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傀儡奇伝(くぐつきでん)  作者: 黒崎 海
第十六章 蜉蝣の面影
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第四話

 太陽が頭上高く上がった頃、お連へ丁重に礼を述べて二人は店を後にした。

カラリと晴れた秋空が広がる。

しかし、二人の表情は曇り切っていた。

足取りも重く、俯きながら歩く朱王の後ろを同じくしょんぼりした様子の海華がついて行く。

自分の隣を子連れの母親が通るたび、無意識に海華の視線は親へと向けられていた。


 「――海華、少し……話しがあるんだ」


 地面へ目を向けたまま、朱王がポツリと呟く。

うん、と返した海華は、そのまま無言で兄の背中を追った。

暫く進み、朱王が足を止めたのはすすきが生い茂る人気の無い川原だった。

涼しい風が吹き抜け、芒がザワザワと穂を揺らす。

まるで手招きしているような動きを目が追った。

前に立つ兄の髪も同じく風に揺られ、黒い波を掠めるように赤蜻蛉が一匹、飛び去っていく。


 「お前にな、謝らなきゃならない事があるんだ……」


 陽光を反射し、煌めく川の流れを見詰めながら朱王はポツリポツリと語り始めた。

母親が亡くなる直前、海華に会いたいと訪れた事、それを自分が追い返し、海華に鬼が来たと嘘をついた事……。


 「お前に母さんを会わせなかったのは、俺だ。 母さんの顔を知る機会を奪った……」


 項垂れた背中が、やけに小さく見える。

海華は側にあった石へと静かに腰掛けた。


 「兄様のした事、怒る気は無いわ。でもね……、どうしてあたしを母様に会わせたくなかったかだけは教えて欲しいの」


 ともすれば芒のざわめきに掻き消されそうな小さな問い掛け。

朱王は、ぐっと息を飲んだ。


 「お前を、連れて行かれると思った……。お前が行ってしまったら、俺はまた独りにされる。それが怖かったんだ」


 『母様と一緒にいたい』そう言われていたら、きっと無理矢理止めるなど出来なかっただろう。

しかし本心を言うならば、自分一人だけ置いて行かれるのは耐えられなかった。

それならばいっそ死んだ方がマシだ。


 「みんな俺の我儘なんだ。あの時会わせていれば、母さんだってお前だって……辛い思いはしなかった……。海華……ごめんな」


 徐々に震え出す声。

いたたまれなくなった海華は、急いで立ち上がり兄の隣へと並んだ。

チラリと伺い見た横顔、蒼白に近い色の頬からはボタボタと涙が滴り落ち、着流しへ吸い込まれていく。

流れる涙を拭おうともしない兄の腕へ、海華はそっと手を掛けた。


 「もし、あたしが兄様の立場だったら、同じ事してるわ……。それにね、もし一緒においでって母さんが言ったとしても、あたし、ついて行かなかったと思うの……」


 物心ついた時から、いつも傍に居てくれたのはすおうだった。

それに、夢で見た幽鬼のような姿だったら、反対に自分が怖がって拒絶しただろう。

母親は恐ろしかった、という記憶だけが残ったはずだ。


 「いくら母様と一緒でも、隣に兄様がいないなんて考えられない。離されてたら、きっと大泣きしてたわよ」


 クスリと小さな笑みをこぼし、海華は兄へと擦り寄った。


 「それにね、母様の顔も何だかわかった気がするの。お連さんが、兄様と母様は瓜二つだって言ってたから。どんな人だったかも教えてくれたしね。……だから、兄様もう泣かないで、ね?」


