第一章 第五話(終)『義憤』
ドグは困っていた。
それは、自分の作戦が成功した事による、思いがけない副産物であった。
銀髪の少女を攫うという話は、山賊の頭、ゲーザから聞いた。しかも報酬は、金貨で一〇〇〇オーレだという。それを聞くや否や、ドグは喜び勇んで山を駆け下りた。
一〇〇〇オーレもあれば、こんな生活ともおさらば出来る。山賊団相手に盗品を売ったり、情報を売ったり、時には手を貸すのも、そろそろ飽きてきた。それに、山賊の仲間に入った所で、将来は知れている。ならば、その一〇〇〇オーレを手にして、いっその事……! と考えるのは、決して無理からぬ事であった。
そこでドグは、山賊団の先回りをして、銀髪の少女と銀毛の鎧獣という目立つ捕獲対象を見つけ、早々に実行に移したのである。
あの、銀狼の鎧獣騎士には、少々肝を冷やしたが、この〝カプルス〟の足に追いつけた鎧獣は、未だかつていない。
単純な速度であれば、大山猫よりも速い動物はごまんといる。だが、市街地や山間部などといった複雑な地形において、小型の鎧獣である大山猫のすばしっこさは、他の何者にも負けはしなかった。ましてやここは、勝手知ったるホルテの町である。何処に何があるか、目をつぶっていても分かろうというものだ。なので、銀狼の鎧獣騎士をまくことなど、彼にとっては簡単な仕事であった。
だが、目的の銀髪の少女を肩からおろし、自身も鎧化を解いて、改めて彼女を見た時、彼の心は一瞬にして恋の神々の虜になってしまったのである。
大山猫の高速移動に耐えきれなかったのだろう。彼女は気を失っているようであったが、その寝顔は、まさに天使の化身が眠りの花園で休んでいるかのようであった。
……のように見えた。
少なくとも、彼の両の瞳には、である。
いわゆる一目惚れというやつだ。
とはいえ、彼も十八歳。今まで女性に全く縁がなかった訳ではない。だが、背が低いという見た目の劣等感もあり、また、彼自身、背の低さと同じくらい、見た目も童顔であったが故に、女性そのものに打ち解けた事はなかった。
自然、〝女〟を知ろうとすれば、花街の商売女という事になる。町の女どもは、同年代も年下も、年増であっても、皆一様に、彼を幼く扱う。また、それがわかっていたからこそ、最初から彼自身、打ち解けるつもりはなかったのかもしれない。
そんな、若くしてすれっ涸らした精神を有するドグのはずなのに、この銀髪の少女は、彼の心を一瞬で鷲掴みにして、離さなくしてしまった。
まあそれは、ドグの一方的な思いでしかないのだが。
顔を青ざめて眠る少女の姿に、ドグは人知れず罪悪感を覚えて、フロイエン山の森の中で、どうするべきか右往左往していた。
彼の鎧獣も、心配げに、喉を鳴らす。
すると、草むらに横たわっていたシャルロッタが、不意に小さな声を絞り出して、重そうに瞼を動かした。目覚めようとする少女に、ただただ狼狽えるドグ。
シャルロッタはゆっくりと目を開け、目の前に居るターバン状に頭に布を巻いた見知らぬ少年と、大山猫の鎧獣を認めた。
「あなた……誰……?」
目をこすりながら、周囲を見回す。
「お……オレは、ドグ。こ、こっちは、カプルスってんだ。おめえは?」
「あたしは……シャルロッタ。――ねえ、イーリオは? イーリオはどこ?」
「イーリオ……? ああ、おめえと一緒に居た、あの狼の騎士か。アイツなら今頃、くたばってんじゃねえかな。お頭の鎧獣にかかりゃあ、あんな狼ごとき、ひとたまりもねえからよ」
「くたばる……? ……ううん、イーリオは死なないよ。だって、あたしを守る騎士だもの」
その言葉に、ドグは二人の揺るぎない絆のようなものを(勝手に)感じ、内心、かなりの衝撃を受けた。
無論、シャルロッタの言葉に、そんな深い意味は微塵もなかったのだが、恋は人を盲目にするという例えどおり、ドグには自分の初恋が音をたてて崩れるような錯覚を(一方的に)感じたのであった。
「そ……、た、例えお前の騎士様だろうが、お頭にゃぁ、勝てねぇぜ。何せあの男は、元々、名のある騎士団の団長だった男だからよ」
「ううん。あたしにはわかる。イーリオとザイロウは生きてる。生きて、あたしに向かって、来ているの」
衝撃の次に追い打ちの一撃。
何だよ……! そこまでデキてんのかよ……!
