第四章 第八話(終)『諜者』
ほどなくして、イーリオがシャルロッタと伍号獣隊の騎士を連れ、森の中から姿を表した。倒れたピューマの鎧獣は、ザイロウの背に乗せて連れている。大狼のザイロウならば、ピューマを運ぶ事も可能だったのが幸いした。
話をシャルロッタから伺い、そこでようやっと、レレケが何者かに連れ去られたと、一同は確信に至った。シャルロッタに残した言葉といい、おそらく己の意思で離脱した訳ではなさそうだ。無論、シャルロッタが捕まらなければ、レレケが敵に捕らえられる事などなかったとも言え、彼女の無謀な行い、それにフォッケンシュタイナー家への同情も相まって、カレルなどは露骨に非難の声をシャルロッタに向けたが、兄であるルドルフがこれをたしなめた。
「聞けば、これなる少女がおればこそ、そこの少年騎士は、あの使徒なる輩の一人を倒せたのだろう。ならば、一概に少女を非難するべきではあるまい」
イーリオが、クダンなる使徒を撃退した事は、彼とシャルロッタを除く全員が驚き、賞賛した。朝日が昇りはじめたのをきっかけに、実際に森の中へと捜索隊を派遣した際、クダンとラフ・ラーザの亡骸を、部隊が回収している。
だが、イーリオ自身にとっては、それを手放しで喜ぶ事が出来なかった。
元々、森へと単独行動を行ったのは、内部の密告者を炙り出そうと怪物を追いかけたからだ。使徒なる灰堂騎士団の破壊工作員を退けたまでは良かったが、肝心の情報は掴み損ねている。
何より、レレケが攫われた事は、イーリオとドグにとって、とても無視出来る話ではなかった。
すぐに後を追おうとドグが主張すると、イーリオも躊躇いなくそれに応じた。
だがそこへ、予期せぬ所から待ったをかける声があがった。
嵐か大地震にでも見舞われたかのような、街の破壊の跡。
その瓦礫の影から、一同に向けて声がする。
「探すったって、アテはあるの?」
影を見る。何もない。
街の住人の安否や事後処理などに追われる騎士団員や街の警護部隊が、いそいそと立ち働くのみで、彼らに声をかけた者は見えない。だが、シャルロッタが「あ」と言い、元より〝声〟の主が居た事に気付いていたルドルフが、それを意外そうに見つめた。
瓦礫の影、柱が一本残った、細長い影から、まるで這い出してくるように――緞帳が横に引かれるように、白と黒の人獣が姿を表した。
黒い体毛に、白地に金縁の授器。明らかに覇獣騎士団のそれだが、リッキーやカレルらのものと比べると、色がくすんでいる。白も生成色と言われればそうともとれ、金縁もくすんで鈍色がかっていた。
人獣は、しなやかな肢体を表すと、「蒸解」と唱え、中の人物が姿を見せた。
表れたのは、イーリオらが獅子王宮ですれ違った女性――。
陸号獣隊の次席官マルガであった。
足元に控える鎧獣は、黒豹――否、それよりも一回り大きく、四肢が逞しい。斑点が透けて見える事から、先天性黒子の大型豹、ブラックジャガーだとわかる。
まるで間者か手品のように、有り得べからざる所から姿を見せたマルガに、イーリオとドグは驚愕するも、覇獣騎士団の連中は「ああ」とばかりに納得している。
「え……? 今、影から出てきて……?」
目を見張るイーリオに、リッキーが説明する。
「ああ、今のはアイツの鎧獣の獣能さ。気にすんな」
何も無い所から姿を表す。そんな獣能を目の当たりにして、気にしない方が無理というものだ。少なくともここにレレケが居れば、もの珍しい鎧獣に、目を輝かせているに違いない。
そう、レレケだ。そこでイーリオは思い出す。
「マルガリータ……さん、ですよね」
「マルガって呼んで。堅っ苦しいのはニガテなの、アタシ」
「マルガさん、アテってどういう意味ですか」
「言ったまんまよ。レナーテさんが何処に連れて行かれたか、アナタ達じゃ、それはワカんないでしょ?」
確かに、と言葉が出ない。実際、探そうにも、どこに連れ去られたのやら、皆目見当がつかない。
「アタシはね、陛下の命を受けて、アンタ達にこっそりついていたのよ」
「あァん?」
思わずリッキーが不快げに顔をしかめる。
「王宮で会ったじゃない。あん時よ」
「それじゃあ、陛下は最初から――」
「そりゃあ陛下だもん。それくらい読んでるわ」
「あの、それってつまり……?」
リッキーの横から割って入るように、イーリオが尋ねる。
「陛下はね、リっくんの派遣に何か不測の事態が起きるだろうから、その時は力になれ、って言ってたのよ。まさか鎧獣を動けなくする〝毒〟とか、ホンモノの怪物が出るだなんて、思いもしなかったけどサ。だから今まで、出そびれちゃったワケ」
「それがどういう……?」
「レナーテさんを連れ去ったのは、キミ達が言ってたスヴェインってヤツね。で、アタシの部下が、今そいつを尾けてるわ」
思わず目を合わせるイーリオとドグ。
「それじゃあ……!」
「だから落ち着きなって。坊や達は気が早いわね。アタシ達、覇獣騎士団にとっても灰堂騎士団の実体は掴んでおきたいし、それにそもそも、レナーテさんはワザと捕まったとはいえ、目的があって、敵の懐に飛び込んだみたいなの」
レナーテ――レレケの父が、灰堂騎士団にいるという事はマルガも報告を受けていたが、その事は伏せていた。
「今、無理矢理助けようとしても、無謀なだけだし、レナーテさんの考えも台無しにしちゃうじゃない? だから一旦、レナーテさんの追跡と奪還は、アタシ達に任せて、キミ達は本来の目的を果たして頂戴」
「本来の――」
「イーリオ君、キミの目的は、陛下の書状を〝百獣王〟に渡す事でしょ」
イーリオは押し黙った。
確かにマルガの言う通り、自分達だけでレレケを助け出すのは、王都で攫われた時よりも、遥かに困難だ。だが、そうだと言って、仲間を置いて、このまま別の行いをすべきだろうか?
