第五章 第二話(終)『成金団長』
山腹の森の影から眺めていた一同が、予期せぬ事態に戸惑っていたのも、まさにこの時だった。
百獣王の居場所より先に、ジェジェンの野営地が近くにあると知ったイーリオ達一行は、その近くに身を潜める事にしたのだ。ホーラーが言うには、カイゼルンはすぐ近くだろう。ここに居れば会える、との言葉を信じたのだが、どうにもややこしい事が起こっていると、イーリオは判断に迷っていた。
話の内容までは聞こえてこなかったが、どうやらジェジェンの野営地に乗り込んだ男は、騎士も兼ねた獣狩猟士らしい。衣服やバーバリーライオンに背負わせている荷物から、イーリオはそうだと気付いた。おそらく交渉にでも行ったのだろう。国家や公認の組合の流通を流さず、錬獣術師や騎士達に直接取引を持ちかける獣猟団も少なくないという。
だが、男の取引は、見るも無惨な結果に終わったらしい。
このまま見過ごした所で、自分らには何ら不都合はないし、むしろ助ける事で利する事など特にない。
それでも、目の前で捕まえられた人を、そのまま放置するのは、どうにも心が痛むような気がした。しかし、相手はジェジェンの一氏族だ。野営地の規模からいっても、数十騎の鎧獣がいるものと推察される。ほとんど一個の騎士団と変わらぬ兵力である。これと戦って勝てるなどという自身は、イーリオにはなかった。
いくら〝千疋狼〟を使ったとしても、本物の騎士団を相手に通用するとは到底思えるはずもない。
どうすべきか心の内で煩悶しているイーリオだったが、一方で、ホーラーの表情も、何とも複雑なものになっている事に、ここで気付いた。
「ホーラー様……?」
苦虫を噛み潰したような顔で、彼は小さく独り言をいった。
「あの阿呆……」
「知っているのですか? あの男を」
イーリオの問いかけに、ホーラーは呻くような声で答えた。
「ああ。よく知っとる。阿呆な成金団長よ。……まったく、あ奴め……」
「あの人、とっても面白いね」
登坂の最中、一言も発しなかったシャルロッタが、ここで不意に声をあげた。
「面白い……?」
「うん。とってもヘンな人」
まぁ、確かに間抜けな男ではある。身なりと鎧獣ばかりは大層なのに、状況が分かっていないというか、愚かしくさえある。
「どうしますか? ホーラー様」
「おいおい。まさか助けようなんて言うんじゃないよな、坊や。俺達の目的はカイゼルンに会う事だろう? あんな男は構う必要ない。ここで待つだけでいい。なぁ、ホーラー卿?」
割って入ったクリスティオの言い様は薄情にも聞こえるが、実際のところ、至極最もな意見なだけに、感情的になりかけていたイーリオは、言い返す事が出来なかった。
ホーラーはというと、間をもたずに一言、
「当たり前だ」
「で、でも、あのままだとあの人、嬲り殺しにあいますよ?」
「知らん。放っておけ」
冷たいと言えばあまりに冷酷な言い様に、イーリオは唖然となった。確かに言う通りではあるのだが――。
「間もなくカイゼルンも表れる。だから儂らはここで待てばよい」
その時、ザイロウがピクリと耳を動かし、気配を探るような顔つきになった。
「どうした? ザイロウ?」
クリスティオの鎧獣、ヴァナルガンドも同じだ。それぞれ前方のジェジェンの野営地を凝っと睨んでいる。
しばらく間を置くと、やがて野営地が何やら喧噪に包まれはじめた。
鎖で拘束されたバーバリーライオンが、身を捩って暴れているようだ。
天幕に消えたはずの首長らしき大男も、思わず中から姿を見せた。
何やら怒号が起きている。
一体なんだ? 何が起こってる?
「来た」
ホーラーが独白した。
来た? カイゼルン公が? それで鎧獣達の挙動がおかしくなったというのか?
そんな症状、聞いた事がないだけに、思わずクリスティオの方に視線を向けると、彼も戸惑いを含めた表情を浮かべていた。
※※※
突如として暴れ出したライオンの鎧獣に、アル・ハーンやジョルトらは、思わず再度、天幕から姿を見せた。
鎖を引き千切らんばかりの勢いで、ライオンが暴れている。
その迫力たるや、生身のままでは到底近付く事さえ叶わない。
「何だ?!」
近くにいる兵の一人がアル・ハーンの問いに返事をした。
「な……何が何やら」
「ええい。こんなのに関ずらわっておる時ではない。誰でもよい、鎧化して始末してしまえ」
「やめて下さいよ。アタシの鎧獣ですよ」
こちらも鎖につながれたディルク・カーンが、口の端から血を流して抗議の声を上げる。
「うるさい。貴様は黙れ」
「どうでしょう? ワタクシが〝あの子〟の牙を抑えますから、解放してくれませんかね」
「だから貴様は黙れ」
自分の鎧獣すらロクに律する事さえ出来ないような男の言葉など、耳を貸す必要すらなかった。だが、兵の一人が鎧化するよりも先に、ライオンの膂力に耐えかねた鎖が、悲鳴をあげるように引き千切られてしまう。
「!」
全員が息を呑んだ。
そのままライオンは、猫科猛獣ならではの跳躍力を見せ、一気にアル・ハーンの方へと飛びかかっていったからだ。
全員が声にならない叫びをあげる。
しかし、アル・ハーンは微動だにしなかった。
いや、する必要がなかった。
こちらに飛びかかると思われたバーバリーライオンは、狙いを逸らし、彼の後方に向かったのだ。
体当たりのような音をたて、ライオンの牙が、体にめり込む。
「何……!」
ライオンが牙をたてたその相手は――、彼の主人、ディルクだった。




