第一章 第四話(終)『盗賊少年』
ブリッゲン山系に連なる山の一つ、フロイエン山は、木々が多く、古くから山賊や盗賊の住処として、近隣の町や村から怖れられていた。
シダレカンバの垂れた枝が、足下まで暗くなるほどに繁茂し、苔むした岩や、小さく流れる川の水音は、まるで伝説上の妖精や小鬼がひょっこりと出て来そうな風情である。
だが、今まさにそこを駆ける少年は、お伽噺などといった優しげなものとは無縁の、はしっこそうな容姿をしていた。
山の獣で作った毛皮の外套をはおり、頭には、まるで南方のアンカラのターバンのように、グルグル巻きにした布を被っている。
少年は猿のように、すばしっこく森を駆けて行くが、そのすぐ側には、四フィート(約一・二メートル)ほどの体躯をした、オレンジ色の影が、木々を縫うように付き従っていた。
やがて少年と影は、森の奥深く、アカマツの柵で覆われた塀までたどり着く。塀の向こうには物見櫓があり、そこに立つ歩哨が少年の姿を認めて声を発する。
「おう、ドグ! 久しぶりじゃねえか!」
少年は顔を上げて答える。
「よっ! お頭はいる?」
赤茶けた髪に、濃い茶の瞳。年の頃は十三、四といったところか。背は高くなく、同年代的にも低い方にあるだろう。
傍らには先ほどのオレンジ色に見えた影――大山猫の鎧獣が立っていた。
「お頭ならいるぜ。けど、今はどうだろうな……。何だ? 新しい収穫か?」
「そんなとこだけどよ――今は、ってどういう事?」
「おう、それなんだがな。ま、とにかく入ってこいや」
歩哨の男は下に居る別の男に合図して、門を開かせる。
ドグと鎧獣は、門の中へと入って行った。
ここは、フロイエン山に住む山賊〝山の牙団〟の砦。
ドグという少年は、麓のホルテの町に住む、いわゆる浮浪孤児というやつだったが、鎧獣の才能を買われ、今は〝山の牙団〟相手に、情報やお宝を売ることを生業としていた。〝山の牙団〟の面々も、ドグと似たような境遇の輩が多いため、すぐに彼と親しくなり、今では親戚か家族のような、気の置けない付き合いをしている。
先ほど歩哨をしていた山賊に代わって、別の三十代がらみの男がドグと話していた。
「――何でもよ、帝都の方から来たっていう女が、お頭に頼み事があるってんで、今、その話をしてるとこなんだよ」
「帝都から来た女?」
「詳しくはワカんねえ。けどよ、真っ黒くて高そうな上物の絹のローブを着て、すこぶる別嬪のねえちゃんだったぜ。あらぁきっと、貴族のお姫様ってとこだろうな」
涎を垂らしそうな締まりのない顔つきで、山賊の男は、帝都から来たという女を思い出していた。すると、別の男が言った。
「馬鹿。あらぁお姫様じゃねえよ。そんな年齢じゃなかったろうが。あれはアレだな、高級女官って奴だろうぜ」
「何だよ、その高級なんたらって?」
「えれぇ女の人って意味だよ。んな事もわかんねーのかよ、馬鹿」
「んだと? てめぇこそ字も読めねぇ馬鹿じゃねえかよ、馬鹿!」
「あ〜、はいはい。とにかく、今、お頭はその女と話してるから会えないって事ね。んじゃあ、俺、待たしてもらうわ。コイツにネクタルもやりたいしな」
ドグはそう言って、傍らにいる大山猫の鎧獣の下顎を掻いてやった。大山猫は、気持ち良さげに目を細め、喉を鳴らしていた。
その山賊の頭の居る砦の奥の部屋には、山賊の頭と一の子分の二名の他、例の帝都から来た女――〝黒衣の魔女〟エッダがテーブルを挟んで向かい合って座っていた。
山賊の頭は、眉間に皺を寄せ、睨みつけるようにエッダを見ている。
「本当に、娘っ子一人に、一〇〇〇オーレもの大金が出るんだろうな?」
