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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第十九章 炎上、日高川
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第二話

 喜六の落胆は相当なものだった。

朱王にはガブの直しを断られたうえ、海華にまで人形に命が無いと言われたのだから、当たり前だろう。

朱王らを見送ることも無く、幽鬼のような顔で奥へ引っ込んだまま、とうとう姿を現さ無かった。


 余計な事を言ってしまったかと、海華はひどく気落ちした。

が、帰り際、源吉はしょんぼりとした様子の海華に、こう言ったのだ。

あんたの言った事は全て当たりだ。

儂が言いたかったことを、あんたが代わりに言ってくれた。

感謝する、と……。


 「なんだか後味悪いわねぇ」


 「感じたことを言えといわれたんだ。別に悪いことをした訳じゃないさ」


 とぼとぼと自分の後ろを歩く妹に朱王が声を掛けるると、海華からは『うん』と小さく気の無い返事が返ってきた。

どうやら、朱王が思っている以上に喜六の事を気に掛けているようだ。


 「そう気落ちするなよ。――少し休んでいくか?」


 そう言いながら、朱王は道の向こうを指差す。

海華が伏せていた顔を上げると、そこには一軒の茶店があった。

二人並ぶように表の腰掛けに座り、団子と茶を注文する。

店には二人の姿しか無いようだ。

ワサリと髪を掻き上げながら、海華は大きな溜め息をついた。


 「あんまり強くは言いたくなかったけど、あれはねぇ……」


 「そんなに酷い芝居だったか? ……まぁ、俺は作るだけの人間だから、芝居の中身まではよく知らんが」


 「兄様、日高川知らない? 安珍と清姫の話し よ?」


 驚いたように海華に見上げられ、気まずそうに 朱王が頬を掻く。 実際に文楽を見た事など、殆ど無いのだ。


「蛇に化けて鐘の中の男焼き殺した話しだろ? 詳しくは、知らん。」


 仕方ないわねぇ、と苦笑を交えながら海華が口を開く。

ほぼ同時に、二人の前に団子が運ばれて来た。


 「昔、清姫って庄司の娘がいたの、それが京の都で安珍って修行僧に一目惚れしちゃったのよ」


 そこまで言って、彼女は茶を一口煽る。

朱王は湯飲みを手にしたままで妹の話しに聞き入っていた。


 「でも、安珍には『おだ巻姫』って恋人がいて、二人で京から逃げたのよ。それで清姫が追い掛けた、辿り着いたのが、あの日高川よ」


 だんだん話し方が芝居じみてきた。

さすがは人形遣いの端くれだ。


 「向こう岸まで渡してくれる舟も無し、愛しい男は遠ざかる、ここで逃がしてなるものか! ってさ、清姫は大蛇に化けて川を渡るの。わかった?」


 グイと茶を飲み干し、団子を一口齧る海華を、茶を運んできた少女が店の中から不思議そうに二人を見詰めている。


 「人から蛇に化ける、まぁ最初の見せ場よね。愛憎とか、悲しみとか、そんな恋した女の感情が人形から出てないと迫力もなにもあったもんじゃないわ」


 拳を握り締めて力説する妹に圧倒されたのか、 朱王はただただ頷くだけ。


 「その、なんだ、確かにお前の言う通りだと思う。だがな、そんな下手な芝居でも……」


 「うん、下手じゃなかった。でも、心が無いの。人の胸を打つ芝居じゃなかったのは確かよ」


 きっぱりと海華は言い切る。

妹の言うように喜六の動きに無駄は無い、しかし、感動するほどの芝居ではなかったのも、また確かだった。


 「――ねぇ、兄様。兄様が前に言ったこと覚えてる? 俺は人形っていう器を作るだけだって、兄様言ったわよね?」


 突然の問い掛けにたじろぎながら、朱王は妹を見下ろす。

パッチリとした漆黒の瞳が自分を見据えていた。

 

 「ああ、言った。俺の作った人形うつわにどんな気持ちを込めるかは、持ち主自信の問題だ」


 「だからね、人形師が精魂込めた器に魂を入れるのが、人形遣いの役目なのよ。それが出来ないと、どんな立派な人形でも、ただの木偶になるの。……兄様ならわかってくれるわよね?」


