第五章 第三話(4)『輝化』
「何が……起きている?」
目の前の異様な光景に、イーリオは釘付けとなった。
百獣王に一斉に襲いかかったはずの猛猪騎士衆たちだったが、何故か百獣王自身ではなく、互いにぶつかるように突進をかけて自滅していき、そこを百獣王が、造作もない手つきで次々に人猪騎士達を弾き飛ばしていったのだ。まるで手品でも見ているような有様だった。
更に今度は、巨大な巨大恐猪の鎧獣が姿を見せたかと思えば、これもまた、鎧化しておきながら、身動き一つ取らずにその場で呆然としている。間抜け以外、何者でもない絵面だ。
黄金の獅子は、ゆっくりとこれに近付き、大剣を一振りして首をはね飛ばした。
まさに一方的なやられっぷりだ。
一層、忌々しい顔つきをし、ホーラーは溜め息をつく。
「あの阿呆め。またやりおったか」
イーリオがこれを聞き逃すはずはなかった。
「どういう事ですか? 一体、これは」
「黄金のバーバリライオン、ヴィングトールという鎧獣はな、ある種の突然変異的な力を持っているのよ」
「突然変異……?」
「正しくはヤツの授器だ。〝聖剣グラムクラン〟というあの大剣は、通常時の姿から黄金に変わる時、目に見えない霧状の物質を発生させる。〝輝化〟と呼ばれるこの行為に、そんな副作用があるのに気付いたのは、先代の百獣王よ。この霧のタチが悪いところは、興奮状態にあるあらゆる生き物に、幻覚をおこさせるという効能を持つ事だ」
「幻覚――! じゃあ」
「そうだ。ジェジェンのヤツらは大層興奮していたろうからな。思い様、幻を見せられたんだろう。さしずめ、百獣王を倒す夢でもみていたのかもしれん。そうして動けなくなった敵を、あの男は悠々と片付けていったという訳よ」
幻覚を起こさせて倒す。
それが百獣王の強さ。
だからホーラーは、向かう途中で、期待するな、などと言ったのか――。
「無論、本来は奴自身もとんでもない実力があるのよ。それこそ、あんな真似をせず、正々堂々とやってもあいつ一人で退けられるほどの実力はゆうに持っとる」
その言葉に、イーリオとクリスティオは互いにほっと胸を撫で下ろした。
「だがな、あの阿呆は、幻覚の作用を知って、こいつを何とか制御出来ないかと、かつて儂を尋ねてきたのよ。儂も名工中の名工、初代ドレが作り出したこの鎧獣と授器に興味があったのがいけなかったんだが……幻覚をある程度任意で発生させる方法を突き止めてしまったんだ。それ以来、あいつは正々堂々などと無縁の、闇討ちのようなやり方で戦ってばかりいるのだ」
「正々堂々なんて馬鹿馬鹿しい。無駄な戦いはしないに超した事はねえだろう」
全員が一斉に後ろを見た。いつの間にか、そこには鎧化を解いたカイゼルンと、黄金のバーバリーライオンの姿が立っていた。
イーリオはもう一度振り返る。
やはりいない。
一体いつ?
