第五章 第九話(4)『決意』
声を荒げたのは、バルタザールだった。
「何故ですか?! 殿下!」
広間には、カイの他、ホーエンシュタウフェン=シュヴァーベン家の家老バルタザール、それにリッキー、イーリオ、ドグ、シャルロッタに、カイゼルンまでいる。クリスティオとミケーラがいないのは、彼らは街で別行動をとっているからだ。まぁ、彼らからすれば、メルヴィグの事情など、関係ないといえばそれまでの事だったろう。だがそれでも、一国の王族ならば、他国の内情を具に見て取れるいい機会と捉えるべきなのだろうが、クリスティオの性格からすれば、そんな事は知った事じゃないと言うのも、納得できる。
ともあれ、ここはロワール城、一階にある広間。
七人がそろっているようで、ただ一人をとり囲んで困惑しているという方が正しいのだろう。囲まれている一人というのは、勿論、城主にして覇獣騎士団漆号獣隊主席官の、カイ・アレクサンドルである。
「昨夜、殿下は仰いました。隠遁の道は間違いであったと! なのに何故、王都へご出仕されないと申されるのですか?!」
再びバルタザールが、悔しさを滲ませて声を大に問いつめる。詰め寄られるカイは、宿老の部下の迫力に気圧されながらも、無言で自分の意見を貫こうとしていた。
昨夜のファウスト王子と、灰堂騎士団の襲撃から明けて本日――。
いよいよ目的が果たせたと、イーリオらが城に集まると、昨夜の件から一変、カイ王子は王都への出仕をしないと言い出したのだ。
「迷っているのだ……」
一隊の長官とも思えぬか細い声で、カイは口ごもるように呟いた。
「迷う? 何をでございますか? まさか、まだファウスト王子の言葉に迷っておられると?」
「違う、そうではない」
「では何を?!」
一同は互いに顔を見合わせる。
武術の師であるカイゼルンが、ダメだと匙を投げるのも分かる気がする。それほどまでに、カイは出仕に対して頑迷な態度をとり続けているからだ。
「確かに、私の与り知らぬところでクラウスは奸計にかけられ、この国はまさに内憂外患に脅かされつつある」
「でしたら――」
「だが、私が出て行って、本当に良いのであろうか? むしろ、このような状況なればこそ、私は世にでるべき人間ではないのじゃないか……? 私の血筋は、この国にいらぬ争乱を招き、皆を不幸にしかねないものだ。実際、クラウスの件は、ギシャールも利用されていたのだろうが、私の存在を隠れ蓑にしたのも事実。やはり私は、この国にいらぬ災いを起こしかねない存在なのかもしれない……」
「何を馬鹿な!」
バルタザールが、怒りで呆れ果ててしまう。忠勤一筋のこの老人も、己の主の頑迷さには、舌を巻くしかないようだった。最も近しい存在のバルタザールでさえこうなのである。リッキーやカイゼルンらとて、どう言ったものやら呆れるしかないのも仕方ない。
「ファウストらに与する事はない。それは断言出来る。だが、やはり私は必要とされてはならぬ存在――。ここで隠棲するのが、この国とこの国の民にとって、もっとも健全なのではないだろうか……」
「だったら死ね」
全員が驚いた。
誰が言った? まさか、また侵入者か?
咄嗟に身構えるも、視線が広間の入口に集中した途端、誰もが呆気にとられてしまった。
「世に出てはいけない? 自分の存在が危険? ならば何故、自分で自分の始末を着けぬ? 何故、そうやって皆にかしずかれておるのだ?」
ハーラル――!