「ねえ、お兄さん」
「は?」
「お兄さんは、何でそんなイジワル言うの?」
いつものシャルロッタの「何で?」であった。だが、ドグは、質問の意味よりも、彼女の言った言葉に、先ほどとは違う意味の衝撃を受けた。
「え? 今、何て……?」
「何でそんなイジワル言うの?」
「い、いや、そうじゃなくて、その前、前!」
「……? 前? イーリオとザイロウは生きてる……?」
「そ、それよりも後! 後! もう少し後! 俺の事、何て言った?」
「……? ――お兄さん?」
十八年間生きてきて、初めて呼ばれる言葉。
お・に・い・ちゃ・ん
脳内で勝手に呼び方を変換した事は、この際どうでも良かった。
甘美な響きに、一人うっとりと顔を上げると、すぐさまシャルロッタに駆け寄り、彼女の手を握って、顔を近づける。
「な、何で、何で俺をおにいちゃんだなんて?!」
「? ……。だって、あなた、あたしよりお兄さんみたいだから。だからお兄さん」
完璧な答え。
これだよ、コレ! こんないいコに会いたかったんだ、俺!
幼い頃より、人一倍背が低く、同年代どころか、年下のガキにまでタメ口をきかれる自分が、生まれて初めて年上扱いされた。
坊や、とか、小僧、とか、チビ、とか、その手の蔑称は、自分とひとくくりについてくる名刺のようなものでさえあり、そう呼ばれるたびに、ドグは、自分を馬鹿にした人間全員に、ほのかな憎しみを抱いていた事は、誰も知らない。反面、いつかどこかで、自分の事を外見じゃなく、中身で見てくれる真の理解者が現れるはずだと、心に理想を抱いていたのだが、まさにその理想の存在と、今この瞬間に巡り会えるとは!
ドグが一人うっとりとしている理由なぞ、シャルロッタは知るはずもない。
だが、彼が我を失っている事が、この場合、二人を予期せぬ事態へと招いていった。
ドグの背後より、一人の大きな人影が現れる。それは、更に大きな影を引き連れ、ドグ達へと近付いていった。それにドグが気付いた時には、もう遅かった。
「よう、ドグ。お手柄だったな」
声の主は、山賊団の頭目――ゲーザと、その鎧獣のヒグマであった。
自分とした事が、まさか近付いてくる気配に気付かないなんて!
ドグは、己の常ならぬ油断が生んだ失態に、内心、舌打ちを禁じ得ない気持ちとなる。
「……よう、お頭」
だが、不敵な面構えを、その面上にさっとのぼらせると、ドグはいつもの盗賊〝山猫のドグ〟の顔に瞬時に切り替えた。
「さすがだよ。俺の見込んだガキなだけはある。さて……ドグ君」
「……」
「話は分かるな? その娘、こっちに渡してもらおうか」
傍らのヒグマが、いつも以上に獰猛な野生の気を放つ。
「いいけどよ……勿論、俺の取り分はあるんだろうな?」
「ははっ、そらぁ勿論だとも。お前は今回最大の功労者じゃねえか。ケチくせえこたぁ言わねえぜ。……そうだな、金貨一〇〇オーレはお前の分だ」
自分が捕まえた獲物のはずなのに、取り分はたったの十分の一。
――充分すぎるほどケチくせえじゃねえか!
相手への怒りよりも、ゲーザが近付く気配に気付かなかったという己の失態に、反吐が出るほどの怒りを覚えるドグ。だが、逆らったところで、ゲーザの鎧獣相手に、自分が勝てる可能性は、万に一つもない。ドグは為す術無く、一方ゲーザは歩みを進め、銀髪の少女へと近付いていく。
咄嗟にドグは、彼女の方を向き直ると、両腕を彼女にまわし、両手首に戒めをかける。
その際、耳元で小さく囁いた。
「あ? ――おめぇ、今、何した?」
ドグは素知らぬ顔で振返り、彼女の両手首を見せた。
「こいつを縛ってたんだよ。その方がいいだろう?」
ゲーザは、少し眉間に皺を寄せるが、構わないといった風に呟いた。
「ふん……まぁ、いいだろう」
銀髪の娘をヒグマの背に乗せ、ゲーザはゆっくりと山道を登っていった。
「そうだ、ドグ。あの黒服の別嬪の姉ちゃんが来たら、おめえも来りゃあいい。そしたら、金はその場で渡してやるぜ。まぁ、要らねえってんなら、来なくていいがな」
ガハハと、大口を開けて笑いながら、振返りもせずに立ち去る山賊。
――何が要らねえ、ってんだよ! クソケチ野郎め!
去って行く方向を、射殺すような目つきで睨みつけるドグ。
クマの背に乗せられた少女は、彼の方をじっと見ていた。
――ちょっとの間、我慢してくれ。俺が必ず助けてやる。
あの時、ドグはそう言った。
こんなイイ子を、奴らの汚い手に委ねてなるものか! ましてや、あんな胡散臭い女に売るだなんて!
当初の目的はどこへやら、ドグは心の中で、義憤の炎を人知れず燃やしはじめていた。




