第四話
今日は何と間の悪い日か。
太刀を携え、夜道を疾走しながら朱王は歯を食い縛る。
海華が一人藤野屋へ乗り込んでいってから、もうかなりの時が過ぎていた。
一度藤野屋へ駆け付けた朱王だったが、店はしっかりと戸口を閉めてあり、海華の姿どころか人の気配すら全く無かった。
声を限りに呼べど叫べど同じ事、このまま殴り込みをかければきっと大変な騒ぎになっただろう。
やむを得ず、朱王は忠五郎のいる番屋へと走った。
万が一、海華が店で危険な目に遭っていたとしても、あのおちかが自分相手にスンナリ口を割るとは到底思えなかったからだ。
しかし、叩き付けるように番屋口を開けた朱王の前にいたのは、驚きの表情を見せた留吉ただ独り。
息を切らせながら、『親分は?』と聞けば、今しがたここを出て行ったという。
何でも、この近くで押し込みがあったらしい。
親分も高橋も都筑も、皆その現場に向かったというのだ。
『多分、暫く帰らねぇよ』そう言い残し、留吉も焦った様子で番屋を出て行ってしまった。
「何もこんな時に……!」
ガリガリと頭を掻きむしり、朱王は土間に立ち尽くしたまま思い切り太刀を握り締める。
どうすればよいか、最後に力になってくれるのは誰か……。
答えは明白だった。
番屋の入口から姿を現した朱王、その爪先は北町奉行所の方向に向いていた。
こうなったら、もう修一郎にすがるしかない。
もしかすると、桐野も押し込みの現場に駆り出されているやもしれぬ。
そうなれば、共に藤野屋へ行ってくれる侍はいないのだ。
修一郎ならば、誰か部下に命じて藤野屋を調べ てくれるはずだ、何しろ海華が消えた場所なのだから。
焦る気持ちを深呼吸で整えながら、朱王は暗い 夜空を睨み上げる。
キラキラと瞬きを繰り返す銀の星々、その輝きの中に浮かんでは消える妹の面影が、朱王の焦りを更に強いものへ変えていく。
必ず見つけてやる。
そう胸の中で小さく呟いた朱王の爪先が、奉行所を目指して力強く凍った地面を蹴っていた。
必死の形相で邸宅の玄関へ転がり込んだ朱王を前に、雪乃は大きな驚愕の表情を露わに目を一杯に見開いた。
息も絶え絶えに、修一郎がいるかと尋ねると、すぐに呼ぶと言い残し雪乃は奥へ姿を消す。
「朱王!? お前、一体何があった!?」
既に着流しに着替えている修一郎は、フラつきながら玄関に立ち尽くす朱王を見て顔色を変えた。
倒れそうな身体を抱えられるようにして上がり框に座らされ、汗を滴らせ荒い息を整える間も惜しむように朱王が事の次第を全て話し始める。
「店には海華も、女将の姿も無いのです…… 仁吉の行方を探していたあいつが、あの店以外に行くなど……考えられません……」
「藤野屋と言えば、例の幽霊騒ぎがあった所だな……海華が申した、その許嫁の話しが本当ならば、些か気になる」
修一郎は、朱王が握り締めている太刀にチラリと視線を投げて屈めている大きな体をのっそりと起こした。
「桐野は今、押し込みの現場にいるはずだ。先ほど奉行所を飛び出して行ったからな。すぐ呼び戻すように使いをだそう。……藤野屋へは、これから俺が一緒に行く」
「修一郎様が!? しかし……」
目の前の男から出た言葉に、朱王は目を見開く。
たかだか女が行方不明になったくらいで、奉行が出てくるなど他の者達にとっては考えられない事だ。
それよりも、自分達との関係を知られて一番困るのは修一郎自身なのである。
朱王の胸の内を見透かしたかのように、修一郎 の暑い手のひらがバンバンと肩を叩き、思わず身体が傾いた。
「案ずるな! 俺は奉行所の一役人だと名乗ればいいのだ、俺なんかの事よりも海華を無事に助け出すのが先決だからな」
少し待っていろ、と言い置き、修一郎はあたふたと奥に引っ込んでしまう。
何やら雪乃と話をしているようだ。
よく通る低めの声を聞きながら、朱王は黙って修一郎が消えた奥に向かい深々と頭を下げ続けていた。
