第五章 第五話(終)『髑髏人虎』
三体は不気味なまでに姿勢を低くしている。そのお蔭で、手にしているはずの彼らの武器授器が何であるか、草むらに隠れて手元が見えない。通常の鎧獣騎士と異なる、異常なまでの低姿勢は、まるで虎そのものの挙動と酷似していた。
「でも、何で――? こいつらの方が、先に国境を超えたとでも? そんな馬鹿な」
ハーラルが疑問に思うのも当然の事。
こんな異様で不気味な鎧獣達が、安易に関所を抜けれる訳がない。かといって、山間部を超えようとすれば、自分達より先んじれるはずもなかった。
しかし、現実に目の前に、彼らはいた。
――どうして?!
岸壁の上。その更に向こう。ハーラルが気付いていない位置にいるその男は、ハーラルの問いに対する答えを持っていた。何故なら、先回りしてここに待ち伏せを指揮した、張本人だからだ。
男は、傍らにいる一人に声をかける。
「あの原牛が、報告にあった奴か」
一人の部下が、かしずいて答える。
「はい。トゥールーズの一個部隊を単騎で殲滅したとか」
男は片頬を歪ませて笑うと「そうか」と独語した。
ブリッゲンの山道を超えようとすれば、それなりの準備もいるし、日数も馬鹿にならない。いや、そもそも超えようとする事自体に無理がある。そんな事は誰しもが知っている。
普通の人間ならば――である。
だが、彼ら不死騎隊は、人間ではなく、鎧獣騎士となって、山越えをしたのだ。
シベリアタイガーの敏捷さと登攀能力があれば、それはさほど難しい道のりではない。
では、何故他の者がそれをしないのか。
理由は簡単で、そんな事をすれば鎧獣の体力が底を尽き、山越えを終えた時点で、鎧獣騎士になれなくなってしまうからだ。山越えは、さすがの鎧獣騎士でも、ネクタル消費が半端ではない。超えるだけで精一杯になってしまう。体力の回復を待てば、どのみち普通に登攀したのと変わりない結果になるだろう。
しかし、彼ら不死騎隊は、それを苦もなくやってのけ、あまつさえ、これから戦闘に移ろうとさえしていたのだ。
彼ら不死騎隊は、ただの部隊ではなかった。
彼らは特殊部隊。
中の駆り手のみならず、騎獣の鎧獣でさえ、飲まず喰わずで数日も活動出来る訓練を受けている。それゆえ、彼らは〝不死〟の名を冠しているのだ。
「我々も加勢を致しましょうか?」
先ほどの部下が、男に問う。
「いや、待て。バイソンの群れの動きだけで、我々の待ち伏せを看破した男だ。ここは手堅く一旦様子を見るぞ」
男はまだ若かった。その年齢で隊を率いるというのだから、相応の実力があるのだろう。だが、それ以上に、側頭部を刈り上げて、中央に残った赤毛を逆立てたその異様な風体が、まず最初に目につく。顔にほどこした刺青も、奇抜である事この上ない。
岸壁の上から凝と観察されている事も知らず、ハーラルは髑髏の人虎達の動きに集中していた。
鎧獣の格で言えば、ティンガル・ザ・コーネの方が上だ。性能的にもこちらが有利。それに、ハーラルとて研鑽を積んできた獣騎術がある。臆する事なく落ち着いて対処すれば、二対三でも勝機は充分にあった。
しかし、機先を制するように、肩を並べるロドリゴがこう言った。
「折角だしな、お前さんも一騎ぐらい相手にするか?」
「え?」
「お前の正面にある左側、あれを相手しろ。俺は残り二騎を片付ける。行くぞ」
言うが早いか、巨大な人牛騎士となったロドリゴが、両足を蹴立てて突進をかけた。
瞬時に左右に散る髑髏の人虎。素早さで言えば、やはり虎の方に分がある。
――かに見えた。
躱されたかに見えた人牛騎士だが、そこから更に速度をあげて猛追する。
前方にせり出した両角が、空を裂く音をあげ、人虎の一体を直撃した。
掬い上げるように跳ね上げられるシベリアタイガーの人獣。布切れのように宙を舞う様は、この一撃が致命傷に近い攻撃だった事を物語っているかに見えた。
だが、そう見えたのも束の間、そこは大型猫科の鎧獣騎士。空中でくるりと体勢を整えて地に降り立つと、手にした三日月刀を翻し、斬撃の姿勢に移った。
その直後、視界の外から襲った横殴りの一撃が人虎の全身を叩き、そのまま八ヤードほど前方に吹き飛ばされる。
十を数える間もないほどの、寸瞬に起きた攻防に、ハーラルは呆気にとられた。
その隙を縫うように、ひりつくような殺気がハーラルの神経を叩いた。咄嗟にハーラルの体は自然と後方に跳び退り、円月刀アルマスを構える。
毛先を掠めるように、ギリギリの薄皮一枚で、不死騎隊の三日月刀が、空を斬った。
――油断した!
