表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第二十章 鬼面牡丹
99/205

第二話

 朧の月が天空に輝く夜、伽南、惣太郎、お仙の三人が相次いで朱王の長屋を訪れた。

大事な話しがある、必ず来て欲しいと兄妹から聞いた三人は一体何事かと一様に不思議そうな面持ちで、擦り切れた古畳へ座っている。


 お仙が誰かにつけられていないか、長屋の周囲に不審な者はいないかを朱王が辺りをグルリと廻って確認し、部屋に戻ってすぐに海華が三人を呼んだ訳をポツポツと話し始めた。

ただ座っているだけで汗が滲む蒸し暑い部屋、 海華の口から『鬼牡丹』の名が出た途端、お仙の顔からみるみるうちに血の気が引き、傍目にもわかるほどガタガタと大きく震えだした。


 「鬼牡丹……お香姐さん……! ああ、どうして! どうして今頃っ!」


 自分をギュッと抱き締め、唇まで白くしたお仙はひどく取り乱す。

隣に座した惣太郎と伽南は 慌ててお仙の肩を抱き何とか宥めようと躍起になっている。


 「お仙さん落ち着いて! お腹の子に障るわ!」


 お腹の子、と海華が叫んだ途端、惣太郎の手を跳ね退けようとしたお仙がピタリと止まり、崩れるようにその場へとへたり込んだ。

水を出そうと土間へ走る海華に代わり、眉根を寄せた朱王がお仙に尋ねる。


 「お仙さん、嫌なことを思い出させて悪いとは思う。でも、そのお香とやらの正体を知っているのは、お仙さんだけなんだ」


 朱王の言葉に、暗い光を宿したお仙の瞳がユラリと上げられ、戦慄く唇が僅かに開かれた。


 「鬼牡丹のお香は……確かに平八の姉さんです。七、八年前まで、二人は一緒に組んで大阪近辺で強盗おつとめをしていました」


 犯す殺すの畜生仕事で、散々大阪を荒らし回った姉弟、しかしそんな事がいつまでも続く訳は無い。


 「とうとうお上に追い詰められて、平八は江戸に、お香姐さんは京に別れて逃げました。いつかほとぼりが冷めたら、また大阪で落ち合う約束で……」


 しかし、その前に平八は朱王らによって殺されたのだ。

お仙の告白を聞いていた惣太郎は、妹と同じく紙のように蒼白になり、伽南は額から滴る汗を神経質に何度も拭う。

海華から手渡された水を一息に飲み干し、お仙は空の湯飲みを指が白くなる程握り締めた。


 「姐さんは、姐さんは私を殺すつもりで江戸へ……しかも朱王さんや海華ちゃんを引き渡せなんて……! そんなこと出来ない……私には出来ない……ッ!」


 ワアァァッ! と悲痛な叫びを上げながらお仙は惣太郎の膝にすがって泣き崩れる。

膨らんだ腹が畳へと擦り付けられそうだった。


 「お仙さん、余り泣くと身体に障りますよ」


 わんわん泣きじゃくるお仙の肩を叩き、伽南は力が入っていないその身体を優しい手つきで引き起こす。

と、その視線がチラと朱王に向けられた。

もうお仙は限界だ、と言いたげなその眼差しに朱王は小さく頷き、隣の海華へそっと耳打ちする。

海華は、わかった、と呟きながら腰を上げた。


 「お仙さん無理させてごめんなさい、もう三太さんの所に帰りましょう。あたし送ります」


 「ああ、私も一緒に。何かあっては困りますからね」


 海華と伽南に両脇を支えられ、お仙はフラフラと立ち上がる。

ちゃんと送りますから、と呆然と座る惣太郎に声を掛けて、海華ら三人は長屋を出て行った。

何とかお仙を宥め、無事に家まで送り届けた海華と伽南、幸か不幸か亭主の三太は他の店との寄合のため留守にしていた。

戸締まりは厳重に、亭主以外には絶対に戸を開けるなと言い残し、二人は帰路についた。


 お香のことは任せて、絶対に危ない目には遇わせないと道すがら海華はお仙を慰めたのだが、お仙は啜り泣きを漏らすばかり。

だが、お香がどんな女なのかを嫌というほど知っているのだから仕形の無いことだろう。


 「先生、庵までお送りします」


 沈み掛けた気持ちを何とか奮い起こし海華は無理矢理笑顔を作りながら伽南へと声を掛ける。

私は大丈夫ですよ、と苦笑いする伽南、しかし海華は首を横に振った。


 「いえ、お送りします。先生に何かあったら、兄様に叱られますから」


 「そうですか? ならお言葉に甘えて。それよりも貴女は帰り独りで平気なんですか?」

 

