第五章 第八話(5)『第四使徒』
鎧化時の白煙が消えるよりも早く、カイ王子の居室の窓が、壁の一部ごと内側から砕け散った。白煙は尾を引いて外にたなびき、夜気を切り裂くような人獣の影が三つ、同時に中庭に姿を見せる。
「カイを庇うか……」
鎧獣騎士特有の、くぐもった声音で、ファウストが独語する。
黒灰色の防具授器。
そして、全身を覆う隆々たる筋肉質な体には、漆黒の体毛。
闇夜で人の目には判別出来ないが、日中であれば、黒い斑点が浮かんでいるのが見えたであろう。
頭部から首周りには、ライオンにしてはかなり短い目の、黒毛のタテガミ。
ジャガーの黒変種、ブラックジャガーとライオンの間の子、ブラック・ジャングリオンという超稀少な猛獣の鎧獣。その人獣騎士。
手に携えるは、柄が黒に覆われた直刀。
これに向かうは、炎の音撃の二つ名で知られた、覇獣騎士団弐号獣隊 の人豹騎士。ジャガーの鎧獣騎士――。
リッキー・トゥンダーの〝ジャックロック〟。
そして白銀の体毛に、白銀の防具授器に鎧われた大狼の人狼騎士――。
イーリオ・ヴェクセルバルグの〝ザイロウ〟。
イーリオは全身を大狼に纏われながらも、首筋に嫌な汗が流れるのを感じずにはおれなかった。
王都で邂逅したあの黒き獣が、鎧獣騎士となって、目の前にいる。
その迫力たるや、凄まじい。
誰が見ても分かるであろう、特級以上の覇気。
この数ヶ月、カイゼルンを師と仰ぎ、様々に鍛えられてきた自分であっても、黒獣騎士の実力は、計り知れない。いや、カイゼルンに鍛えられたからこそ、彼我の差が感じとれるのかもしれない。
「冥途の土産に教えてやろう、次席官よ」
ファウストが感情の読み取れぬ声で言った。
「我が騎獣の名は〝ノイズヘッグ〟という」
「それがどーした。オレの鎧獣はジャックロックだ」
リッキーがくだらない張り合いを見せる最中、居室の砕けた窓と壁から覗き込むように、カイとバルタザールが、中庭のかがり火に照らされた、三騎の姿を見つめていた。
カイが思わず、息を呑む。
「あれは……そんな……」
「殿下?」
「ファウストの鎧獣、あれは……〝覇獣〟の一騎。メルヴィグの王家鎧獣! 失われた王家鎧獣〝ノイズヘッグ〟だ!」
バルタザールは絶句する。
「間違いない。色は違うが、防具の授器は、覇獣騎士団のものに似ている。何よりあの剣。あれこそ五代ドレに託したシュヴァーベンの宝剣〝クレイヴソリッシュ〟! ――いけない……! あの鎧獣が相手では――!」
「殿下!」
「バルタザール! 私の〝ファフネイル〟を出すぞ!」
「はっ! 私も鎧獣で出ます!」
言うが早いか、二人は全速で駆け出した。しかし、ロワール城の鎧獣厩舎は、ここから遠い。果たして間に合うのか。
イーリオ=ザイロウが、曲刀〝ウルフバード〟を構える。
カイゼルンから手ほどきを受けたレーヴェン流をアレンジし、ザイロウに合う形で独自に身に着けた、イーリオ流の獣騎術。修行の成果が全身を包み、かつてない心気に満ちていた。しかしそれでも、彼にはリッキーのように声を口に出す余裕がない。
それほどの難敵。
――リッキーさんは、平気なんだろうか?
二人がかりだと言うのに――、しかも、この上なく頼りになるはずのリッキーがいるというのに、まるで自信など湧いてこない。
「僕、獣能を出します」
「ああ」
小声で告げるイーリオに、リッキーは頷いた。
いきなり何を、獣能をと、イーリオの知るリッキーなら言おうものだが、彼とて余裕はないのだろう。否定せずに応じた事で、イーリオにも緊張が伝わってきた。
しかし、次の瞬間。
犬科と猫科の、並外れた動体視力を持ってしても捉えきれぬ速度で――
ノイズヘッグの姿が掻き消えた。
イーリオに――
灼けるような痛みが走る。
深々と斬り裂かれる、イーリオ=ザイロウの背。
鮮血が孤を描き、傷は背骨すら両断していた。
そのまま前に倒れ伏す白銀の人狼。
「イーリオ!!」
即座にジャックロックが鎖付き剣を振るうも、剣閃は虚しく空を斬るのみ。既にノイズヘッグの姿はそこにはない。
瞠目するリッキー=ジャックロックだが、驚く暇もない。
触覚が漆黒の危険を感知する。
鎖付き剣を鎖ごと大きく旋回させると、耳障りな金属音と共に、ジャックロックの鼻先寸前で、ノイズヘッグの剣が弾かれていた。
体勢を直す二名。
「ほう。凌ぐか」
くるりと直剣を回転させ、余裕の素振りを見せるノイズヘッグ。
リッキーは、全身からドっと汗が出るのを感じていた。
「イーリオ! おい! イーリオ!」
だが自分はともかく、今はこの少年だ。どう見ても致命傷の一撃だが――。
ノイズヘッグがピクリ、と反応する。
白銀の人狼騎士が、よろめきながらも上体を起こそうとしていた。
――これがこ奴の〝能力〟か。
傷口は深い。おそらく中の少年の、内蔵にまで達していたはず。その手応えはあった。立つどころか即座に絶命してもおかしくない一撃だったのに、この人狼は、立ち上がっていた。
「すみません……油断しました。でも、もう――獣能を出せません」
「ンな事ぁいい。無事なら良かったぜ。しっかし、相変わらずの回復力だな――」
ジャガーの頭部ごしにでもわかる、リッキーの安堵の声。
ネクタルを異常消費する事で行われる、ザイロウの桁外れの治癒力。しかしそれとは引き換えに、体内に備蓄したネクタルには限界があり、これほどまでの致命傷の場合、大量にネクタルを失ってしまう。
戦闘はまだ行えるだろうが、同じくネクタルを異常消費するザイロウの獣能は、もう出せなくなってしまった。
「成る程。ラフがやられるのも無理はないか。モニカやラウラならともかく、ラフの〝クダン〟では、相性が良くない――か」
ザイロウの驚異的な治癒力を前にすると、一流の騎士ですら戸惑いを見せる。しかし、ファウストにはそれすら大した問題ではなかった。どれだけ治癒が行われようと、治癒できぬ一撃を見舞えば良いだけの事。横のジャガー騎士とて、実力の程は知れた。例の音波による獣能を出したとて、ノイズヘッグには効かない。
さっさとこの二騎を片付け、カイ王子を殺せば、全ては計画通り――。
剣を構え、両足に必殺の力を込める。
――が。
跳躍をせずに、固まった。
リッキーとイーリオも、敵の異変に気付く。
何だ? 攻撃を止めた?
「〝百獣王〟……カイゼルン……!」
ファウストの絞るような声の先。
リッキーとイーリオの背後に、カイゼルンが姿を見せていた。




