第四章 第十一話(2)『内通者』
「なぁるほど、あれがティンガル・ザ・コーネや、クダンと渡り合った力の正体ってワケだ。いやいや、すんごいね。話には聞いてたけど、まさかあんな獣能だとはねえ。そりゃ、ゴートの皇子サマも、手放したくないわけだ」
街道から逸れた、山側にある岩の影。そこに身を潜めるようにして、イーリオの戦いの趨勢を見ていたフランコが言った。
フランコというのは、この男の真実の名前。イーリオが彼を見たなら、マテューと呼んだであろう。
灰堂騎士団十三使徒の内、第十一使徒フランコ・ロッシーニは、普段は覇獣騎士団 弐号獣隊 の騎兵長マテュー・ヨアヒムと名乗り、十年以上にも渡って、灰堂騎士団の間者を続けてきたのだ。内部情報や機密事項を流し、時には破壊工作なども手がけて。そして今、彼の毒牙の標的として、イーリオとシャルロッタが狙われていた。
フランコが、感心なのか虚仮にしているのか、どちらか分からない独り言をこぼしているその傍ら。
同じようにして、岩陰に潜んでいたファウストが、フランコの独白を無視するように、立ち上がって出て行こうとする。
それを慌ててフランコが押しとどめた。
「ちょっと待って下さいよ、ファウスト殿」
「貴様の部隊は全滅した。後は俺がやる」
薄ら笑いを浮かべながら、フランコは肩をすくめた。
「全滅? 何がですか?」
「貴様、よもや……」
「あのガキが一筋縄でいかない事くらい、先刻承知ですよ。悪いですけど、あのガキに関しちゃあ、ファウスト殿よりも俺の方が、よく知ってるんでね。あのガキの鎧獣、たいした獣能を持ってますが、ネクタル消費量がとんでもないんです。あれほどの力をそう何度も使う事は出来ないハズ。つまり、さっきの部隊は、ただの前振りってワケです。ほら、見てて下さい」
フランコが指差す方向、ザイロウや大猿達の亡骸が横たわるそこで、異変が生じつつあった。見れば、銀狼の鎧獣騎士が、何やら取り乱している。
それもそのはず。
倒れ伏し、絶命したはずの大猿の鎧獣騎士達が、体を奇妙に蠕動させながら、歪な動きで、体を起こそうとしていたからだ。
それはまるで、操り人形が糸を手繰られるような、人体構造を無視した不自然さ。
しかも、確かに絶命したはずなのに。
遠巻きに見ていたファウストが、整った顔を歪めて、フランコを睨みつけた。
「〝毒〟を使ったな……!」
ファウストの横にいる、モニカも驚く。フランコは、どこ吹く風といった様子だ。
「司祭の新作です。〝ネクロ・ネクタル〟っていうらしいですわ。俺は、ただ、貴方がたの邪魔をしようってんじゃない事ぐらい、これでわかったでしょう? つまりは実験です。司祭の新作の。それも兼ねてここにいるんです。まぁ、これで片がつかない時は、ガキの始末は任せましたよ。俺は命じられた任務は全てこなしたんで、後はどうなろうが、知った事じゃないですね」
「俺より先に、密書を奪うのではないのか?」
「そりゃ、大司教の都合です。俺はやれるだけの事をやりましたし、手も打ちました。実験結果も収集出来てます。でも密書は、ファウスト殿が手に入れました。……何も問題ないでしょう? 俺が罷免される訳もないですし、八方丸く収まるって寸法です。無論、俺の死人ちゃん達が、ガキ共を片付けて、密書を手にしたとしても、それを誰に渡そうが、それは誰も与り知らぬ話です」
軽薄そうな顔つきで、表情通りの内容を口にする。
「貴様、最初からそのつもりで――」
「言ったでしょ、身は灰堂騎士団、元は僧騎士、常の身分は偽りの覇獣騎士団。どれもおろそかに出来ないって。全部の顔をたてるのが、間者としての役割ですよ」
どこまでいっても喰えない男――。
今もやたら陽気な表情で、含み笑いを漏らしている。楽しんでいるのか、それともこの笑顔も作り物なのか。どちらにしても、油断ならざる味方である事だけは、確かなようだ。そう評価する、ファウストであった。
※※※
ザイロウの鎧化を解こうとした時だった。
背に隠れていたシャルロッタが、「イーリオ!」と叫ぶ声を聞き、前を見返すと、そこには信じられない光景が広がっていた。
倒したはずの大猿の鎧獣騎士達が、奇怪な動きで次々に立ち上がっていくではないか。中には体の肉がめくれ、中の駆り手の死体まで露出しているものさえいる。
「な……! こいつら?!」
それはおぞましくも恐るべき光景。
有り得べからざると、理性が必死で否定をするも、目の前に蠢く死人達は、確かに現実そのもの。
倒れたままの者や、起き上がろうとするも、体を奮わせるのみで起き上がれない者もいる。だが、十騎ほどは、再び立ち上がってきた。
※※※
「司祭の新作と言ったな。どうしてそれを貴様が?」
吐き気を催すような光景を目の当たりにしながら、若干血の気の引いた顔で、ファウストが問いつめる。
「司祭の使う伝達の猿です。それで貰ったんですよ。スヴェイン様は、前々から試したかったそうですが、なかなか許可が降りなくてね。つい先頃、やっと大司教の許可が降りて、工作任務で使ってくれ、ってなったワケです」
その口振りだと、フランコ自身は、この〝毒〟の効能を知っていたという事になる。知っていて、投薬したのだと。
「ファウスト様……あれって……」
モニカの顔が、白いを通り越して、透き通ってしまいそうになっている。もともとが磁器人形のような白い肌なだけに、血の気が引いた顔は、痛々しさすら感じられる。
「……以前、スヴェイン司祭が言っていた。中の騎士が致命傷を負っても、外部の鎧獣はまだ動ける状態である事が多い。それを利用して、鎧獣騎士状態のままで、再び動けるようにする〝毒薬〟を作っていると」
「それです、それです。正しくは、鎧獣の認知機能を誤認させるらしいんですね。中の騎士はまだ生きてるよ、戦えって。しかも鎧獣自体が致命傷を負ったとしても、それを一時的に麻痺させてもしまうっていう、恐ろしいシロモノです。それで、死後直前に果たそうとしていた行動を、再びはじめる。それがあの〝ネクロ・ネクタル〟の効能です」
死に尊厳はあるのかと問われれば、戦場や争いの場で生きて来た彼らからすれば、そんなものは幻想でしかないと理解している。だがそれでも、この光景には倫理というか人の誇りを踏みにじるようなおぞましさしか感じられない。死を利用し、鎧獣でさえも廃棄処理するように使い捨てるまで絞り尽くすこの発想は、非道であるとさえ言えた。
だが、それでも――。
それでも、この三人は、〝実験〟を止めようとは言わなかった。おそらく、投与された大猿の駆り手達も、自分達がどうなるか知った上で、臨んだのだろう。
ファウストにもモニカにも、それは分かっていた。
この〝実験〟もまた、大いなる計画の、端緒でしかないということを。
不運なのは、あの子供達。大狼の鎧獣騎士と、連れの銀髪の少女であろう。このようなおぞましい〝実験〟の被験者にされた挙げ句、仮にここを生き延びたとしても、最後にはどうあっても、死ぬしかないのだから……。