 そう呟いた海華の唇には、微かな笑みが浮かんでいた。





 文楽小屋から帰った次の日、朱王は新たに入った依頼のため朝から作業机に向かっていた。

海華も仕事に出ており、部屋には一人だ。

材料を全て揃え、頭の部分を粗削りも半分程終わった頃、立て付けの悪い戸口がコンコンと遠慮がちに叩かれた。


 どうぞ、と声を掛けると『失礼します』と返事が返り、静かに戸が開かれる。

姿を見せたのは、紺色の着流しを着た小柄な若い男だった。


 「こちらは……朱王様のお宅でしょうか?」


 やけにおどおどした様子で上目遣いに応対に出た朱王を見る男。

背丈は海華より頭一つ分高いくらいか、くるんと大きな黒目がちの瞳に男にしては白い肌持つ、若者と言うより少年と言った感じだった。

朱王は、この男の顔に見覚えがあったのだ。


 「貴方は……確か文楽小屋にいらした」


 「はい、黒子をしております。新太しんたと申します」


 新太と名乗った男は、朱王を前にちょこんと頭を下げる。

昨日、朱王らが文楽小屋を訪れた際に玄関先で応対してくれた男だった。

黒子が自分に何の用だろう、と内心不思議に思う朱王に、新太は濡れたように光る瞳を向けた。


 「突然お邪魔致して申し訳ありません。あのぅ ……昨日の、清姫人形のことで、朱王様にお願いがございます」


 僅かに上擦った声をと共に、すがるような視線が朱王に向けられた。





 さて、その頃海華はと言えば、いつもの辻で仕事に励んでいる最中だった。

カラリと晴れ上がった青い空、絶好の花見日和である。

花見の行き帰りの人々が、今時期の主な客だった。


 「恨みを言うて言い破り! 取り殺さいでおかうかぁぁっ!」


 海華が高らかに声を張り上げる、と同時に愛らしい人形の顔がカッ! とばかりに鬼の形相に変化した。

黒髪を乱し、口は耳まで裂け、瞳は爛々と金色に輝く。

周りを囲んでいた見物客達から、おぉっ、と感嘆の溜め息が漏れた。


 客の反応にニヤリと頬を緩めた海華、昨日見た芝居に触発されたのか今日の演目は日高川だ。

海華の細腕に操られ、生きているように人形は踊り狂う。


 「怒りの眦歯を噛み鳴らし、あたりを睨んで火炎を吐きー……」


 赤い振袖が黒髪と共に風に舞う。

海華の澄んだ唄声は、晴れた青空の元、彼方まで響き渡っていく。

一曲唄い終わったと同時、足元へ置いた木箱に次々と金子きんすが放り込まれる。

金のぶつかる金属音を聞きながら、海華は満面の笑みを浮かべていた。

実入りが多いのは嬉しい、しかし何よりも心が踊るのは客からの歓声、いい芝居だったとお褒めの言葉を貰った時だ。


 今日は自分でも満足できる芝居が出来た、とニコニコ顔の海華は手早く金と人形を木箱にしまう。

すると、解散しかけた人だかりの中から、ふらつく足取りでこちらに近寄る男が視界の端に映った。

ひょいと身を起こした海華、その男の顔を確かめた途端今までの笑みが消え、一気に表情が凍り付く。


 自分の前に現れた男、それは絣の着流しを雑に着こなし、目の下にくっきりと濃い隅を作った、ひどく憔悴した様子の喜六だった。

瞬間、海華は修羅場を覚悟する。

昨日は偉そうなことぬかしやがって、と怒鳴られると思ったのだ。

仮にも喜六は文楽の人形遣いであり、自分は辻に立つ傀儡廻し。

昨日のような言われ方をすれば、腹が立たない訳は無い。


 唇を噛み締め、拳を握り締めた海華。

しかし、喜六の口から最初に出たのは罵詈雑言などでは無く、海華が思いもよらない言葉だった。


 「あんたの芝居、全部観させて貰った。……悔しいが、いい芝居だった……」


 がっくりと肩を落とした喜六に、慌てて海華は首を振る。


 「あたしの芝居なんて……! そんな大層なものじゃありません。それより、昨日は勝手な事を言ってしまって……申し訳ありませんでした」


 「謝るこたぁ無い。あんたの言ったことは、当たってる。俺は、あの人形を遣いこなせて無いんだ……」


 ユラリと顔を上げる喜六、その目には暗い影が宿っていた。

痩けてしまった頬がやたらと痛々しく感じる。

喜六のかさついた唇が再び動き出した。


 「あんたに頼みたいことがある。俺の芝居を、もう一度見てくれないか? 俺に、稽古をつけて欲しいんだ」


 突然の頼みに、海華は暫く目を白黒させるしか出来なかった……。






 「遅くまで付き合わせて悪かったね」


 文楽小屋の入口で、喜六は申し訳無さそうに頭を垂れる。

辻で喜六と会ったのはまだ昼前、今は太陽が橙色に変わる頃だ。

稽古を付けてくれと頼まれ、そのままこの文楽小屋に連れて来られた。

喜六の師匠は、海華が喜六に稽古を付けるのを二つ返事で許してくれたうえ、宜しく頼むと頭まで下げてくれたのだ。


 最初は反対されるだろうと思っていた海華だが、そこまでされた以上、責任持って教えると話を引き受け、さっそく昼前から夕方まで舞台に入り、喜六と二人でみっちり練習をした。