藤野屋の戸口が叩き壊されんばかりの勢いでバンバンと打ち付けられ『開けろっ!』と男の怒声が星空の下、響き渡った。
邸宅から駆け付けた朱王と修一郎だ。
二人で力一杯戸口を打ち付けていたその時、先程まで人の気配が無かった店の中からカタコトと小さな物音がして、えらく不機嫌な表情を張り付かせたおちかが姿を表した。
「こんな夜中に、何の御用ですか?」
「北町奉行所の者だ、ここに……」
「海華が来ているだろう!? 妹を出せっ!」
名乗り出る修一郎を押し退け、噛み付かんばかりの勢いで朱王が問い詰める。
おちかは、眉間に刻んだ皺をますます深くして朱王を睨んだ。
「妹?……ああ、海華とか言う子ですか。来ていませんよ」
「嘘をつけッッ! あいつはここへ行くと言って 出掛けたんだ! 妹はどこだっ!?」
「だから来ていないと言っているじゃないか! 変な言い掛かりつけないでおくれっ!」
今にも取っ組み合いを始めそうな二人の間に、 修一郎が割って入った。
「止めぬか二人共っ! 周りに聞こえるだろう、とにかく……中を調べさせてもらうぞ!」
おちかを押し退けるように店へと足を踏み入れる修一郎。
すぐ後を朱王が続く。
奉行所の役人となれば、おちかも止める事は出来ない。
ただ忌々しそうに顔を歪め、店や母屋をあちこち探し廻る二人を睨み付けている。
全ての部屋は勿論、押し入れから天袋、屋根裏まで徹底的に探し、果ては隠し扉は無いかと掛け軸まで 捲り上げた。
しかし海華の姿どころか、鼠一匹見つからない。
さすがの修一郎にも、焦りの色が見え始めた。
「だからいないと言ったでしょう?」
母屋の一番奥、脂汗を流す二人の後ろで腕組みをしたおちかがニヤリと嫌な笑みを浮かべた。
「他に隠せそうな場所は無いのか?」
体格に似合わぬおろおろした声色で、修一郎が朱王に尋ねる。
必死に考えを巡らす朱王。
彼の後ろからは『早くお帰りを』と苛立ったおちかの冷たい声が飛ぶ。
その瞬間、何かを思い出したように朱王の目がハッと息を呑んだ。
「蔵……! 外に蔵があります!」
蔵、その言葉を聞いた途端に、おちかの顔からみるみる血の気が引いていき、カタカタと小刻みに身体が震え出す。
修一郎は、その変化を見逃さなかった。
「……蔵か、ならばそこも調べさせてもらう」
「あの蔵は……っ、もう使っていませんので、その……」
さっきまでのふてぶてしい態度はどこへやら、しどろもどろに答えるおちかに、遂に朱王が痺れを切らせた。
柳眉を逆立てたまま、つかつかと無言でおちかに近寄る。
ザラリ……と乾いた音を立て、おもむろに太刀が抜かれた。
ヒィッ! とおちかの口から小さな悲鳴が上がり、足がよろめく。
「海華はどこだ……?」
鬼の形相、髪を逆立てんばかりの朱王から、夜気よりも冷たい凍えるような声が響く。
ガチガチと歯の根が合わず、喋る事も出来ないおちかの喉元に白銀に光る切っ先が当てられた。
「聞こえないのか? 海華はどこだ? ……このまま喉笛切り裂かれたいなら……」
引き攣った白い喉ギリギリに切っ先が迫る。
朱王のこめかみに青筋が浮かび上がるのが、修一郎にもはっきりと見て取れた。
止めなければならない、頭ではわかっているのだ。
しかし、縫い付けられたように体が動かない。
朱王の剣幕に圧倒されているのか、ただ滝のような汗が全身を濡らす。
ゴクリと修一郎が生唾を飲み込んだ。
ガチャリ、刀の鍔が重い響きを上げ、同時に凶器を突き付けられたおちかから、耳をつんざく悲鳴が迸った。
「井戸……! 外の古井戸にっ!」
「殺したのかぁッッ!?」
ビリビリ空気を震わす怒声を放ち、抜き身が高々と振り上げられる。
ギャーッ! と甲高い叫びを上げ、おちかは腰を抜かして畳へとへたり込んだ。
「生きてるっ! 殺してないよっ! 生きたまま放り込んで……ッッ!」
「朱王、行くぞっ!」
これ以上ないくらいに眥を吊り上げた修一郎が咆哮じみた叫びを放ち、畳を踏み鳴らしながらおちかの横を脱兎の如く走り去る。
