第五章 第八話(1)『家令』
覇獣騎士団の弐号獣隊 リッキー・トゥンダーが最初に言ったのは、懐かしいの一言でも、褒め言葉でもなかった。
「お、喧嘩でもおっ始めようってのか? いいぞ、やれやれ」
組み付きそうな格好のまま、イーリオとハーラルは固まり、声のした方に振り向く。
「よォ、イーリオ」
「リッキー……リッキー・トゥンダー次席官!」
戸口にもたれるような姿勢で、リッキーがニヤニヤと笑っている。後ろにはドグ。彼はシャルロッタの姿を確認して、安堵に胸を撫で下ろしているようだった。
「どうして? 何故ここに?」
ハーラルから手を離し、イーリオはリッキーと固く抱き合う。モンセブールの街で別行動をとって以来だ。わずか数ヶ月なのに、随分と久々に会ったような気がする。
「オメーを追いかけて来たんだよ。オレのジャックロックも、ドグのカプルスも、もうすっかり元通りだぜ」
「レオポルト王の書状は、カイゼルン公に渡しました」
「らしいな。陸号獣隊 から聞いたぜ。弟子入りも出来たってよ。で、そのカイゼルン公は?」
「それが、その……お城の中で道に迷って……。今は僕より先に、カイ王子の居室にいると思います」
「それならバルタザールさんに案内して貰おーぜ。いいッスよね?」
後ろに控えていたバルタザールが、相槌を打った。
「ハーラルはどうするよ?」
所在をなくしていたハーラルは、一瞬、途方に暮れた。
養母サリと再会し、詰問している最中に、イーリオとシャルロッタが部屋にひょっこり顔を出したのだ。どちらからというでもなく、互いに一目見た瞬間、何故かカッと頭に血が上り、今にも殴り掛からんとしていた。その矢先、絶妙の間合いでリッキーも姿を見せたのだ。
リッキーは、別に二人の騒ぎを聞きつけたわけではない。
彼は彼で、単純にバルタザールに挨拶をした後、そのままハーラルの待つ居室に戻って来ただけだ。
すると何故か、待っているはずのハーラルは、リッキーが再会しようとしていたイーリオと鉢合わせ、しかも殴ろうとせんばかりに掴み合っているではないか。驚くよりも、思わず囃し立てる気になったのは、リッキーらしいと言えばらしい。
ハーラルは気を鎮めようと、襟元を直して咳払いをする。
イーリオの顔を見た瞬間、何故だか彼自身も訳が分からず、殴り掛かろうとしたのは、思いがけない事であった。まるでコブラと出会ったマングースのように、条件反射的に襲いかかってしまったのだ。努めて冷静になろうと、彼は本来の目的であるサリの方に目をやる。
が、そこに、養母であり、この城の女中をしているサリの姿はいなかった――。
ハーラルは目を丸くする。
さっきまで。
さっきまで確かにそこにいたはずなのに、いつの間にやら姿を消している。
「サリ……ここにいた女性は?」
リッキーらの方に向き直って、焦りの滲んだ声で問うと、ドアの後ろに覗くバルタザールがそれに答えた。
「彼女なら、さっき廊下ですれ違いましたぞ。この時間だ、おそらく城内の厨房に行ったのでしょうな」
「厨房……」
鸚鵡返しで反芻すると、そのままハーラルは部屋を出て行こうとする。
「何処に行くんだ?」
リッキーが眉を傾げて問いかける。
「彼女に会いに行く」
「用事があって行ったんだろう? なら仕方ねー。今はここまでにしておけ」
「すぐに済む。そこをどくんだ」
「若者よ。彼女には彼女の役割がある。それは君の質問に答える事ではない。この城の主に仕える事だ。また改めて会ってくれんか?」
バルタザールがやんわりとした口調で、ハーラルをたしなめた。
「私には待つ事さえもどかしいのだ。頼む、もう一度会わせてくれ」
ハーラルの表情が険しくなる。イーリオは意外に思った。ゴートの国境で会った彼は、酷薄な貴族の顔と、獣性な支配者の両面を持った、同じ人間とも、もしくは同世代の少年とも思えぬような為人だったのに、ここにいるのは、まるで自分の映し鏡のような、必死な姿だったからだ。彼のこんな様を見る事になるとは……。
バルタザールが困惑気味に返答に窮していると、ハーラルは扉を強引に突き進もうとした。
半ば肩がぶつかる形で部屋を飛び出るハーラルだったが、出た矢先で、全身が何かがぶつかり、目が眩んでしまう。ハーラルが息の詰まる声を漏らし、立ちふさがった対象を睨むと同時に、全員も一斉にそちらを向いた。
「何だ……?!」
ハーラルの視線の先――。
片眼鏡を着けた彫りの深い顔立ちに、長い金髪を無造作に結わえた長身の男。
「カイゼルン公!」
思わずリッキーが叫んだ。
カイゼルン・ベル。当代最強〝三獣王〟の一人。〝百獣王〟の称号を持つ騎士。
今は普段の姿、彼のもう一つの〝顔〟、彼が営む獣猟団〝幻獣猟団〟の組合長の格好をしている。
「お、ヴァッテンバッハんトコの悪ガキじゃねえか。ってか、何だよ、こっちの坊主は? ……ん? お前……」
口にした後で、ジっとハーラルを覗き込むカイゼルン。
思わずハーラルは顔をそらした。皆の視線が自分に集まるのが分かる。いたたまれなくなり、「分かった! 彼女にはまた会う」と、捨て台詞を残して逃げるようにその場を去って行った。
リッキーが呆れた顔で呟く。
「あいつ……」
「何だか訳が分かんねえな。カイのトコに来たと思ったら、覇獣騎士団はいやがるわ、ゴートの皇太子までいるわ。こりゃあ一体何なんだ?」
「カイゼルン、貴方は彼が、ゴートの皇子だと知っているんですか?」
カイゼルンの台詞にイーリオが反応した。
「ああ。前にゴートに行った時に見た事があってな。今より小っこい時分だったが、面影は変わんねえな」
しかし、何故ハーラル皇子がここにいるのか。
それに、リッキーとも知己のようであるし、一体何がどうなっているのか?
