第四章 第九話(4)『獣狩猟士』
――何?!
それは、突然だった。
今夜の宿と定めた街まで、残り数マイルと近付いていた時、街道終わりの起伏のある斜面を上りきった場所で、突如、獣の気配が迫ってきた。何かの掛け声が谺したかと思うと、それはすぐさま叢を掻き分ける音へと変わり、瞬く間にこちらへと近寄ってくる。
ガサガサガサッ
咄嗟に身構えるイーリオとザイロウ。シャルロッタも、イーリオの後ろで身を固くする。
次の瞬間、それは林の影から飛び出し、イーリオ達の目の前に、距離をおいて着地した。それは俊敏な身のこなしをした猫科の補食獣、ヨーロッパオオヤマネコだった。
警戒はしていたが、それはあくまで殺気めいた敵意に反応していたに過ぎない。見ればこのオオヤマネコ、首の付け根に神之眼を持ってはいるが、鎧獣ではなかった。野生の神之眼持ちであり、いわばただの原生動物。それが何故イーリオらの前に飛び出して来たかというと、明らかに何者かに追い立てられて、街道に飛び出して来たようだ。前足を深く沈め、いきなり目の前に表れたイーリオ達に、威嚇の唸り声をあげるも、すぐさま林の方に注意を向ける。叢が再び大きく揺れ、何かが迫ってきた。
「ハンス!」
男の声がした方向から、クロスボウを手にした男が二人、林から姿を見せた。
オオヤマネコは身軽に跳躍し、反対側の林へと姿を晦ませようとした。が、それは叶わなかった。
突如、オオヤマネコの頭上から黒い塊が落ちて来たかと思うと、オオヤマネコは全身を覆われ、その場に転倒してしまう。網だ。全身が投網に絡まれ、オオヤマネコはその場で七転八倒する。その隙に、反対側の林から別の男が姿を見せ、網にくるまれたオオヤマネコを、苦もなく捕獲してしまった。
クロスボウを手にした二人の男が、網を投げた男へと近寄り、手際良く男の手伝いをする。
「小振りだな」
クロスボウを持っていた一人が言った。
「ギリギリといったところか。どうする?」
網を手にした男がその声に答える。
「一応、団に持って帰ろう。駄目と分かったら、逃がしてやればいいさ」
「やれやれだな。二日かけてこれか」
そこで男達は、はじめてイーリオ達に気付いたかのように、こちらに振り返って会釈をした。
一連の出来事を、対岸の火事のように呆然と眺めていたイーリオ達も、思わずそれに返礼する。
「や、済まんな。騒がせちまったようで――って、おや? アンタ、騎士なのかい?」
イーリオの騎馬の横にいるザイロウを見つめ、意外そうに男は言った。
「見た所、まだ子供じゃないか。その年で鎧獣持ちとは、大したモンだな」
皮肉でも嫌味でもなく、心の底から感心している口調で、三人の男達は、互いに頷き合っていた。
厚い革製の衣類に、モグラの毛皮で出来た手袋。背には動き易くまとめられたナップザックを背負った男達は、一様に似た出で立ちをしている。その姿は、イーリオにとって馴染みのある格好。
「貴方がたは、獣狩猟士ですか?」
男の一人、ハンスと呼ばれた者が「そうだ」と短く答える。付け加えるように、最初に声をかけた男が、その後を継ぐ。
「俺達は国家直属獣猟団さ」
そう言って、手袋を外して、右手の甲を翳す。人差し指と薬指のそれぞれに指輪が一つずつ。距離があって模様までは判別できないが、片方には白水晶が嵌められているらしく、鈍い光を反射している。間違いなく獣狩猟士のもの。それも、メルヴィグ王国公認のものだった。
「その色……、もしかして、白猟旅団ですか?」
指輪の色に、イーリオは目を見開いて問う。
「ああ。本来なら、街道付近のこんな所で猟をしてはいかんのだが、オオヤマネコ、かなり利口でな。思わずとんだ追跡劇をやらされる羽目になったってワケさ。いやぁ、本当に済まん。驚かすつもりはなかったんだが」
「騎士なら、これくらいで動じたりはせんだろう」
気さくな男に比べ、ハンスはぶっきらぼうで無愛想なようだ。
「かもしれんが、オルペの殿様あたりに知られたら、罰せられるのは俺達だぞ。……って、まさかアンタ、オルペかクレーベの騎士様じゃないよな?」
男は伺うような目で、イーリオを見つめた。
「いえ。僕らは旅をしているだけです」
頭を振ったイーリオの返答に、男達はいささか安堵したようだった。
「そっか。旅って事は、この先の宿場にでも泊まるつもりかい?」
「あ、はい。そのつもりです」
「なら丁度いい。俺達がオオヤマネコを納めるのも、この先の宿場町なんだ。良ければ一緒に行くかい?」
一瞬、イーリオは考える。
いきなり表れたこの人たち。確かに何処からどう見ても、獣狩猟士にしか見えないが、自分達に敵する者の手先という事は有り得ないだろうか? 僕達に近付く為に、このような変装までして、待ち受けていたとか。ひょっとしたら、最前まで僕らを尾けていたのも、この人たちでは……?
いや、それは考え難い。
尾行しておきながら、こうまで手の込んだ芝居をするのも妙な話だし、そもそも、する意味がない。確かにメルヴィグ王国国内にも、黒母教の信徒が多数いるだろうし、中には灰堂騎士団に通じてる者もいるだろう。だが、白猟旅団といえば、エール教の信者である事が必須だと聞く。狂信的な者でなければ破壊工作など行わないだろうし、であれば、教義を偽る事は、何より堪え難い事であろう。
「そう……ですね。旅は道連れとも言いますし」
それに、人数が多ければ、敵も手を出し難いと考えられた。人が多いと騒ぎになりやすい。騒ぎになれば、必然的にレオポルト王の耳にも届く。覇獣騎士団は言うに及ばずだ。
イーリオはシャルロッタに、「いいかい?」と聞くと、彼女も大きく首を縦に振った。ほとんど反射的な動きで、その目はずっと、捕らえられたオオヤマネコに注がれている。
興味深いのであろう。神之眼持ちの野生動物を捕獲する現場など、そうそう見れるものではないだろうから。
オオヤマネコも、上顎を開き、威嚇しっ放しの表情だったのが、今は組み立て式の駕篭に入れられ、大人しくしている。縛られた四肢に、口元も厚手の皮革で覆われた姿は、どことなく痛々しさを感じるが、これは致し方ない事。むしろ、獣狩猟士の三人の手際の鮮やかさに、イーリオは感動すら覚えていた。
「珍しいかい、嬢ちゃん?」
シャルロッタは、再び首を大きく振った。
「僕は、父が錬獣術師だったので、神之眼持ちの捕獲を手伝った事もありますが……それでも、さっきの網、見た事ありません。凄い技ですね」
イーリオが感銘の面持ちで言うと、
「だろう? ハンスの網は、西方一なんだぜ。俺はヨハンってんだ。こっちはロータル。いつもはこれに、ライマーって騎士もいるんだが、今日は同行出来てなくてな。兄さんらに、もちっと早く出会えてれば、ライマーの替わりを頼めたんだがなぁ」
ヨハンはそう言って、豪快に笑った。
いかにも狩人然とした風貌と話し振りに、イーリオはどこか父の面影を見るような思いだった。
――イーリオ達を尾けていた気配も、やはり感じられない。
さりげなく周囲に注意を払った後、イーリオは彼らに歩調を合わせる形で、宿場にまで歩みを進める事となった。