勿論、今日一日で上達する訳では無く、海華は暫く小屋に通うことにしたのだ。


 「あたしの教えかたで良いのかわからないけど……とにかく本番まで頑張りましょう」


 些か照れ臭そうに海華が笑う。

また明日、お願いします。と頭を下げた喜六が頭を戻した途端、視線が海華の後ろに釘付けになった。

ふと海華が後ろを振り向くと、橙色に照り付ける夕日の中を、俯きながら一人とぼとぼとこちらへ向かってくる人影が見える。


 「新太!? おい、新太、どうした!?」


 驚いたような喜六の叫びに、人影が顔を跳ね上げる。

それは幼い顔立ちをした小柄な男だった。

新太と呼ばれた男は、喜六の顔を見るなり泣き笑いの表情を浮かべる。

実際、目元は大泣きした後のように腫れ上がり、目は赤く充血していた。

喜六は海華をその場に残し、小走りで新太に駆け寄る。


 「お前朝からどこ行ってたんだ! ――泣いたのか?誰かになんかされたのか!?」


 新太の両肩を揺さぶり、矢継ぎ早に問い掛ける喜六。

哀しげに顔を歪めながらも、新太はフルフルと頭を振った。

何か喜六と話しているようだが、その声は海華まで届かない。


 「あの……喜六さん! あたしそろそろ失礼します」


 なんだか居心地が悪くなり、海華は喜六に向かって叫んだ。

喜六は新太の肩を抱くように海華の元まで戻ってくる。


 「すまないな海華さん、送って行こうと思ってたんだが……あぁ、こいつは俺の黒子をしている新太だ。新太、朱王さんの妹の海華さん、お前も知ってるだろ?」


 朱王の妹、それを聞いた新太の肩がヒクリと動き、伏せていた顔がゆっくりと上げられる。

まだ乾いた涙の跡が残る頬、やけに暗い光を宿した瞳が海華に向けられた。

新太は無言のまま、軽く会釈し、海華も同じく会釈を返す。


 「それじゃあ……私はこれで」


 「ああ、世話になったよ。明日もよろしくお願いします」


 ペコリと頭を下げた喜六は、新太と寄り添うようにして小屋の中に消えて行った。






 「ただいま帰りました!」


 長屋に帰り、ガラリと部屋の戸口を開けた海華へ、作業机の前で背を丸めて仕事をしていた朱王が、お帰り、と一言告げて顔を向ける。

戸口から射し込む夕日に照らされた兄の顔は、やけに疲れて見えた。


 「兄様どうかしたの? 具合でも悪い?」


 小首を傾げながら尋ねてくる妹に、朱王は微かな笑みを浮かべて首を振る。

そして、昼前あった来客の事を話し始めた。


 「……でな、どうしてもガブの造り直しをしてくれと頼み込まれて、最後には泣かれたよ。その新太って男、昼過ぎまで粘ってたんだ。まいったよ」


 「新太って人、あたしも会ったわよ。文楽小屋の前でね、泣いた顔してたのは、そのせいだったのね」


 納得したように頷く海華は、兄に喜六から稽古をしてくれるよう頼まれたことを話して聞かせた。


 「お前に芝居を教えてくれって? そりゃかなり切羽詰まってるんだな。その新太さんも、このまま じゃ喜六さんが駄目になる、頼むからガブを作り直してくれとさ」


 勿論断ったが、と朱王が苦笑いを漏らす。

自分が納得できない仕事は受けないのが、朱王の流儀だ。


 「喜六さんについてる黒子って言ってたけど、 ……なんか気になるわ、あの二人」


 怪訝そうに眉を寄せる。

余計なことに首は突っ込むなよ、と兄に釘を刺され、思わずぺろりと舌を出した。

そして翌日から、海華は文楽小屋に通って喜六に付きっきりで稽古を付けていた。

練習場所は専ら舞台裏の控え部屋、時おり師匠の源吉や新太が様子を伺いに来る他は二人っきりだ。


