第四章 第十一話(4)『川原』
追撃を躱しつつ、鎧獣騎士ザイロウは駆けた。
音だけでない。匂いもはっきりと感じとれる。むしろ匂いの方が明確だ。このまま行けば、まちがいなく、そこにあるはずだ。
敵は付かず離れずで来ている。逃げ切る事も可能かもしれないと考えたが、こいつらを連れて村に入れば、村に無用な混乱を招きかねない。やはりここは、今ここで、自分が始末をつけるしかない。シャルロッタを庇いながら。
生い茂るブナの樹々を抜け、その向こうの明かりが射す場所に躍り出る。
敵騎士達も、同時に飛び出て行った。
敵はどう予想していただろうか。死者の脳は考えていたのだろうか。もし予想をしていたのなら、それに反してザイロウは――逃げていなかった。
目の前に、銀狼の鎧獣騎士が立っている。
大猿達の目には、獲物しか映ってないかのようだ。
そこでイーリオは、敵をたっぷりと引きつけた後で、ザイロウを後方に跳躍させ、着地した場所でシャルロッタを下におろした。
ギャギャギャッ
言語化が出来ないような、叫び声を上げ、襲いかかる仕草をする死人の猿人騎士たち。
だが――
襲ってこない。
躊躇っている。
――やっぱり。
イーリオは、閃きが確信に変わった。
イーリオ達と敵。両者の間に横たわるのは――川。
それなりに深さもありそうな、緩やかな水面の川。だが、川幅はそれほどではない。そんな程度の川。
猿達はその川を怖れるかのように、襲うのを躊躇っている。
猿、特にチンパンジーは、泳げない。それ故に、水を嫌う習性がある。
それはかつて、父・ムスタより教わった事の一つだ。
だが、鎧獣騎士であれば、中にいるのは人間だ。川や水如きを嫌うものでもないし、第一、この程度の川幅なら、一息で跳躍できるものだ。しかし、彼らはそれをしなかった。まるで鎧獣を纏う人間ではなく、猿そのものでもあるかのように。
どういう原理で死んだはずの騎士が動いているのかは分からないが、どうやら、この死人騎士を動かしている〝主体〟は、死んだ本人ではなく、纏われている鎧獣の側、猿の意思で動いているらしい。授器を手放したのもその一つだし、この川を忌避しているのもその証。だがその考えが確証に変わったのは、着地した後の動きだった。
森の中でもそうだったが、今も同じ。
敵は皆、かしづくように、手の甲を下に向けている。
チンパンジーやゴリラなどに見られる歩行。ナックルウォーキングの仕草である。
それを見た時、イーリオの疑問は確信に変わり、今まさに、その答えが明示されたのだった。
不死者のように蘇ったかに見えたが、そのまま蘇った訳ではない。能力は通常の大型チンパンジーを優に凌駕するが、鎧獣騎士ほどではない。何より、猿の本能――即ち、野生の本能が強く顕われ、行動に騎士としての人間味もなければ、脅威もない。
それならば、イーリオに怖れはなかった。動物を相手にするのは、イーリオの得意とする所だからだ。
彼はシャルロッタをその場に残し、一息で川向こうに跳躍すると、続け様に二騎の死人猿の首をはねた。斬られた衝撃で、もんどりうって倒れる二体。流石に首を刈られて、動く事は出来ないようだ。
ギャッ! ギャギャギャッ
猿達は、駆り手である中の女性騎士の面影もなく、不気味に威嚇の声を上げると、銀狼の騎士に怒りの矛先を向けた。
だが、イーリオはこれを躱して、逃げるように再度川の方へと跳躍をかける。二の足を踏む猿達。
これを見越して、川の半ば、比較的浅い地点に着水したザイロウは、そのまま川底を蹴って、跳ね返るように跳び、死人猿を両断するか、首をとばすかして斬り捨てる。
もう、何も怖れはない。
恐怖もない。
だが、残った猿達は、意を決したのだろう。
川の方へと跳躍し、向こう岸にいるシャルロッタを襲おうとする。
「させるかっ」
イーリオ=ザイロウは、同じように、いや、速さで言うならその何倍もの速度で、敵に追いすがり、水に対する嫌悪感で動きに精彩を欠いた猿達を、苦もなく斬り捨てていった。
残っているのは、二体だけのようだった。
※※※
「ありゃあ。やられちゃいましたね」
森の中で身を隠すフランコが、能天気な声で言った。
「死人を蘇らせるなど、下の下。所詮そんなものよ」
吐き捨てるように言うファウストに、モニカも無言で頷く。
「もういいな。後は私が片付ける」
今度こそと告げるファウストに、それでもとフランコは押しとどめた。
「まだあと二体ありますよ。それがくたばってからでも良いでしょう」
「そんなもの、時間の無駄だ」
「ところがギッチョン、そうでもないんですなぁ。ホラ、あれを見て」
三人が川向こうの別の場所を見た。
***
二体の死人猿に、意識を集中していた矢先だった。
もうこれで、片がつく。何とかザイロウの体力も温存出来た。油断ではなく安堵の心持ちで敵と対峙していたイーリオだったが――やはり気が緩んだのだろう。
「危ねえ!」
突如かけられた声に、全身が反応し、咄嗟に後方のシャルロッタを振り返る。
「!」
そこには、顔が半分潰れ、歪に捩じれた片足を引きずりながら、シャルロッタに迫ろうとする、別の死人猿の騎士がいた。
――馬鹿なっ!
