第一章 第五話(3)『山賊団』
最初に動いたのは、ドグ=カプルスであった。
シャルロッタを肩に担いだまま、つま先で屋根を蹴って、一足で後方に跳ぶ。
イーリオ=ザイロウも、それを追う。だが、アイベックスの時とは違い、大山猫の速度は、銀狼にも負けていなかった。距離は縮まらず、更にもうひと蹴りし、後方へと跳び下がる。
イーリオ=ザイロウは、両足に力を込め、先ほどの倍速で一気に距離を縮めようとした。片手が届くかに思われた、まさにその瞬間――。
ふ――
と、大山猫の姿が目の前から消えた。
「?!」
掴もうとした手が、宙を踊る。
だが、今のイーリオには、ザイロウの鋭敏な感覚も備わっている。嗅覚と動体視力は、消えたに思われた大山猫の姿を感知していた。
屋根の途切れた路地の下。そこに大山猫は、飛び降りていたのだ。屋根瓦を辺りに四散させながら、イーリオ=ザイロウは、路地へと飛び降りた。
しかし、イーリオが飛び降りるのを見越していたのだろう。路地に着地した瞬間、ドグは、カプルスの両足を深く沈み込ませ、再び屋根上へと跳躍した。
目の前を、矢のように交差して飛び過ぎていく、大山猫とシャルロッタ。
「畜生っ! 馬鹿にして!」
翻弄される事に苛立ちを募らせながら、イーリオも同じようにして後を追った。
再び屋根に着地すると、既に、先を跳んで行くドグ=カプルスの姿が見えた。
――さっきの突風は、こういうわけか!
いくら鎧獣騎士の膂力が、人のそれとは比べ物にならないとはいえ、人一人を担いで、この身のこなしである。あの大山猫の鎧獣は、草食獣系の跳撃も、かくやと言わんばかりの身軽さを持っていると言って間違いないだろう。だが、跳躍力なら、このザイロウも負けてはいない。
今度は路地ではなく、大通りの方へと姿を消したドグ=カプルスを、我も負けじと、速力を上げて追いかけた。
「!!」
イーリオは驚いた。
着地した場所。そこに大山猫とシャルロッタの姿はおらず、そこは、山賊団と町の警護騎士が戦っている真っ只中の場所であった。
すぐに周囲を見回すと、自分が来た路地の方向に、大山猫の鎧獣騎士の影が踊っていた。
――あそこか!
すぐに追いかけようとするも、ザイロウの嗅覚が、攻撃的な意思を感知。咄嗟に身を沈めて攻撃を躱すと、数瞬前の自分の首があった場所を、山賊団の棍棒が、空を斬っていた。
山賊団のハイエナの鎧獣が、棍棒となった自身の授器で、一撃を繰り出したのだ。
「てめぇ! 警護騎士の仲間か!」
山賊団は、ハイエナが二体、イタリアオオカミが一体である。対する警護騎士は、牛科のヤクが二体であった。
警護騎士は、町や都市を守るのが任務であり、攻める為ではなく、守る為の力が重要になってくる。特にゴート帝国は、主力騎士団のひとつ、ゴゥト騎士団がアイベックスで編成されている事もあり、各都市の警護騎士には、同科のヤクやシロイワヤギ、ドールシープなどの鎧獣が配される事が多かった。これらの鎧獣は、防御戦闘において特に秀でており、並みの鎧獣では、相手をする事さえ困難な事がままあった。
山賊らもそうだったのだろう。騒ぎの声があがって時間がたつというのに、数で勝る自分たちが、一向に警護騎士を片付けられない。だがそれは、警護騎士たちも同じであった。彼らも彼らの理由で、賊の群れを警戒しながら、攻めあぐねていた。
彼らの背後に潜むものに。
そこへ突然、見た事のない銀狼の鎧獣騎士が飛び降りてきたのである。双方共に驚き、血の気の多い山賊の一人が、いきなり手を出してきたのであった。
警護騎士のヤクの鎧獣騎士が、おそるおそる、イーリオに声をかける。
「君は……味方、なのか?」
予期せぬ成り行きに、イーリオ自身、訳が分からず、警護騎士の方を向く。
「あ……いや、敵ではない……つもりですが――」
その言葉に真っ先に反応したのは、山賊たちであった。
「やっぱり警護騎士の仲間か! 助太刀たぁ、いい度胸じゃねえか。構うこたぁねぇ、こいつもまとめて畳んじまえ!」
ハイエナの一匹が、牙を剥き出しにして、攻撃態勢をとる。残りの二体も、連携をとって、一斉に身構えた。
――くそっ! こんな事してる場合じゃないのに!
