第一章 第五話(1)『鎧化』
ホルテの町は、ゴート帝国南方に位置するいわゆる宿場町だ。
イーリオは、かつて父と共に各地を旅した事があったが、シャルロッタがどれほどの行軍を出来るかは不明なので、また、鎧獣がいるとはいえ、子供二人の道行きである。安全にこした事はないと、ここで最初の宿をとることに決めた。
その事件は、馬を預けて今日の宿をどこに決めようかと町中を歩いていた、まさにその最中に起こった。
一緒にいたはずのシャルロッタが、忽然と姿を消したのは。
最初に気付いたのは、当然、ザイロウであった。
宿の看板を左右に見比べていたイーリオの袖口を噛み、シャルロッタがいなくなった事を伝える銀毛の狼。
ちなみに、町中で鎧獣を連れるのは、それぞれの都市や町によってルールは違うが、ここ、ホルテの町では禁止されてなかった。
「は? 何で?」
イーリオは慌てた。
だが、ザイロウは仮にも狼。犬科の嗅覚は、一種のレーダーに等しい能力をもっているので、イーリオについて来るよう促すと、そこには、屋台の食べ物を物珍しげに見ているシャルロッタの姿があった。
「何やってんだよ。探したじゃないか……。」
安堵のため息をつくと、彼女の手をつかんで、そこから連れて行こうとする。
しかし、シャルロッタは動かない。
まんじりともせずに、屋台にあるワッフルを見続けていた。
引っ張るイーリオ。
動かないシャルロッタ。
旅費だって潤沢なわけじゃない。ある程度は節約しないと――と、生真面目に考えるイーリオの思いを知る由もなく、彼女は飽く事なくワッフルを見続けていた。甘い香りに鼻腔をくすぐられたか、涎を垂らさんばかりに表情だけは惚けている。
イーリオは呆れながらため息をつく。
「見た事ないの? ワッフル」
「え? これ、食べていいの? ほんと! やった!」
どこをどう聞いたらそんな解釈になるのか。色々すっとばして、いきなりシャルロッタは喜びをあらわした。
「いやいや……買う訳ないじゃない。節約しないと。そんな事より宿を探さなくちゃいけないから、もう行くよ」
再び手をひこうとすると、今度は見た事のない形相で、イーリオを睨みつけるシャルロッタ。
「やだ」
「いや……やだ、じゃなくって」
「やだ」
彼が初めて見るシャルロッタの怒った表情は、まるで唸り声をあげる子犬のような、愛らしくも、ほんのり凶暴な様相を態していた。
「やだ」
「えぇ〜……でもねぇ……」
「食べさせてくれるの? ほんと?! やった!」
「いや……だから……」
五分後、シャルロッタの手には、ブラウンチーズをのせた、焼きたてのワッフルがあった。
「美味しいね。これっ」
頬を紅潮させて、己の戦利品を誇らしげに眺めつつ、実に美味しそうに頬張るシャルロッタ。
まさか、彼女がこんなに食べ物(甘いもの?)に執着するとは……。
予想外の伏兵に出くわした気分で、イーリオは、再び宿について考えを巡らしていた。
その時だった――。
往路の向こう側から、突然、人の叫び声が谺したのは。
いきなりの悲鳴に、あたりにいる人間全員が、一斉にそちらを向く。
「〝山の牙〟だぁ! 〝山の牙〟が出たぞ!」と、声は重なるように響いてくる。
往来にいた人々全員が、一斉にざわつき、中には駆け出して逃げ出す者もいる。
その名は、イーリオも耳にした事があった。
強力な鎧獣と騎士をもった、近隣でも指折りの山賊団、〝山の牙〟。
見ると、人垣の向こう側に、町の警護騎士の証である肩章を持った騎士の二人が、己の鎧獣を連れて、声のする方に駆けつけている。
こんな所で騒ぎに巻き込まれたくはないイーリオは、事態を呑み込めずにきょとんとしながら、それでもワッフルにかぶりつくシャルロッタの手をひき、「行こう」と言った。
すると、側にいた町の人間が、「なぁ、あんた、騎士なんだろう? だったら、町を守ってくれよ」と、イーリオらに向かって声を放つ。
声を聞いた周囲の人間が、一斉にイーリオらに振返った。
鎧獣は、特別な力である。それを駆る騎士も、通常の平民身分であっても、騎士階級相当の扱いを受ける事が多い。同時にそれは、騎士である以上、ある程度公的な役割を担わされる事が多いという事でもあった。この場合、山賊に襲われそうな町を、騎士たるイーリオに守るよう懇願する事は、町民にとって至極当然の行為であるといえた。
周囲の人々も、口々に「本当だ、あの子、騎士だ」「あんな鎧獣見た事ない」と囁きあう。
突然の望まぬ状況に、イーリオは甚だしく困惑する。
「いや、僕は騎士っていっても……、まだなったばかりの身だし、一緒に戦うなんて事……」
「なぁ、頼むよ、あんちゃん。あの〝山の牙〟の奴ら相手じゃあ、鎧獣は一体でも多い方が心強いんだ。一緒に戦ってくんねえか」
自分たちが戦う訳でもないのに図々しい物言いではあったが、周囲の空気は、それを拒む事を許さない雰囲気に満ちていた。
「いや……でも……」
どうすべきか逡巡し、シャルロッタの方に視線を送ると、彼女はワッフルを食べ終わって、名残惜しそうに、自分の指についた、ブラウンチーズを舐めていた。イーリオの視線に気付き、シャルロッタは問いかける。
「ん……? 何?」
無邪気というか、何も考えていなさそうな表情のシャルロッタ。
「……いや、その――ねえシャルロッタ、僕が戻るまで、しばらくどこかに隠れていてくれないかな?」
「イーリオ、どっか行くの?」
周囲からの、期待と好奇の目が、痛々しいほどに突き刺さる。
――こういう状況、ヤだなぁ。
と、内心で愚痴っても、こんな目立つ鎧獣を連れている以上、どうにもならない。イーリオは諦めと同時に、空気に流される自分の情けなさに呆れつつも、覚悟を決める。
「うん……そうかな? とにかく、ザイロウと僕で、今から悪い奴をやっつけに行くから、君は大人しく待っていて」
「わかった」
本当に理解しているのか、彼女の気持ちは分かりかねるが、それを確かめている時間はない。
「ザイロウ」
傍らの銀狼に呼びかける。
銀狼は、呼びかけに応じる素振りはするものの、こちらも、何だか反応が鈍い気がする。「何だろう」と気にはかかるが、こちらも確かめているわけにはいかない。
意を決して、声を出す。
「行くよ、白化!」
無音。
「……」
何も起きない。
「……あれ?」
見ると、ザイロウは興味なさげに、尻尾を左右に振っている。
「ど、どうした? ザイロウ。……もっかいいくよ、白化!」
無反応。
「へ……? 何で?」
周囲からは、呆れたような、落胆の空気が漂う。むしろ、露骨に「何だよ、騎士じゃねえのかよ」という声まで聞こえてくる。だが、一番落胆したのはイーリオ本人だ。
どういうことだろう? 自分は確かにこの銀狼に鎧化させたはずなのに。
そんな彼の戸惑いを切り裂くように、往来の先から再び声があがる。
「来たぞー! 山賊どもだ!」
周囲の人々は、イーリオらなど、まるで知った事じゃないように、皆、我先にと、逃げ出した。
イーリオたちも、このままグズグズしていられない。
シャルロッタの手を取り、人でまかれないような、人気の少ない手近な路地に、とりあえず入っていく。