白刃を鞘にも収めず、朱王は瘧に罹ったように身を震わすおちかを乱暴に蹴り飛ばして、修一郎の後を追って行った。
寒風吹き荒ぶ中、二人が転がるように駆け寄った古井戸は分厚い二枚の木板で塞がれ、ご丁寧に筵が幾重にも被せられていた。
刀を鞘に収めた朱王と修一郎は必死に筵を跳ね飛ばし、重い木板を二人掛かりで地面へ投げ捨てる。
ドン! と地を震わし、板は土埃を舞い上げた。
「海華――ッッ! そこにいるのかっ!? 海華 ――!」
真っ暗な井戸の中を落ちんばかりに身を乗り出 て覗き込み、朱王が妹の名を叫ぶ。
反響を繰り返し、井戸の中を落ちる叫び。
月明かりをも飲み込む闇の中、地獄の入り口のようなその様に、覗き込む二人は戦慄を覚えていた。
「――ちゃん……お兄ちゃん……!」
微かな、本当に微かな返事を、朱王の鼓膜が捉えた。
「海華ッッ! 海華――ッッ! 大丈夫かっ!?」
「海華ッッ! 今助けてやるからなっ! もう少し辛抱してくれっ!」
狂ったように地中に向かって叫ぶ二人。
すると、今にも泣き出さんばかりの声色で、奈落の底から海華が叫びを上げた。
「蔵っ! 蔵の壁に、仁吉さんがぁぁっ……! おちかとあの男に殺されて……ッッ!」
「わかった! わかったから少し落ち着け! お前、今動けるのかっ!?」
半ば半狂乱の妹をなだめ、何とか状態を把握しようと躍起になる朱王。
何しろ中は真っ暗闇であり、海華の姿は全く確認出来ないのだ。
気が動転しているのは、修一郎も同じだった。
今しがた、蔵の中に死体があると聞いたばかりだ。
本来ならば、逸速く蔵を確かめ家人に事情を聞かねばならない。
しかし、この場を離れるなど今の修一郎にはとても出来なかった。
死体より、下手人の確保より、生きている海華の方が何百倍も大事だからだ。
縛られてて、動けない。と、返事が返り、二人はいよいよ青くなる。
縄を垂らし掴まらせて引き上げる事も出来ない。
このままでは、空気が薄くなって窒息するか、 寒さで凍えてしまう……。
どうしたものか、と右往左往する二人。
兄様、修一郎様、と呼ぶ泣き声も次第に小さく、間隔が開いてきた。
と、頬を叩く風に乗り、二人を呼ぶある男の声が響いた。
「修一郎! 朱王! 一体何事だ!?」
慌てふためいた様子で駆け付けて来たのは、寒風に赤く頬を染めて白い息を吐き出す桐野だった。
修一郎の顔がパッと明るく変わる。
「桐野ッッ! よく来てくれた!」
「あぁ、遅れてすまぬ。お主からの言伝てを受けた時、すぐ来られるはずだったが……押し込みの調べが長引いてな。ところで、これは何の騒ぎだ?」
怪訝そうに二人を交互に見遣る桐野。
真っ青な顔の朱王が、震える唇を開いた。
「海華が、海華が井戸に投げ込まれて……!」
何だと!? と、叫び、一気に表情を固めた桐野は、二人と共に井戸を覗き見た。
「海華! 海華殿ッッ! 無事かっ!?」
「桐野、様ぁ……」
ひどく弱々しい海華の声。
かなり衰弱しているようだ。
すると、突然修一郎が羽織を投げ捨てて井戸へと手を掛ける。
朱王と桐野が慌ててその体を引き止めた。
「お待ち下さい修一郎様っ!」
「離せ! このままでは死んでしまうぞっ! 俺が引き上げてくる! 海華ッッ! 今行くからな!」
「お主の図体でここに入るものかっ! 縄も付けずに、下手をすれば海華が潰れる! ……仕方ない、修一郎よ、悪いが志狼を呼んで来てくれぬか?」
「志狼!? お主の所の使用人か?」
「そうだ。志狼なら楽に井戸へ入れる。俺は他の人手を連れて参るわ」
承知した! と叫び、修一郎は土煙を巻き上げながら走り去って行く。
海華を絶対に眠らせるな、と言い置いて、桐野も人を呼びに走って行った。
ひたすらに妹を呼び、しっかりしろ、頑張れと励まし続ける朱王。
朱王と修一郎の頭の中では、蔵で眠る死体と、母屋に置き去りにしてきたおちかの存在は既に綺麗さっぱり消し飛んでいた。
