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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第十七章 壁の中で眠る者
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第三話

 真っ白な湯気の立ち上る湯豆腐の鍋と熱燗が二本目の前に差し出され、朱王は嬉々とした表情でさっそく猪口ちょこを手に取った。

酒を啜る兄を横目で眺めながら、海華は微かに溜め息をつく。


 「それでね兄様、さっきの話しなんだけど……」


 「うん、うん」


 「仁吉さんと、いなくなった弥生さんはね…… ちょっと! 聞いてるの!?」


 熱そうに豆腐を頬張る兄を睨み付け、海華の手が、バン! と畳をひっ叩く。


 「聞いてるさ。相思相愛の仲だったんだろ?」


 「そうよ、だから一緒になるのが嫌で逃げたなんて真っ赤な嘘だわ。きっと、おちかさんが……」


 ちょっと待て、と妹の話しを遮り朱王は猪口に残った酒を一気に流し込んだ。


 「よしんば、おちかさんが絡んでいたとしてだな、弥生さんをどこに隠したんだ? ……最悪殺していたとして、死骸はどうしたんだよ? それらしい死骸は出てないんだろ?」


 「それは……埋めたか、人目につかない場所へ棄てたかしたのよ」


 歯切れの悪い答えに、首を傾げる朱王は、手にしていた箸で鍋に浮かぶ豆腐を突ついた。


 「女一人でそこまで出来るか? 必ず手を貸した人間がいたはずだ。身内か、情人いろか……。 俺は後者だと思う」


 「情人いろねぇ……。それらしいと言えば、あの包帯男よ。あれと二人で藤野屋を乗っ取る気なの よ、きっと」


 キリキリと海華の柳眉がつり上がる。

おちかは、仁吉と一緒になる前から、そんな計画を練っていたのだろうか。

そうだとしたら、絶対に許せなかった。


 「弥生さんもそうだけど、仁吉さんはまだ生きているのかしら……?」


 不安げに呟く海華。

難しい顔をした朱王も箸を置いて深く腕組みをする。

この時、二人の頭にあったのは、考えたくはないが充分に有り得るであろう最悪の結末だ。


 「あたし、もう黙ってられないわ……! 弥生さんは駄目でも、仁吉さんだけは絶対に見つけてやる!」


 そう宣言するやいなや、弾かれるように畳から立ち上がった海華は、そのまま土間へと飛び降りる。

その様に何より仰天したのは朱王だ。


 「おい待てっ! 見つけてやるって……!お前どこに行く気なんだっ!?」


 「藤野屋に決まってるじゃない! あの男の包帯ひん剥いて、みんな白状させてやるわっ!」


 猪突猛進とは今の海華を言うのだろう。

止めろ、危ない! と叫ぶ兄を完全に無視し、涙が滲む程に冷えた外へと飛び出してしまった。


 「あの馬鹿野郎っっ!」


 吐き捨てるように叫んだ朱王は、バタバタと隅に置かれた長持ちへ駆け寄る。

中から引っ張り出したのは、艶々と黒光りする鞘に納められた刀だ。

もう身なりなど構っていられない朱王はそのまま下駄を突っ掛けて部屋を飛び出す。


力の限りに叩き付けられた表戸、蝋燭が灯ったままの部屋に残されたのは赤々と燃える火鉢と、今だ湯気を立てる鍋に二本の本の徳利、そして畳へ転がった猪口だけだ。


 張り詰めた夜の空気を冷たい月光が切り裂く。

銀砂をばら蒔いたように煌めく星空の下を、白い息を吐き出しながら海華は藤野屋へと走った。

ゼェゼェ荒く呼吸しながら海華が今立っているのは、あの寂れた土蔵の前。

おちかと包帯男に遭遇したあの日、二人がこの方向から現れたのを見てから、ずっと蔵が気になっていたのだ。


 打ち捨てられ、朽ち果てるのを待つばかりの蔵。

その扉には、古蔵には似つかわしくない大きな、新しい錠前がぶらさがっている。


 「ここからじゃ無理ね……」


 ポツリと一人ごちた海華は、一目を気にするように辺りを見回して足音を忍ばせながら蔵の周りを歩き出す。

