第四章 第八話(3)『幻夢』
目の前に突然、シャルロッタが姿を見せた。イーリオと向かい合わせ。クダンの背中越しの位置にだ。
どうして彼女がここに? 浮かんだ疑問以上に、彼女の額の輝きに、目を奪われる。
それは、かつて鎧化時に起きていた、彼女の神之眼のようなモノから浮かぶ光。普段は形すらない額のそれは、ザイロウと鎧化する際に、「彼女を守るため」という目的とその認可の為に放たれていたのだ。それが彼女の額に輝いている。
それは敵も気付いたようであった。
突如背後から表れた額の輝く少女。ラフは振り返りながら、驚く。
彼女の存在に、ではない。
彼女の額に。
――あれは、〝神女〟様の?!
神女を誰よりも崇拝すると自負するラフにとって、その輝きは彼を狼狽えさせるに充分であった。人間の神之眼。それは、神女のみが持てる権能のはず。一体これは……。
「イーリオ!」
再びシャルロッタが叫ぶと、額の輝きは、尚一層の光を放った。奔流となり、一直線にイーリオ=ザイロウに向かう。その光の有り様は、かつて初めてザイロウを鎧化した際に出した光と同じであり、通常の鎧化の際に出す細長い光とは異なっていた。だが今は、そんな事を気にする余裕はなかった。
イーリオの頭に、語りかけてくる声――。
ザイロウ? ザイロウなのか?
声は言う。
血を見せろ、と。
声と共に、心の中で結んだイーリオの像から血が毀れ落ちる。それは狼の姿をした炎と混じり合い、一際大きな炎となった。
――ひとつ目の結印だ。
目の前が弾けた。
シャルロッタから放たれた光の奔流は、そのままザイロウの額にある神之眼に吸収され、ひとときの幻を見せた。そして直後、ザイロウを通じて、イーリオは自分の全身に力が溢れ出すのを感じた。
そう。イーリオは初めて、ザイロウと結印したのだ。幻の中であったが、それは確かに〝血〟の結印だった。
結印とは、騎士が己固有の鎧獣を求める際に行う、契約の事。本来は、鎧獣を得る時に交わすものだが、イーリオは何故かザイロウと結印をさせてもらえていなかった。シャルロッタがそれを拒んだのだ。
それを行ったという事は――。
イーリオの瞼の裏に、一筋の光明が見えた。道の先。そこには長い長い洞窟を抜けた先にある、新たな地平のような場所。イーリオの魂と、ザイロウの魂が出会う場所。その獣は、解き放たれた。
ザイロウが肉体を通じて応じてくる。イーリオもそれに応えた。
イーリオの双眸が開かれた。今まで閉じていたのではない。新たな視界が開けたのだ。
魂が赫い炎の獣となって、毛穴という毛穴から吹き上がる。
ケダモノたれ――と。
「〝千疋狼〟」
イーリオ=ザイロウは、獣能を命じた。全身から鎧化時のような白煙、いや、乳白色に近い紫煙が立ち昇る。それは濃密な霧を生み、周辺を覆い隠した。
ラフ=クダンは、後方の少女を一旦忘れ、目の前の敵の変化に意識を集中させた。
何だ、コレは?
いきなりあの人狼の騎士が、全身から煙を噴き出したのだ。こんな獣能は聞いた事がない。
獣能とは、鎧獣騎士の肉体を特化させて行う異能のはず。ならばこれも肉体のなせる技だというのか。霧を噴き出す事が。
どうにも読み難い敵を相手に、歴戦の猛者であるラフは、警戒の水位を一段階上げた。だが、その判断が、その時既に遅かった事を、彼は死の間際に気付く事になる。
即席の霧から、殺気が膨れ上がる。
まるで火が燃え移るように、殺気は次々にその数を増していった。
ラフは躊躇った。一体何だ? 何が起きている?
そこへ突然、霧の幕を破るように、数匹の影がクダンの四方から襲いかかってきた。
いきなりの事であったが、戦場で慣らした彼の適応力はこんな程度では揺るぎもしない。冷静に見極め、戦鎚を振るって、踊り来る影を撃墜した。
通常の襲撃であれば、の話だ。
しかし影は、戦鎚をその身に受けながらも、巧みにこれの威力を減殺。身を翻らせて地面に降り立つ。そこでラフは目を剝いた。自分を襲って来たものの正体。それは白銀に輝く、青味を帯びた乳白色の狼ではないか。まるで、ザイロウなる鎧獣の分身であるかのように。それが数体。いや、次々に霧中から姿を表す。数十体。もっとだ。
さながら、巨大な 狼の群れに包囲されたように、クダンの周りは数多の光る狼で埋め尽くされていた。
「な、な、な、何だ……?」
不気味以外の何者でもない。
その内の数体が、呼吸を合わせて一斉に踊りかかってくる。驚きはすれ、自分のいる灰堂騎士団とて異様な人物や業を持った者が多く存在している。すぐさま冷静さを取り戻すと、今度は先ほど以上に狙いすまして、戦鎚を一薙ぎした。
鉄塊は擬似狼に過たず当たり、鈍い手応えと共に、水袋が弾けるように狼は掻き消えた。
鎧獣騎士と比べても、動きは遜色ない。どうやら、ただの擬獣とは違うようだ。
――だがな。
いくら何十、何百と数を増そうが、この程度であれば……。
そう思ったのも束の間、狼の群れが割れるように道を作り、その先にザイロウが佇んでいた。ザイロウの傍らにいる狼が、拾って来たのであろうウルフバードを口にくわえ、それを差し出す。己の主にかしずくように。
ザイロウはウルフバードを手にし、それを前方に掲げた。
「み、み、妙なフ、フ、フィ、フィ、獣能を、つ、使う」
イーリオ=ザイロウは、ラフ=クダンの言葉を無視した。
もう恐怖はない。
獣能の発現と共に、彼の中には己の力に対する信頼が生まれていた。
イーリオは気付いたのだ。
今までのザイロウは、自分の鎧獣のようで、実はそうではなかった。借り物の存在であったと。シャルロッタから力を借りていただけであったと。
今は違う。
幻の中で見た血の結印。
それは幻であったのかもしれない。だが、イーリオの中では確かに存在し、実際の効力を持っていた。
そしてザイロウは――イーリオのザイロウになった。