第五章 第六話(6)『暴血爆心』
最初に気付いたのは、密かに〝感覚鋭敏〟の獣能を発現させていた、ドグであった。死に直面して感覚が麻痺したか、それともさっきの〝絶叫唱撃〟の後遺症がまだ残っていたかと思ったが、そうではなかった。
次にはハーラルを含め、全員が気付いた。
誰かが思わず口にする。
「森が……?」
街道を取り巻く樹々が、微かに震動していた。
それだけではない。不死騎隊が表れた時に似て、野鳥の群れが飛び立ち、小動物が動く気配がする。
敵味方問わず、全員が視線を一方に向けた。
森の木が、吹き飛んだ。
人間二人分はありそうな太い木の幹が、唸りを上げて、こちらに飛来してくる。
「!」
不死騎隊の数騎が即座に反応し、こちらの頭上を犯そうとする樹木を、腕力だけで弾き跳ばした。人間では到底無理な所業だが、人の外にある鎧獣騎士なればこそ、可能な技。
だが何故、森から木が降ってくる?
その疑問に答えを見つけるより早く、またしても大樹がこちらに飛来してくる。それも、二本、三本と。不死騎隊のアムールトラが、次々とそれを防いだ時、森の一部が、弾け飛んだ。
距離はあったし、余裕もあった。
それでも、吹き飛ばされた樹木のように、数騎の人虎が弾け飛んだのは、純粋に、力の差だった。
砂塵が濛々と立ち昇るのは、両足の蹄が大地を蹴立てたから。
すぐさま不死騎隊の一騎が、〝それ〟の頭上より襲いかかるが、音が後からついてくる速度で、無造作に吹き飛ばされる。地面に落下した時には、人虎の体は中央から無惨にへしゃげていた。
「おう! 大丈夫か?」
聞き慣れた声。野太く、雄々しく、頼もしさに溢れた男のもの。
「ロドリゴ!」
ハーラルは我が目を疑った。
力強く前方に突き出した、両角を持つ、万夫不当の原牛騎士。牛頭人身の〝アウンズブラ〟が、大地に屹立していた。
はぐれたはずの傭兵が、目の前にいる。同じように敵も焦ったのだろう。この機でハーラルの仲間が表れるなど、何故だ、と。
「デカい音がしたんで、よもやと思ったが、本当に殿下がいるとはな。しかも、こりゃあ一体何だ? 蹲ってるのは覇獣騎士団のじゃねえか? どういう状況だ?」
ロドリゴの言うデカい音とは、ジャックロックの放った〝絶叫唱撃〟であろう。まさかそれが、ロドリゴをここに呼び寄せる報せになるとは――。
憎々しげに歯ぎしりする、三番隊隊長のルーベルト。一方で、隊を率いる二番隊隊長のロベルトは、これに全く動じていなかった。
予想だにしなかった状況だったが、それでも三騎対十数騎。数の圧倒的有利は変わらない。その事を抑揚のない声音で部隊に告げると、不死騎隊二番隊もよくわかったもの。浮き足立ちそうな空気は瞬時に沈静化し、勝利の殺意が、ハーラル達を押し包んでいった。
だが――。
力感漲る人牛の騎士は、この絶望的な危地を前にして、不敵にも呵々と笑った。
「数を頼みにするなど、不死騎隊とやらも、とんだ名前だけの連中だな。殿下も殿下よ。大層な騎獣を持っていながら、鎧獣騎士の何たるかを分かっとらんとは――」
ロドリゴと彼の〝アウズンブラ〟は、確かに尋常ではない実力を持っている。だが、これはどう見ても窮地ではないかと、ハーラルは首を傾げた。
敵味方、双方共に、この突然割り込んだ傲岸不遜な人牛の言を、大胆というより、呆れたのだろう。
そしてそれを、ロドリゴは無言の態度で感じとった。
「どうやらここに、真の騎士はおらんようだな。これなら、俺一人で全員を相手してやれそうだ」
鍬形のような四本の刃物が先端に付いた、武骨な鎚矛。それを構え直し、ロドリゴ=アウズンブラは、人牛の中で、不敵に微笑む。
「教えてやろう。一騎当千の鎧獣騎士において、闘いの趨勢を決するは、衆の数にあらず! 騎士の実力のみである!」
「ほざけ」
言うが早いか、不死騎隊が一斉に踊りかかった。まるで覇獣騎士団のように連携のとれた、無駄のない動き。誰がどう見ても、人牛の最期にしか見えなかった。
ロドリゴが叫ぶ。
