第五章 第二話(2)『雪山』
防寒の衣類一式を着込んだ姿で、途中、ホーラーが立ち止まる。
身に着けていた銀製の眼鏡に管を指し、手に持った短い筒から紫煙を沸き起こす――と、青味がかった白乳色、半透明の鷹が、紫煙の中から姿を見せた。
――獣使術だ。
レレケが使っていたのと同じ、神之眼を用いて擬似生命を簡易・限定的に生み出す技。レレケの師匠であり、この獣使術の生みの親であるならば、使えて当然といったところか。
イーリオとシャルロッタはともかく、クリスティオとミケーラは、初めて目にする奇態なこの術に、さすがに目を丸くしていた。
行け、と半透明の鷹に指示を出し、ホーラーは一同に声をかける。
「その顔……、ムスタの倅は獣使術を知っておるようだな」
行き方知れずのレレケを想いつつ、イーリオは深く頷く。
「アクティウムの二人は初めてのようだが……、まぁ、カイゼルンまでへの水先案内だと思ってくれ」
成る程、とイーリオは合点をした。
ジェジェンの一団が何処まで迫ってきているか、あまつさえカイゼルン公がどのようにこれを退けようとしているかは、この広いフェルトベルクの山中で分かる訳がない。ホーラーは、カイゼルンの居場所を知っているのではなく、獣使術の能力で、カイゼルンを探知しようとしているのだった。
「さすがホーラー卿。何とも珍しい技をお持ちのようで」
目を輝かせながら、クリスティオは興味深げにホーラーを見つめる。
やはり退屈な宮廷になどいるべきではない。外にはこんな刺激的な事が待っているのだから! そう言わんばかりの眼差しで、彼はしげしげと蒼穹に消えた鷹を見つめていた。
鷹を待つものとばかりに思っていたが、ホーラーは術の後、すぐに出立をはじめていた。
「すでに数匹出しておるから、ジェジェンどもの場所は大体掴んどる。鷹は最後の詰めのようなものだ」
というのが、ホーラーの言である。
歩を進めつつ、ホーラーはおもむろにイーリオに告げた。
「ムスタの倅、随分とカイゼルンに憧れておるようだな」
「憧れというか……やはり最高峰の騎士、最強と名高い鎧獣騎士ですから」
暫く間をおいて、複雑な表情を浮かべたホーラーが、ぽつりと言い放った。
「水を差すつもりはないが――、百獣王には期待するな」
「え?」
「期待はせん方がいいと言ったんだ」
突然の意外な一言に、イーリオは戸惑った。
「それは……弟子にはなれない――という事でしょうか?」
「まぁ、そういう意味もあるが……お前が思っとるように、百獣王は偉大でも何でもないぞ」
――どういう意味だ?
だが、歯切れの悪い言葉通り、ホーラーはその後の説明を続けなかった。
聞いていたクリスティオも興味を惹かれたのだろう、横合いから尋ねる。
「それは、巷間に伝わるほどの実力はないという意味なのか? それとも人品が相応しくないとでも? 確かに公は〝百獣王〟と称され、法王庁より直々の爵位も賜ってはいるが、本質的には国家に属さぬ傭兵みたいなものだし、金銭で雇われるという意味では、騎士らしからぬとも言えるが――。しかし、傭兵が卑しいというなら、同じ三獣王の黒騎士卿とて同類だろう。実力にしたところで、ジェジェンの一団を一騎で退けた話は、アクティウムなら子供だって知っている話だ。実力が衰えたとも聞いてはおらんがな」
だがそれには、ホーラーは直接答えなかった。
ただ一言、
「会えばわかる」
とだけ告げて、あとはだんまりを決め込んでしまった。
意味深な事を聞かされるだけ聞かされ、そのまま投げ出されてしまうと、気にもなれば、気持ちの持っていきようもない。
胸に悶々とした疑念を抱えたまま、イーリオはそれでもホーラーの後に着いて行った。
ザイロウの背に揺られるシャルロッタは、我関せずといった具合だったが――。




