王国が潰れるきっかけとなった、あの事件です」
「ファウスト王子もいれば、そういった指名手配の輩もいる。他の〝使徒〟とやらも相当厄介だろうね……」
「私たちの探索で分かっている限りでは、〝地竜騎士団〟の元団長や、傭兵〝人牛無双〟も入っている模様です。あと、例のイーリオさんに接触したという十三使徒」
「ああ。その件も無視できないね」
「その接触した使徒が、黒母教の獣使術集団を束ねている人物のようです」
「例の銀製の目隠しをした女性の間諜集団の事かい?」
「はい。〝邪視〟のデヴリム・ソラックといいます」
ヴィクトリアが告げた名の後、傍らのマルガが付け加える形で言った。
「諜報の世界で、〝邪視〟の名を知らぬ者はおりません。あたし達の部隊も、何名も奴の手にかかって消されております」
マルガの声には、押し殺した悔しさが滲み出ていた。裏の世界でその感情は、青臭いとも言えるが、だからこそ、主席官のヴィクトリアは、彼女を買っているとも、レオポルトには分かっていた。
「そんな者まで灰堂騎士団にはいる、か……」
「如何いたしますか、陛下」
コンラート宰相が、窺った。
「そうだね。カイの件は上手くいったが、まさかレナーテ嬢からこんな手紙がくるとはね……。イーリオ君に灰堂騎士団の側から接触があったというのも、偶然には出来過ぎだろう」
深い紺碧の瞳の奥で、考えを巡らせるレオポルト。
「陛下、灰堂騎士団と言えば、黒母教の本山であるメギスティ寺院でも、慌ただしい動きあるとの報告も入っております」
「動き? 何だい? ヴィクトリア」
「寺院から何名もの人間が出て行っている模様です。向かった先はトゥールーズ公国のようで」
「トゥールーズに? あそこも何かとキナ臭いみたいだけど、それは?」
国王の疑問に答えたのは、コンラートだった。
「トゥールーズには、黒母教の古い寺院がございます。大戦の折りに破棄されて以来、放置されていた大寺院ですが、近年大修繕を行っているといいます。黒母教は、元々、そっちが本貫地やったとかで、そのためと建前では言うとるみたいですが」
「出て行った一団は、そこに向かっていると?」
「修繕もホンマでしょうが、おそらくそれだけではないと思います。陛下も仰ったように、長い間、トゥールーズでは、後から入ったトゥールーズ人と土着のオグール人との諍いが絶えてないと聞いとります。ヴィクトリア主席官の話やと、そのオグール人の間で、近年、黒母教の入信者がかなりの数で増しているとか。これは、私の調べとも一致してる確かな話やないかと。問題なんは、オグール人の反乱も、前までは小火程度で済んどったのが、ここんとこの激化は、黒母教が何か噛んでるんではないかという事です」
「ボクらメルヴィグも含めた各国の争乱の影に、ナーデ教団と灰堂騎士団が暗躍していると……」
「となれば、やはり放っておくわけにはいかんでしょう。その、イーリオいう少年騎士への接触。これを利用せん手はないかと」
「そうだね……。出来るかい? ヴィクトリア?」
チラリと深海の瞳を向ける若き国王。
ヴィクトリア主席官は、諜報部隊の首領とは思えぬ、楚々たる風貌を変える事なく、これを受けた。
「ご命令とあらば。ただし、灰堂騎士団の寺院、特にメギスティへの侵入は、我々も手を焼いているのが現状です。今回は、私とマルガの二人が、直接当たらせてもらいます」
「陸号獣隊 の二人が、直々に行くと?」
「は」
レオポルトは思慮深い頷きで、これを認めた。
「分かった。ただし、イーリオ君や、クラウスの妹――レナーテ嬢らに接触の際は気を着けてくれ。彼らは今後、重要な存在になってくるだろうから」
レオポルトの勘。だがそれを、訝しげに捉える者は、この場には居ない。ただ勘がいいというだけではないからだ。
「畏まりました」
と、ヴィクトリアが一礼するのに、レオポルトが続けた。
「さて、どう見る、コンラート? ギシャール騒動の黒幕にここ最近の各地への襲撃。そして各国への工作に、イーリオ君達への執拗なこだわり。何よりも、レナーテ嬢の手紙に書かれた内容……。灰堂騎士団、いや、ナーデ教団というべきだろうか……彼らの狙いは果たして何なんだろうな」
「奴らの一味に、ファウスト殿下がいらっしゃるいう限り、この国を狙てるいうんは間違いないでしょう。けど、それが何のためなのか。ファウスト殿下が己の血筋のために、傀儡として利用してるいうんやったらさほど恐ろしくもないのですが」