おかしな事態になった事で、思わずその場から逃げられないイーリオ=ザイロウ。チラと大山猫の居た方を見ると、もう既にその姿は影も形もない。焦りと苛立ちで、彼の心の中では、焦げ付きそうな火が煙をあげていた。
だが、そんなイーリオの胸中など知る由もなく、山賊の鎧獣騎士は、一斉に襲いかかってきた。
瞬間、全身の血が逆流したかのような、凶暴な野生が奔流となって、イーリオの体を駆け巡っていく。無遠慮な敵意への怒りか、それとも補食獣を鎧化した事による副作用か。
どちらにしても、狼の力を宿し、己の中の獣性が目覚めたかのような感覚が彼を支配し、それらが渾然となって全身を衝き動かしていった。
三体の動きをはっきりと認識しながら、イーリオはザイロウに力を込めた。そこに躊躇いの文字はない。
ザイロウの牙を剥き出しにし、跳躍ざま、イタリアオオカミの喉笛に牙をたてる。
咬撃の一撃。
虚をつかれた形になった山賊達は、銀狼の神速に、攻撃の手を止めてしまう。
我に返ったのは、〝中身〟と共に、イタリアオオカミの首が、ハイエナの一体の足下に、ゴトリ、と落ちたからだ。
首より上を失ったイタリアオオカミの鎧獣騎士は、血の噴水をまき散らしながら、うつ伏せに地面に倒れると、鎧化の白煙をあげて、人間と獣の首なし死体に変じた。
驚きと怒りをこめて、ハイエナの一体が、棍棒を振り上げる。だが、振り下ろされるより前に、イーリオ=ザイロウの腰から、片刃の剣が光の尾をひいて閃いた。
鮮血のアーチを描き、ハイエナの人獣は両腕を失う。
先刻まで、自分たちも必死で戦っていた筈の警護騎士たちも声を失って、ただ、呆然と見ているしかないほどの、流麗な戦いぶり。
残った山賊は、思わず金切り声をあげて腰を抜かす。座り込んだ情けないイヌ科の人獣は、鎧獣をまとったまま、思わず失禁をしてしまった。
恐怖と共に襲撃して来た山賊達から、ただ怯え、逃げ惑うしかなかった町の人々は、これを遠巻きに見ていて、思わず歓声をあげた。
警護騎士の二人も、喜色を露にしてイーリオ=ザイロウに近寄ろうとする。
だがそこへ、腹に響くような野太い大音声が、人々の歓声を切り裂くように、響き渡った。
「やるじゃねえか。狼の」
騎士でない山賊達の集団の向こうから、その黒い影は、ゆっくりと姿を現した。片目に眼帯をした、いかにもといった風情の、巨漢。毛むくじゃらの太い腕に、同じく毛むくじゃらの顎髭。その男の傍らには、男の倍近くの大きさはあろうかというほどの、巨大な影が佇んでいた。
喜びに溢れていた町の声は、一斉に静まり返る。
イーリオ=ザイロウは、男とその獣に視線を向けた。
ヒグマ――、それも、体長八フィート以上はありそうな、ハイイログマの鎧獣。
「おい、お前はもう退がれ」
男はハイエナの鎧獣騎士にそう告げると、自身は、胸を傲岸とそらして、前に出る。
「これ以上は俺たちも仲間を失いたくねぇ。一方的で悪ぃが、今日のところは、引き上げさせてもらうぜ」
髭面の言葉に、イーリオは、この男が山賊達の頭目なんだろうと気付く。イーリオは、ザイロウごしのくぐもった声で、男の言葉に応えた。
「確かに一方的だね。――あんたは戦わないのか?」
「ははっ、まぁ、仲間の敵討ちってのはいいんだが、そりゃあ山賊らしくねえ。それに……」
「それに?」
「もう、用は済んだみてえだしな」
頭目の言葉に、イーリオは何か引っかかりを覚えた。
だが、ヒグマの鎧獣との戦いを避けられた事は、確からしい。それには内心、かなり安堵の息をついていた。
ヒグマは、補食動物の中でも、自然界の生態系の中でも、頂点に位置する動物である。それはそのまま、鎧獣の格としても上位に位置する事を表していた。単純に強さの格でいえば、最上級の鎧獣である。並みのそれでは太刀打ち出来まい。
驚くべき事は、そんな最上位級の鎧獣を、山賊のような輩が所持している事である。普通であれば、国家騎士団の上位騎士が有すべき鎧獣であるはずなのに。
だが、それこそが、近隣の村々や町をして、〝山の牙団〟に恐怖している本当の理由であった。
本当に恐ろしいのは、頭目の持つ、ヒグマの鎧獣。
「次に会ったら、その時は俺がお前を潰してやらぁ。ま、出会わねえ事を祈っとくんだな」
強者の余裕を浮かべつつ、山賊の頭は、仲間に引き上げの合図をする。
山賊達は、しぶしぶといった態で、それでも後方を気にしながら、潮がひくようにホルテの町から去っていった。
山賊達が立ち去ると、町の人々は、一斉に大歓声をあげる。警護騎士も、鎧化を解き、イーリオの強さを誉め讃えた。
イーリオも鎧化を解いて、少年の姿を現す。
すると、それを見た町の人間や警護騎士達は、まだ成人にもなっていない少年が山賊を退けたと知って、尚の事、驚きと感嘆の声を強くした。
しかし、イーリオの心は、人々とはうってかわって、暗澹とした、悔悟と焦燥に溢れていた。
――さっきの山賊の言葉。用は済んだって事は、奴らがシャルロッタをさらったんだ!
だが、何の為に? 考えられるのは、帝国騎士団と根を同じくする奴らが背後にいるという事ぐらい。
人々の喜びの環を強引にくぐり抜け、イーリオは、足早にその場を立ち去っていく。
――早く、彼女を助けなきゃ!