空気入れの窓が目に入ったのだが、それは遥か高くに造られており自慢の組紐も届きそうに無い。

上が駄目なら下はどうかと、黒く汚れて幾本ものヒビが走る壁を見回す。

海華が、ちょうど入り口と反対側に回った時だった。


 眩しい程白い月明かりに浮かび、ポッカリと口を開けた漆黒の穴が目に止まる。

鼠にでもかじられたのか、はたまた風雪に耐えられなかったのか、壁の一部に身体を丸めればやっと通れるかどうかの穴が開いていたのだ。

迷っていても仕方がないと、海華は地面に這いつくばり、穴へ頭を潜らせる。

パラパラ降りかかる土の粉に顔をしかめながらも、何とか肩までを通す事に成功した。


 後は意外に楽だった。

身体をしきりに捩らせ、引っ掛かる帯を片手で押さえ付けながら前進し、やっと蔵への侵入を果たしたのだ。


 空気の流れが止まったような中は、鼻をつくかびの匂いと舞い上がる埃が息を詰まらせる。

着物に染み付いた溶けかかりの雪を払い、海華はまじまじと中を見渡した。

光源は、空気取り窓から真っ直ぐに差し込む月明かりだけ。

全体は伺えないが、中は思ったよりガランと広く、何やらガラクタが少量纏めて置かれているだけだった。


 「意外と広いのね……あらっ?」


 キョロキョロと瞳を動かしていた海華、ふと、その視線が右側の壁に釘付けになる。

埃が張り付き、蜘蛛の巣がまとわり付く土壁。

その一角が、最近塗り直したように白く浮かび上がっていたのだ。

しかも、あちこちが小さく凸凹と隆起し、明らかに素人が塗ったであろう事がわかる。


 ちょうど人一人分の広さで白く光る土壁を微かに震える海華の指が、そろりと冷たい白を撫でた。

どす黒い雲のような不安が心に沸き上がり、ジワジワと脳裏を埋めていく。

無意識に呼吸が早くなり、全身から汗が吹き出た。

足元に目を遣れば、漆喰がこびりついたままの壁塗りに使うコテと、なぜか砕けた土壁にまみれるくわが無造作に転がっている。


 ワナワナ震えが止まらない手で、海華は鍬を握り締める。

そして大きく鍬を振りかざし、渾身の力を込めて壁へと打ち付けた。

ザクザクと物鈍い音を響かせ、壁の一部が呆気なく崩れ落ちる。

漆喰を塗りたくっただけの、脆い壁を一心不乱に鍬を打ち付ける海華。

ハッ、ハッと 荒い息遣いと土の崩れる音だけが、時の止まった蔵に木霊した。


 壁を破壊し始めて、どのくらいたったろうか。

鍬の先がめり込み、崩れる漆喰。

それと同時に、余りにも異様なモノが海華の視界に飛び込んできたのだ。


 なめし革を張り付けたような一本の腕。

骨に張り付くように乾き、硬直した肌は、周りの壁と同じ土気色に変色している。

海華の視界がクラリと揺らぐ。

その腕には、確かに見覚えがあった。

長く太めの指、たくましい腕、温かく分厚い手のひら……。

優しい仕草で自分に触れたのは、いつの事だったろう。


 「あ、ぁ、仁……吉さん……!」


 今にも涙が転がり落ちそうに瞳が見開かれ、乾いた唇から漏れるのは悲痛な呟き。

バクバクと心臓が脈打つ。

最悪の予感が的中してしまった……。

切れそうな程に唇を噛み締め、海華はがむしゃらに鍬を降り下ろす。


 腕に繋がる肩、干からびた裸の腹……。

次々と漆喰の中から、探していた男の身体が掘り出される。

いよいよ顔があるであろう部分に、鍬の先がめり込もうとした瞬間だった。


 短い髪に覆われた後頭部に、ガツン! と凄まじい衝撃が走る。

何が起きたのかもわからず、痛みすら感じない。

目の前が白く弾け、海華の意識はブツリと瞬間的に断ち切られていった……。




 バンバンと強く頬を叩かれ、瞬時に意識が覚醒する。

首が左右に揺れるたび、頭に割れるような鈍痛が走った。

歪む視界、無理矢理開いた目蓋、霞がかるボヤけた世界……。


 「この小娘、余計な真似をしやがって……」


 頭上から忌々しげに降り掛かる、冷たい男の声色。

痛む頭をノロノロ上げると、斜めに射し込む月光に二人の人影が浮かんでいた。

憎々しげな眼差しを向ける、真っ白な包帯から覗く二つの目。

右隣に佇む一回り細い影が、呆れたような溜め息を漏らした。


