第一章 第六話(1)『魔術師』
あんな鎧獣、見た事がないわ――。
レレケ・フォルクヴァルツが最初に抱いた感想が、それであった。
彼女は、ホルテの町に偶々来ていた旅行者であり、かのザイロウと〝山の牙団〟の戦闘を見ていた群衆の中にいた一人である。
そして、その戦いで目にした白銀の人狼に、目を奪われたのだった。
錬獣術師として、また、獣使師として数多の鎧獣をその目にし、または生み出してきたレレケにとって、全身が白銀に輝くあの狼の鎧獣は、自分の知識の外にある存在であった。
外見的にも確かに目を惹くものがある。だが、問題は見た目ではない。一撃でハイエナとイタリアオオカミを屠った尋常ならざるあの動き。反応。そしてしなやかで強靭な四肢から繰り出される、恐るべき力。体躯も通常の狼のそれではない。今やほぼ絶滅したとされる大狼だろうとは思われるが、それでも獅子か虎ぐらいはありそうな巨躯は、同種でも大型の部類だといって間違いなかった。
能力で言えば、間違いなく上位鎧獣。それも特級といって間違いないだろう。
――しかも、騎士となっていたのは、成人にも満たない子供じゃないの!
見た所、何か特別な肉体的特徴があるわけではなさそうな、ごくありふれた十代半ばの少年。あの鎧獣の驚異的な力は、使い手の力量からくるものではなく、鎧獣本体のものであると確信した。そして確信は好奇心となり、好奇心は欲求へと直結していった。
あの鎧獣を〝診て〟みたい!
思い立てば即行動のレレケとしては、躊躇う事など何一つなかった。
彼女はそうやって、組合からの追放も気にせず、〝師匠〟の元へ弟子入りし、そして同じような自身の興味という理由で、その〝師匠〟の元を飛び出していったのだ。
喜びに沸き立つホルテの町の群衆を掻き分け、こっそりと少年が姿を消したのを、彼女の〝能力〟で感知すると、彼女も少年の後を追った。
どうやら少年は、山賊団の後を追うらしい。厩舎に預けた馬に跨がり、フロイエン山の方へと向かっていった。レレケもまた、自分の馬を駆って、密かに少年の後を追う。彼女は馬の背に跨がったまま、自分の懐から筒状の道具を取り出すと、そこに石粒のようなものを入れた。
筒は発光し、何か霧状のような〝物体〟を吹き出す。
――これで、少年より先回りをしよう。
この〝力〟こそ、彼女、レレケ・フォルクヴァルツが、自らを〝魔術師〟と嘯く理由であった。
だが残念な事に、余人は彼女をそう呼ばず、〝奇術師〟や、〝手品師〟、挙げ句の果てには〝錬獣術師詐欺師〟などと呼ばれる事が殆どであったのだが。
自分を追いかけ、抜きさろうとしている影がいることなど、イーリオは全く気付かぬまま、ザイロウと共に一路フロイエン山を目指していた。気付かなかったのも無理はなく、攫われたシャルロッタを助け出す事で、頭が一杯だったからに他ならない。もっとも、例え警戒しながら進んでいたとしても、〝全て〟の影を感知する事など、不可能であったのだが。
だが一方で、ザイロウだけは彼らを取り巻く〝影〟の全てに気付いていたのだが、それらを主であるイーリオに伝えようが伝えまいが、大勢に影響はないと彼は判断し、感知しつつも放っておく事にした。それでも、自分たちを取り巻く影の内、先ほど相対した山猫の気配に対しては、警戒の気を怠る事はしなかった。
やがて、フロイエン山の麓まで来ると、ザイロウが感じていた、影の一つが、姿をもって彼らを待ち構えていた。
レレケである。
ザイロウは耳をピンとたて、一応、警戒の気を強めはするも、この女からは〝危害〟となる〝匂い〟は感じられない。
主のイーリオはというと、自分たちを待ち構えていた明らかに怪しげな女を、あからさまに警戒しているようであった。彼らは進行を止め、様子を伺う。
すると、待ってましたと言わんばかりに、レレケは二人に声をかけてきた。
「お待ちしていましたわ。勇敢な少年の騎士と、麗しき銀狼の君」
朗らかな声ではあるが、芝居がかった言葉と仕草は、イーリオの警戒の水位を上げさせるのに役立ちはすれ、安心感を与える事に寄与する事はなかった。
年の頃は二十代前半から半ば。丸縁眼鏡に、羽飾りをつけた帽子。黒い髪をしているのは分かるが、眼鏡の下の瞳の色は不明だ。皮で出来た、襟付きの胸までの短い外套に、同じく革製の手袋をはめており、一見すると男性のようにも見える身なりである。その姿はさながら、落魄した貴族の子女か、羽振りの良い大道芸人のようでもあった。
――どう見ても胡散臭い。
こいつは、自分を待ち構えていた帝国の刺客か? それとも山賊の仲間?
