第五章 第八話(6)『兄弟弟子』
カイゼルンは、片眼鏡を外し、髪もほどいて臨戦態勢になっている。だが、彼の鎧獣は、百獣王の〝黄金獅子〟ではなく、バーバリライオン〝フローリジ〟のままだ。
「お前ら、退がってろ。弟弟子の相手は、オレ様がしてやろう」
「師匠……」
「カイゼルン様……!」
いつ、どこから姿を見せたのか?
実は最初から城の外に待機して、侵入者に備えていたのだが、ようはリッキーら二名で片がつくから、自分は酒でも飲んでいようという腹積もりだっただけである。
どれだけ杯を重ねたのか。吐く息に大量の酒気が混ざっている。
「ちょ……っ、いくらカイゼルン公でも、ンな状態で大丈夫なんスか?」
「バーロー、オレ様はな、戦と酒には負けた事がねえんだよ。あと、オンナにもな」
ヒヒヒと下卑た笑いをたてる姿は、偉大な三獣王の威厳の欠片もない。
それに、一緒に旅をしたイーリオは、同行したクリスティオの従者、ミケーラ女史を口説こうとして、何度も酔い潰される、だらしない師匠の姿を目にしている。戦はともかく、酒と女には連戦連敗だろうに。というのがイーリオの所感だ。
「クッ……クハハハッ! よもやここで、貴様の相手をするとはな! カイゼルンよ! いや、貴様も僣王同様、偽物の〝百獣王〟というべきか。どちらが真に、百獣王の称号を戴くに足るか、ここで証明してやろう!」
ファウストが声も高らかに宣言する。
「クソジジイが言ってたな。十年早けりゃ、六代目はどうなってたかわからんって。その出来損ないの弟子が、お前か。成る程、鎧獣だけは大したモンだ」
「どうなってたかだと? 決まっている。メルヴィグ王国国王にして百獣王の称号をいだく、最初の王族となっていたであろう! 我が師、先代カイゼルンもその事がわかっていたのよ」
「いやぁ、そりゃあねえと思うぜ」
言いながら、カイゼルンは片腕を持ち上げた。そして「血を解き放て」と呟く。
カイゼルンの背後にいたバーバリライオンのフローリジが、おもむろにその腕に、噛み付いた。
血が、滴り落ちる。血が出る程度の、甘噛み。そして「黄化」とカイゼルンが唱えると、フローリジの体毛が、風になびく草原のように、幾重にも波打ち、その色を光に変じていった。
――師匠の〝証相変〟!
ジェジェンの氏族を打ち払った、最初の邂逅で見せた、百獣王の〝変容〟。いや、〝変身〟とでも言おうか。この世で数騎といない、変異変容を起こす鎧獣。
百獣王の〝ヴィングトール〟がまさにそれである。
全身が金毛と黄金に包まれた、輝ける王者の獅子。
だが、それを前にしても、ファウストは何一つ物怖じしなかった。
「言っておくが、この私に、貴様の幻術は効かんぞ」
ファウストの言っているのは、ヴィングトールが変容する際に放つ、相手に催眠をかける〝能力〟の事である。かつてジェジェンの氏族は、それで瞬く間に命を落としたものだった。
「わぁーってるよ。同じドレの一族の作だ。それに弟弟子を相手にするなら、直々に手ほどきしてやらなきゃあな。格の違いって奴をよ」
言った後で、ウイっ、と酒気混じりのしゃっくりをあげるカイゼルン。本当に大丈夫だろうかと不安にもなるが――。
「私に〝ヴィングトール〟はいらん。私にはこの〝ノイズヘッグ〟があるからな。だが、貴様を倒せば、百獣王の称号は私のものだ。それは有り難く拝命してやろう。さぁ、鎧化するがいい!」
ニヤついた笑みを浮かべたまま、カイゼルンは「白化」を唱える。
押しのけられる形で、ザイロウとジャックロックは、百獣王の更なる後方に退がっていった。
※※※
信じられなかった。
何度目だ。
何度目?! 何度目だと?!