海華が井戸から助け出されたのは、既に夜も明けようとした頃だった。
修一郎と共に駆け付けた志狼の体に縄をくくり付け、蝋燭を持たせて井戸へと降ろしたのだ。
押し込みの現場から桐野に呼び出された都筑、 高橋、他の侍らが渾身の力で縄を引き上げ、志狼に抱き抱えられてやっと暗闇から助け上げられた海華は、骨の随まで冷えきっており、最早口もきけない状態だった。
青紫に変わった唇を噛み締め、修一郎の羽織にくるまれてガタガタ震える海華を抱き締めた朱王は、医者の元へと疾走した。
「なんだ、お主は行かんのか?」
走り去る朱王の背中を心配そうな面持ちで見詰める修一郎へ、桐野が囁いた。
「いや、俺は……ここを放っては行けぬ」
ふっ、と表情を曇らせた修一郎。
本当なら、自分も一緒に行きたい、妹の側についていてやりたい。
しかし、修一郎の立場がそれを許さないのだ。
普段、表立って事件を調べる事は無い。
だが、この現場にいた以上、ここを放って行くなど無責任な振舞いは修一郎にはとても出来なかった。
「ここは儂が引き受ける。行ってやれ」
桐野の肘が、背中にコツリと当たった。
それでも修一郎は動かない。
朱王がいるから、大丈夫だと漏らす修一郎に、桐野がついに痺れを切らす。
「お主だって海華の兄であろう! 案じておる暇があったら、早く行って手でも握ってやれ!」
皆には聞こえない程の小声、だが、桐野はきっぱりと言い切った。
弾かれるように桐野の方を 振り返った修一郎は、すまぬ、と一言呟き小さく頭を下げ、朱王が消えた方向へ一目散に走り去って行く。
「やれやれ……手間の掛かる奴だ」
闇に消え去っていく上司であり親友の後ろ姿を眺めながら、桐野は苦笑を漏らした。
その間にも、藤野屋の店や母屋、そして蔵には奉行所の者らが踏み込んでいる。
「旦那様」
不意に後ろから改まった志狼の声が聞こえる。
振り返った桐野、そこにはやけに固い表情で自分を見詰める志狼の姿があった。
「ああ、志狼。ご苦労だったな」
「いいえ、それより、お伝えしたいことがございます」
なんだ? と桐野が首を傾げた。
志狼の視線が、先程まで潜っていた井戸へと投げられる。
「あの井戸の底に……人の骨が散らばっておりました」
人の骨……その言葉を聞いた途端、信じられないものを見たように桐野の目が見開かれた。
狂乱の夜が明けた。
朱王の手で医者の元へ運ばれた海華は、すっかり凍えきっていたものの、幸い大きな怪我も無く、その日のうちに長屋へ戻される。
後から駆け付けた修一郎も、ほっと安堵の表情を浮かべていた。
長屋で一晩ゆっくり休んだ朱王と海華、早速その日の晩に修一郎の邸宅へ礼を述べに出掛ける。
玄関先で声を掛けると、雪乃よりも早く修一郎自らが二人を出迎えた。
身体は大丈夫か、と尋ねる修一郎に、海華はニコリと笑って、ハイと頷く。
邸宅には朱王達より先に、桐野も来ているようだった。
「おお、朱王。海華も、身体の具合はどうだ?」
修一郎に連れられ、奥の間に入った二人へ一足先に通されていた桐野が顔を向ける。
「はい、お陰様で」
白い歯を覗かせる海華は、兄と共に下座へと座した。
そして、修一郎と桐野に向かい、本当に有り難う御座いました。と、深々と頭を下げた。
「なに、よいのだ。むしろ海華殿が蔵に忍び込まなければ、今回の件は永久に闇の中だった」
「だが、一人で突っ走ったのだけは、感心せぬな」
自らの前に置かれた大きな丸火鉢を火鉢でかき混ぜながら、修一郎はじろりと海華を睨
めつけた。
それ見たことか、と言いたげな兄の視線にも晒され、海華は神妙な面持ちで肩を竦める。
「それは、兄様にも言われました……私も反省してます。申し訳ありませんでした……」
しょんぼりと頭を垂れる海華。
反省しているなら、それでよい。と、修一郎の苦笑じみた台詞が妙に胸にしみた。
兄妹の前に茶が出された後、桐野の口から事件のあらましが語られ始める。
仁吉を殺めたのは、やはりおちかとあの包帯男だった。
