第五章 第一話(3)『滞在』
ひと通りの説明を聞き、ホーラーは当然だが、無関係のクリスティオや、彼の従者のミケーラまでもが、話した内容に、多少なりとも驚いていた。
特にホーラーは、レレケ――レナーテ・フォッケンシュタイナーなる、彼の弟子と、彼の息子にして一番弟子、スヴェイン・ブクとのくだりについては、顔を顰めるしかないようだった。
「そうか……あの阿呆め、よりにもよって……」
ホーラーの呟きが、彼の息子を指すのか、レレケを指してのものなのか、イーリオには分からなかった。だが、イーリオが齎した話は、偏屈者だと噂に聞く、この名匠の心を動かすには、充分だったようである。
「話は分かった。まぁ、儂としても、協力してやっても良いが……力になるもならんも、お前さんが用のあるのはカイゼルンだけのようだしな。今、儂がお前さんにしてやれる事は大してなさそうだ」
「その、カイゼルン公は、どちらに……?」
ホーラーが答える前に、クリスティオが口を挟むように呟いた。
「公は不在だ。しばらく待つしかないぞ」
こればかりは嫌がらせで言ってる訳でもなさそうとはいえ、彼から聞かされると、何故だか嫌な感情が湧き出てしまう。
「どういう意味ですか?」
しかし、自分から言っておきながら、クリスティオはこれに答えない。
苛立ちを隠そうともしないイーリオの顔を見てか、ミケーラが言葉を継いで返答をした。
「先ほど仰ってた話――ジェジェンです」
「ジェジェン? この近くに迫ってるとかいう……?」
「話によれば、ジェジェンの一団は一部隊などではなく、氏族丸ごとで国境を超えたらしいのです」
「氏族ごと……? それって……」
「明白な侵略ですね。我が国アクティウムも、古くより彼らには苦渋を嘗めさせられておりますから、状況はよく分かります。カイゼルン公は、この氏族を、たったお一人で、退けに参ったのです」
一人で、氏族を相手に――。
一氏族は一国家の騎士団にも相当する数と戦力だ。
それを、たった一人で?
イーリオが言葉を失っていると、ミケーラが続けた。
「公は、付き添いも加勢も不要と言って出られたそうです。今、下手について行っても公のご不興を買うだけ。そこで、私と若様も、ホーラー様の居宅で待つ事にしたのです」
「ちょ……待って下さい。一人で一氏族相手にって――」
嘆息を交えながら、ホーラーがもっともだと言わんばかりに頷く。
「ああ。暴挙だな。普通であれば。だが、あの男なら、これは暴挙とは言わん。間違いなく、奴はジェジェンを退けて帰ってくる」
「でも――」
「だからこその〝百獣王〟なのだ」
最強の騎士。
最高位の鎧獣騎士。
ただ説明を聞いただけなのに、イーリオは背筋が総毛立つようだった。
成る程。そうかもしれない。
百年以上も継承される最強の三者、三獣王の称号。
その中でも最も尊敬と畏敬をもって語られるのが、百獣王の〝銘〟なのだから。
だが同時に、それはイーリオの焦燥を駆り立てるものともなった。
「カイゼルン公は、どれくらいで戻ってこられるのでしょうか?」
「さてな……。あの男も気まぐれだからな。すぐかもしれんし、三、四日はかかるかもしれん」
イーリオが気を失って、既に丸一日が経っている。
こうしてる間にも、レレケはどうなっているか分からないし、事態は推移しているかもしれない。ここで更に数日待たされる事になれば、それのせいでどうなるか、分かったものではなかった。
座して待っては、未来は掴めない――。
イーリオは意を決した。
「僕……カイゼルン公の後を追います」
「追うって、ジェジェンの所に行く気か、ムスタの息子よ?」
「はい」
「待て待て、さっき、そっちの婦人が言うたろう。下手に行けば、奴の機嫌を損ねるぞ。ほんの数日待てば必ず来るんだから、今はここでおるのが懸命だぞ」
「たしかに、もっともです……」
「なら」
「けれど、こうしてる間にも、事態は動いて行きます。僕のペンダントだってそうですし、灰堂騎士団だって何をしてくるか。それにレレケ」
「……」
「僕は彼女を救いたいです」
ホーラーが思わず反論を閉ざした。
ここを飛び出して行った弟子の安否。
直接的な交流はなかった彼女の父親と兄。だが、両者想う彼女の思いを鑑みれば、その行動とて理解出来ないわけではない。その弟子が、危機的状況かもしれないのだ。
それを、旅の仲間とはいえ、日も浅い、全くの他人であるこの少年は、何としても救い出そうとしてくれている。
イーリオは、真っ直ぐにこちらを見据えていた。
エメラルドの宝石のような瞳――。
ホーラーは、その瞳の彩から、ムスタと、彼の妻、シャルロッタと過ごした、遠い昔を思い出す。
二人は、ホーラーの数少ない友人だった。それは彼の中で、今も変わってはいない。
遠い日の記憶。
彼らの腕に抱かれた、幼き命――。
真っ直ぐに見つめる、緑の瞳――。
遠きゴート帝国での宮仕え時代。彼ら夫婦と交わした約束。
イーリオが言った、母の形見のペンダントとは、〝あれ〟の事だろう。見ずとも分かる。それが、はじまりだったのだから。
そして、あの白銀の大狼の鎧獣。
ザイロウ。
よもやあれが、ムスタの息子の鎧獣になるとは……。
これを数奇と言わずして、何と言うか。
しかも、その子供が、まさか自分の息子や弟子達と関わりを持つ事になるとは。さすがの〝工聖〟といえども、こんな未来は微塵も予想だに出来はしなかった。
エメラルドの瞳は、凝っと見据えたままだ。
この瞳……。何も変わっていない……。
傍らの銀髪の少女はまだ何かを食べている。
――そうか。そうなのか。
ホーラーは、心中で独語する。
――これは運命だと言うのだな、ムスタよ。だがな、ムスタよ。儂は運命など信じぬぞ。全ては己が切り拓くもの。己の意思が決断した結果だ。お前とて、それが分かっているはずだ。
――ああ、そうか。だからか。だから、ペンダントを、儂に――
「ホーラー様……?」
ふと、思い出し笑いをしたホーラーに、イーリオは不審げな表情を浮かべた。
何でもないと言いながら、ホーラーは続けて言った。
「儂に、公の行き先を聞きたいのだな?」
「はい」
「良かろう。教えてやろう」
決意を宿した緑の瞳に、喜びと安堵、それに、ほんの少しばかりの不安の色が表れる。
「いや――」
「――へ?」
「教えては……やらん」
「え?」
「教えはせん。儂が直接、案内してやろう」
「ええ?!」
今度はイーリオのみならず、全員が少なからず驚いた。シャルロッタのみ、泰然としたものだったが、実際は、言ってる内容が寸毫も分かっていないだけだろう。
――それもまた、この少女らしい。
何故だかホーラーは、無性に微笑ましくなった。