 「まさかここに入り込むとはね……本当、余計な真似をしてくれたよ」


 海華のかさついた唇が、おちかさん、と苦し気に影の名前を紡ぎ出す。

その途端包帯男が乱暴に短い髪を鷲掴み、半開きの口に布切れのような物が押し込まれた。

呻き声は喉の奥で止まったまま、余りの苦しさに目尻から涙が一筋冷えた頬に伝う。


 土埃に汚れた身体は荒縄でグルグル巻きに縛り上げられ、身動きが取れなかった。

射殺す如くに海華を睨み付けていた包帯男がノソリと身を起こし、おちかの方に顔を向ける。


 「この女、どうする気だ?」


 「殺すに決まってるさ。……あの人みたいに壁へ塗り込めるのもいいけどね。今から壁壊すのは骨が折れるよ」


 「また井戸に放るのか?」


 「それが一番手っ取り早い。早く連れて来ておくれ」


 頭上で交わされる背筋も凍るような会話、裂けんばかりに瞳を見開いた海華の身体に男の手が掛けられた。

必死に身を捩り、その手から逃れようともがくが全くの無駄だ。

あっと言う間に地面から持ち上げられ、肩へと担がれる。


 止めろ、離せの拒絶の言葉は布切れに阻まれる。

骨身に滲みる寒さが全身を包む蔵の外。

蔵と同じく打ち捨てられた井戸の前に、おちかと海華を担いだ男が移動した。


 井戸を塞いでいた厚い木の蓋が、おちかの手によって取り除かれる。

ぽっかりと漆黒の口を開ける古井戸。

地獄への入り口にも思えるそこを見詰めながら、おちかは嫌な笑みを見せた。


 「いらぬ詮索をしたアンタが悪いんだよ? ……下には先客がいるからねぇ、寂しくはないさ」


 ブンブンと顔を激しく横に振る海華。

凍てつく空気に、涙が飛沫となって散っている。

だが、次におちかから出た言葉は、酷く残酷なものだった。


 「早く棄てておくれ。人にみられちゃ厄介だからね」


 わかった、と返した男は肩から海華を降ろし、 井戸の上へと掲げる。

そして、そのまま腋の下に入れられていた手をぱっと離した。

一直線に闇の中へ落下していく恐怖に固まった海華の身体は、井戸の壁に全身のあちこちを打ち付けながら落ちていく。

ダーンッッ! と派手な打撃音、骨が砕けるかと思う程の衝撃を受け、海華は強かに井戸の底へと叩き付けられた。


 少しの間意識を失っていたのだろう。

気が付いた時には、辺りは墨をぶちまけたような闇が広がっていた。

きっと、鼻先にかざした自分の手も見えないだろう。


 一筋の光も射さない、完全なる真っ暗闇。

地面から染み出る凍えそうな冷気、そして何よりもひどくぶつけた身体中がズキズキと痛い。

足も伸ばせぬ狭い空間で、海華はただ突っ込まれた布切れを噛み締めながら、ガタガタと震えていた。


 寒い……痛い……怖い……!

今感じるのは、それだけだった。

思わず発狂し そうになりながらも、海華は舌を酷使して口を犯す布切れを吐き出す。

冷たい空気が肺を満たし、どうにか気持ちを落ち着かせる事に成功した。

尻の下は、石が幾つか転がる固い地面。

グニャリと足先に触れるのは、湿った布のような物だ。

身動ぎするたびに、パキパキと乾いた音を立てるのは木の枝だろうか?


 背中に当たるのは、石を積み上げたゴツゴツした壁。

縄をほどけば這い上がれるかもしれない……。

襲い掛かる鈍痛に涙を流しながら、海華は縄から抜け出そうと身をくねらせる。

こんな場所で死にたくない……! カビと土埃の舞う冷たい棺桶、暗黒に閉じ込められたまま狂い死にするなんて、耐えられない。


 「――お兄ちゃん……」


 ヒビ割れた唇から、ぽつりと漏れた呟き。

赤い頬を濡らしながら、ぼやけた頭に浮かぶのは兄の顔だけだった。

今頃、心配しているだろうか、探しているのだろうか……?


 ――もう一度会いたい――


 そう思った刹那、ギリッと縄が腕に食い込む。

痛みに耐え、一心不乱に縄を解く海華は、飲み込まれるような闇の先に、ただ兄の面影を思い描いていた。

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