第五章 第八話(4)『拒絶』
「懐柔出来ぬとあらば仕方ない。今ここで、〝ファフネイル〟の駆り手を屠ってしまおう」
ファウストは腰に吊るした剣をぬらりと構えた。
殺気というよりも、妖気に等しい禍々しい気迫が満ちている。一方のカイは、寸鉄すら帯びていない。部屋には壁掛けの剣もあれば、短剣もある。しかし、それを手にする為にわずかな挙動を見せるだけでも、己の命は即座に斬り伏せられてしまうだろう事は、想像に難くない。
それほどまでの剣気がある。
しかし――。
空気を裂く鋭い音と共に、ファウスト目がけて一筋の光が瞬いた。
咄嗟に身を翻すファウスト。
猫科猛獣のようなしなやかな動きが、間一髪で彼を助けた。
立っていた場所に、一本の矢が突き立つ。
「殿下! よくぞ仰りました!」
矢の飛んだ方向。
いつの間に開いたのか、居室の端にある扉から、老騎士が素早く姿を見せる。
弓矢を構えたバルタザールだ。
続けざま、その後ろからリッキーやイーリオも姿を見せた。彼らの傍らには、ジャックロックやザイロウもいる。
「貴様らッ!」
「バルタザール! それに、リッキーまで! これは――」
カイが突然の闖入者に驚きを隠せないでいると、つ、とバルタザールが己の主に近寄っていった。
「申し訳ございませぬ。勝手ではございましたが、ファウスト殿下の事、リッキー殿やカイゼルン公にもお話を申し上げたのです」
「それは……!」
「処罰なら後で如何様にも。しかし、事は一国を揺るがす大事。カイゼルン公は全てを得心なされ、殿下が出す答えに委ねると仰ってくれたのです」
「私の答え?」
「は。殿下がファウスト殿下らと袂を分かつのなら、全力でその身を守護しようと。しかし、もし、ファウスト殿下に合力なされると申したならば――その場で殿下らの命を絶つ――と。その際は、不肖、このバルタザールめが、殿下のお命を頂戴し、すぐさま後を追うつもりでございました」
老騎士は、両目に涙をためながら、何とか一息に、そこまで言い放つ事が出来た。
「バルタザール……お前……」
「私は……私めは嬉しゅうございます、殿下」
「済まぬ。私の方こそ、お前に心労をかけた。謝らねばならぬのは私だ」
「何を仰いますか……。よくぞご決断なされました、殿下」
主従の感動的な交流に苦笑しつつ、リッキーは悠然とした素振りで、ジャックロックを背後に回らせた。イーリオも同様だ。
状況はどう見てもこちらが圧倒的優位。なので、焦るまでもない。
ファウスト王子がどれほどの手練れだろうと、人間では鎧獣騎士に敵うはずもないのだから。
「カイ……! 何たる愚かな!」
予想だにしていなかった展開に、ファウストの胸中は既に沸点を超えていた。
カイが灰堂騎士団の側になびくかどうかは、正直、賭けの要素もあった。ファウストの存在があったとしても、そこはどうなるかわからない。しかし、仮に拒絶されようとも、その場で命を奪ってしまえば、目的は達成されるのである。ようは、カイ王子と彼の鎧獣が機能できなくなれば作戦は成功だったのだ。だからこそ、先んじて一度姿を見せる事で、一人になる状況を作り出そうとしたのだ。にも関わらず、カイは一人であるどころか、始末せねばならぬ人間を増やしているではないか。
かつての従兄が、まさかここまで愚かだったとは――。
だが――。
「それで? 私が追いつめられたとでも?」
怒りはそのままに、ファウストの表情に焦りはなかった。
「おいおい、この状況でまだヨユーこく気か? 言っとくが、今度は王都の時みてーに逃しゃーしねーぜ」
リッキーは、油断のない姿勢で、ファウストに対峙する。ファウストに会うのは、イーリオも含めてこれで二度目だ。かなりの使い手である事はその目で見ているからこそ、リッキーほどの騎士が、隙なく構えているのだと、イーリオも気付いていた。
「たかが次席官ごときが何をほざく。言っておくが、貴様らが幾人雁首を揃えようとも、私の為す事に変わりはない。――ここで全員、始末する」
あの、大狼の少年のみ、生かしておくべきかと、一瞬、ファウストの脳裏を、ヘスティアの言葉がよぎった。しかしこれも時の流れ。この場に居たこの孺子の運がなかっただけと、凶悪な決断を下すのに、何の躊躇いも起きはしなかった。
瞬間――リッキーは何かに気付いた。
彼の視力のみが、その異変に気付いた。
「イーリオ、鎧化だ! 王子! バルタザールさん!」
語尾が切れぬ内に、彼は獣を纏う音声認識「白化」を叫ぶ。条件反射のように、イーリオも「白化」を言うが、その声に、もう一人の声が重なった。
いつ? どうやって?
気配など微塵もなかった。無論、音さえも。影さえも。
だがしかし、確かにファウストの背後には、ライオン並みの巨躯を持った、黒き体毛の猛獣が、その姿を見せていた。
そして三者が同時に、白煙を噴き上げる。