「恐ろしくない?」
「そうでしょう。正統な王権云々など、絵空事の大義名分みたいなもんです。何が正統かより、誰が王たるに相応しいか、それの方が重要です」
確かに、とレオポルトを除く一同が頷く。
クラウスという柱を欠いた中で、覇獣騎士団を率いてきたレオポルトに対する思いは、団員全員が共通しているところだからだ。
「問題なんは、ファウスト殿下さえ、ただのコマに過ぎないように思える事ですね。となると、灰堂騎士団を率いる人物か、またはナーデ教団の首魁か……そこらへんが何のために一連の行動をしているのかわからんうちは、後手に回らざるを得んでしょうね」
「それと関係があるかどうか不明ですが、例のトルベン・ナウマン卿殺害の折、犯人だと偽った漆号獣隊 の団員ですが、やはり真っ赤な偽物でございました。奇妙なのはその者、自分の事を本気で漆号獣隊 の団員だと思い込んでいるという事です」
イーリオ達も巻き込まれた、王都の事件の事だ。近衛兵団の兵団長より身柄を預かったジルヴェスターが、調査していた結果を報告した。
「本気で思い込んでいる?」
「は。身元はトゥールーズ公国の聖剣騎士団に席を置いていた騎士だった事が分かりました。しかし、きつい責めをしても、一向に自分は漆号獣隊だと言い張るのです。あまりにもそれが真に迫っている為、我々も調査に手間取ったという次第で。おそらくは、何らかの催眠に近いものをかけられているのではないかと」
レオポルトとコンラートが、顔を見合わせた。思わず、王の口から嘆息が漏れてしまう。
「人も操る……か」
「これはレナーテ殿の手紙にある、クラウス殿の〝凶獣〟の件を裏付けているのでは?」
ジルヴェスターが意気込むように言った。
「確かにね」
「こうなれば、先にクラウス殿の身柄を復帰なさり、覇獣騎士団を挙げて事に当たっては如何でしょうか?」
「気持ちは分かります。せやけど、この手紙とトルベン卿の件を結びつけているのは、こちらの推測にしか過ぎません。確たる証というにはまだ弱いかと。一番なんは黒母教か灰堂騎士団らから、直接証拠を掴むか、あるいはレナーテ嬢が何かを掴んでくれとるか――ですね」
「むう……これだけでは駄目ですか?!」
「議会が承知しまへんやろ。いずれにしても、今回のイーリオ君がメギスティに向かう件。これに賭けるしかありません」
大きく頷くヴィクトリアとマルガ。任務の受領を確認した後、二名の女性騎士は、部屋を後にした。続いてジルヴェスターもその場を後にする。
玉座の間に、二人だけが残される。
やがて誰ともなしに、レオポルトが呟いた。
「イーリオ君の連れていたあのシャルロッタという少女……。あの娘は、イーリオ君が〝三つの紋〟と出会う、と言った……」
その発言に、コンラートは驚いた。
「何と……! それは本当の事で?」
「ああ」
「成る程。それで得心がいきました。何故、百獣王への密使に、その少年を遣わしたのか……。確か、リッキー殿経由の情報で、その娘はゴート帝国の〝聖女〟だったいうんがわかったとか。それを聞いた時も驚きましたが、まさか〝三賢紋〟まで現実に耳にするとは……」
「うん。どうやら伝説は、かなり真実を含んでいるようだね。ボクが〝それ〟であればと願っていたが……本当にそうなるとはね」
「陛下……」
「家臣に妻を娶れと小煩く言われるのを拒否してきたのが、やっと実を結んだよ。何だろうね。ボクのこういう勘は、よく当たるんだ」
肩の荷が下りたような、皮肉めいた微笑を口元に浮かべるレオポルト。その笑顔が何を意味するのかわかるコンラートは、それ以上、言うべき言葉が見当たらなかった。
「ヴィクトリアにはああ言ったが、いざともなれば、イーリオ君には悪いが……」
玉座から立ち上がり、レオポルトは列星卓の間へと足を運ぶ。
円卓に七つの座席、十四の柱、それらを見下ろす位置に、太い台座状の柱。
その上には、一匹の獣――。
「〝覇王獣〟……」
我知らず、コンラートの口から言葉が漏れる。
「頼んだよ」
獣に告げるレオポルトに、影になって判別しないが、獣は何故か、頷いたようであった。それはただの意思確認以上のように思えて、この国の最高権力者たるコンラートでさえ、どこか畏に打たれるように後ずさるような気にさせられた。




