第五章 第五話(1)『称号』
カイゼルン・ベル。
最高の尊敬と憧れを受ける、〝百獣王〟の称号を持つ男。
最強の騎士。
至高の鎧獣騎士。
だが、目の前にいるのは、それらの賛辞にはほど遠い、呆れるような姿であった。
「お宅らだってあの猪豚親父の一族をどう扱うか困ってたんだろう?それをオレ様が処理してやったんだ。お互い濡れ手で粟で良かったじゃねぇか。なぁ?」
処理、という言葉に反応し、イムレはカイゼルンを睨みつけた。その視線に気付いたか、カイゼルンがとってつけたように言う。
「処理ってのはよくないな……。うん、なんつうかな、処断?掃除?ま、何でもいいや。とにかく、タリャーン家はあんたの親父、アールパード大首長にとっても困った存在だったんだろ? だったら、オレ様にやられたって言やあ、言い訳もたつじゃねーか」
「たつか!」
無礼が服を着たら、こんな男になるのかもしれないな、とイーリオは思った。
襟付きのシャツに丈の長いジャケット。どれもアムブローシュ絹で出来た高級品であり、鎧化の妨げにならぬよう丁寧に工夫がされている。カイゼルンの身長は丁度クリスティオ王子と同じぐらいなので、かなりの長身の部類に入る。六フィート半 (約二メートル)はあるかもしれない。
タテガミのように豊かなクセの強い金髪に、褐色の瞳。傲岸さが滲み出ている鷲鼻と、傭兵らしからぬ白い肌。装身具を身に着けていれば、どこぞの成金趣味だと思われても仕方ないが、見る者が見れば、隙のないのがわかるのかも……しれなかった。
〝カイゼルン〟・ベル。
本名はダーク・ベルという。六代目の〝百獣王・カイゼルン〟。
知る者は極めて少ないが、彼が使っていたディルク・カーンという名前は、彼がダーク・ベルを名乗る前の名であり、それすらも本名かどうかは怪しい。出自には謎が多い人物である。
知られているのは、百獣王を継承する前は、メルヴィグ王国国家騎士団、覇獣騎士団の出身者である事。それも、かなりの騎士であったという風聞だ。それを、先代百獣王が後継者にと指名し、数年の修行の後、六代目を名乗る事となったのである。
かつては騎士にもそれほどの興味を持たず、父、ムスタの後を継いで錬獣術師になると考えていたイーリオですら、その名前は生ける伝説となって耳に入っていた。
最強と呼ばれるアンカラ帝国のアフリカゾウや、クロサイの鎧獣騎士を退けたとか、ゴート帝国の北央四大騎士団の団長に誘われた、とか、はたまた海を渡ったカレドニア王国で、数々の武勲をたてたなど、幼子でも知っているような偉業の数々は、男子であれば憧れずにはおれないであろう。
「そういきりたつなよぉ。ま、何だ、お互い過去の事はすっぱりきっぱり水に流して、未来に向かって建設的な話をしようじゃないか」
誰が過去の遺恨を作った張本人なのか分かってるのか、と言いたげな目で睨むイムレに対し、呆れながらも、その人を食った人となりに興味を覚えはじめたのか、ジョルトは耳を貸す気になりつつあった。
イーリオが、アクティウムの〝放蕩王子〟クリスティオとの勝負に勝ってすぐの事。
カイゼルンの元に来たジョルトとイムレは、思いがけない〝商談〟を聞かされる羽目になっていた。
ジョルトなる自分の連れて来た青年が、ジェジェンの盟主の息子だと聞いて驚いたイーリオだったが、まさか連れて来た目的が、〝鎧獣素体〟の売りつけだと知って、尚の事驚き、そして呆れた。
カイゼルンが言うには、ジェジェンへの交易は近年途絶えて久しいので、是非とも自分の幻獣猟団がそこに風穴を開けたい、というのである。
「わかったわかった。あんたの言いたい事は充分理解した。ようは俺達に、橋渡しになれって事なんだな?」
「理解が早い」
カイゼルンがジョルトに向かってパチン、と指を鳴らす。
横目でジョルトをじっとりと睨んだ後、イムレは視線をカイゼルンに移した。怪我の痛みに顔をしかめながら、頭に浮かんだ疑問を口にする。
「ちょっと待て。仮にあんたの幻獣猟団を、我らが主に紹介したとしよう。だがそうなれば、必然的にあんたの事も説明せざるを得なくなるぞ。百獣王が〝素体〟の獣を売りに来てたってな。そんな事を言ってしまっていいのか?」
「そこはそれ、上手く言いくるめてくれよ、な?」