 海華の指導のお陰か、喜六はだんだんと腕を上げ、師匠からも清姫の心が人形に宿ってきた、憂いや悲しみがよく表現できるようになったと言われ、海華も一安心だ。

本番までには充分間に合うだろう。


 だが、海華には一つだけ気掛かりなことがあった。

新太のことである。

矢鱈と怯えたような、不安そうな様子で自分を見る。

話し掛けようとしても、何かと理由を付けてコソコソと逃げて行ってしまうのだ。


 それとなく喜六にも聞いてみたのだが、特に新太から海華に対しての話は聞いていないとのことである。


 「あいつは人見知りが激しくて気も弱いんだ。 気を悪くしないでくれ」


 困ったように微笑む喜六からそう言われ、取り敢えずは納得した海華、しかしある日の帰り、文楽小屋近くの川辺りで一人ポツンと佇む新太を見掛け、思い切って声を掛けてみる事にしたのだ。

新太さん、と恐る恐る呼び掛けると、自分より僅かに高い位置にある肩がビクリと跳ねる。

夕日を浴びた灰色の絣の着物が、ゆっくりとこちらを向き、表情を固くした顔、黒目がちの瞳が海華を映し出した。


 「あっ……お、お疲れ様、です……」


 ギクシャクと会釈し、その場を去ろうとする新太の腕を海華は反射的に掴んでいた。


 「ちょっと待って! どうしてあたしのこと避けるの?」


 「別に……俺は、避けてなんか……」


 「なら、どうして逃げようとするのよ!? あ……兄様のこと? ガブの直し受けなかったから?」


 「違うんだ! そんなことじゃない!」


 二人だけが佇む川辺りに、新太の叫びが響いた。

兄が仕事を断ったせいで新太が怒っているのだとばかり思っていた海華は、驚きの余り固まってしまう。 新太はオロオロと泣き出しそうな表情で海華を見詰めた。


 「兄様のことじゃないの? ……なら、何が原因なのよ?」


 小首を傾げる海華へ新太は顔を伏せながらポツリと口を開いた。


 「海華さん……喜六さんのこと、好いてるんですか……?」


 何を言ってんのよ!? と、今度は海華が叫ぶ番だ。

混乱し、ぽかんと口を開けたままの海華へ、新太は更に続ける。


 「太夫さん方が話してるのを聞いたんです。あの二人、日がな一日部屋に籠りっきりで、きっとそのうち良い仲になるって、だから、俺……」


 最後は殆ど涙声、ばりばり頭を掻きながら海華はなんなとく話が見えてきたような気がした。

特異な例だが、間違いなくそうだとの確信がある。


 「新太さん、あなた喜六さんのこと好いてるんでしょ? だからあたしとの仲を疑ったのね?」


 伏せていた顔を跳ね上げ、新太は海華を凝視する。

それは海華の問いに肯定の答えを出したも同然だった。


 「……っ! 気色悪いと思うでしょう? 野郎同士でなんて……でも、俺も喜六さんも……真剣なんです……」


 と、いうことは、喜六とは両思いなのだろう。

海華の視線がちらりと宙をさ迷う。

ふぅっ、と溜め息をつきながらも、その口元には小さな笑みが浮かんでいた。


 「別に、気色悪いなんて思わないけど? 人様の色恋に口出しできる程、あたし立派な人間じゃあ無いわ」


 惚れた腫れたには関心無くてね、と笑う海華を、新太はきょとんとした顔で見詰めた。

軽く新太の肩を叩きながら、海華はそっと耳打ちする。


 「おかしな邪推なんか気にしないで、あたしは芝居教えに来てるだけ。本番終わればお払い箱よ。……ついでに二人のことも、応援するわ」


 頑張ってね、と白い歯を見せる海華に、新太もふわりと微笑む。

出会ってから初めて見た新太の笑顔は、子供のように清らかだと海華は感じていた。

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