第四章 第十一話(3)『死人猿』
死者の鎧獣騎士達が、びくんびくんと蠕動をしながら、飛びかかってくる。
不規則で、規律もまとまりもない襲い方だ。
しかも、生前の俊敏さは、幾分か失せているようですらある。だがそれでも、脅威としては充分なほど。
イーリオ=ザイロウは、シャルロッタを抱え上げ、後方に跳躍する。
不気味さと相まって、イーリオはただ逃げの一手に徹していた。
シャルロッタも、顔を蒼くして身を固くしている。ザイロウの太い腕に大人しく抱きかかえられていた。
吠え声を上げながら、次々に襲い来る死人猿たち。
攻撃の手はまるで休む事がなかった。
――畜生! このままじゃあ!
不可解さと生理的不快感で、いまにも混乱しそうな頭を必死で生き抜くために働かせ、イーリオはこの窮地を何とか凌ごうとしていた。
この時、焦る気持ちばかりで、彼は気付いていなかったが、ザイロウの能力のおかげで、一体十の戦力差でも、まるで余裕で躱す事が、ザイロウには出来ていた。そう、敵の死人騎士達からは、素早さのみならず、〝人間性〟とも言うべき生前の鎧獣騎士らしさが、いくつか失われていたのだ。
間断なく襲い来る凶暴な牙を、狼狽えながら躱し続けるイーリオ。
だが、シャルロッタを抱えながら躱す事には馴れていないため、思わず歩調を乱して、たたらを踏みかける。軸足で何とか踏ん張りを利かせるも、その隙に数体の死人猿が飛来して来た。
それまで、何とか有利に位置を取ろうとしてきたイーリオだったが、この時は条件反射で避けてしまった。
イーリオ達は、街道横の森へと入ってしまう。
――しまった。
森や林は、猿の鎧獣騎士の独壇場だ。樹上を活かした攻撃をされると、今まで以上に厄介になってしまうのは必定。だが、時は遅かった。猿達は次々に森へと踊り込み、イーリオ達を包囲していく。
――せめて獣能が使えれば……。
おそらくは無理だろう。いや、正確には可能かもしれない。だが、ネクタルが尽きてしまう覚悟で〝千疋狼〟を使ってしまったとして、その結果、ここで強制的に鎧化を解除されてしまうと、文字通り本当の徒手空拳になってしまう。蠢いていた死人猿達が、まだ残っているし、こうなると、何があるかわからない。今、鎧化が解かれる事、ザイロウの活動が限界を超えない事は、絶対の条件である。ましてや、ティンガル戦との際に発動したという、巨大な狼へと変貌する獣能。
――あんなのは、今、絶対に使うべきではない。
底知れない威力を秘めていたとしても、その後動けなくなるのでは論外だ。それに何より、イーリオ自身、あの巨大な狼をどうやって発動させたのかも分かっていない。偶然なのか、何か別種の力が働いたのか。とにかく、今はこの奇怪な状況を何とか凌いで、バンベルグ村に行くしか方法はない。
一騎が樹上を滑るように飛びかかってくる。
それを身を沈めて躱すと、イーリオ=ザイロウは、次の連撃に備える。
だが、連撃はこなかった。
――?
よく見ると、大猿の鎧獣騎士達は、武器授器を持っていなかった。地面を両手両足で蹴ると、再び樹上へと躍り上がる。
――いや、奴らは短剣の授器を持っていたはず。
手放した? 何故? どうして? どうして手放す? 攻撃するのに。しかも、樹間での戦闘に、短剣ほど優位なものはない。それをわざわざ手放すのは何故だ?
疑問に答えを見出す前に、猿達は、まるで嬉々としているかのように、またはこちらを翻弄するかのように、森の中を跳び回っていた。
――何だ?
何かがイーリオの中で引っかかる。
今見た光景。その何かだ。神経を研ぎすませ、意識を集中する。攻撃を躱す神経も鋭敏にしながら。
また襲って来た。
これも苦もなく躱したので、首が半分ほど取れかかっているその個体は、一旦地面に降り立った。そのまま駆けて襲ってくるかと思いきや、手の甲で地面を叩いて弾みを付け、再び跳躍する。
とことんまで、頭上からの攻撃に徹しようというのか。
――待て。
待て待て。そうじゃない。何かがおかしい。何だ。今も見たぞ。何がおかしい?
死んだはずなのに、蘇ってきた鎧獣騎士達。
手放した授器。
猿のように樹上を跳び回る。
そう、猿のように――。大猿なのだ。それは当たり前――。
――そうか。
違和感の正体に気付き、イーリオはハッとなる。
だがどうする? それに気付いた所で、何かが変わるというのか? 何か良い案が、または打つ手が見つかるとでも――。
――打つ手? そう、打つ手だ。
あるかもしれない。
自身の閃きそのままに、イーリオはそれを即座に実行に移す。
――そう。僕の考えが正しければ……。
ザイロウの小首を傾げ、僅かに感じた音源を探ろうとする、イーリオ。
犬科の聴覚は、人間より遥かに優れてる。その優れた聴覚で僅かに聞き取った、ある音を探り当てる。
「シャルロッタ、しっかり捕まってて」
抱きかかえたシャルロッタに声をかけると、彼女は力強く頷いた。
ザイロウの両足に力を込め、イーリオは高速で駆ける。
第四章の最後です。
次回からは第五章「黄金と白銀」になります。