鎧獣を駆る騎士は、字義通り騎士階級である。騎士相当ならば荘園を有する、または有してもおかしくない支配階級であるという事。そこには、身分に相応しい、高潔さや清廉さが求められる事になる。
騎士の中でも最高峰の〝カイゼルン〟が、身分を偽り素体の商売をしていたなど知られたら、世間でどのように噂されるか、わかったものではない。イムレが言っているのは、そういう事であった。
「虫が良すぎる。いや、図々しすぎる。そんな義理は俺達にはない。大体、はいそうですかと仮に口約束をしたとしてもだ、俺達がそれを守らなきゃいけない理由がどこにあるんだ? 俺達が、いつ、どこで、百獣王が獣猟団を営んでると言いふらすとも限らないんだぞ。それにな、そもそも俺達は敵同士なんだ。百獣王の肩を持ついわれは露ほどもない。我が国内でも、十五年前の敗北を遺恨に思ってる者はまだ多くいるんだからな」
「だなぁ。そりゃあ、その通り。……ま、それは仕方ねぇか。いいぜ、オレ様の事、言っちゃってくれても」
「あぁ?」
不愉快げに反応してから、イムレは傷の痛みに顔をしかめた。まだ頭が痛むのに、口を挟まずにはおれないようだ。
「世間で何言われようが、どう扱われようが、別に構わねえさ。大体、〝百獣王〟だの〝三獣王〟だのなんてなぁ、誰かに決められた身分でもねえ。身分ってえなら、オレ様はただの傭兵だよ。それを周りが勝手に、崇めておだてて、有り難がってるだけだしな。オレ様かりゃすりゃあ、百獣王なんてのは本物の王様よりも価値のねえ、お飾りもいいとこよ」
「お前という奴は……。初代や初代の孫が聞いたら何と言うか……」
思わず横から、ホーラーが嘆いた。
「だからそこでヴァッテンバッハを出すんじゃねえよ。ンなもん、オレ様の知った事か」
これを凝と聞いていたジョルトが、ふと疑問を口にした。それは、イーリオの頭によぎった内容と同じであった。
「カイゼルン公。ならば、貴方にとって、〝百獣王〟とは何なのか。その〝称号〟に固執もしない貴方が、何故その〝称号〟を名乗る?」
「ンなもん決まってる」
「何と?」
「百獣王とは、その名の通り、数多の人獣騎士の王。つまり、最強ってだけの意味さ。オレ様がその名を名乗るのは、オレ様より強ぇ奴がいないってだけだ」
「同じ三獣王の〝黒騎士〟や〝獣帝〟よりも?」
「さぁな。黒騎士とは会った事あるが、そん時は戦いになんなかったしな。〝獣帝〟に至っちゃあ、会えるハズもねえしよ。まぁ、仮にどちらと会って戦えたとしてもだ、結果は目に見えてるさ。オレ様の方が強ぇってな」
傲岸不遜な言い様だが、この場に居る誰もが、それを否定出来る資格もそれだけの材料もなかった。反論の余地などなく、口をつぐんでしまう。
それでも――。
「では、もし敗北すれば、百獣王の称号は譲るのか? いや、名乗るのをやめる、そういう事か?」
誰もが押し黙る中、今まで黙していたクリスティオが、ここで口を開き、重ねて問いかけた。
「譲るワケねえだろ。つうか、譲りたくとも譲れねえよ」
「?」
イーリオ、ジョルト、クリスティオ。
三者が一斉にカイゼルンを見つめる。
「この世に、オレ様より強ぇ奴はいねえ」
三人はぞくりとなった。
他愛もない一言なのに、騎士でないイムレでさえ、高揚するような、肌が粟立つ気持ちにさせられる。
他者がこれを口にしても、何を生意気なと冷たい目で見られるのがオチだろう。だがこの男は違う。人の上に立つ者が持つ責任ある〝重み〟とも異なる、揺るぎない絶対の境地。その言葉には、自信というよりも、鳥は空を飛ぶ、と言うのと同じくらい、当然の事であるかのような、自然な〝重み〟があった。
クリスティオは眉を顰め。
ジョルトは天を仰いだ。
そしてイーリオは――唇を噛んだ。
「ま、そんな事よりどうなのよ? 紹介してくれるか? どうなんだ?」
打って変わって、下卑た物腰のカイゼルン。全く、つかみ所のない人物である。
「……分かった。いいだろう。とりあえず、言うだけは言ってみる」
「おい、ジョルト」
痛みに顔をしかめつつ、イムレが非難の声をあげるも、それは無視された。
「ただし、俺の大首長が何て答えるかは知らんぞ」
「構わねえよ。ようは切っ掛けだ。商売ってのはそこからはじまるもんだしな」
