第五章 第四話(終)『敗北』
何とも締まりのない結末に、イーリオは項垂れ、クリスティオは忌々しい思いで帰途に着く事になった。
「君の愚かな選択のせいで、決着つかずなどという、失態になってしまったのだぞ」
帰る途上、散々にイーリオをなじるクリスティオだったが、イーリオに反論する気は起きなかった。クリスティオの言葉を認めたからではない。クリスティオは、金貨百枚で、百獣王との約定を既に交わしている。
だがイーリオは、勝負に勝たなければ百獣王への弟子入りは果たされない。
負けもしなかった分、シャルロッタをこの王子に取られる心配はなかったが、それでも負けたような気分にならざるを得なかった。
――これで、黒騎士を相手取るのは、自分だけで何とかするしかなくなったわけだ……。
はじめからそうだったのだから、今更でもある。
そう考えると、何をむきになって百獣王に弟子入りしようとしてたのか、何だか馬鹿馬鹿しい気持ちにもなってきた。そうだ。最初から僕にあったのは、ザイロウとシャルロッタだけじゃないか。
ペンダントを取り戻すという目的は、やはり捨てるわけにはいかなかったが、それを他者の助力を求めようとしたのは、愚かな判断だったかもしれない。そういう意味では、クリスティオが自分を愚かとなじるのも、仕方ないのかもしれない。
やがてすっかり陽も落ちかけ、ジェジェンが野営地にしていた跡まで戻ると、二人は鎧化を解いて、カイゼルンの前に立った。
カイゼルンは一瞥だけくれると、フン、と鼻を鳴らして二人の方をもう見ない。
鬱陶しそうにしているミケーラにすりより、下手な冗談で気を惹こうとしていた。
「二人とも、失敗だったか」
代わりに、ホーラーが言った。
幸い、野営地をそのままにジェジェンの襲撃者達は逃げ出したので、寒さを凌ぐ手段には事欠かなかったのである。
反論のでない二人に大きな吐息を漏らすと、ホーラーはカイゼルンに向き直って、「どうする?」と問いかける。
カイゼルンは、依然ミケーラを口説こうとしており、ミケーラはそれを汚物でも見るような目つきで睨んでいた。
「おい、カイゼルン、聞いとるのか」
重ねて聞くホーラーに、カイゼルンは煩そうに手の平を振って、やっとこちらを見る。
「何だよもう。結果なら出たじゃねえか。いちいちオレ様に言わすんじゃねえよ」
「結果? 引き分けの場合は聞いとらんぞ」
「これだから耄碌ジジイは……。年を取って、とうとうボケがはじまったか? ン?」
「誰がジジイだ。まだそれほど年はとっとらんわ。貴様こそ、とうとうイカれてしまったんじゃないか?」
カイゼルンは大きく溜め息をつく。
そしてクリスティオに近付くと、その肩におもむろに手をおいた。
自分が褒められるのはいつもの事だが、こんな締まりのない結果は望むところではないと、クリスティオは素直に喜べなかった。
一方のイーリオは、やはり、という現実に落胆の色を隠しきれなかった。
「残念だなァ、色黒王子」
思いもかけぬカイゼルンの台詞に、クリスティオは目をしばたたかせる。
イーリオも、ホーラーも理解出来ない。シャルロッタはにこにこと、イーリオを見ていた。
カイゼルンが人差し指で彼らの後ろを指し示すと、そこには落ちる夕日を背景に、〝彼ら〟が立っていた。
青毛の擬似二角獣の背に跨がる、二名の男。
ジョルトとイムレである。
「何で……」
口に出したのは、イーリオだった。
クリスティオは呆気にとられて、声も出ない。
「……お前が頼んだんだろう。もう忘れたのか?」
騎馬の姿に戻ったグラスディンの手綱を操り、ジョルトはイーリオに近寄っていった。
「でも……てっきり逃げたんだと……」
「こいつを助けてくれたんだろ?」
ジョルトが、己の背にいるイムレを差した。イムレは青ざめた顔色であるものの、大事なさげな笑顔を浮かべて、イーリオを見る。
「ジェジェン人は恩義に篤い。親友を助けてもらって逃げ出すなんて薄情な真似、俺には出来るか」
イーリオは顔一杯に驚きと喜びを表す。
「全く……こんなガキだったとはな」
鎧化を解いたイーリオを初めて見るジョルトは、年齢に似合わぬこの少年を見て、改めて感嘆の言葉を漏らしていた。
「どうして? 何故ムスタの倅の勝ちだと見抜いた?」
ホーラーがカイゼルンに尋ねる。
「やっぱり耄碌してんじゃねえか。んなもん見りゃ分かる。この色黒王子クンに、人を動かすモノがあるって思うか? 思わねえだろ。馬鹿正直で余裕もねえくせに、一途な――」
少しだけ遠い目を、カイゼルンはした。
「んなガキじゃなけりゃ、人は動かねえよ」
ホーラーは、見直したような呆れたような、やれやれと言って溜め息をついた。
自分だと人を動かせない、だと――?
思いもかけない、いや、そんな言葉など生まれてこのかた一度とて言われた事のない台詞に、クリスティオは普段なら失笑を投げかけるところだが、今は顔面が引き攣るしかなかった。
結果が雄弁に物語っている。
自分は今、カイゼルンによって批評されているのだと。
敗者としての批評を――。
今度はイーリオの肩に手を追いたカイゼルンが、ジョルトの方を見て言った。
「改めて自己紹介するぜ。オレ様の名はカイゼルン・ベル。――たまに幻獣猟団のディルク・カーンって名乗る事もあるがな」
ヘラヘラとした口調のカイゼルンに、ジョルトとイムレは苦笑しながら応じた。
「知ってるよ」
「だな。俺の弟子が世話んなったな。ま、よろしくな」
そう言って、握手を差し出す。
イーリオは最後の言葉に目を見開いた。同時に、喜びが全身から沸き上がってきた。
横で呆然となるクリスティオは、まだ信じられない、といった面持ちだ。
「世界は広うございますね。若様」
クリスティオの傍らに、そっとミケーラが忍び寄って、労いの言葉をかけた。
「ああ……」
絞るように呟いた後で、今までにない感情が、彼の胸中を掻きむしるように沸き上がっていった。それを〝悔しさ〟だと彼が気付くまで、しばらくの時間が必要だったのは言うまでもない。




