第五章 第四話(2)『二角馬』
〝グラスディン〟は、いわゆる通常の騎馬とは異なる。
荷馬などにも用いられる、重種と呼ばれる馬種で、四本の足は毛に覆われて逞しく、雪道でさえ猛然と突き進む。一般に馬力などと言うが、ジョルトの駆る愛馬、グラスディンの馬種なら、鎧獣であるないに関わらず、十馬力を超えているものすらいる。
ジョルトの傍らを疾駆するイムレの騎馬も、当然同じ重種だ。
違いがあるとすれば、グラスディンは乗馬であると同時に、ジョルトの鎧獣でもあったが、イムレの乗る馬は、ただの騎馬である事だ。それは見た目で分かる。
ジェジェンの重馬鎧獣は、皆一様に一角獣を模した角飾りを額につけているのが特徴だ。これはジェジェン特有の授器の形状で、無論本物の一角獣などではない。飾りと言えばただの飾りだが、ちゃんと意味と理由もあった。勿論、グラスディンにも角飾りはあったが、通常の一角と違い、グラスディンは一本多い二本角――いわゆる二角獣を模していた。
一方、イムレの乗る馬に、角飾り――授器はなかった。
ないからといって、駆足に明確な優劣があるわけでなく、むしろ今は、そんな事に思いを馳せる余裕など、二人にあるわけもない。
峻険と呼ばれるヴォロミティ山脈。その積雪の峠道を、懸命の速度で二人の愛馬は駆けている。
「畜生……! 何なんだ〝アレ〟は」
ジョルトの口から悪態が漏れる。
思わず口をついて出たが、そんな事すら気にする余裕はなかった。
ジョルト・ジャルマトは、ジェジェン首長国を束ねる大首長、アールパード・ジャルマトの長男であり、他国で言えば、皇太子、王太子にあたる人物だ。
当年とって二十五歳で、黒髪黒目に赤褐色の肌と、典型的なジェジェン的騎馬民族の容貌をしている。顎髭を生やしているのは、ちょっとでも威厳を出そうとしている彼なりの努力であるが、周りからの評判はよろしくない。
一方、イムレ・ゾルターンは、ジャルマト家に代々仕える家柄で、ジョルトと年齢が同じという事もあり、幼い頃から親友同然、兄弟のように育ってきた。
鷹揚としながらも無駄口はよく言う割に、人前では無口になるジョルトに対し、イムレは弁も立てば頭の回転も早い。だがそれに反して気性の激しい一面もあり、ついつい敵を作ってしまうイムレを、ジョルトがまとめるというのが彼らの関係であった。つまりは良く出来た二人組というやつだ。
そんな二人が、メルヴィグ領内に勝手に侵略を働こうとした氏族、タリャーン家を止めるために派遣されたのだが、暴挙を止めるよりも前に、予想だにしていない出来事が起きた。
国境のフェルトベルク山麓付近まで来た所で、タリャーンの野営地が、逆に襲撃を受けたのだ。
たった一騎の鎧獣騎士、しかし、万軍にも匹敵する鎧獣騎士から。
その一騎とは、最強の三者、〝三獣王〟が一人、〝百獣王〟カイゼルン・ベル。彼が、黄金の獅子を駆ってタリャーンを襲い、これを全滅させたのである。タリャーン家にとっては因縁浅からぬといったところであろうが、相手が悪すぎる。
ジョルトらはその場に居合わせ、事の成り行きを確認しながら、逃げ出して来た、というわけだ。
幸い、百獣王が二人を追撃する様子もなかったので、まずは一安心と胸をなでおろしていたのだが、ここからがいけなかった。
二人を追撃する第三者が表れたのだ。
最初に気付いたのはジョルトだ。
肉体的な部分は、イムレよりもジョルトが圧倒的に勝っている。それはイムレも分かっていた。だからジョルトが「駆けるぞ!」と叫んだ時、イムレは微塵も疑わずに全速で駆け出したのだ。
最初、ジョルトは百獣王が追って来たのだと思った。だが、それは今この瞬間、はっきりとした姿となって否定された。
追いつかれるのは時間の問題。
数えもしないうちに餌食になるに違いない。
何も言わずとも、それは、並走するイムレにも伝わってきた。
「ジョルト、私が囮になる。お前は鎧化して駆けろ。鎧獣騎士の足なら、逃げ切れるかもしれん」
走りながらイムレが叫んだ。
「馬鹿を言うな。囮になるなら俺だ。むしろ鎧獣騎士になって返り討ちにしてやるさ」
ジョルトが柄にもなく軽口を飛ばした事で、イムレは相手がそれほどまでの敵だと理解した。
今は論議している時ではない。何としてもジョルトだけでも逃がさなくては……!
