第四章 第十話(3)『美青年』
――時間は少し前後する。
イーリオらが旅立った後、一刻ほど過ぎた頃の宿場町。まだ朝靄が残るほどの刻限だが、既に大半の人間は活動を開始していた。荷を積んだロバや馬の隊商が列をなして出立し、露店の仕込みを始める人、既に狩りに出かけた後の獣狩猟士に向けてのあれやこれやの準備をする者や、これから狩りに出かける者など、街中は賑わいを見せつつあった。
昨夜、イーリオ達を食事に誘った獣狩猟士のヨハンらも、昨日捕獲したオオヤマネコに関する手続きを役場で済ませると、次なる捕獲に向かう準備を行っていた。
今日は、昨日いなかった仲間の騎士もいる。
久々に大物を仕留めようと、彼らの準備に余念はなかった。
そこへ、少女連れの若い男が、彼らに声をかけてきた。
顔立ちだけなら、美女かと見間違えるような、非常に整った顔立ちの男である。
「少しお尋ねする」
最初に声をかけたのが、愛想の良くないハンスなだっただけに、チラと視線を投げた後は、男らに目も向けない。肩をすくめ、代わりに人当たりの良いヨハンが答える。
「何だい?」
男はヨハンに顔を向けた。貴族や王族でもあるかのような、存在感のある美貌。思わず、こちらが怯んでしまいそうなほどである。
「君達は昨夜、イーリオなる騎士の少年と連れ立っていたと聞いたのだが、それは真か?」
ヨハンらは目を合わせた。どう答えるべきかと思ったのだが、特に偽る理由もないだけに、「そうだ」と返す。
「左様か。ならば聞きたいのだが、彼らは何処に行くと言っていた?」
ヨハンは怪訝な顔で二人を見つめた。
共に同じような黒灰色のローブ。少女は、イーリオらより少し下の年齢か。そう言えば、夕べイーリオなる少年は、こんな風体の少女の話を、熱心に聞き込んでいたな――。ヨハンはその事を思い出し、警戒心を上げた。
「……アンタらは何だ? 人にものを尋ねるんなら、まずは名乗りなよ」
こちらは日々、野山で体を鍛えている獣狩猟士、それもメルヴィグ王国専属の白猟旅団だ。しかも騎士の仲間もいる。いかがわしげな宗教だろうが、偉い貴族だろうが、そうそう畏れ多いとかしこまる事はないと、タカをくくっていた。
だがその答えが、運命を分けた。
ヨハンらの返答に、男の傍らに立つ少女がボソリと呟く。
「ファウスト様……。こ奴ら、もう、よろしいのでは?」
「そうだな。チマチマと回りくどいのは、私も性に合わん」
瞬間、少女が消えた。
目を瞬くも、そこにはいない。
すると彼らの輪の中央で、突然ドサリ、と何かが崩折れる音がする。
振り返ると、仲間の騎士が、頸部にナイフを突き立ててその場に倒れている。騎士が有していたアカシカの鎧獣も同様だ。
それに入れ替わるように、少女と、毛むくじゃらの巨犬――チベタン・マスティフの鎧獣が佇んでいる。
「なッ……!」
言葉を発したようとした瞬間、ヨハンの周囲で次々に人が倒れていく。
血を迸らせて、ハンスをはじめ、仲間が全員、一刀のもとに斬り伏せられていた。
直後にあがる悲鳴。
突然の惨劇に、遠巻きにいた街の者が恐慌をきたしたのだ。
街は清廉な空気そのものが引き裂かれたように、生臭い恐怖の色へと瞬時に塗り替えられた。
ファウストは右手にさげた血刀を突きつけ、先ほどの問いを再度発する。
「答えろ。あの子供らは、何処に行くと言っていた?」
ヨハンは一瞬で起こった出来事と、訳の分からぬ恐怖に駆られ、その場にへたりこんでしまう。鼻先には死を呼ぶ剣。
「お、お前ら、こんな事をして、タダで済むと――」
右手の甲に、灼けるような痛み。全身が痙攣する。
「苦しみながら死にたい? それともラクに死にたい?」
背後に、膝を抱えるように座った少女。手には仲間をひと突きで殺害したナイフ。ヨハンの右手には、地に縫い付けられるように、それとは別のナイフが深々と刺さっていた。