跳躍してここに来たのか? それに、自分達の事にも気付いていたなんて。
「ホーラーのおっさん。こんなとこまで来て小言かよ。悪ィけど、無駄な争いはしない主義なの、ボクちん。労せずして勝つなら、これに超した事はないだろ? それに、幻覚を使ってばかりじゃねえんだぜ。アンカラの奴らにはあんま通用しなかったしな。それぐらいは知ってるだろう?」
「フン。騎士としての品格を言うとるんだ。先代が聞けば何と言うか。ヴァッテンバッハとて、良い顔はせんだろう」
「うえ……あのおっさんの名前を出すなよ。あんな生きた騎士の教本、二度と会うのはゴメンだね」
何とも人を食った会話だ。
いや、まさかこのような人物が、かの有名な百獣王だなんて……。
一瞬でここに姿を見せた動きは確かに凄い。
でも、ラクをして勝つ、だなどと平気で言うこの人物が、本当に自分の教えを請うのに相応しい相手なのか……。
果たしてホーラーの言う通り、イーリオの期待値は、見る見るうちに下降線を辿って行く事となった。
「で……こちらの美女はどちらさん? あ、お嬢ちゃんも可愛いねぇ。でもそうだな、まだちょおっと子供かな。あと四、五年もしたら、もう一度会おうぜ。十八歳未満は守備範囲外なのよ、オレ様。……こっちのお姉さんは、勿論大歓迎だぜ」
イーリオとクリスティオなどまるで眼中にない素振りで、ミケーラとシャルロッタに言い寄るカイゼルン。
「そっちじゃない。お前さんに用があるのは、この坊主どもだ」
ホーラーの指したイーリオとクリスティオをカイゼルンは交互に見比べ、「結構」と肩をすくめた。
「オレ様、イチモツのついてるヤローには興味ないの。金があれば別だがな」
この言葉に、クリスティオが即座に食いつく。
「金ならある。俺はアクティウムの第三王子、クリスティオだ。俺は貴方と手合わせしてみたい。どうだろうか?」
カイゼルンが、凝っとクリスティオを見つめた。
「あの放蕩王子か。成る程ね。親の財布をアテにして、オレ様を指南役にでもしようってのか?」
「糸目はつけん」
「はっ、オレ様も嘗められたモンだ。こんなヒヨっ子に金を出されて、はいそうですかと尻尾を振る子猫ちゃんだとでも思われたのかよ」
「一日で金貨五十枚。最長で十日間だ」
「おいおい。そこの地黒坊や、人の話を聞いてませんでしたカー? 俺を金で釣るなんて馬鹿にすんじゃねえぞ」
「一日八十枚だ」
「おめえ、いい加減にしろよ……!」
カイゼルンが剣呑な目つきになる。
「百枚」
「引き受けよう」
イーリオは唖然となる。
目の前で胡散臭げに握手を交わす、二人の男。
何なんだ、このやり取り。
ホーラーは溜め息をつく。
「で、そっち側の坊やは何だ? 金を持ってそうには見えんが……」
「僕は、イーリオ・ヴェクセルバルグと言います。レオポルト王の使いで、貴方に会いに来ました。これが――その書状です」
懐から取り出した封蝋のされた書状を受け取り、カイゼルンはこれを開け、一瞥した。
「レオの坊主め……人をなんだと思ってやがんだ。オレ様が交渉役かよ。いや、引きこもりの王子を連れ出すんだから、この場合は何だ? 教師役か? ったくよぉ」
ぶつぶつと文句を繰り返しつつ、再びミケーラに近寄ろうとするカイゼルンだったが、それを無視して、イーリオが重ねて問うた。
「あの、カイゼルン公」
「何だよぅ」
間の抜けた返事。
「その書面にもあったと思うんですが、僕を、貴方の弟子にしていただけませんか? お願いします!」
「やだ」
顔を上げると、ミケーラの肩に手を回すカイゼルンがいた。
「え……いや、その……お願いします! 僕はどうしても、黒騎士と戦わなくちゃならないんです! それには、貴方のお力が必要なんです!」
「やだ」
「お願いします!」
「やだ、つってんでしょ。だってお前さぁ、金も持ってねえじゃん。こっちのクリ坊は、オレ様に一日金貨百枚も出すっつってんだぜ。それを何だ? こんな紙切れ一枚でお願いされても、はいそうですかと引き受けるかよ。オレ様は慈善事業はしないの。オレ様に指図出来るのは、お金サマだけ。もしくは美女ってトコロかナー?」
これはもう……リッキーなどとはまるで違う人種だ。熱意や意思だけで、どうとなる人物ではない。というか、さっきからの一言一句。聞けば聞くほど呆れを通り越して怒りさえ芽生えてくる。
こんな男に、リッキーさんは憧れてたというんだろうか?