猛獣の口蓋越しに土の感覚を味わいながら、それこそが馬鹿馬鹿しい! と心中で吐き捨てる。
己が大地を舐めるなど、有り得ようはずがない。
立ち上がり、剣を構え、一方の手は猛獣の爪を向ける。
跳躍。
だが予測を遥かに超える速度で、黄金の獅子王は、目の前にいた。うなりをあげ、大剣がノイズヘッグの頭上を襲う。
しなやかな筋肉の猫科猛獣ならば、戦鎚だろうが巨石だろうが、それを流しきる自信はある。ましてや自分は、奴と同じ先代カイゼルンから獣騎術の手ほどきを受け、レーヴェン流の認可まで受けた身だ。実力が劣るなど、想像もしていなかった。
この一撃も、流しきる――。
そのはずなのに――。
力の奔流が、瀑布となって全身を叩いた。
轟音と共に、ノイズヘッグの全身が抗いようのない力に呑み込まれ、瞬間、再び大地に叩き付けられる。
「すごい……」
「あァ……」
イーリオもリッキーも、目にした事はあっても――、それでも圧倒されてしまう。
自分達が及ばない強敵を、赤子を相手取るように、容易く叩き伏せるカイゼルン=ヴィングトール。
まったく――三獣王とは底が知れない。
目で追う事すらままならないほどだ。
一方で、城の廊下で遠巻きにこれを見たカイとバルタザールも、思わずその場で立ち止まってしまっていた。自身の鎧獣を出すはずが、圧倒的強者のカイゼルンの登場に、目的を忘れてしまっている。いや、今更自分達が出る幕などないのかもしれない……。
カイ達だけでなく、騒ぎを耳にした城の騎士や兵達も、黄金に輝く巨大な人獣の獅子王と、それに歯向かう黒装の獅子の戦闘に、余波で城が破壊されるのもそのままに、思わず見惚れてしまっていた。
「ういっ――。動きすぎるとあれだな……酔いが回るな……」
戦いの威厳もどこへやら、イーリオが呆れるような師匠の言葉を耳にする。実際、ヴィングトールの全身は、どこかゆらゆらとふらついているように見える。
――酔っぱらって、これって……。
数ヶ月間の修行で思い知った以上の、圧倒的な実力。地上最強とは、伊達ではないのかもしれない。
しかし一方で、この場でカイとバルタザールの主従のみは気付いていた。
カイゼルンが剣を抜いている事に。
一対一で、カイゼルンが剣を抜くなど、どれほどぶりだろう。いや、初めて目にしたかもしれない。実力差がありすぎて、剣を抜く事さえままならないのが、カイゼルン・ベルと、ヴィングトールなのだ。だが今、カイゼルンは剣を手にしていた。
酒に酔っているからとばかりにも言えない。
カイゼルンに剣をとらせてしまう。
つまりはそれほどまでの実力が、ファウストとノイズヘッグにはあるという事だ。
「馬鹿な……!」
ブラックジャングリオンの口の端から血をしたたらせつつ、よろよろとノイズヘッグが立ち上がる。
手にした直剣を杖代わりにして。
「さて、どうするっかな……。このまま片付けちまってもいいんだが、取っ捕まえた方が、レオ坊に恩を着せられそうだしな。死なない程度に両腕か両足を捥いじまえばいいか」
今日の酒の肴は何にしようかとでも言わんばかりの気楽さで、カイゼルンは残酷な事を口にする。ファウストからすれば、これ以上ないほどの侮辱だった。
こんな……!
こんなはずでは……!
だが、勝負がまだ決してわけではない。
獣能がある。
百獣王とてあるだろうが、己の獣能なら、いかなこいつとて、発動する前に何とか出来るかもしれない。
――どちらが腕を捥がれるか、見るがいい!
「お? 獣能でもやろうってか? 構わねえけど、よしたがいいぜ。それをやったら、本当に大怪我させちまうからな」
――!!
素振りなどまだ見せていないはず!
それでも百獣王は、自分の挙動に気付いたというのか!