「〝暴血爆心〟!」
一瞬で、全員が弾け飛ばされた。
巨躯。それも、肉食獣でも大型を誇るアムールトラ。
その鎧獣騎士の巨体が、一閃で薙ぎ倒された。
それも、数体も、同時にである。
アウズンブラの全身から、太い血管が、いくつも浮かび上がっている。
ドクドクと音まで聞こえてきそうなほどの威容である。息も荒い。と、思ったら、大きく開いた鼻孔の片方から、たらりと血がしたたり落ちる。
傷を受けたのか? とハーラルは一瞬思ったが、そうではない。
滾りすぎる血潮が、アウズンブラの全身を、暴れ牛のように、駆け巡っているのだ。
次の瞬間、大地が沈んだ。
両足による跳躍。
それだけで、固い大地の一部に、大きな地割れが起きたのである。
両角による、何の変哲もない、ただの突進。だが、どんな矢よりも鋭く、どの破城槌よりも暴威を有した、厄災の如き、角突撃。
まるで肉塊が串刺しになるように、数体の人虎が、同時に原牛の角の餌食となった。連なるように腹に穴を空けられ、角が突きたったまま、大地を疾走していく。巨石に激突し、そこではじめて、人虎の体は角突撃から解放され、あの世へと旅立っていった。巨石には、大きな亀裂が走っている。
だがそれでも、原牛の勢いは止まらない。ひと時も息をつかず、竜巻のような無尽蔵ぶりで、攻撃の手を休めないし、その速度、その膂力は、人智を遥かに超えていた。
――これが……ロドリゴの獣能。
ハーラルは驚嘆した。
あの不死騎隊が、まるで紙切れのように吹き飛ばされていく。
ここで、いつその姿を消し去ったのか――。
意識が人牛の戦いぶりに向いている隙に、ロベルトが気配を断ち、ハーラルの背後にまで迫っていた。
大鎌の無慈悲な刃が、皇太子の命を刈取ろうと閃光が奔る瞬間、一瞬早く、ドグ=カプルスが、ティンガル・ザ・コーネの巨体を突き飛ばした。勢い余って、カプルスの横っ腹が、大鎌の刃によって深々と切り裂かれる。
「ドグ!」
ハーラルが叫んだ。
カプルスの獣能、五感を鋭くする〝感覚鋭敏〟が、いち早く、ロベルトの挙動を察知したのである。
正に九死に一生を得たハーラルだったが、ドグはそのまま地に伏せてしまった。
「卑劣な!」
怒りが沸き起こる。ドグは出会ったばかりだし、恨まれていこそすれ、恩義など何一つないはずなのに、それでも自分を庇ってくれたのだ。
氷の皇太子と異名をとるハーラルが、怒りに染まるのも無理からぬ事。
「卑劣? 笑止だな」
それが己の役割だと言わんばかりに、ロベルトは暗紫色の死神鎌を、大きく振りかぶった。
一瞬遅れたハーラルが「しまった!」と気付いた時にはもう遅い。
だが大鎌の刃は、そのまま後方に大きく弾き飛ばされる。
「!」
原牛騎士の鎚矛が、鎌を防いだのだ。
二十倍近い数の人虎達を相手にしながら、その包囲網を突破し、ハーラルを助けるという豪傑ぶり。
感情を表さないロベルトまでも、言葉を失う。
「貴様……!」
だが、アウズンブラは止まらない。
血管がさらにビキビキと浮き上がり、鼻血を息のように噴き出しながら、人牛の鎚矛は、暴風の如き猛威で、暗紫色の髑髏を纏った人虎へと殺到した。
防御などまるで意味をなさない、圧倒的な爆発力。
アムールトラのしなやかな肉体と骨殻がなければ、大鎌ごと潰されていたであろう。
かろうじて猫科の回転で、着地を果たすロベルト。
「兄者ッ!」
叫ぶルーベルト。
この時のロベルトの決断は早かった。
「全騎、撤退せよ! 退け!」
言うが早いか、ロベルトは、蹲るルーベルトを腋に抱え、彼自身も後方に跳躍をする。
「兄者! どういう事です!」
「ここまでだ。暗殺者が正面切って戦えるものではない」
「そんな!」
弟の抗議を無視し、全速で駆けるロベルト。それの盾となって防ぎつつ、息のあった不死騎隊達も、全員が即座に退いていった。
息を荒げながら、ここではじめて、アウズンブラは動きを止めた。そのままゆっくりと血管が収縮し、消えていく。
彼の獣能も、ここまでだという事であろう。