こんな男と知っているのだろうか?
もう、どうでもよくなってくる。
でも、ここで引き下がっては、何のためにここまで来たのか分からない。
「じゃあ、例えばですよ、貴方と何かで勝負して――」
「勝ったら弟子にしろ、ってか? んな古典的な方法で納得するかっての。さっきから言ってるだろ。オレ様は傭兵。金が全てなのですよ」
自分のこめかみに青筋が浮いたような気がした。
何と言うか、心底クズ男のような気がしてきていた。
それでも――
どうすれば、弟子入り出来る?
金貨数百枚だなんて、僕が得られるはずがない。この放蕩王子じゃないんだ。こいつみたいに恵まれている訳じゃない――。
「クリスティオ……殿下!」
いきなりイーリオは、クリスティオに声をかけた。
まさか自分が話しかけられると思っていなかったクリスティオは、虚を衝かれた表情になる。
「何だ?」
「貴方が僕と、勝負してくれませんか?」
「は?」
「僕が勝負に勝てば、貴方は毎日、僕に金貨百枚を支払う。これを半年間。代わりに、もしも僕が貴方に負ければ――」
「負ければ?」
「アタシ、クリスのお嫁さんになるね」
いきなりのシャルロッタの発言に、クリスティオもイーリオも呆気にとられた。
イーリオは、一生下僕になります、と言おうとしていた所なのに、それに被せる形で、今まで無言だったシャルロッタがとんでもない事を言ったのだ。
「負ければ……シャルロッタ嬢が妾になると……?」
「うん。お嫁さんになるよ」
微妙に食い違っている。
「駄目! 駄目だ駄目だ、駄目駄目!」
イーリオからすれば、こんな条件、絶対に呑む事は出来ない。自分の為に、誰かの身を犠牲にするだなど。
「だってイーリオ、勝つんでしょ? だからアタシ、なーんにも心配してないよ」
混じりっけなしの純粋といった笑顔で、シャルロッタは微笑んだ。
「いや……そりゃそうだけど。そのつもりだけど――」
「だったら問題ないよね? どう、クリス?」
クリスティオも事態の推移に戸惑っているように思えたが、即座に色々と考えたらしい。
――負けるはずはないのだが……これはこれで面白い。
「いいだろう。その条件、呑んでやる」
「!」
まさか、こんな事になるなんて――。
だがもう、やるしかない。
ここまできて、引き下がるなんて出来やしない。
「ちょっとちょっと、坊や共、何お兄さんを無視してアツくなってんだよー」
カイゼルンのだらしない言動に、ホーラーは呆れた声を出した。
「お前なぁ……」
だが、その声に我に返ったイーリオが、カイゼルンを屹っと見据えた。
「カイゼルン公。勝負の方法は、貴方に決めてもらいます」
「あァ?」
「僕が負けた所で、貴方は痛くも痒くもない。けど、僕がもし勝てば、貴方は一日二百枚の金貨を手にする事が出来るんですよ。つまり、これは貴方にも関係のある勝負なんです」
金貨二百枚という言葉に、カイゼルンはビクリと反応する。
「それに、勝負の方法を僕が決めれば、僕が勝ったところで物言いがつくかもしれません。それなら、第三者でありながら、関係者でもあるカイゼルン様に勝負の方法を決めていただくのが、一番納得できるんじゃないですか?」
「例えどのような勝負だとて、俺が君みたいな庶民に、負ける訳はないんだけどな」
嘲笑うように、クリスティオが言った。
顎に手を当てて、カイゼルンはしばらく考えていたが、やがて突如、明かりが灯ったように手を打って頷いた。
「よし、分かった。オレ様がお前らの勝負方法を決める役、引き受けてやろう」
イーリオは心の中で喝采をあげた。
「ではカイゼルン公、もしも僕が勝負に勝てば――」
「皆まで言うな。弟子にしてやるよ」
これで覚悟はついた。
「で、その勝負方法だが――」