 「大丈夫ですよ、簡単に殺られるほどヤワじゃぁありませんから」


 ニコニコと笑いながら、海華が自分の胸を叩く。

伽南の持つ提灯の灯りを頼りに、二人は庵へ向かった。


 その頃、長屋に残った惣太郎と朱王は、酒の入った湯飲みを前に向かい合って黙りこくっていた。

相変わらず青ざめ、固い表情を崩さない惣太郎が震える手を伸ばし湯飲みを手に取る。

並々と注がれた酒の表面が小刻みに波打った。


 「朱王さん……お仙は、これからどうなるんだ……?」


 酒に写る自分の顔をじっと見詰めながら、呻くように惣太郎が呟く。


 「あいつ、これからなんだよ……汚れ仕事から足洗って、三太と一緒になって、赤ん坊できて………あいつ本当にこれからなんだよッ!」


 ダンッッ! と湯飲みが畳へ叩き付けられたと同時に、鬼気迫る形相の惣太郎が朱王の膝へ飛び込むようにすがり付いた。

突然のことに朱王の手元が狂い、湯飲みが畳に転がり暗いシミを描き出す。


 「頼むよ……頼むよ朱王さんッ! お仙を助けてくれ……! 俺だって、朱王さんも海華ちゃんも引き渡すなんてできねぇ……でもも、あと少しなんだ、もう少しで子供……産まれんだよ、ッ!」


 部屋の空気を震わすような惣太郎の慟哭が響く。

自分の膝にすがり、頼む、助けてくれと泣きながら懇願し続ける惣太郎に、朱王は掛ける言葉が見つからなかった。

とにかく泣き伏す惣太郎を抱き起こし、涙と鼻水でぐしゃぐしゃに汚れた顔を覗き込んだ。


 「惣太郎、俺も海華も、お仙さんには元気な子を産んでもらいたい。だから、出来る限りのことはする。心配するな、今お仙さんの側にいてやれるのは、三太さんとお前だけなんだから、 しっかりしろ」


 「朱王さん……すまねぇ、いつも頼ってばかりで……本当にすまねぇ……」


 こぼれた酒にまみれ、ぐずぐず鼻を啜りながら頭を下げる惣太郎の背中を、朱王は微笑みを浮かべながらバンバンと叩く。


 「気にするな、俺がお前の立場で、海華が危ない目に遭えば同じ真似をするさ。……一つだけ聞きたいことがあるんだが、いいか?」


 「勿論だ、何でも聞いてくれ、それから俺に出来ることがあれば、何でもする」


 やっと朱王から身を離した惣太郎が目の前できちんと座り直す。


 「三太さんのことなんだ、お仙さんの過去…… 引き込みをやっていたのを、話していないんだろう?」


 「俺が、話すなと言ったから……きっと三太は知らないと思う。お仙も、言えないだろう」


 俯きながら話す惣太郎、朱王は腕組みをしながら、そうか、と呟く。

つまり、三太に気付かれないよう事を進めなければならないのだ。

ますます困難になる状況に、朱王は心中で大きな溜め息をついていた。

まんじりともせず夜を明かした朱王と海華は、 早速お仙を助けるべく計画を練り上げていた。

 

 お仙の話しによれば、お香の手下は十人を越えるか越えないか、ただし、平八の手下の生き残りがいると考えれば、かなりの大人数になるだろう。

桐野らの力も借りられ無い今、数から見れば圧倒的にこちらが不利である。

何しろ相手は人殺しなど屁とも思わぬ狂犬揃いなのだ。


 「兄様ー、何か良い案は無いの? このままじゃあたし達、お香に嬲り殺されて終わりよ?」


 作業机の前にドカリと座る朱王を、破れかけた団扇でバタバタと扇ぎながら海華は盛大に眉を潜める。 部屋中に籠る不快な湿気によって、ジットリと 汗を滲ませる朱王は苛立ちを隠すことも無く、わかってる! と怒鳴るように吐き捨てバリバリと頭を掻きむしった。