戦場で気を抜くなど、有り得べからざる事だと腹を据え直し、ティンガル・ザ・コーネの力を、全身に漲らせる。
即座に、地を這うような低姿勢で、髑髏の人虎が彼に肉迫してきたが、ハーラルはこれを冷静に躱した。
成る程、さすがは覇獣騎士団とも互角以上に渡り合うという不死騎隊だ。流れるような攻撃の波とその鋭さは見事と言う他ない。しかし、ハーラルを鍛えたのは、帝国最強騎士団の団長達だ。
このスピードとて、〝荒鷲〟ギオルの剣速に比べれば、どうという事はなかった。
だがそれでも、敵の攻撃に付け入る隙はなかなか見当たらず、息切れする間もないほどに、淀みなく剣撃を続けてくる。
――隙がないのなら、作ればいい。
ハーラルに武術を教えたギオルの言葉が蘇る。
誘うように、わざと大振りの一撃を放ち、意図的に体勢を崩す。敵はそれを好機と捉え、力の入った攻撃を送ってきた。
――かかったな!
ハーラル=ティンガル・ザ・コーネは、虎特有のしなやかな体幹制御で上体を跳ね上げ、円月刀を逆袈裟に斬り上げた。
不死騎隊の胸から下顎にかけて血飛沫が上がり、そのまま二、三歩後方にたたらを踏んだ。間髪入れずに、ティンガルがとどめの一撃を、叩き付けるように斬りつけた。
どう、と音をたてて地に伏せる髑髏の人虎。
肩で息をつくと、ロドリゴがどうなったかが気になり、顔をあげて視線を走らせる。
「いい腕じゃないか」
鎚矛を肩に担いだ姿勢で、ティンガルよりも一回り以上に大きいアウズンブラが、ロドリゴの声で彼を労った。その足元には、髑髏の授器ごと頭部を粉砕された、もう一体の不死騎隊がいた。
宣言通り、二騎を相手取ったのだ。それも、何の苦もなく。
「さぁ、行くぞ」
言葉の出ないハーラルを気付けるように、ロドリゴが声を上げた。
「行く?」
「崖の上でコソコソ見てる奴もいるしな。さっさと行く事にするぞ」
ロドリゴの言ってる意味が分からないまま、ハーラルは鎧化した状態で、ロドリゴ=アウンズンブラにつられるように、その場から駆け出した。
まるでギオルと共に修練に励んでいる一場面のような――それは不思議な感覚だった。
岸壁の上にいた男達は、驚きを隠せなかった。
赤毛の若者ですら、呻き声しか出てこない。やがて、我に返ったように舌打ちを一つすると、若者は部下に命じた。
「死体を始末しろ。お前とお前、二人は奴らの後を追え」
部下の二人が「はっ」と応じると、彼らは音も立てずにその場から姿を消した。
親指の爪を噛み、苛立たしげに若者は考える。
一筋縄でいかないと思ってはいたが、まさかこんな邪魔者が表れるとは――。
とんでもない腕力とスピードで一騎を仕留めたあの人牛は、続けざまにもう一騎も叩き潰した。力押しと言えばそれまでだが、そのケタが違う。さながら竜巻のような暴威と破壊力を伴って、精鋭揃いの不死騎隊の騎士が、手も足も出なかったのだ。
先端に、鍬形状の四本角が生えた特徴的な鎚矛。
あれは聞いたことがある。
かつてアクティウム王国に、凄腕の騎士がいたと。そいつは後に傭兵となって各地を転戦し、その名を大陸中に轟かせたという。
――まさか、あの男がそうだと言うのか。
厄介な任務に、更なる困難が上積みされ、若者は我知らず――ほくそ笑んでいた。
――面白い。こうでなくては任務と呼べん。
彼の周りにいる部下達も、隊長の不敵な笑みを見て、思わず頷きあう。
「血が沸きますね、ルーベルト隊長」
「ああ。こうでなくてはいかんよな。こうでなくては」
三名もの犠牲を出したにも関わらず、不死騎隊の一団は、闘争の喜びに身を奮わせていた。
経過はどうであれ、帝国最強と自負する不死騎隊を相手どり、生きて帰れる者などいない。それは予定調和であり、事実だと、不死騎隊三番隊隊長ルーベルト・ウルリッヒは、考えていた。
その目はまさに、獲物を定めた人食い虎そのもののような、獰猛な色を帯びていた。




