表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
銀月の狼 人獣の王たち  作者: 不某逸馬
第一部 第五章「黄金と白銀」
156/743

第五章 第八話(1)『家令』

 覇獣騎士団ジークビースツ弐号獣隊ビースツツヴァイ リッキー・トゥンダーが最初に言ったのは、懐かしいの一言でも、褒め言葉でもなかった。


「お、喧嘩でもおっ始めようってのか? いいぞ、やれやれ」


 組み付きそうな格好のまま、イーリオとハーラルは固まり、声のした方に振り向く。


「よォ、イーリオ」

「リッキー……リッキー・トゥンダー次席官ツヴァイター!」


 戸口にもたれるような姿勢で、リッキーがニヤニヤと笑っている。後ろにはドグ。彼はシャルロッタの姿を確認して、安堵に胸を撫で下ろしているようだった。


「どうして? 何故ここに?」


 ハーラルから手を離し、イーリオはリッキーと固く抱き合う。モンセブールの街で別行動をとって以来だ。わずか数ヶ月なのに、随分と久々に会ったような気がする。


「オメーを追いかけて来たんだよ。オレのジャックロックも、ドグのカプルスも、もうすっかり元通りだぜ」

「レオポルト王の書状は、カイゼルン公に渡しました」

「らしいな。陸号獣隊ビースツゼクス から聞いたぜ。弟子入りも出来たってよ。で、そのカイゼルン公は?」

「それが、その……お城の中で道に迷って……。今は僕より先に、カイ王子の居室にいると思います」

「それならバルタザールさんに案内して貰おーぜ。いいッスよね?」


 後ろに控えていたバルタザールが、相槌を打った。


「ハーラルはどうするよ?」

 所在をなくしていたハーラルは、一瞬、途方に暮れた。


 養母サリと再会し、詰問している最中に、イーリオとシャルロッタが部屋にひょっこり顔を出したのだ。どちらからというでもなく、互いに一目見た瞬間、何故かカッと頭に血が上り、今にも殴り掛からんとしていた。その矢先、絶妙の間合いでリッキーも姿を見せたのだ。

 リッキーは、別に二人の騒ぎを聞きつけたわけではない。

 彼は彼で、単純にバルタザールに挨拶をした後、そのままハーラルの待つ居室に戻って来ただけだ。

 すると何故か、待っているはずのハーラルは、リッキーが再会しようとしていたイーリオと鉢合わせ、しかも殴ろうとせんばかりに掴み合っているではないか。驚くよりも、思わず囃し立てる気になったのは、リッキーらしいと言えばらしい。



 ハーラルは気を鎮めようと、襟元を直して咳払いをする。

 イーリオの顔を見た瞬間、何故だか彼自身も訳が分からず、殴り掛かろうとしたのは、思いがけない事であった。まるでコブラと出会ったマングースのように、条件反射的に襲いかかってしまったのだ。努めて冷静になろうと、彼は本来の目的であるサリの方に目をやる。


 が、そこに、養母であり、この城の女中をしているサリの姿はいなかった――。


 ハーラルは目を丸くする。

 さっきまで。

 さっきまで確かにそこにいたはずなのに、いつの間にやら姿を消している。


「サリ……ここにいた女性ひとは?」


 リッキーらの方に向き直って、焦りの滲んだ声で問うと、ドアの後ろに覗くバルタザールがそれに答えた。


「彼女なら、さっき廊下ですれ違いましたぞ。この時間だ、おそらく城内の厨房に行ったのでしょうな」

「厨房……」


 鸚鵡返しで反芻すると、そのままハーラルは部屋を出て行こうとする。


「何処に行くんだ?」


 リッキーが眉を傾げて問いかける。


「彼女に会いに行く」

「用事があって行ったんだろう? なら仕方ねー。今は(・・)ここまでにしておけ」

「すぐに済む。そこをどくんだ」

「若者よ。彼女には彼女の役割がある。それは君の質問に答える事ではない。この城の主に仕える事だ。また改めて会ってくれんか?」


 バルタザールがやんわりとした口調で、ハーラルをたしなめた。


「私には待つ事さえもどかしいのだ。頼む、もう一度会わせてくれ」


 ハーラルの表情が険しくなる。イーリオは意外に思った。ゴートの国境で会った彼は、酷薄な貴族の顔と、獣性な支配者の両面を持った、同じ人間とも、もしくは同世代の少年とも思えぬような為人ひととなりだったのに、ここにいるのは、まるで自分の映し鏡のような、必死な姿だったからだ。彼のこんな様を見る事になるとは……。

 バルタザールが困惑気味に返答に窮していると、ハーラルは扉を強引に突き進もうとした。

 半ば肩がぶつかる形で部屋を飛び出るハーラルだったが、出た矢先で、全身が何かがぶつかり、目が眩んでしまう。ハーラルが息の詰まる声を漏らし、立ちふさがった対象を睨むと同時に、全員も一斉にそちらを向いた。


「何だ……?!」


 ハーラルの視線の先――。

 片眼鏡モノクルを着けた彫りの深い顔立ちに、長い金髪を無造作に結わえた長身の男。


「カイゼルン公!」


 思わずリッキーが叫んだ。

 カイゼルン・ベル。当代最強〝三獣王〟の一人。〝百獣王〟の称号を持つ騎士スプリンガー

 今は普段の姿、彼のもう一つの〝顔〟、彼が営む獣猟団ヤクトオルデン幻獣猟団ファタ・モルガナ・オルデン〟の組合長の格好をしている。


「お、ヴァッテンバッハんトコの悪ガキじゃねえか。ってか、何だよ、こっちの坊主は? ……ん? お前……」


 口にした後で、ジっとハーラルを覗き込むカイゼルン。

 思わずハーラルは顔をそらした。皆の視線が自分に集まるのが分かる。いたたまれなくなり、「分かった!  彼女にはまた会う」と、捨て台詞を残して逃げるようにその場を去って行った。