敵は残り二体だったはず。ちゃんと油断なく見ていた。見間違えようがない。
そこで、はたと気付く。
そうだ。体が不十分で、倒れたままの動けない騎士達がいた。アレはその内の一体か!
ボロ布よりも無惨な体。吐き気を催す姿。それが雄弁に答えを物語っている。
おそらく、何とか動けたので、イーリオ達を追ってきたという事であろう。見れば、シャルロッタの、もうすぐ近くにまで来ている。
――クソッ、何で今まで気付かなかったんだ!
自分を罵っても仕方ない。すぐさま向こう岸へと跳び移ろうとするが、焦ったその隙に、残りの二騎が、ここぞとばかりに襲ってくる。
焦りが剣先を鈍らせ、一撃で仕留められないザイロウ。
――いけないっ! シャルロッタが!
襲われる寸前。
イーリオは何とか二体を斬り伏せるも、振り返った時には、もうシャルロッタは絶体絶命。跳躍をかけても間に合わない。
その瞬間。
死人猿の体に、網が被さった。
動きが鈍る猿。
今だと、イーリオ=ザイロウが渾身の跳躍をかけ、突っ込むように最後の一体をまっ二つに切り裂いた。
川岸を転がるように着地し、即座にシャルロッタを確認すると、果たして彼女は無事で、傷一つ負わされてはいなかった。
「良かった……」
思わず、その場に座り込むイーリオ=ザイロウ。
だが、そこで思い出す。
先ほどの網。投網になっていた、あれ。
あれは一体――。
周囲を見回すと、川向こうの茂みの奥。そこに、男が一人、へたりこむように座っていた。男は呆けたように、「やった……初めてやった……」と繰り返し呟いている。
「貴方は……!」
確か、ロータル。
獣狩猟士のヨハンらと一緒にいた、彼らの仲間だ。
近寄って、座り込んでいる彼に手を差し出した。
白銀の体毛を生やした大きな掌を出され、思わず体をビクリとさせるも、おずおずとその手を掴んで立ち上がるロータル。中がイーリオだと分かっていても、やはり間近で鎧獣騎士を見れば、普通の人間はそんな反応をしてしまって当然だ。
「一体どうして、ここに?」
ロータルは興奮も醒めやらぬとぎれとぎれの口振りで、ぽつぽつと事情を語った。
宿場町が襲われた時、彼はその場におらず、先んじて今日の仕掛けを施しに山へと入っていたのだった。彼は三人の中でも、仕掛けを主とする担当だったからだ。やがて戻ってきて、その惨状を目の当たりにして腰を抜かすと、逃げるように元来た道を駆け、偶然、この河原に辿り着いたという。そこで、夕べ知り合った少女と、美しい銀狼の鎧獣騎士が、戦っているではないか。しかも、気味の悪い死にかけのような鎧獣騎士達と。
しばらく身を潜め、成り行きを見守っていた彼だったが、そこへ、シャルロッタに近付く別の死人猿を見つけ――
「思わず叫んじまったって訳だよ」
イーリオは、ザイロウのままの姿で、だが声は優しげな彼のもので、改めて礼を言った。
「ありがとうございます。あの、投網も、貴方ですよね?」
「お、おお、そうよ。そうなんだよ……。初めてだぜ……初めてハンスみてえに、一発で網投げを決めちまったぜ。へへ……やるもんだろ? 俺も」
「ええ。本当に。本当に助かりました」
礼を言うと同時に、イーリオは今の話に戦慄を覚えざるを得なかった。
昨日宿泊した街が、壊滅した。
おそらくそれをしたのは、さっき出くわした、あの黒い獣の鎧獣と、チベタン・マスティフの鎧獣。その駆り手達だろう。となれば、やはりマテューらの安否も尚一層気にかかるが、自分達もぐずぐずしてはおれない。一刻も早くここを発たねば――。