「イーリオ君、安心しろ。このマルガさんと陸号獣隊 は、偵察、索敵、情報収集を専らとする、王国一の隠密部隊だ。こういった事にかけては、大陸で陸号獣隊 の右に出るものはいない」
カレルの言葉には、覇獣騎士団への矜持もあったが、ほんの少し別の感情も入り混じっていた。実際、言いながら、チラチラとマルガの方に視線を走らせるカレル。
「でも……リッキーさんやドグの鎧獣は、動けませんよ。敵が行った〝毒〟の出元は分かりましたが……」
シャルロッタの齎した情報、レレケが去り際に告げた言葉から、街に引かれた水に、〝毒〟が含まれていると判明した。
レレケが渡した革袋。
そこには神之眼を削った粉のようなものが入っており、それを数粒摘んで水に入れると、たちまち水が麦酒のように泡立った。一方、イーリオがザイロウに与えた水は、持参していた水袋に入っていた水であり、そちらに粉末を入れても何も起きなかった。
泡立った方には、灰堂騎士団の仕込んだ〝毒〟があり、それが鎧獣の体を痺れさせ、麻痺させていたのだった。しかも人体には無害であるような事から、尚の事、誰も気付く事が出来なかったのである。そもそも、鎧獣に効く毒など、初めて聞くシロモノだ。気付けなくとも無理はない。
とはいえ、レレケがそれをどうやって知れたのか。――マルガは知っていたが――イーリオ達には分かるはずもなく、何より、解毒の方法が分からない。一生このまま麻痺してしまうのか。それとも毒は抜けるのか――。いずれにしても、現状で国王の密書を届ける為に動けるのは、イーリオのみであると言えた。
「それに、百獣王様は、こちらのルドルフ様のお城にいないんですよね。会うと言っても――」
「それなら案ずるな。公の行き先は、兄上が存じておる」
「だーっら、何っで、オメーがエラっそーに言うんだよ。オメーは知らねーだろ」
「いちいち口を挟むな。バカ頭の分際で」
「てンめえ……、口先だけの、何にも詰まってねーそのアタマ、カチ割ってやろうか。アアン?!」
勝手に始めたカレルとリッキーの言い争いを、マルガは「放っておきな」と言って、ルドルフを見る。
ルドルフはというと、喧嘩を始めた二人に、目を細めて頷いていた。
「あの……いいんですか?」
イーリオがおずおずと尋ねた。
「む。何がだ?」
「いえ、その、弟さんと、リッキーさんです」
「相変わらず、仲の良い二人だ。微笑ましいではないか」
ああ。この人アレだ。ちょっとそういう人だ、これ。
ルドルフの細めた目を見て察してしまうイーリオに、マルガは無言でそれを肯定した。
「――で、それはともかく、ルドルフ主席官、百獣王様の行き先ですが、公は何処に?」
ああ、と、思い出したようにルドルフは頷き、イーリオの目を見てこう言った。
「百獣王カイゼルン公は、バンベルグの村に行かれると申しておった」
その村の名に聞き覚えのあるイーリオは、何か予感のようなものを感じた。
「バンベルグ……?」
「うむ。特に名のある土地ではないから、知らぬだろう。その村に住まう錬獣術師ホーラー卿を尋ねると申しておったぞ」
「!」
ホーラー卿。
予期せぬ名前に、驚きを隠せないイーリオ。
イーリオの旅の目的。そもそものはじまり。
錬獣術師ホーラーに会い、母の形見のペンダントを治してもらう事。
その目的の人物が、期せずして、ここで目的の場所になるとは――。
※※※
モンセブールの騒ぎの次の夜。
王都にある覇獣騎士団の、とある部隊の騎士団堂の一室で、その人物は公務を行っていた。まだ片付かぬ残務であったが、夜中の一〇時を越え、やっと目処がたち、一息とばかりに、窓際に立って、外を見つめる。
その時、フっ――と、ランプの明かりが消え、部屋が真っ暗になった。月明かりだけが、その人物の足元に影を作っている。
だが、その人物は、暗闇になった事にも何も動じず、そのままの姿勢で窓の外を眺め続けていた。
やがておもむろに、
「何用だ?」
人物の影から、一匹のリスザルが湧き出てくる。
リスザルは、喋れぬはずの口を開き、声の出ぬはずの言葉を、しゃがれた音で話し出した。
「大司教様は、大層お喜びです。あの鼻持ちならぬ、黒髪の孺子と、〝黒髭〟の鼻をあかせたと」
「そうか」
リスザルの言葉を、興味なさげに聞き流す。
「で、用はそれだけか?」
「大司教様からの伝言です。次なる指令を、と」
「やれやれ、人使いの荒い方だ。つい先刻まで、モンセブールに飛んでいたというのに……」
「黒髪の孺子より先んじて、密書を奪え。そして、任に就いた者を――殺せ、と」
リスザルの声に、おぞましい感情が波打った。まるで呪いの文言のようだ。
人物はしばらく間をおいて、
「分かった」
と、答えた。
言葉と共に、リスザルは再び影の中へと潜るように姿を消し、しばらくすると、部屋の明かりが再び灯った。
窓から離れたその人は、己の公務机の周りを片付け出す。
律儀に、塵一つなく。
それは己の痕跡を消しているかのようでさえあった。
「面白い!」
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