第五章 第八話(終)『妖獅怪牛』
全員がカイゼルンとファウストの戦闘に注視していた。
だから、全員が反応に遅れた。
破砕音をあげ、城の門が吹き飛ばされる。
戦闘に気を取られ、門の警護が緩んでいたからだが、それでも全員が一斉にそちらを向く。
土煙。
生温い空気が海沿いの湿気を帯び、濛々とした、埃のカーテンをめくるように、巨大な雄牛が姿を見せた。
異常な筋肉。
異様すぎる程に肥大化した筋肉に覆われた、褐色の体毛。その筋肉の上から、申し訳無さげに着込まれた授器があった。
狂ったように頭を振るい、カイゼルンとファウストのいる中庭に突進をかける。
「アンドレア!」
ファウストが叫ぶ。
雄牛の背に、牛同様に筋骨逞しい、禿頭の男が跨がっていた。
「退きなさい! ファウストちゃん!」
日焼けで黒光りする全身には、無数の刺青。何故か上半身が裸だ。
「アぁタをここで失うわけにはいかないの。そんな事したら、神女様や総長に怒られちゃう。ここはアタシが引き受けるワ! アぁタは逃げるのよ!」
見た目とは真逆の、女言葉で話す全身刺青の筋肉男。
「うるさいっ! ここで退くなど――!」
「アぁタの目的は、こんな所で朽ちていいモノなの? どんな苦渋を舐めてでも、這い上がってきたんじゃなくって?」
思わずファウストが目を剝く。
「お前……」
「アラやだ。勘違いしないでよ。アタシはアぁタの味方ってワケじゃないワよ。単にキレイなオトコのコがむざむざ死ぬのが見過ごせないだけ。美しい男は、それだけで生きる価値があるモノよ」
俯き、歯ぎしりが聞こえそうなほどに悔恨の念を漲らせると、ファウストは意を決して、頭を持ち上げる。
言葉は出ない。
何を語ろうと、それは敗者の弁だ。ならば今は何も言うまい。
そのまま、彼は息を吸い込んだ。
逃げる気か――! と、成り行きに呆気にとられていたものの、鎧化を解いていなかったイーリオとリッキーが、即座に追いかけようと身構えた。
「〝血閃深化〟」
ファウストが短く告げると、黒獣の緑の両目が、激しい赤に染まる。
瞬間、その姿が音もなく消えた。
――!
さっきまでの動きではない。カイゼルンとの攻防でも見せていない神速。
「へぇ……」
一人カイゼルンのみ、その動きを追えていたようだが、彼はゆらゆらと上体を揺らしたまま、その場に佇立するのみであった。
「あら? 追いかけないの? と言っても、アタシが行かせないけどね」
カイゼルンが獅子の顔を引き攣らせる。中ではきっと、青醒めているのが、遠巻きでもわかるほどだ。
「女みたいな顔の男の次は、本物のオカマかよ……。悪ぃ、オレ様やめる」
そう言って、くるりと踵を返した。
「ちょ……! 師匠?!」
「オカマ相手は駄目だ。酔いも醒めてねえのに。しかも筋肉ハゲときてら。こんなもん、どこの罰則だよ。おめえらが相手しろ。うえっぷ……ヤバ……吐きそう」
「白化!」
カイゼルンらのやりとりなどお構いなしに、アンドレアは雄牛を身に纏った。
鎧化したら、牛の時の比ではない。まさに筋肉が瘤のように折り重なった、化け物じみた巨大な人牛が姿を見せた。
「アタシもタダで帰るつもりはないワ。少しでも戦果をあげなきゃね。それに百獣王さん。アぁタ、逃げるって言ったケド、アタシ、アぁタみたいなシブい男がタイプなのよね。そりゃ、ファウストちゃんみたいな美形も美味しいけど、どっちかっていうと、シブ好みなの。ア・タ・シ♡」
今にも吐き出さんばかりに顔を引き攣らせるカイゼルン。
「〝三段筋牛〟!」
アンドレアが人牛の姿で叫ぶと、発達した筋肉が、血管を膨らませて、更に肥大化していく。
「な……っ!」
思わずリッキーとイーリオが、絶句する。
十六フィート(約五メートル)近くありそうな巨大な人牛が、更に二周り以上、その身を大きくさせたのだから。筋肉隆々などというものではない。
もはや筋肉のお化けのようだ。
「最初から全力でイカせてもらうワ♡。これがアタシの〝クジャタ〟。そして獣能よ。筋肉なアタシと、アタシの〝クジャタ〟を、更に筋肉にしてくれる。どれぐらいの力があるか、説明は必要ないわね?」