イムレがそう決した時、ジョルトも全く同じ事を考えていた。
だが、二人が決断を実行に移すよりも早く、〝それ〟は閃光となって片方を襲った。
イムレの乗る芦毛の重馬が横なぐりに吹き飛び、騎手自身も雪道を跳ね飛んでいく。
「イムレ!」
ジョルトが愛馬〝グラスディン〟の手綱を引き絞った。馬首をめぐらせ、大地に転がったイムレを見ると、血の跡が見受けられる。そのままイムレは、ピクリとも動かない。ジョルトの顔面からさっと血の気がひき、怒りが沸き起こった。
あの勢いで吹き飛んだのだ。無事で済むとは思えない。
周囲を見ると、雪道の中央に、堂々とした態度で追撃者は佇んでいた。
「貴様……!」
金色に輝く、線の細い鎧獣騎士。
首周りの豊かな体毛は、タテガミというよりも首飾りのような上品さである。
タテガミオオカミの鎧獣騎士。
〝ヴァナルガンド〟。
そしてそれを駆るクリスティオが、そこにいた。
※※※
「逃げた二人のジェジェン人がいた。そいつらをここに連れてこい。生死は問わん。方法もだ。日が落ちる前に俺んとこに連れてくる事。それが勝負の内容だ」
百獣王カイゼルン・ベルが決めた勝負の内容を、イーリオは思い出す。
一人は騎士ではないみたいだが、もう一人は鎧獣を連れていた事から、騎士だろうという事。その鎧獣は、青毛の馬、いわゆる黒馬の二角獣をしているので、追いつけばすぐに分かるとカイゼルンは言った。ジェジェンの擬似一角獣と言えば、名にしおう鎧獣である。クリスティオは容易いと言わんばかりの様子であったが、イーリオからすれば容易ならざる内容に思えた。
勝負とは即ち、イーリオがクリスティオに持ちかけたものであった。
イーリオが勝てば、クリスティオはイーリオに毎日金貨百枚、これを半年間支払う。
クリスティオが勝てば、連れであるシャルロッタをクリスティオに差し出す、というものであった。
イーリオはカイゼルンが口にした〝勝負の内容〟を聞いて、すぐさまいくつかの質問をした。
まず、連れて来てどうするのか。何が目的なのか。それによって、対処方法も変わってくると考えたのだ。だがカイゼルンの返答は「特にない」だった。
「目的なんてねぇよ。ただ二人がやりあっただけじゃ面白くねえだろ? 任務っぽいつーか、試練っぽい方がいいじゃん」
肩透かしのくらう答えだが、カイゼルンらしいといえばらしい。
次に気になるのは、そのジェジェン人は誰であるかという事。
擬似二角獣という事は、ジェジェンの騎士団にあたる、〝一角騎馬衆〟、それも指揮官相当である。
ジェジェンの騎士団〝一角騎馬衆〟は、団員全員が擬似一角獣の鎧獣で構成された特殊な一団で、指揮相当の者は擬似二角獣という習わしであったはず。そして指揮にあたるという事は、それなりの身分、実力者である可能性が高い。
だが、どうせこれにも大した返答はあるまいとイーリオは先に予想していたのだが、カイゼルンは予想に反し、「まぁ連れてくりゃあ分かる。かなりの氏族の身内だよ。厄介な相手だぞ」と、今度はそれなりの返答をよこした。本当に人を食った男である。
クリスティオは誰であっても違いはないと嘯いていたが(実際そうなのだろうが)、この情報は、イーリオからすれば大きかった。
――だったら、手段はあるかもしれない……。
今はドグやレレケといった頼りになる仲間も、リッキーやマテューといった頼もしい教師もいない。自分一人、己だけでアクティウム最強騎士と謳うクリスティオと渡り合わなければならないのだ。しかも、賭けの質がシャルロッタとあっては、本当に命懸けといっても過言ではない。
質問が後わると、二人は同時に鎧化をした。
するや否や、目にも止まらぬ速さで駆け去ったクリスティオのヴァナルガンド。それを慌てて追いかけるように、イーリオもすぐさま後に続く。