「それと、さっきの話――」
「さっき?」
「百獣王が商いをしてるってやつ。あれは聞かなかった、見なかった事にする。俺達が会ったのは、百獣王に全滅させらたタリャーンの一族と、そこでたまたま出くわした獣猟団の組合長だ」
「――へぇ。いいのか? それで」
「俺達を見逃してくれるっていう礼だ。それにさっき、イムレの手当もしてもらったしな」
「ジェジェン人は礼に篤いってか。こっちの王子様は、随分と情があるねえ」
横目でクリスティオを見つつ、カイゼルンはにやけた笑いを送った。それがどうしたと言わんばかりの不貞腐れた顔をするクリスティオにも、まだ青臭さがあるらしい。一方で、自分の名前をダシに使われた事で、イムレは渋い顔を作るしかなかった。
「王子じゃない。ただ、親父が大首長ってだけだ」
ジョルトがそれを口にした後、すかさずイーリオが尋ねた。
「けど、それだと説明出来ない部分も出てきませんか? それに、この野営地にいた人間で、他に逃げ出した者がいないとも限らないでしょう? そこからだって、話が漏れてしまうんじゃあ……?」
さっき、クリスティオの金狼相手に共闘したからだけでなく、どことなくイーリオは、この大首長の跡継ぎという青年に親近感のようなものを抱きつつあった。偉ぶった所のない、どこか気怠げな物腰に、遊牧民特有の精悍さ。どれもイーリオにはないものだった。
そしてそれは、ジョルトとて同じであった。
「大丈夫だ。俺は口下手だけど、そういうのは、全部このイムレが上手く辻褄を合わせてくれるさ」
「おい、ジョルト!」
イムレの抗議もあったが、話はどうやらまとまったようだ。
しかし、である。
よくよく考えてみると、全てカイゼルンだけが得をする結果となったと言えなくもなかった。
まんまとジェジェンへの商談の窓口をつけただけでなく、毎日、クリスティオ自身の分と、イーリオから払われる(出所は同じだが)分の合わせて二百枚もの金貨をまんまとせしめてしまったのだ。無論、イーリオも百獣王に修行をつけてもらえるという目標が達成出来たし、他の二人だって悪い方向に話が転がったわけでもないので、損というわけではないのだが。
話がまとまったところで、ジョルトとイムレは、ジェジェン領内へと戻って行った。
去り際、「また会おう」とイーリオに言った言葉に、どこか予感めいたものを感じたのも、無理からぬ事。
次いで、イーリオ達もその場を後にした。
イーリオ・ヴェクセルバルグ。
クリスティオ・フェルディナンド・デ・カスティーリャ。
ジョルト・ジャルマト。
互いにまだ若い、これからの若者達。
数年の後、彼らは再びこの地で出会う事となるが、それはまだまだ先の話。期せずして会した彼ら三人の運命は、これから大きなうねりとなって大陸全土を巻き込んでいく。
「さて、坊主ども、一旦家に戻って準備が出来たら、すぐに発つぞ」
「儂の家だ。何を自分の家みたいに言うか」
カイゼルンが振り返って言うと、横からホーラーが混ぜっ返す。
「どこへ行くの?」
今まで呆っと見ていただけのシャルロッタが、跳ね起きるように尋ねて来た。
「お、カワイイ嬢ちゃん。――オレ様、頼まれちまったのよ。お前の連れが持って来た手紙に」
「手紙?」
「忘れたか? レオポルト王さ」
「ああ、あの優しい宝石のお兄さん」
――宝石?
また意味不明な事を彼女は口走って……と、イーリオは思うも、他の人は戸惑うだろう。彼女の奇行や発言を気にとめていたら身が持たない。
だが、カイゼルンとホーラーは、彼女の発言に、一瞬だが眉を曇らせた。まるで、忌むべき言葉を聞いたかのような険しさだ。
だがそれはほんの束の間。それゆえ、カイゼルンとホーラーの表情の変化には、誰一人気付く者はいなかった。そして今の言葉をまるで聞かなかったかのような振る舞いで、カイゼルンは話を続けた。
「今から行くのは東のキルヒェン公領にあるプットガルデンって港町さ。そこにいる引きこもりの王子様に会いに行くってわけだ」
「引きこもり?」
「ああ。カイ・アレクサンドル王子。覇獣騎士団 漆号獣隊 主席官にして、オレ様のバカ弟子の一人だよ」
レオポルト王が言ったカイゼルン公なら説得出来るとは、成る程そういう事かと、イーリオは一人、納得した。




