第五章 第五話(3)『偽装』
翌朝、出立の準備を整える前の一同に、見慣れぬ男が彼らを出迎えた。
一人エッダのみ、顔見知りであるらしい。
「殿下、この方は私の知人で、腕の良い錬獣術師スヴェイン卿と申されます」
黒灰色のローブを身に纏い、肩まである波打った黒髪をした、文人肌の男。
「スヴェイン・ブクと申します。以後、お見知りおきを」
大仰な身振りの挨拶に、いささか鼻白むハーラルであったが、彼が何であるかとエッダに尋ねた。
「彼は特殊な授器の制作に長けておりまして、私が密かに呼び寄せておいたのです。どういう事かは、こちらに」
そう言って彼女が鎧獣厩舎に案内すると、そこには、見慣れぬ授器を身に着けたホワイトタイガーの鎧獣、ハーラルのティンガル・ザ・コーネが佇んでいた。
ティンガルの纏う〝アルマス〟は、鋭角的なシルエットと氷蒼色の色彩が特徴であるが、今身に着けているのは、雰囲気こそ鋭利とはいえ、形状は単純な線で構成され、色もくすんだオフホワイトになっており、以前と比べてどことなく貧相な外見をしている。
「これは……」
「スヴェイン卿が発明した、授器の偽装機能でございます。見た目は変化出来ますが、その分機能が劣ってしまいます。しかしこれならば、ティンガルだとは気付かれますまい」
「偽装だと?」
「授器の形状変化を利用した技だそうです。詳しくは彼に直接お聞きなされるのがよろしいかと」
ここで、スヴェインが前に立って説明をはじめた。
「本来、授器は形状を記憶する器具であります。動物形態時の防具、そして人獣形態時での武器と防具。それらは著しく形を変えつつも、寸分の狂いなく、常に形を変化出来得る。そこで私は、ここに〝第三の形状〟を授器に転写させ、異なった形状変化を促せないかと考えた訳であります。具体的には、まず転写させたい形状を同じ材質から制作し、それと転写元を〝柔石〟化させる事で――」
「いや、わかった。説明は良い」
手を翳して、ハーラルはスヴェインの長広舌を遮った。放っておけばどこまでも喋る類いの人物だろうという事は、初見で理解した。
「つまり、これは〝アルマス〟だというわけだな。元に戻すには、どのようにすれば良い?」
スヴェインはローブの懐から何かをまさぐり、小瓶を一個、取り出した。
「この溶液を、授器に振り掛ければよろしいです。ああ、その際は、ティンガルから授器を外して下さいね。通常の形態変化とは異なりますので」
成る程、と頷くハーラル。これは確かに、見事な技だと言う他なかった。授器が異なれば、こうも見た目が変わるものなのかと感心するしかない。同時にこれは、危険な技術であるとも言えた。偽装しさえすれば、他国の騎士団に潜入する事も容易になってしまうだろうから。
「エッダ、それにスヴェイン卿、礼を言う。ロドリゴ殿、これならば問題ありますまい」
「だな。よし、それじゃあ準備は整ったってわけだ。エッダさん、あんたはどうするんだ?」
黒衣の魔女は、艶然とした笑みを浮かべつつ、首を左右に振った。
「私はここでお別れ致します。鎧獣を持たない私が同行しても、足手まといになるだけでしょうから」
「なるほどな」と、納得の表情を浮かべ、ロドリゴはハーラルに向かって
「すぐに出発するぜ」
と、告げた。
彼の発言を機に、ハーラルはすぐさま出立の準備を終えるため、宿泊した部屋に戻っていく。ロドリゴ自身は特に準備もないようで、その場にエッダやスヴェインと共に残って、ハーラルが戻るのを待つ事としたようだ。
「お前さんが出張ってくるたぁな」
ハーラルの姿が見えなくなった後、ロドリゴは顔見知りの口調でスヴェインに言った。
黒母教ナーデ教団の司祭にして、その実働部隊、灰堂騎士団の錬獣術師スヴェイン・ブク。
つい先頃まで黒母教の総本山メギスティ黒灰院にいたはずの彼であったが、今はそこより遥か離れた北方の地にいる。
「魔女殿のお呼びとあらば、どこにでも行くさ。それに、〝氷の貴公子〟ティンガル・ザ・コーネに触れ得る機会など、そうそうある訳じゃないしな」
「で、どうでしたか?」
今度はエッダがスヴェインに尋ねる。スヴェインは肩をすくめて、肯定とも否定ともとれる仕草をとった。
「〝目覚め〟の兆候はありませんよ。とても優れた、良く出来た鎧獣ですけどね。それだけです」
「細工は?」
「必要ないでしょう。というより、神之眼の〝鍵〟が複雑すぎて、手が付けられない、と言った所が正しいですけどね」
「ほう。貴殿でも?」
「さすがは帝国の誇る帝家鎧獣といった所でしょうかね。制作したドレ本人を除けば、イーヴォ様か、私の父ならあるいは……。ま、もっとも、あの皇太子様ご本人の手ずからならば、伝説の〝蒼の人虎〟を顕現させれるかもしれませんがね」
「それこそ、期待出来る話ではないでしょう。あの皇子では」
打って変わったエッダの薄情な物言いに、ロドリゴは少なからず驚いた。
「おいおい、あんた、忠臣ってわけじゃないのかよ?」
「私は私の利害で動いています。貴殿らが黒母教ナーデ教団の思惑で動いているのと同様に。それに、勘違いしないで下さい。私は何も殿下に忠節を尽くしてないわけではありません。殿下が例えどのような方であれ、私は次期皇帝はハーラル様をおいて他にはないと思っております」
この黒衣の魔女がどのような企てを抱き、どのような策謀を巡らせているのか。それをロドリゴが知る事はなかったし、知りたいとも思わなかった、よしんば知ったとしても、自分には関係のない話だ。
彼ら三人が、それぞれの思惑でそれぞれにハーラルを巡って暗躍しているのだという事を、無論、ハーラル本人は知る由もない。そしてそこには、更なる闇の手が伸びて来ているのだが、いずれにしても、渦の中心にあるのは、少年といっても差し支えない、若き皇太子である。
これが一国を背負うという事の暗部なのかと思えば、ロドリゴにも、少年の呪われた宿運に多少同情の念は湧こうものだが、だからといって、肩代わりしてやろうとまでは思わない。
自分は総長からの任を全うすればそれでいい。
そこに血が湧き立つような戦場があれば、尚の事良し、である。
それこそ、灰堂騎士団第二使徒たる、ロドリゴ・デル・テスタの本懐であった。




