第四章 第十話(終)『追撃』
バンベルグ村までもうすぐの旅程で、気配は突然、濃厚になった。
イーリオだけでない。マテューらも気付いており、いつでも迎え撃つ構えを見せていた。同時に、乗馬の足も早めている。どうであれ、百獣王の元に辿り着く事こそが、何よりもの安全だからである。
「五……六……、もっとですかね」
覇獣騎士団の騎士デトレフが言った。
「八騎でしょうね。成る程、これがイーリオ君の言ってた気配ですか……」
三騎の隊長にあたるマテューが答えた。イーリオもただならぬ気配に、身を固くする。
あともう少しで到着するというのに……。
「まだ馬の足は大丈夫ですね。イーリオ君、全速で駆けますよ」
マテューの合図に、無言で頷く。ここまで来れば、馬が潰れても辿り着きさえすればいい。ここに至るまで襲ってこなかった理由は知れないが、今は逃げの一手が最良の手段だ。
四騎は掛け声とともに、全速で馬を出した。それぞれの鎧獣達も、一斉に駆け出す。心配があるとすれば、覇獣騎士団の鎧獣達ぐらいのものだ。猫科の動物は、瞬発力こそ長けているが、長距離の疾走には向いていない。馬の速度が続いて行けば、いずれ体力も尽きかねない。
だが、その心配は、心配のままで終わりそうであった。
ほどなくして、気配は見る見るうちにその存在を露にする。街道の右手側、叢林の奥から、黒い影がチラチラと姿を見せた。
一同が覚悟を決めようかと思っていたら、今度は後方。
いつの間にやら数体の影が馬蹄を轟かせている。
「騎兵長!」
騎士の一人、エックハルトが叫んだ。
叢林から、影が躍り出る。
弧を描くように、イーリオらの集団の中央に向かって、影が飛来しようとした瞬間、マテューが馬上を蹴って、宙に跳んだ。同時に「白化」と叫ぶ。
白煙が影に向かって呑み込むと、そのまま傍らの草地に転がって行く。
「マテューさん!」
イーリオ達は、馬首を巡らして足を止めると、白煙の先を見つめた。
白煙はすぐさま失くなると、そこには、直刀を突き立てられた巨猿の姿があった。いや、猿そのものではなく、猿の鎧獣騎士だ。
直刀を引き抜いたのは、豹頭人身の騎士。
マテューが鎧化をして、迎撃したのであった。
「まだ来ますよ! 鎧化です!」
マテューが二騎の仲間に下知を飛ばす。
ピューマと大型オセロットの二体が、白煙とともに、すかさず人獣の騎士となり、地に降り立った。それを見たイーリオも、ザイロウを纏おうとするが、しかしマテューが待ったをかけた。
「イーリオ君、君はこのまま進んで!」
「でも!」
「ここは我々が食い止めます。その為に派遣されたんですから! 君は気にせず、行きなさい!」
食い止めるというのか。次々と表れる影を。
見れば、後方から追ってきた影も、もう間近まで迫っていた。
――あれは、王都の!
レレケ救出の際に見た、黒い獣の鎧獣。そして、その駆り手。
更にその横には、街道ですれ違った少女と、チベタン・マスティフの鎧獣までいる。
「僕も一緒に戦った方が――」
イーリオの叫びを、剣を一閃して、否定する。
襲って来た別の猿の鎧獣騎士が、マテューの一撃を弾いた。
「これでも私たちは、覇獣騎士団ですよ。君の時間稼ぎぐらいは出来ます。さぁ、早く行って!」
言うが早いか、残りの二騎も、襲い来る敵を、次々と迎え撃っていった。
流れるような獣騎術。モンセブールの街で見た、伍号獣隊を彷彿とさせる、洗練された動き。騎兵長たるマテューは言うに及ばず、エックハルトとデトレフも、弐号獣隊 では腕利きとして知られる両名だ。三騎というのが信じられない、巧みな動きは、まさに群れでの連携のよう。
イーリオは下唇を噛み、馬上のままで、大きく一礼をした。
「ありがとうございます!」
再び馬首を街道の先に向け、イーリオは駆け出して行った。
※※※
イーリオが去って行く姿を認めた後で、三騎は隊形を組み、マテューらは道を封鎖する陣を布く。
「さて……来ますよ」
見ると、追撃して来た灰堂騎士団のファウストとモニカが馬から降り、傍らの鎧獣を呼び着けている。
「こんな雑魚などに構ってる時間などない。私が蹴散らす」
ファウストの斜め後ろに、獅子に似たタテガミを持つ、黒い猛獣の姿があった。
「あれは……何だ?」
エックハルトがピューマの姿で呟く。
それもそうだろう。ブラックジャガーや黒豹ならまだしも、黒いライオンなど聞いた事がない。いや、そんな種は存在しない。まだ見ぬ未知の生き物だとでも言うのだろうか。緑色に光る不気味な瞳に、得体の知れない迫力を嗅ぎ取った彼らは、一様に身を固くした。
「あれは、ブラックジャガーとライオンの間の子、ブラックジャングリオンと言います。世にも稀な鎧獣ですよ」
前に立ったマテューが、後方の二人に、説明した。二名もその言葉に驚きはしたのだが、それ以上に驚いたのは、ジャングリオンの主、ファウストである。
「貴様……、何故それを知っている」
睨みつける瞳の怒気も露に、ファウストは肚に響くような声で詰問した。
だが、マテューはそれに答えなかった。それどころか、更なる答えを披露する。
「あのブラック・ジャングリオンの鎧獣、名はノイズヘッグと言います。灰堂騎士団十三使徒でも首領格たるファウスト・ゼラーティの鎧獣です。実力的にはそうですね……、覇獣騎士団の主席官でも勝てるかどうか……。鎧獣の格で言えば、クラウス閣下の〝ガルグリム〟や、〝覇王獣〟と同等でしょうか」