広間の入口。閉めていたはずの大扉が開き、そこには金髪碧眼の、怜悧な若者が佇んでいた。そのままつかつかと、足早に歩み寄ってくる。
その姿に誰かが何かを言おうとしたが、再び畳み掛けるように、ハーラルは己の言を続けた。その口振りは、冷淡で突き放すようだが、何故だろう、苛立ちに似た怒りのようなものが含まれているようにも感じられた。
「自分の存在が国にとって危険と、そこまでわかっているのなら、自らその身を処すのが道理だろう。それを何故せぬ?」
「それは――」
対峙する、皇子と王子。
だが一方の王子は、表れた少年皇子の語気に気圧されるように、視線をそらしてしまう。
「己が世に出れば、皆を不幸にするだと? こんなところで皆に気遣われ、温々としている人間のどこに、そんな影響力があるというのだ? 全く、呆れる言い様だな。よくもそこまで自惚れられたものだ。愚かしさを超えて、憐れですらある」
「待て。君は――」
予期せぬ闖入者の一方的な物言いに待ったをかけようと、カイが口を開きかけるも、ハーラルの弁は止まらない。
「人に何かの影響を与える人間とは、恐れなく突き進む覚悟を持った人間の事だ。それが幸になるにせよ不幸になるにせよ、結果を恐れず、前に進む人間のみが、他者に影響を及ぼせる。何の覚悟も持たぬ者が、どうして人を不幸に出来よう。貴公如きが人を不幸にするだと? 自惚れるのも大概にしろ」
「――」
カイは顔から血の気をなくして、押し黙った。自分より一回り以上歳の離れた少年に、ここまで悪し様に罵倒されているというのに、何も言い出せないでいた。
「己を慰めて、憐れみの衣で隠れるぐらいなら、臆病者だと正直に言えば良い。それもせぬ貴公は――ただの卑怯者だ」
反論が出来ない。それが正論だからだ。
全てがその通りだとは言わないが、少年皇子の言う事は、一面において、全く持って正鵠を射ていた。
「ハーラル、どうして君がここにいるんだ?」
沈黙を破って口に出したのは、イーリオだった。
ハーラルはそちらをふりむきもせずに言い放つ。
「用事を済ませて帰ろうとした。帰る前にリッキー殿らに、世話になった礼を言おうとしたら、偶然、話を聞いてしまった。いらぬ事とは思ったが口を挟んでしまったな。失礼をした」
そう言って、にべもない態度で踵を返す。
「待ってくれ」
少年皇子の背に向かい、カイが追いすがるように顔を上げる。
「そういう君には、覚悟はあるのか」
ハーラルは大扉の手前で立ち止まり、間を持たず、吐き捨てるように答えた。
「私にとって大事なのは、覚悟ではない」
「では何だと?」
「覚悟を形にする力――。それを手にする事だ」
言い捨てて、そのままハーラルは扉の外に消えて行った。
カイ以外の全員が、ただただ呆気にとられている。一同の中では一番の年少者であったろう、少年皇子だが、その迫力に気圧されてしまったというより、彼の持つ怒りのようのものに唖然となったという方が正しいのかもしれない。ただ一人、カイを除いて。
「あいつ……言いたい事を言って、フケやがった。……結局、礼も言わなかったじゃねーか」
リッキーが呆れるのも無理はない。
「でも、って事は、あいつ、母ちゃんって人に会って、話、出来たんスね」
ドグがそれに応じた。
それよりも、イーリオは胸騒ぎを覚えていた。何だろう。ハーラルのあの言動。まるで己の苛立ちを、カイ王子にぶつけているような――、カイ王子に己を見ているような――、そんな口振り。
そこへ、ぽつり――と、カイが呟いた。
「私に、彼のような覚悟は持てない……」
イーリオがカイを見る。
カイの苦悩を考えれば、彼を情けないと叱咤する事は、傲慢なのかもしれない。イーリオには、ハーラルのような傲慢さは持ち合わせてはいなかった。それでも、ハーラルの言わんとした事は、痛い程わかる。だから、思わず口を出さずにはおれなかった。
「でも殿下、貴方は彼の言う通り、死ねなかった」
カイが顔を上げて、イーリオを見る。
「……」
「自分が元凶だと思いながら、命を絶つ事も出来なかった。聡明な殿下なら、そのお考えも既にあったはず。違いますか?」
「……」
「それこそが、殿下の覚悟なんじゃないですか」
「?」
「生き続ける。それでも生き続けた。それが殿下にとってのお覚悟だった。でしたら、ここで一人生き続けるのではなく、殿下のお慕いされるレオポルト王のもと、その命を捨てるのが殿下の向かうべき道では?」
「私の……道」
傍らで、バルタザールが頷く。
カイは、再び沈黙した。やがてゆっくりと――。
「私に――出来るだろうか。この宿運を払いのけてでも、陛下のお力になる事が」
バルタザールが喜色を満面に表し、勢い込む。
「出来ますとも! 殿下ならば出来ます。そのための〝ファフネイル〟! そのために私や、漆号獣隊がいるのですぞ!」
無表情に頷くカイだったが、その目には、既に拒絶の色はなかった。まだ小さくはあったが、決意の炎が、火種となって揺らめきはじめていた。