「ぐ、ぐぁぁぁっ」
悶えた反動で、手が裂かれる。脳髄の芯まで、痛みが焼き付いた。
息を荒げ、涙と涎で顔を歪めながら、ヨハンはファウストを睨んだ。
「じ、じきに警護騎士が来るぞ。それに、あの子供には覇獣騎士団が付いてるんだ。お前らにどうこう出来るものか」
無表情のまま、ファウストは片手を捻った。刃の閃光が流れ、同時に血飛沫が跳ね上がる。
ヨハンの右足が宙を舞った。
絶叫が上がる。
「警護騎士が来る前に死ぬか、警護騎士もろとも死ぬか。それとも、質問に答えて生きるか。好きな方を選べ」
ぜいぜいと荒い息が白く吐かれ、男は混濁した意識の中で、己の生を選んだ。それも仕方のない事。旅で知己を得たとはいえ、見ず知らずの子供に、そこまで義理立てる必要は、何一つないのだから。
「こ、子供は、この先の、バンベルグって、む、村に、行くって言ってた……。錬獣術師の、ホーラー様の……ところだ……」
「ほう」
予期せぬ内容に、ファウストは眉を動かした。
「ファウスト様。それは、スヴェイン司祭の――」
「……偶然か? それとも何かあっての事か? ……どちらにせよ、灰巫衆を先行させる。何か掴んでくるかもしれん」
どうやら自分への興味はなくしたんだと思ったヨハンは、痛みに朦朧としながら、意識を失いかけていった。目の前のファウストなる男の姿に重なるように、いつの間にか黒い影の鎧獣が見えたが、それが最期に見た光景だった。その光景は、ぐるんと一回転してそのまま暗転していく。
ヨハンの首が地に転がっていた。
ファウストは不要になったとばかりに、刀を地に突き立て、モニカに声をかける。
「お前は、〝女ども〟に知らせろ」
「呼ばなくてよろしいのですか?」
「こんな街ごときを地図から消すぐらい、私一人で充分だ。知らせた後、子供らの後を追うぞ。片を付けるのは、目的が知れてからでいいだろう」
「畏まりました」
モニカが一礼すると同時に、騒ぎがより騒ぎを大きくしていた街中で、向こうの方から警護騎士達が駆けつけてくる。
ファウストは、いつの間にか姿を表した傍らの鎧獣に、合図をした。
死を招く合図を。
――イーリオ・ヴェクセルバルグの足跡は、後の世においても長く伝わり、彼の立ち寄った村、街、場所などは、縁のある地として今日でも長く親しまれている。
だが、どの記録、どの文献にも、この宿場町の事は記されていない。
大陸歴一〇九二年のこの日、イーリオが立ち寄った宿場町は、地図上からこつ然と姿を消す事となった。
ファウストとその鎧獣が、単騎のみで街を蹂躙し、その悉くを滅殺せしめたのだ。
翌日になって、ファウストらの元に、銀製の奇妙な形状の眼鏡らしきものを着けた女が、報告に表れる事になる。
イーリオらとの距離は付かず離れずで、今も山中に潜みながら進んでいた。
「使徒様」
「聞かせろ」
「バンベルグ村には、確かにホーラー・ブク卿がおります。間違いなく、工聖ホーラーです」
「そうか」
「あと、もう一つ。調べた所、今、ホーラー卿のもとには、客人が滞在しているようです」
「持って回った言い方をするな。端的に言え」
「失礼しました。客は、あの〝三獣王〟の一人。〝百獣王〟カイゼルン・ベルです」
ファウストは驚きを表す。即座に理解した。そうか。そういう事か。レオポルトの密書は、百獣王宛のものであったか。
「わかった。お前らもこちらに合流しろ。いいな」
「はっ」
銀眼鏡の女は、軽快に身を翻すと、そのまま飛び上がって姿を消した。
「ファウスト様」
ファウストの馬と同調して、自身の馬の歩みを進めるモニカ。
「目的は判明した。これで心置きなく狩りが出来よう。ここから先は、ただ鹿狩りの如く、よ」




