第五章 第六話(5)『死神虎』
ティンガル・ザ・コーネが、背中から生えた腕の一本を高々と振りかざす。
獣能とは、鎧獣騎士の体の一部を、異能化させる力であり、場合によっては本体の受けた瑕疵に影響されにくい。ティンガルが副腕を用いたのも、それならばフラつく四肢と違って、仕留め易いと判断したからだったが、それはつまり、敵も同じ事が言えた。
何かが走った。
雷の如き閃き。
直後、振り上げたティンガルの副腕から、何かが落ちる。
副腕の拳から先が、斬り取られていた。こぼれる血。落ちたのは剣を手にしたままの掌。
「――!」
副腕な上に、鎧獣騎士なので痛みはなかったが、それ以上の衝撃があった。
彼を攻撃したのは、ルーベルトの纏うアムールトラの尻尾。
通常の何倍も長く伸び、刃の鋭さで、ティンガルの腕を切断したのだ。
――こ奴の獣能か!
鎌首をもたげた蛇のように、意思をもってこちらを威嚇する尻尾。もし、副腕ではなく自分の腕で攻撃していたらと思うと、ぞっとするハーラル。恐るべきは、敵鎧獣騎士。この状況にあって、未だに近寄る事が出来ないとは。
「まだだ……まだ、負けたわけではないぞ」
呻くような絞る声で、ルーベルトは呟いた。
だがそれでも、最後の悪足掻きとしか言えなかった。誰がどう見ても、決着は明らかだ。
「大したモンだが、観念するんだな。オメーみてーな暗殺部隊は、始末が悪ィ。フツーなら見逃してやりてーが、そうすりゃあ、後からまた仕掛けてくるに違いねえ。ここでカタを着けさせてもらうぜ」
リッキーの言葉にハーラルも頷く。
彼もまた、命を狙う相手に、こちらが慈悲をかける必要などないと決断したのだ。
「止せ……やめろ。まだだ……」
それでもルーベルトは、呻き声をあげた。
往生際の悪い台詞に、ハーラルも、側に近付くドグも、若干白けてしまう。しかしリッキーは、何か違和感に気付く。
「……?」
それが命運をわけた――。
体を仰け反らすジャックロック。
冷たい殺意が、彼を襲った。
瞬間――、仰向けに尻をつくと、人豹の喉元から鮮血が迸った。
光粉混じりの血が、人豹騎士の胸元を赤く染める。
「兄貴!」
「!」
ドグもハーラルも、硬直する。
リッキーは、深く喉を斬られたのだろう。片手で傷口を押さえ、一方の手で、大丈夫だと指し示すが、どう見ても浅傷はない。しかし、咄嗟に体を仰け反らせた事で、ギリギリの所で、リッキー本体の致命傷には至っていなかった。もしあの時条件反射しなければ、今頃彼の首は、鮮血を噴き上げて足元で転がっていただろう。
すぐさまルーベルトを見るが、彼の尻尾ではない。そんな動きではなかった。
「ほう。あれを見切るとは、さすが〝炎の音撃〟、ジャックロックだな」
声がした。
翳りをもたらした、春曇りからの声のような、不気味な天からの囁き声。
灰色の景色に、まるで滲み出すように巨きな影が浮かび上がってくる。
暗紫色の髑髏の授器。
死神鎌を手にした、悪霊にも似たアムールトラの獣人。
「ロベルト兄……、まだだ。まだ俺は」
くらくらと片膝ついて揺れるルーベルトの言を、何もない所から姿を表した人虎は、大鎌の武器授器の挙動で遮った。
「順序が逆だ。まず始末すべきは、〝炎の音撃〟の方だった。ルーベルト、だから他国の軍容もよく学んでおけと我らが兄上も言っていたであろう」
暗紫色の髑髏を持つ人虎騎士は、ルーベルトの兄、ロベルト・ウルリッヒ。
「お前の〝イルベガン〟は、しばらくそのままだ。〝炎の音撃〟の獣能をまともに食らえばそうなる。まあ、その獣能も、もう使えはせんがな」
ロベルトの言う通り、ジャックロックの傷は浅くなかった。リッキー本体にも及ぶほどの深傷。戦闘はおろか、このままだと強制的に鎧化が解除されかねない。治癒機能を頼みに回復するには、このまま凝としているしかなかった。つまり、リッキーは戦えないという事。
そしてその言葉が終わらない内に、地から這い出るような格好で、次々に新たなアムールトラの人虎騎士達が、その姿を表した。その数、およそ二十騎ほど。
――全員が潜んでいた? まさか、マルガの能力の、上をいくってのか……?!
固唾を飲むリッキー。彼がロベルトの不意打ちを避けれたのは、それに似た技を知っていたから。それと同じ気配を察知したからこそ、彼は致命傷を免れ得たのだ。
状況は逆転した。
二対二〇。
それだけではない。カプルスもティンガル・ザ・コーネも、相当に消耗している。
「ここまで不死騎隊を追い込むとは、覇獣騎士団はともかく、さすがクヌート帝より伝わる〝氷の貴公子〟だな。まさかその旗幟鎧獣を、この手にかけねばならんとは……。皮肉なものだ。――だが、我らが、己が忠義に背く事、断じて罷りならん」
ロベルトの独語を、ハーラルは聞き逃さなかった。
「忠義だと? 皇帝家に刃を向けて、何が忠義か」
吐き捨てるように叫ぶハーラル。だが、アムールトラをその身に纏っているからだけでなく、ロベルトの佇まいに変化はなかった。冷静――というより、冷血そのものだった。
「ハーラル。殿下であった者よ。我らが忠義を示すに、貴様はない」
これには、ハーラルのみならず、リッキーも聞き咎めずにはいられない。
「てめーの主君を主じゃねえだと。てめーに忠義を語る資格はねえ。ただの悪党だ」
ゴボゴボと血が音を鳴らすのも構わず、リッキーは思わず声を荒げる。彼とて主に忠義を示す、一人の騎士だ。敵とはいえども、不忠の輩には黙っていられなかったのだろう。
「他国者は口を挟まんでもらおう。さて――」
もうこれ以上の無駄口は必要なし。
それを言うのすら無駄だとばかりに、ロベルトは部隊に合図した。
万事休す――。
ここまでか。
あとはどれだけ悪足掻きをしてみせるか。こうなったらとことんまで歯向かってやろうと、ハーラルは捨て鉢になる。皮肉にも、そう思うと幾分か心持ちが軽くなった。