エッダは、口元に妖しげな微笑みを浮かべながら、自分の着ているローブを脱ぐと、そこから革袋に包まれた、重そうな荷物をテーブルに出した。
山賊の二人は、ローブを脱いだエッダの肢体に、思わず生唾を呑み込む。
「勿論。これは前金の二〇〇オーレ。全て金貨よ。残りは娘と引き換えって事で」
山賊は目を剥く。
「一体、何者なんだ? その〝銀髪の娘〟ってのは」
視線は、金貨とエッダの肢体を忙しなく交互に行き来しながら、山賊の頭は問いかける。
「詮索はなしよ。きな臭いから止そうっていうんなら、私は別をあたるまで。私が知りたいのは、やるのか、やらないのか? それだけ」
「も……勿論、やるさ、なぁ?」
横に居る子分も、当然と言わんばかりに首を何度も上下させた。
エッダは、長い睫毛の両目を細め、意味深げに微笑む。
「さすが〝山の牙団〟の頭目ね。頼んだわよ」
「お、おい、ちょっと待て。アンタとの連絡はどうしたらいいんだ?」
「それなら心配ないわ。貴方達が上手くいくかどうか、連絡がなくても私にはわかるから」
「?」
「上手くいったら、私の方からここに来るから。けど、失敗したら――」
「……失敗したら?」
「……ま、その時はその時。いずれわかるわ。ようは、成功すればいいだけの事。たかが娘一人を攫うなんて、大した事ないでしょ?」
絵に描いたような妖艶な美女のエッダに問いかけられると、山賊の頭は、思わず勢い込んで「おう、勿論よ」と、文字通り胸を叩いて答えた。
「頼もしいわ。それじゃあ吉報を待ってるわよ」
エッダは、口元に妖しげな笑みを浮かべつつ、椅子から立ち上がって部屋を出て行った。
目の前の美女を名残惜しそうに目で追いつつ、山賊の頭もつられるように、自身も部屋から出ていく。
部屋から外に出たエッダは、むさ苦しい山賊砦を気にも止めないで、颯爽と足を進める。
ふと、そこに、先ほどは居なかった、子供の姿を目にとめた。
ドグである。
正確には、ドグと一緒にいる、大山猫の鎧獣と、ドグの二つにである。
エッダはドグに近付き、声をかける。ドグと共にいた山賊の連中は、そこらの町や村ではお目にかかれないような美女がこちらに向かってきたものだから、滑稽なまでに挙動不審な動きをしていた。
「坊や、あなた騎士?」
ドグは、黒ずくめの美女を胡乱げに見上げた。
「そうだけど。あんた誰?」
「ここのお頭に話があった者よ。その年で騎士なんて大したものじゃない。期待してるわよ」
一方的に言い残すと、エッダは足早に砦を後にした。
立ち去るエッダを、不審な眼差しで見つめるドグ。
そこに、山賊の頭が近付いて来た。
「ドグ、来ていたのか」
「ああ。ちょっとね。んで、何だよ、あのオバサン」
「おばさんじゃねえだろ。……ま、もっとも、おめぇぐらいのガキからすると、あれくれぇの女の良さも、まだわかんねぇんだろうけどな」
小馬鹿にして笑う頭に、むっとするドグ。
「へっ、鼻の下伸ばしてみっともねぇな。俺は何だかヤだな、あのオバサン」
ドグの独り言に、さらに目を丸くして笑う山賊達。
ドグが不審げに感じたのは、勘の鋭さでも、女性への審美眼でもなかった。
――あの女、俺を坊や、って言いやがって。
という、非常に一方的な非難の思いからである。
ドグは見た目は十三歳程度だが、実際は十八歳になっていた。
目下、子供扱いされるのが、一番彼のプライドを傷つけるのであり、エッダは彼の神経を知らずのうちに逆撫でしたのであった。
そんな主人の気持ちを察したのか、大山猫の鎧獣は、彼の手を優しく舐めると、一声、
「ミャオウ」
と、鳴いた。