擬似二角獣の鎧獣騎士になって逃げているのなら追いつく事は不可能だろうが、もう一人がただの騎馬ならその可能性は薄いはず。それが前提にはなってしまうが、鎧獣騎士の速度ならば、全速の騎馬に追いつく事もさほど困難ではない。ましてタテガミオオカミや、大狼ならば尚の事。
だが、開始時におけるザイロウとヴァナルガンドのほんのわずかな差は、たちまちの内に大きな開きとなっていった。
さすがに陸上動物最速のチーターに並ぶ速さを誇るタテガミオオカミである。
峠道ならば大狼にも多少の分はあるかもしれないと期待したが、そこは特級の鎧獣。みるみるとその姿は消え、あっという間に影も形も捉えられなくなった。
だが、イーリオの駆るザイロウとて、特級にも等しい実力を持っているはず。実際に等級の計測をした事はないが、レレケによれば、紛れもなく特級だろうという事だ。
それに、速度では向こうに分があっても、それで決着がすぐにつくとは限らない。指揮官相当なら、ジェジェンの駆り手もかなりの実力者であるだろうし、何とか持ち堪えてくれている事を期待していた。
追いつければ僕にも勝機はあるはず――。
そう思って必死で飛ぶように道を進む、イーリオ=ザイロウ。
やがてかなりの距離を進んでいると、雪上に人が倒れているのを目にした。
遠目からでもはっきり分かる。おそらくカイゼルンの言っていたジェジェン人の一人だ。西方風の民族色豊かな出で立ちは彼らの特徴である。
でも、どうして一人、倒れている?
立ち止まり、ゆっくりと警戒しながら近付くと、どうやら気絶しているらしい事が分かった。
男から離れた位置に、重種の騎馬が倒れている。あちらは呼吸も止まっているようだ。首が変な格好に捩じれている所を見ると、即死したらしい。
何かに横殴りの一撃をもらったんだろう……。
おそらくはクリスティオ。
人間の方を先に片付け、次に鎧獣騎士に向かっていったに違いない。
イーリオは、倒れている男を覗き込んでみる。頭部からわずかに出血していた。打ち所が悪ければ、死んでいてもおかしくはないだろうが、まだ息はあった。見た所外傷はそれだけのようだが、問題はこの寒空だ。まだそれほどの刻も経ってないだろうが、このままでは凍死してしまいかねない。少なくとも、凍傷の一つにかかってもおかしくはなかった。
辺りを見回してみる。
枯れ木の向こうに、小さな岩穴があった。中にまで雪は入っておらず、どうやら熊などの巣穴でもないらしい。ただの天然のくぼみのようだ。
イーリオは、まずは馬具の中から包帯代わりになるものを探し、これを男の頭部に巻いた。そして男を抱きかかえて岩穴に横たえる。
次に息絶えた馬を抱えると、これは岩穴の入口付近に横たえた。
人狼騎士、鎧獣騎士ならば、一トン近い巨体を運ぶ事など、それほど苦ではない。ましてやザイロウの大きさは、鎧化時には十フィートにもなる。大型種の馬でも、赤子を抱えるような容易さだ。
案の定、まだ馬の体温は暖かい。体も大きいので風よけにもなるだろう。
馬具の中から多少なりとも暖をとれそうなものを探し、男にかけてやった。
如何ほどの効果があるかは知れないが、それでも雪原に放置するよりはだいぶマシなはずだった。
――カイゼルン公は、二人を連れて来いと言ってたからな。
生死を問わないとも言っていたからこそ、クリスティオはそのまま放置したのだろう。だが、イーリオにそうするつもりはなかった。
男の無事を確認して、再びイーリオ=ザイロウは駆け出す準備をした。
彼らの匂いは、遠くない。
風を通じて、闘争の匂いも嗅ぎ取れる。
――急がなくては。
決着にどれほどの時間がかかるかはわからない。それに、倒れたこの男の容態もある。グズグズしてはいられなかった。
走り出そうと両足に力を込めるイーリオ。
その背後で、イムレはうっすらと、断片的にではあるが意識を取り戻しかけていた。
薄目をわずかに開くと、自分の愛馬の死骸の向こう、ぼやけた視界の中で、白銀の人獣がわずかに見えた。
こいつが自分を襲った……?
混濁する意識の中で、イムレは再び意識を失った。