 「良い案も何も、まともに奴らと渡り合えるのは俺とお前しかいないんだ。死ぬの覚悟で行くしか無いだろう?」


 「そうよねぇ……惣太郎さんは斬った張ったは慣れてないし、身重のお仙さんに流血沙汰は見せられないしね。……あーあ、せめて志狼さんに頼めたらなぁ……」


 団扇を放り出し、ゴロンと畳に寝転んだ海華が大きな溜め息をつく。

その呟きを聞いた朱王は、頬杖をつきながら掠れた笑いを漏らした。


 「馬鹿、志狼さんの後ろには桐野様がいるんだ。――後は俺が考えるから、お前、酒買ってきてくれ」


 そう言いながら、自分の側に寝る妹へ空の酒瓶を差し出す。

はいはい、と気の無い返事と共に海華は起き上がり、酒瓶を抱えて土間へと降りる。


 「それじゃ、いってきます」


 「気を付けてな。フラフラ寄り道しないで、早く帰ってこいよ」


 わかってるわよ! と一声叫び、海華は長屋を飛び出して行く。

灼熱に燃える太陽も今日は一休みなのか、朝からどんよりと厚い雲に隠れたままだ。

しかし、代わりに肌にまとわりつくような湿気が全身を包み、歩く度にジワリと気持ちの悪い汗が滲んで首筋や足を流れ落ちた。


 蒸し風呂のような道を酒屋まで急ぎ、酒瓶一杯の酒を買って、さぁ、帰ろう。と酒屋の暖簾を潜った時だった。

その人物は目の前にいた。

神仏の示し合わせか、はたまた全くの偶然なのか……。

ポカンと口を開け、呆けたような表情を浮かべたまま、海華は酒瓶をしっかり抱えて固まっていた。


 早く、早くここから立ち去らなければ、頭ではそう思う。

しかし、足は地面へ根が生えたように動かすことは出来なかった。

その人物は海華を見るなり、口元を僅かに上げてこちらへ近寄ってくる。

海華の顔は泣き笑いの形に引き攣っていった。


 「よう、この頃よく会うじゃねぇか」


 微かな笑みを見せながら近付いて来たのは、ついさっきまで兄との会話に出ていた男、志狼だった。

頬をヒクつかせながら自分の顔をただ凝視している海華に、志狼は怪訝そうに首を傾げる。


挿絵(By みてみん)


 「なんだ、幽霊と鉢合わせしたようなツラだな? 足はちゃんと付いてるぜ?」


 トントンと軽く足踏みをして見せる志狼に、海華は無理矢理作り出したぎこちない笑みを向けた。


 「いや……ごめんなさい、いきなり会ったから、驚いただけよ。……じゃ、あたしはこれで……」


 そそくさと志狼の横を抜ける海華、ちょっと待て! と抑揚の無い声を上げた志狼はその襟ぐりをガシリと掴んで引き戻す。

うぇ、と海華の口から情けない声がこぼれた。


 「何よ!? あたしにナンか用でもあるの!?」


 「お前、俺に知られちゃ不味いことがあるだろ?」


 志狼の手から逃れようとジタバタもがく海華は、その台詞に一気に固まってしまう。

そらみろ、と呟いた志狼は襟ぐりを掴んだまま酒屋の裏手、人気の無い裏道へと海華を引き摺り込んだ。


 「普段会えば煩いくらいににベラベラ喋るお前だからな、また面倒な事に首突っ込んだのか?」


 黒く色の変わった木塀に凭れ掛かり、腕組みをしながらニッコリ笑う志狼。

普段無表情の人間が満面の笑みを見せると、なぜこうも薄気味悪くまた、恐ろしく感じるのだろう。

視線をあちこちに泳がせながら、海華は必死に逃げ口上を考る。


 「別に……っ! 面倒な事なんて、巻き込まれて無いわ」


 「それは嘘だな。お前はすぐ顔に出る。『私は 今、とても他人様には言えない厄介事に首突っ込んでます』って、顔にしっかり書いてあるぜ?」


 無意識に自分の顔を触る海華を、面白そうに見下ろしながら志狼は口角をつり上げる。

キッ、とそんな志狼を睨み付けながら、海華はしっかりと酒瓶を抱き締めた。


 「だから! 何でも無いわよ! 早く戻らないと兄様に怒られるんだからっ!」


 「ほぉ、朱王さんは酒が切れると暴れ出すのか? 意外だな」


 違うわよっ! と顔を真っ赤に染め、地団駄を踏み出しそうな勢いで海華が怒鳴る。

これではなにを言っても暖簾に腕押し、急拵えの言い訳など軽くかわされるばかりだった。


 「もう勘弁してよ、あたしだって話せない事の一つや二つあるんだからさ。志狼さんこそ、どうしてあたしに構うのよ?」


 「別に構ってなんかいない。ただ、俺が気になるだけだ。気になる事はとことんまで調べなきゃ気が済まない性格なんでな」


 白状するまでは逃がさない、と志狼の視線が物語る。

はぁっ、と海華の口から盛大な溜め息が漏れ、がっくりと肩が落ちた。


 「わかった、でも、ここじゃ言えないの。人の命が懸かってる話しだから。だから、兄様がいいって言ったら話すわ。その代わり……」


 「他言無用だろ? 安心しろ、俺はそこまで口は軽くない。それに人の命が懸かってるとなれば尚更だ」


 スッ、と表情を引き締めた志狼は、約束すると言わんばかりに小さく頷く。

海華も同じく無言の頷きで返し、二人は揃って裏道を出た。

向かう場所は勿論、朱王の待つあの長屋だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