二人が共謀し、仁吉を棍棒で殴り倒してあの壁へ塗り込めた。
しかし、その時点で仁吉にはまだ息があったのだ。
幽霊の呻き声と噂されたのは、壁の中から助けを求める仁吉の声だった。
しかし、頭に負った怪我と裸で塗り込められた事により、やがて仁吉は衰弱死してしまった。
「酷いことを……」
思わず顔をしかめながら呟く朱王。
海華は、ただ俯いたままだ。
「全くだ。しかも仁吉と一緒になる前から練っていた計画らしい。あの男は、仁吉と一緒になる前から、おちかの情夫だった。藤野屋の財産を狙ったようだ。だから、許嫁だった弥生も手に掛けたようだ」
桐野の言葉に、海華が顔を跳ね上げる。
「弥生さん、死んでたんですか? 死体は……?」
「きれいな白骨になっていたわ。海華殿、お主の身体の下にあったのだぞ?」
その瞬間、サーっと音を立てて海華の血の気が引いていく。
身体の下、つまりあの井戸の底に弥生はいたのだ。
「藤野屋を手に入れるためには、どうしても仁吉と結婚しなければならぬ。一番の邪魔は、弥生だったのだ」
ふぅっ、と微かな溜め息が桐野の口から漏れた。
「冬場なら、死体も早々には腐らぬしな……。 海華、お前がうるさく嗅ぎ回るから、あの男の顔を隠して仁吉に仕立てたらしいぞ」
「え? 修一郎さま、おちか達はお縄になったんですか?」
うむ、と頷く修一郎。
奉行所の者らが店に踏み込んだ時、既におちかの姿は消えていた。
しかし、すぐに裏路地に身を潜めている所を捜索していた高橋の手によって捕らえられたのだ。
包帯男はと言えば……
「蔵の中で一人ガタガタ震えていた。おちかに言い付けられて、仁吉の死体を埋め直していたらしい。俺と朱王が外にいたから、逃げるに逃げられなかったようだ。間抜けな男よ」
「肝っ玉が小さい男だ。……そうだ朱王、忠五郎がお主らなすまぬと申していたぞ。証拠云々と言わずに、早く動いておけば良かった、とな」
「忠五郎親分のせいではありません……。あの場合は、仕方無かったのです」
朱王が静かに首を振る。
親分を責める気は無い、一番責められるべきは、おちかと情夫なのだ。
「生きてて欲しかったわ……仁吉さんも、弥生さんも、本当に生きてて欲しかった……」
膝の上で握り締められた手に、ぱたぱたと涙が滴る。
もう、あの店で仁吉と会う事は永遠に出来ない。
人懐っこい笑顔を見ることも、あの暖かい大きな手が、肩に置かれることもない。
しゃくり上げる海華の頭を、隣に座る朱王がくしゃくしゃと撫でた。
慰める言葉など見つからない。
何故なら、朱王も海華と同じ気持ちだったからだ。
知り合ってから、まだ長くはたっていない。
しかし、仁吉の人柄の良さは充分朱王にも伝わっていた。
絶対に、生きていて欲しかった。ただ、今は仁吉と弥生の冥福を祈るしか出来ないのだ。
沈み切った空気が部屋を支配する。
と、おもむろに立ち上がった修一郎、庭に面する障子をガラリと開け放った。
ヒヤリと凍る空気がなだれ込む。
星も月も隠した暗雲から、ヒラリヒラリと白い破片が舞い降りていた。
「雪だ……」
白い吐息と共に、修一郎から吐き出された呟き。
全員の目が、暗い空へと向けられる。
「雲行きが怪しいと思ったが、降ってきたか」
顎の下を擦りながら、桐野は僅かに首を傾げた。
パタン……と、修一郎は再び障子を閉め切る。
「暫く降るな……。お主ら、雪がやむまで、ここにいたらどうだ? ……酒でも飲まねば、気が鬱ぐ……」
火鉢の前にドカリと腰を降ろす修一郎に、桐野は口元だけで小さく微笑む。
この場にいる誰もが、同じ気持ちだ。
ゴシゴシと乱暴に涙を拭う海華、泣き腫らした瞳で兄を見上げると、哀しげな笑みを浮かべた朱王がポツンと呟く。
仁吉さんの弔い酒だ、お前も付き合え、と。
外では、冷たい雪華が地面を覆い尽くしていく。
哀しげに舞う白がやむのを待ちながら、四人だけの弔いは粛々と続いて行った。
終




