第一章 第四話(2)『出立』
※※※
夢を見ていた――。
永い、永い、永遠ともいえるような、永い夢を――。
幾人もの男達が現れ、自分に手を差し伸べる。けれども、どれも〝彼〟ではない。
私は〝彼〟のためにあり、〝彼〟のためだけに産まれてきた。〝彼〟以外は、私の〝騎士〟足り得ない。
でも、もう〝彼〟はいない。正確には、私が目覚めた時には、既に〝彼〟はこの世を去っていた。私は産まれてきた時から、私である事の存在意義を失っていたのだ。
どのような男が来ようと、私の〝彼〟ではない。
〝あれ〟も眠りについて久しい。
このまま、使命を全うする事もなく、私は老いさらばえていくのだろうか。だが、〝彼〟のいない今、私にとって世界は灰色だ。ならば、それも良かろう。
だが、どうした事だ。
〝彼〟はもういない。もう二度と現れることはないというのに、〝あれ〟が〝彼〟を感じるという。そんなはずはない。私は知っている。〝彼〟が存在するはずはないという事を。
だが、私にも予感があった。
胸騒ぎがあった。
これは、〝彼〟なのか? 〝彼〟がいるというのか?
ならば――と、
私たちは、はじめて自らの足で大地を踏みしめ、光ある世界に駆け出した。
〝彼〟はいるのか――?
果てしない荒野の向こう。降りしきる雪原の彼方。どこまでも続く空の先に——。
〝彼〟の姿を探して。
我々の、〝世界の開拓者〟。
※※※
目覚めると、そこには視界いっぱいを埋め尽くすシャルロッタの顔があった。
むずむずする鼻は、彼女の髪が、自分の鼻孔をくすぐったからだ。
「うわぁぁっっっっくっしょん!」
驚きとくしゃみで跳ね起きる拍子に、イーリオは思わず、ベッドから転げ落ちる。
シャルロッタは、イーリオの動きを見事な身のこなしで躱すと、不思議そうな目でベッドの下に落ちたイーリオを見つめた。
「シャ……シャル……っくしょん!」
まだくしゃみをするイーリオに、今度は思わず、笑い出すシャルロッタ。
「おかしい! シャルっくしょんだって!」
珍しく大笑いをするシャルロッタに、少し不満げな表情を見せるイーリオ。何とかくしゃみを抑え、体を起こす。
「そこまで笑うなよ。全くもう……」
「だって……だって、シャルっくしょんなんて」
まだ笑い転げるシャルロッタの傍らには、案の定、銀毛の狼、ザイロウが控えていた。ザイロウは、笑い続ける彼女を、何が面白いのかと言わんばかりに「くあぁぁ」と、大きな欠伸をひとつした。
そうだよな。何が面白いんだよ、全く。と、転げ落ちた恥ずかしさもあったが、先ほどのシャルロッタの顔を間近で見た事で、あの時のキスを思い出した事による恥ずかしさの二乗で、イーリオは不貞腐れながら、彼女の笑いがおさまるのを待った。
「なんだよ、いきなり」
「ムスタが起こして来いって」
窓の明かりと、彼女の衣服を見て、ああ、そうか、と思い出す。
昨夜の話の後、翌朝には出発すると決めたのであった。
シャルロッタの服も、昨夜のうちに、同じ年頃で似た背格好の村人の少女から衣服を譲り受け、そちらのものに着替えていた。
あの全身に張り付いたような奇妙な衣服だと、旅をするには目立つからだ。
……まぁ、あれはあれで、似合っていたけど。
と、彼女の肢体を思い出し、思わず顔を赤くするイーリオ。
――何を考えてんだ、僕は……。
「どうしたの?」
顔を赤らめるイーリオに、再び顔を寄せるシャルロッタ。
「い、いや、何でもない! ってか、君、いつも顔が近いな!」
シャルロッタは、いつものように、不思議そうに小首を傾げた。「何で?」と。
「う、うん、何でもいいからさ、もう起きたから、今から着替えるよ。だからシャルロッタ、ちょっと部屋を出ていてくんない?」
「何で?」
「いや、何でって……そりゃさ、あんまりそういうのは良くないでしょ、やっぱり」
「? イーリオ、何言ってるの?」