イーリオの警戒は、彼女を見れば見るほど、強くなっていく。
「まぁ、その顔は、私を怪しい女だとお思いですか。さにあらず、さにあらず。私は、先ほどの貴方の戦いを、町で見ていた群衆の一人です。貴方の素晴らしい戦い振りに感銘を覚え、是非、お近づきになりたいと願い、ここに罷り越した次第」
大仰な身振り手振りを交えて語り出すレレケ。身なりだけでなく、言葉遣いも男性のようであった。
「申し遅れました。私はレレケ・フォルクヴァルツ。旅の錬獣術師にして、稀代の獣使師。人は私を、〝魔術師〟と呼びます。以後、お見知りおきを」
じっと聞いていたイーリオであったが、警戒の色を解く事はなかった。
「……何だかわかりませんが、今、ちょっと急いでるんです。話をしたいなら、また今度という事で。申し訳ないですが、失礼します」
危害がないなら、先を急ぐに越した事はない。刺客や待ち伏せなら、ここを通そうとはしないはず。イーリオはそう判断し、馬首を操って駆け出そうとする。
「あなた、あの山賊どもに用があるんでしょう? それも、穏やかでない理由で」
やはり待ち伏せか? イーリオは目の前の女を睨む。
「どうしてそう思うんですか?」
「何故って、この道は、山賊のいるフロイエン山への一本道ですよ? さっき戦ったばかりの奴らがいる道を、好き好んで行く人間がいますか? しかも貴方、最初は山賊と戦いたくないみたいだったのに、今は何故か、自ら危地に赴こうとしている。普通に考えれば、穏やかならざる理由だと、察しはつくものよ」
この女、最初から見てたのか――。
「だとしたらどうだと言うんです? それが貴女に何の関係が?」
イーリオの質問に、待ってましたと言わんばかりの仕草で微笑むレレケ。
「いえ、何ね。良ければ、貴方にお力添えをと思いまして。つまり、山賊に対して、何かをなさるのであれば、私がその手助けをして差し上げようと。そういうわけでございます」
「は?」
「貴方が何を為そうとされているか、それは私にはわかりません。少なくとも、今の私には、ですが。とはいえ、貴方が相手にしようとしているのは、貴方が戦いを躊躇った、あの山賊ども。しかも、あのヒグマの鎧獣がいる、奴らの本拠地に向かおうとしている。どう考えても、穏やかならざる事態になるのは明白です。危険だわ。危険すぎると言っていい。――そこで、私の出番となるわけです」
ヒグマの鎧獣という言葉に、思わず反応してしまうイーリオ。
そう。何にも増して厄介なのは、あのヒグマの鎧獣だ。正面から向かって、果たして太刀打ちできるのか? いくらザイロウが凄い力を持っているにしても、ヒグマは、ゾウやサイ、ホッキョクグマと並んで、最強の鎧獣の種類である事に間違いはない。
「出番って……、貴女、さっき自分の事を錬獣術師って言いましたよね。錬獣術師が山賊の、しかも上級以上の鎧獣相手に、何が出来るって言うんです?」
レレケは、したり顔で微笑む。
「その言葉を待っておりました。私は自分の事を錬獣術師と言いました。けれど、こうも言いましたよね。獣使師、と」
そう言って、おもむろに馬から降りて、懐に手を入れる。思わずイーリオは警戒するも、中から出したのは、革袋と下端に紐のついた、細く短い管のようなものであった。
「獣使師?」
イーリオの問いかけに対し、レレケは革袋から何かをつまみ出し、目の前に翳す。
それは、二インチほどの大きさをした、宝石のような、光り輝く石であった。
「それって、宝石……じゃなくって、……ひょっとして神之眼?」
「ご名答」