 リッキーが呆れた顔で呟く。


「あいつ……」

「何だか訳が分かんねえな。カイのトコに来たと思ったら、覇獣騎士団ジークビースツはいやがるわ、ゴートの皇太子までいるわ。こりゃあ一体何なんだ?」

「カイゼルン、貴方は彼が、ゴートの皇子だと知っているんですか?」


 カイゼルンの台詞にイーリオが反応した。


「ああ。前にゴートに行った時に見た事があってな。今より小っこい時分だったが、面影は変わんねえな」



 しかし、何故ハーラル皇子がここにいるのか。

 それに、リッキーとも知己のようであるし、一体何がどうなっているのか?

 当然ながら、カイゼルンはともかく、イーリオもその事を知らない。事情を知っていそうだったので、その事をリッキーに聞くと、かいつまんで(と言っても、だいぶ要領を得ないのだが)経緯いきさつを話してくれた。



「そんな事が……」

「ああ。妙な成り行きでな」

「あの氷の皇太子(イクプリンス)の育ての親……あの女性ひとが」


 イーリオが驚くのはともかく、どうやらバルタザールも、ハーラルの事はまだ聞いていなかったらしい。驚き、且つ先ほどの行いを悔いるように、皺深い眉間の眉根を寄せた。


「ゴート帝国の皇太子殿下とは……知らぬとはいえ、私は何たる粗相をしてしまったのか。これはいけませぬ。すぐさまサリを呼び戻さねば」

「いや、バルタザールさん。そいつぁ、構わねーと思うぜ」

「何故ですか? リッキー殿」

「アイツはお忍びっつーヤツで来てんスよ。ヘタにこっちが、〝皇子サマ〜〟ってなカンジで扱うと、どこからそいつが漏れちまうかわからねー。さっき言った追っ手みてーなヤツに巻き込まれるとも限らねーッスからね」

「?」

「あ、つまりあれです。ハーラル皇太子というのは伏せておいた方が何かと都合が良いので、特別に扱うのは良くない、と。そういう意味です。ですね? リッキー次席官ツヴァイター?」


 要領の得ないリッキーの説明に、イーリオが分かり易く意訳をする。

 イーリオの説明に、満足げに頷くリッキー。

 「成る程」と、バルタザールが首肯するのを見て、後ろのドグとシャルロッタは、リッキーとイーリオのやり取りを、久々に見たなぁ、という気分に浸っていた。

 その一方で、カイゼルンは、ハーラルとぶつかる前に廊下ですれ違った女性の事を思い出していた。


 ――歳はいってたが、なかなか乙な美人だったな。


 カイゼルンは中年といってもいい年齢だが、女性の守備範囲は老婆から十八歳まで、美人であれば誰でも良いので、当然サリも物色の対象として色眼鏡で観察したものだった。

 だが――。


 ――あの女……。


「で、どーだったんスか? カイゼルン公。カイ王子は?」


 カイゼルンの思考を遮るようにリッキーが問うたのは、カイゼルンがここへ来た成果の可否であった。つまり、メルヴィグ国王レオポルトに頼まれ、覇獣騎士団ジークビースツ 漆号獣隊ビースツジーベン主席官エアスターカイ・アレクサンドル王子を、王都に出仕させる事。それは即ち、彼が主席官エアスターとして復帰する事であり、謀反の嫌疑をかけられた漆号獣隊ビースツジーベンの無実を証明する事でもあった。

 思考を中断されたものの、それはそれで自分に関係ないと結論づけたカイゼルンは、すぐさまそれを忘れ、リッキーの問いに答えた。


 ……もしカイゼルンがこの時、彼の脳裏にかすめたものを検証し、皆に話していたら、後年の運命は大きく変わっていたかもしれない。

 しかし、今の彼らがそれを知るべくはずもなく、ましてや神の身ならざるものには、未来の事など到底分かり得るものではなかった……。


「カイの野郎ねえ……」


 思わず、口を曲げて後ろ頭を掻くカイゼルン。カイ王子は、カイゼルンが獣騎術シュヴィンゲンを教えた弟子でもある。それもあって、カイゼルンがカイ王子の説得に向かったのであったが……。


「駄目だ。ありゃあ」

「駄目って……カイゼルン公でも?」

「聞く耳を持たねえとか、そんなもんじゃねえ。思い詰めてるっていうか、凝り固まってるっていうか……。首根っこ捕まえて引きずり出しても駄目だな」

「……」


 武術の師というだけでなく、音に聞こえた〝百獣王〟カイゼルンの言葉であれば、さすがのカイ王子も耳を貸すだろうと期待したのだが、それでも王子の頑な心には届かなかったらしい。

 イーリオはリッキーと目を合わす。さて、どうするべきか。彼らとしても、これ以上手の打ちようがない。だからといって、説得は無理でしたと王都に引き返すなど、出来るべくもない。


「あの……少しよろしいでしょうか」


 そこでバルタザールが、何かを思い詰めたような表情で、おずおずと会話に割って入った。


「バルタザールの爺さん、何だ?」

「その、カイ王子の事で、ご相談したい事が……。皆様にも関係するかと……」


 カイゼルンが、思案顔で尋ねる。


「聞かせてくれ」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