手には戦斧。
ザイロウが手にしたなら、それなりの大きさだろうが、筋肉お化けのこの人牛が持つと、まるで短剣のようである。
「アタシの名前はアンドレア・アメデオ。十三使徒の第八使徒よ! 覚えておきなさい、坊やに美男子! この世で最も美しく、無敵なのは筋肉! 全てを壊し、何物にも壊し得ない、筋肉! さぁ、美男子に男子! 全員、アタシが残さず食べちゃうから!」
そう言って、中庭の地面を抉りつけるように、猛然と突進をする。
ヴィングトールは千鳥足ながらも、これを躱すと、リッキー=ジャックロックとイーリオ=ザイロウが、躱しながら、筋肉人牛に向かって剣を薙いだ。しかし、まるで硬質なゴムでも斬りつけたように、刃が微塵も通らない。
筋肉人牛は、そのまま城の中庭に面した一角に突進し、まるまる粉砕してしまう。
「なんつー、固さだ……!」
リッキーが呆れるのも無理はない。
アンドレアの鎧獣、〝クジャタ〟は、ベルギアンブルーと呼ばれる、突然変異の牛である。遺伝子変異で通常でも筋肉の塊のような容姿であるのに、鎧獣騎士となる事で、その筋量は倍増。さらに〝クジャタ〟の獣能が加わる事で、攻防一体のパワーファイターと化すのだ。
ちなみにベルギアンブルーと呼ばれる牛の種は、野生のものでなく、牧牛から発生したものであり、鎧獣の条件である神之眼は顕現し難い。そう言った意味で、クジャタも稀少な鎧獣であり、特級以上の鎧獣騎士なのは間違いなかった。
クジャタは城の一角を破壊した勢いのまま、後退もせずにそのまま大きく迂回をし、再びリッキー達の方へと突進をかけた。
速度はそれほどでもない。遅くもないが、速いというまでではない。しかし、破壊力が桁違いだ。加えて、どうやったら傷を与えれるのか。まるでゾウかサイ、いや、それ以上のブ厚過ぎる筋肉が、刃も爪も、おそらく牙さえも通さないのだ。おそらく捕まれば、あの化け物じみた筋肉に押し潰されるのは間違いないだろう。
それは最も選びたくない死に方だと、この場に居る全員が、おぞましさに身の毛がよだつように思った。
リッキー達が躱すのを読んでいたのか、今度は方向を転換し、追撃の手を緩めない。追いすがる筋肉人牛。その行く手には――未だ鎧化を解いてない、黄金の獅子王がいた。
何とかイーリオ達は攻撃を躱したものの、ヴィングトールは大剣を杖代わりに、その場で立ち竦んだままだ。
「いただきィ〜♡」
不気味な吠え声をあげ、アンドレア=クジャタは、筋肉の津波と化して、黄金の獅子を呑み込もうとした。
「師匠ッ!」
イーリオの声に反応したのか、ヴィングトールが気怠げに顔を上げると、目の前に筋肉の塊が巨大な壁となって押し迫る。
だが、ヴィングトールは足を動かさない。
心底うんざりした素振りで、吐瀉物を出さんばかりの大きな溜め息をついた。
そして一挙手。
片腕が閃く。
まるで、あっちへ行けと追い払うような容易さで、振るった動きの後――。
「あ……? あ、アパ……?」
奇妙な断末魔を残し、アンドレアの視界がズレる。
上下一閃。
筋肉人牛は真っ二つに両断されていた。
カイゼルンは、いつの間にやら器用に移動し、奔流となった血飛沫がかからぬ場所に立つと、その場で「蒸解」を唱えた。
「うえ……」
人間の姿になったカイゼルンは、その場で蹲って、二日酔いの先触れをまき散らす。
斬り捨てた肉塊のおぞましさではなく、血の匂いが、酔いの気持ち悪さを誘発しただけに過ぎなかったが――。
「無茶苦茶だな……」
呟くリッキーの言葉通り、あちこちが砕かれ、瓦礫となった城の一部に、中庭には巨大な人牛の肉塊が、二分割され転がっている。その傍らで、気持ち悪げに吐く百獣王。
「凄い……光景ですね……」
カイの件やファウスト王子の事もあるが、そんな事がどうでも良くなる、混沌とした惨状が広がっている。生暖かな夜気が、今夜の混乱を、更に気味悪げに飾り付けているようだった。