「その大きさって事は、鎧獣のものじゃないな……。中型動物以下、小型動物の神之眼?」
「またまたご名答。貴方、錬獣術の心得がお有りのようですね。その通り。これはそこらにある野良猫、その神之眼です。錬獣術に嗜みのある貴方ならご存知でしょうが、言うまでもなく、鎧獣とは、神之眼から錬成された人造の生物の事。神之眼持ちの野生動物から、結石のみを切除し、それを母体に生み出します。では、鎧獣になれる動物とそうでないものの違いは何かというと、そう、それは大きさです。小型の動物では鎧化出来ない。一般的に三・五フィート(約一メートル)以上が基準と言われていますが、一方で神之眼そのものは、この自然界のあらゆる動物に存在しています。個体間での、ない動物、ある動物はありますが、種族としては、神之眼のない種族はありません。リスにでも、雀にでも、蝶にでも、魚にでも、神之眼はあります」
「それが何? 鎧獣の基本なら、僕だって知ってます」
「そうですね。それでは鎧獣が、具体的にどのように生み出されるかもご存知ですよね。個々の種族に合わせた動物大の容器に、錬成用の溶液を入れ、その中に神之眼を入れる。溶液の種類や温度、湿度、それに熱や薬剤の配合によって、やがて鎧獣となる動物が、神之眼というこの神秘の結晶を媒介にして形作られていきます。その錬成の際の配合によって、ただの動物の複製ではなく、鎧獣となる動物の性質や能力を形作るわけです」
レレケは一旦言葉を区切り、手に持った神之眼を見つめる。
「では、これらの小型動物の神之眼はどうなのでしょう? 大きさが足らないというだけで、何も役に立たないただの結石のようなものなのでしょうか? そこで、私は考えたのです。――正確には私の師匠が、ですが――溶液や薬剤の配合を変える事で、小型動物の神之眼でも、鎧獣とは異なった、別の何かを錬成出来るのではないか、と」
「別の何か?」
「百聞は一見にしかず、です。お見せいたしましょう」
そう言って、レレケは片方の手にした筒の先にある紐を、自らの眼鏡のツルの部分に付着させた。よく見ると、眼鏡は変わった形をしており、柄からツルにかけて、紐を差し込めるように作られている。
そうして、筒の蓋を開け、もう一方の手に持った小さな神之眼を、その中に放り込んだ。
入れる時、チャポンと音がしたので、中には液体が入っているのだろう。神之眼を入れた後、筒の蓋を閉める。
「それではお披露目しましょう! これが〝消失の猫〟です!」
筒についているつまみのようなものを回すと、筒は途端に発光し、やがて蓋の先にある穴のような部分から、朦々と煙が吹き出してきた。
それは鎧化時の煙に似ているが、少し青みがかっている。その煙は意思をもっているかのようにレレケの足下に沈殿すると、やがて吹き消されていく――。
そこには、さっきまでにはない、〝あるもの〟があった。
猫である。
家猫だ。
だが、普通の猫ではない。全身が真っ白、いや、乳白色をしており、よく見ると後ろの景色が透けている。
半透明の猫なのだ。
「……!」
猫は、明らかに意志を持った生き物のように尻尾を振り、「ミャオウ」と鳴く。
「これって、幻……? 何……?」
「これは擬獣。先ほどの家猫の神之眼から私が錬成した、〝擬似的な〟猫なのです」
「〝擬似的な〟猫?」
「家猫の神之眼を媒介にして、半錬成中の動物を固着化させたものです。早い話、鎧獣のように作り出される前の段階で取り出した動物です。これだけだと、ただの奇術の類いと代わりありませんが、これをですね――」
レレケは筒の中に、更に別の神之眼を入れると、つまみをひねる。
――!