当然ながら、カイゼルンはともかく、イーリオもその事を知らない。事情を知っていそうだったので、その事をリッキーに聞くと、かいつまんで(と言っても、だいぶ要領を得ないのだが)経緯を話してくれた。
「そんな事が……」
「ああ。妙な成り行きでな」
「あの氷の皇太子の育ての親……あの女性が」
イーリオが驚くのはともかく、どうやらバルタザールも、ハーラルの事はまだ聞いていなかったらしい。驚き、且つ先ほどの行いを悔いるように、皺深い眉間の眉根を寄せた。
「ゴート帝国の皇太子殿下とは……知らぬとはいえ、私は何たる粗相をしてしまったのか。これはいけませぬ。すぐさまサリを呼び戻さねば」
「いや、バルタザールさん。そいつぁ、構わねーと思うぜ」
「何故ですか? リッキー殿」
「アイツはお忍びっつーヤツで来てんスよ。ヘタにこっちが、〝皇子サマ〜〟ってなカンジで扱うと、どこからそいつが漏れちまうかわからねー。さっき言った追っ手みてーなヤツに巻き込まれるとも限らねーッスからね」
「?」
「あ、つまりあれです。ハーラル皇太子というのは伏せておいた方が何かと都合が良いので、特別に扱うのは良くない、と。そういう意味です。ですね? リッキー次席官?」
要領の得ないリッキーの説明に、イーリオが分かり易く意訳をする。
イーリオの説明に、満足げに頷くリッキー。
「成る程」と、バルタザールが首肯するのを見て、後ろのドグとシャルロッタは、リッキーとイーリオのやり取りを、久々に見たなぁ、という気分に浸っていた。
その一方で、カイゼルンは、ハーラルとぶつかる前に廊下ですれ違った女性の事を思い出していた。
――歳はいってたが、なかなか乙な美人だったな。
カイゼルンは中年といってもいい年齢だが、女性の守備範囲は老婆から十八歳まで、美人であれば誰でも良いので、当然サリも物色の対象として色眼鏡で観察したものだった。
だが――。
――あの女……。
「で、どーだったんスか? カイゼルン公。カイ王子は?」
カイゼルンの思考を遮るようにリッキーが問うたのは、カイゼルンがここへ来た成果の可否であった。つまり、メルヴィグ国王レオポルトに頼まれ、覇獣騎士団 漆号獣隊の主席官カイ・アレクサンドル王子を、王都に出仕させる事。それは即ち、彼が主席官として復帰する事であり、謀反の嫌疑をかけられた漆号獣隊の無実を証明する事でもあった。
思考を中断されたものの、それはそれで自分に関係ないと結論づけたカイゼルンは、すぐさまそれを忘れ、リッキーの問いに答えた。
……もしカイゼルンがこの時、彼の脳裏にかすめたものを検証し、皆に話していたら、後年の運命は大きく変わっていたかもしれない。
しかし、今の彼らがそれを知るべくはずもなく、ましてや神の身ならざるものには、未来の事など到底分かり得るものではなかった……。
「カイの野郎ねえ……」
思わず、口を曲げて後ろ頭を掻くカイゼルン。カイ王子は、カイゼルンが獣騎術を教えた弟子でもある。それもあって、カイゼルンがカイ王子の説得に向かったのであったが……。
「駄目だ。ありゃあ」
「駄目って……カイゼルン公でも?」
「聞く耳を持たねえとか、そんなもんじゃねえ。思い詰めてるっていうか、凝り固まってるっていうか……。首根っこ捕まえて引きずり出しても駄目だな」
「……」
武術の師というだけでなく、音に聞こえた〝百獣王〟カイゼルンの言葉であれば、さすがのカイ王子も耳を貸すだろうと期待したのだが、それでも王子の頑な心には届かなかったらしい。
イーリオはリッキーと目を合わす。さて、どうするべきか。彼らとしても、これ以上手の打ちようがない。だからといって、説得は無理でしたと王都に引き返すなど、出来るべくもない。
「あの……少しよろしいでしょうか」
そこでバルタザールが、何かを思い詰めたような表情で、おずおずと会話に割って入った。
「バルタザールの爺さん、何だ?」
「その、カイ王子の事で、ご相談したい事が……。皆様にも関係するかと……」
カイゼルンが、思案顔で尋ねる。
「聞かせてくれ」