「いや、だからね……年頃の女の子的には、年頃の男の子が目の前で裸になるっていうのは、なんていうか、キャーッ、とか言っちゃうような状況な訳だろ。だからさ、貞操観念的にというか、倫理的にというか、誤解を招くような行いは慎んだ方が良いというか」
「何言ってるか、さっぱり分かんない。イーリオ、大丈夫?」
この世間ズレした少女に何と説明したらいいか分からず、口をもごもごしていたら、今度はイーリオの部屋のドアから、ムスタが顔を出した。
「そうだ、何言っとるか、さっぱりわからんぞ、エロ息子」
「と、父さん! ってか、何がエロ息子だよ! そんなんじゃないって! いや、それにその字面だと、色んな意味になっちゃうだろう! ああ、もう、何言ってんだ」
「そうムキになるな。年頃のオトコのコなら、青春して当然だ。しかもいわくありげな美少女とキスまでしたんだ。無理からぬ事だがな」
「キス? キスって何?」と、シャルロッタ。
「ほれ、あの山羊の鎧獣と戦った時に、お前さんがそこのエロ息子としたろう? こうな、唇と唇をむちゅーっと」
「うわあ! もういいよ! どっちがエロだよ! 全くもう! とにかくさ、早くここから出ていってくれ!」
強引に二人と一匹を部屋から占め出し、イーリオは思わず深いため息をついた。せっかくの緊迫した旅立ちの朝だというのに、何でこんな軽いノリなんだ……。と、半ば呆れながら、着替えを手に取る。
ふと、そういえばさっき見てた夢、なんだったけ……という事が、自分の頭をかすめた。
思わぬ珍客に、夢の内容がすっかりどこかへ消えてしまったのだが、「何か大事な……でも、とても奇妙な夢を見たような……」気がしてたのだが、一向に思い出せない。
大事な事であれば、いずれ思い出すだろう、と、仕方なく、出発の準備を整えていった。
まだ朝靄が、あたりにたちこめている早朝に、イーリオとシャルロッタ、それにザイロウはクナヴァリ村を発っていった。イーリオは、ゴゥト騎士団の連中が残していった馬にまたがり、その後ろにはシャルロッタを乗せて。ザイロウは、彼らの後をついていく形だ。
初秋で肌寒いのもあるが、それ以上に標高の高い所に位置する山村だ。低地で言えば、冬の寒さと言っても差し支えないほどの冷え込みが、彼らの肌に突き刺さっていたが、イーリオはともかく、シャルロッタは、そんな事、全然おかまいなしといった感じだった。
ムスタは彼らの旅立ちを見送りつつ、今朝見た夢の内容を思い出していた。
――あの夢、あれはホーラーから聞いていた、例の……。
己の感じた疑念が当たったのだろうか?
だが、息子はいずれ、この村を出る運命だという事は、最初から分かっていたはずなのに。けれど、心のどこかでは、このまま穏やかな日々が続くのではないだろうかという、淡い願いがあったのも事実だ。
覚悟はしていたが、その時がこんなに早く訪れるとは思ってなかった。
いや、考えようとしていなかったのかもしれない。
いずれにしても、あの少女と鎧獣。
もし自分の考えている通りなら、彼女らがここに来たのは必然だろう。そして、帝都が不穏になりつつあるのも間違いないはずだ。
――どうか、彼らに祝福を。
そう願わずにはいられなかった。
あれほどの騒ぎを起こした後だ。ひっそりと旅立つのが良いだろうとイーリオたちは考え、まだ夜も明けきらぬ内に出発したのだが、村はずれで村人全員が彼らを見送ったのには、かなり驚いた。
皆、わかっていたのだろう。彼らが村人に危害を及ぼさぬ意味でも、この村を出ていくのだろうという事を。
今までの人生を、この山村で育ったイーリオにとっては、少なからず胸打つものがあった。
やがて二人と一匹は、山を降りた最初の町を通り過ぎ、今日の宿泊予定のホルテの町まで、歩を進めた。
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