今度は、半透明の猫が、完全に姿を消す。
「いきなさい」
レレケが命令すると、数瞬後、イーリオの右手にヒリっとした痛み。
「痛っ」
見ると、右手の甲に、猫の爪痕で引っ掻いたような跡があった。
「出なさい」
レレケの次の命令で、さっきまでレレケの足下にいたはずの猫が、今はイーリオの馬の鞍にのっている。
「これが、消失の猫。複数の神之眼や薬液の組み合わせなどで、こうした異能とも呼べる能力を有した動物を作り出し、使役する。遥か西の国では、これに似た術が既にあるそうですが、我々はこれを、獣使術と呼び、獣使術を用いて擬獣を使う人間を、獣使師と名付けているのです」
イーリオは言葉を失う。錬獣術の応用で、こんな技ができるなんて。
魔法なんてものはこの世にはない。不可思議な物にも理由や法則があり、それを解明する手段の一つが錬獣術なのだ。錬獣術は、あくまでも現実の物理法則に根ざした学問である。
だが、目の前のこの動物は何だ。まるで魔法や幻術そのもののようにさえ思える。
「どのような動物を、どんな風に作り出すかは、術者の技と知識、知恵、力量次第。術を応用すれば、空飛ぶ犬だって、歩く魚だって錬成できます」
「すごい……まるで魔法だ……。本当に凄い。けど……でも、確かに凄いけど――」
確かに凄いが、今はこんな手品紛いのものに気を奪われている時ではない。
「これが山賊相手に何の役に立つっていうんですか?」
「そこですよ。問題は」
レレケは、我が意を得たりとばかりに語り出す。
「いいですか、貴方は今から山賊の本拠地、山賊の砦に向かおうとしている。さて、砦に行って、貴方はどうするんですか? 正面から堂々と入っていく? 仮に貴方の目的が、山賊から何かを取り返そうというのであれば、それがどこにあるか見当もつけずに、行き当たりばったりで立ち向かうのですか? ヒグマの鎧獣も居るというのに? それこそ無謀でしょう。ではここで、さっきの消失の猫があればどうでしょうか? 山賊どもに気付かれず、貴方の探してるものが何処にあるか、探り当てられます――目的が探しものなら、ですが――。それに、擬獣は、獣使師の意思を読み取ります。同時に、ある程度なら擬獣の考えも理解出来るのです。この眼鏡は、その為の装置です」
そういう事か。
イーリオは納得した。
確かに、このレレケとかいう女性の力があれば、無駄な争いを避け、シャルロッタを救う事が出来るかもしれない。いや、その可能性は俄然高くなるだろう。
だが――、
「――確かに、貴女のその技は凄いよ。力になってくれるというなら、とても心強い。けど……」
「けど?」
「どうして貴女は、僕に手を貸すの? 僕の戦いを見て……って、そんなの助ける理由にならないよね」
イーリオの言葉に、レレケは再びニヤリと笑う。
「ええ、その通り。私には何も得がない。――ですから、貴方に手を貸す代わりに、見返りが欲しいのです」
「見返り……?」
「はい。ここからが本題なのですよ。今までのはただのお披露目です。さて、私は貴方に助太刀しましょう。その代わり、事が上手くいった暁には――」
「暁には?」
女道化師は笑みを深くする。それは天使の微笑みなのか。悪魔の誘いなのか。
「貴方の鎧獣を調べさせてください」