「な……それほどの……!」
エックハルトとデトレフは絶句した。
「勝てる見込みは皆無でしょうね。おそらく死ぬのが何秒か――。そんな程度の抵抗しか出来ないでしょう。手向かうだけ無駄、ですね」
それが本当なら、ここにいる三名で足止めするなど、無謀以外の何者でもない。素手でドラゴンと戦うというのに等しい所業だ。しかし、である――
「何故、その事を……?」
マテューは知っているのか。
いつも穏やかで、巡検もあって様々な事に精通した、頼れる騎兵長だ。物知りではあるが、これもその内の一つなのだろうか。見れば、ジャングリオンの駆り手も、恐ろしい顔でこちらを睨んでいた。
だが、不意にその表情が納得のものに変わる。
ファウストは言った。
「フン。鎧化などしているから、気付かなかったが……。そうか、〝お前〟か」
「?」
ファウストの言う言葉の意味が判らず、エックハルトら両名は、不審に感じる。こいつの言っているのは、騎兵長の事なのか? それは一体――。
だが、先ほどからマテューが答えてくれたように、両名の疑問に答えが齎される事は、永遠になかった。
片足を軸にして、マテューが体を反転。一閃して、両名の首を飛ばす。
不意を衝かれただけに、為す術もなく、二名の死体が出来上がる。
「今の貴重な情報、冥府の神にでも報告してください」
マテューが二名の死体を見下ろして呟いた。
「どういう事……?」
この行為に、モニカが不審げに睨み続けている。それもそうだろう。突如裏切るかのように、覇獣騎士団の中心格にいた人物が、仲間を斬り捨てたのだから。
「わからぬか。彼奴よ」
片頬を歪ませ、ファウストが答えた。
マテューは鎧化解除の「蒸解」を唱え、白煙と共に姿を表した。
その顔に、モニカは納得の表情を浮かべる。
「フランコ……。貴方ね」
マテューではなく違う名前を呼ばれ、マテュー、いや、フランコは、両名に笑みを浮かべた。まるで白々しい。陽気に過ぎるほどの笑みだ。
「どういうつもり? アタシとファウスト様の邪魔をするなんて……」
険しい目で、睨みつけるモニカ。だが、既に害意は存在していない。
「――どうせ、大司教の命であろう。貴様は使徒でありながら、あちら寄りだからな」
「さすがファウスト殿。察しがいい」
陽気な声で、フランコは認めた。隠す気すらないその態度に、ファウストの不快な思いは一層水位を増した。
「そう睨まんでくれよ。俺とて板挟みなのだ。身は十三使徒。しかし、元はヘスティア様子飼いの黒母教僧騎士。しかも今は、覇獣騎士団の騎士ときている。どれもないがしろには出来ん肩書きよ」
「ほざけ」
「内調は重要な役割だぞ。俺がいるから、様々な事が出来る。もうかれこれ十年以上も潜伏しているからな……今ではすっかり、エール教や覇獣騎士団が板についてしまった」
言った後で呵々と笑う。この陽気さが、底なしの暗黒を孕んでいるからこそ、彼は言った通り、十年以上もの長きに渡り、メルヴィグ王国内部に潜伏し続けてこれたのだ。
「フン。板に付いたどころか、僣王に寝返ったのではあるまいな?」
「何を言っている。ともあれ、あのイーリオってガキの始末なら、もう既に手は打ってある。俺が派遣された時は、直接手をくだしてやろうかも思ったが、アイツの鎧獣はそれなりに厄介みたいだからな。まぁ、デヴリムから借りた俺の灰巫衆が、うまくやってくれるさ。だもんで悪いが、密書を奪う任は、俺が先を来させて貰ったぞ」
口調まで、マテューの時のものではない。
忌々しい目で自身の間者を睨むと、ファウストは騎乗した。
「無駄だぞ。今頃は俺の手の者が片しているさ」
「どうかな。あの小僧、ラフを倒したほどらしいぞ」
「らしいな。つい先だってまでは、俺が獣騎術を教えてたぐらいなのになァ。成長期ってヤツかな? キャハハハ」
気味の悪い笑い声を上げるフランコに、モニカは軽蔑するような眼差しを向けた。
「まだ間に合うかもしれん。行くぞ、モニカ」
「待て待て、それなら俺も一緒に行くさ。そう焦りなさんな」
「……こちらの手の者を殺しておいて、どの口がそれをほざく。使徒でなくば、今ここで斬って捨ててしまいたいほどよ!」
フランコは、路傍で無惨に死体を晒す、猿の鎧獣騎士をチラと一瞥すると、嘲るように言った。
「ファウスト殿、アンタ、こんな捨て駒風情に同情でもしてるのか? 意外だなぁ。我らが指揮官殿は黒母教とあらば下々にまでお優しいと見える」
「フランコ、お前!」
激昂しそうになるモニカを制止したのは、フランコ自身の言葉であった。
「勘違いするな、モニカ。俺とファウスト殿では立場が違う。俺は序列下位の第十一使徒。ファウスト殿は、第四だ。敬服しているのさ。単純にな」
「もういい。貴様も来るのなら、馬に乗れ。置いて行っても構わんのだぞ」
果たしてフランコの言う通り、イーリオは今、単騎で予断の許さぬ危地に立たされていた。
しかもその罠を仕組んだのが、自分が想像していた内通者の仕業であり、その内通者こそ、信頼の寄せるマテューであるだなどと、その時の彼は、想像もしていなかった――。
「面白い!」
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