 腕を握る手に力が籠る。

瞳に一杯涙を溜めたまま、朱王は無理矢理笑顔を作って海華へ顔を向けた。

泣き笑いの歪んだ表情に海華は困ったような笑みを見せる。

と、突然その口からクシュッ! と小さなくしゃみが飛び出した。

それを見た朱王は慌てて袖で涙を拭い、海華の額へ手を当てる。


 「お前、また熱が出てる! 身体が冷えたか? もう帰ろう。……ほら、おぶされ」


 自分の前に背を向けて屈み込む兄に、海華は驚いたように目を瞬かせる。


 「いいわよ! まだ歩けるから、大丈夫……」


 「何言ってる! こじらせたら大変なんだぞ!? いいから、早くしろ!」


 有無を言わせぬ口調の兄に、海華は渋々彼の背中におぶさった。

恥ずかしいには変わり無いのだが、広い背中から伝わる温もりには正直ホッとさせられる。


 「――ねぇ、兄様」


 川原の石を踏み締め、歩き出した兄へ思い出したように声を掛けると、すぐに『なんだ?』と返事が返った。

艶のある髪に頬擦りしながら、海華が呟く。


 「あたしが元気になったらね、母様のお墓参り行きましょう……」


 「――そうだな……きっと、喜ぶぞ」


 先程とは違う、穏やかな声色。

フッ……と頬を緩めた海華は、そのまま静かに瞳を閉じる。

芒の大群が二人を見送るように穂を振りかざす。

川原の砂利を踏む音は、次第に遠ざかって行った……。





 お連の店から帰って五日程たった。

その期間、海華がやる事と言えば飯を食う、 薬を飲む、そして寝る、これだけだった。

徹底的に身体を休めたことが幸いしたのか、六日目にはすっかり熱が下がり、再び上がることは無かった。


 「墓参りに行くか」


 六日目の昼、仕事の手を休めた朱王が突然こう切り出し、海華は目を丸くする。

熱が完全に下がってから、まだそう日はたっていない。

兄のことだから、もう暫く様子を見てから行くのだと思っていたのだ。


 「どうした、まだ具合悪いか? 今日は止めておくか?」


 黙ったまま、ポカンと自分の顔を見詰める妹に朱王は小首を傾げる。

海華は慌てて首を振った。


 「ううん、身体は大丈夫よ。行きましょ、今支度するわね」


 パタパタと慌ただしく出掛ける支度を始める海華。

朱王も着流しに散った木屑を払い、立ち上がる。

揃って長屋を出て花と線香を買い、投げ込み寺、母の元へと向かう。

スッキリと晴れ渡る高い秋空、薄く広がる白い雲、降り注ぐ日の光に羽を煌めかせて蜻蛉の群れが頭上を飛び交う。

心地良い昼下がりだった。


 爽やかな風を受け、ゆったりとした足取りで二人は墓へと向かう。

着いたそこは、相変わらず人気が無い寂しい場所だった。


 「あれ? 誰かいるわ」


 慰霊碑の近くまで来た時、海華が奥を指差した。

確かに、そこに人影がある。

濃紺の羽織を纏った男、腰から突き出した刀から見て侍だろう。

碑の前に屈み、大きな背中を丸めて手を合わせているようだ


 恐る恐る近寄る二人。

その気配に気付いたのか、侍がヒョイと顔を上げて後ろを振り返った。


 「修一郎様!?」


 「朱王! 海華! 来ていたのか!」


 朱王と修一郎が揃ってすっとんきょうな声を上げる。

まさか、ここで鉢合わせするとは思っていなかった。

海華が、ふと碑の前に目を遣るとそこには自分が持っているのと同じ、白と黄の菊の花束と、ゆらゆら煙を燻らす線香と蝋燭が供えられている。


 「修一郎様……お参りに来て下さったんですか?」


 花束に目を向けたまま、海華が静かに尋ねる。

すると些か照れ臭そうに頬を掻いた修一郎が、うむ、と小さく頷いた。

妾の墓へ、手を合わせに来てくれたのだ。


 「玉乃屋へ通ってみたんだが、ロクな話しは聞けなくてなぁ、皆、口が固いのだ。お前達の役には立てんかったから……その、罪滅ぼしだ」


 その言葉を聞いた途端、不覚にも朱王は泣き出しそうになった。

確かに、何の情報も得られなかったのだろう。

しかし、自分達の為に必死で動き墓にまで参ってくれる、その心遣いが本当に嬉しかった。


 「修一郎様、この度は本当に……有り難うございました……!」


 何とか平静を保ちながら、朱王は深々と頭を下げる。

横に佇む海華は、既に瞳を潤ませて修一郎を見詰めていた。


 「志狼さんから聞きました、修一郎様が玉乃屋に出入りしてたって。本当なら、あたし達が調べなきゃならなかったのに……お手間取らせてしまって……」


 涙声になり、俯く海華の肩に暖かく大きな手のひらが添えられた。


 「海華、そのような事は気にするな。お前は臥せっておったし、朱王は……二度と行きたくない場所だろう。あんな事ぐらいなら大した手間ではないわ。……ほれ、泣いていたのでは、母殿が心配するぞ。二人共早く手を合わせてやれ」


 そう言った修一郎は、些か強めに朱王の背を押し遣り、自身は後ろへと移る。

小さな笑みを浮かべて軽く一礼した朱王は花束を抱える海華と共に、慰霊碑の前へ屈み込んだ。


 緩やかに吹く風に流れ、線香の香りが鼻をくすぐる。

たゆたう白煙は掻き消されるように、乾いた空気へと溶けていった。


 「母殿に、何を報告していたのだ?」


 寺からの帰り道、先を歩く修一郎が口を開いく。

チラリと視線を交わらせた兄妹。

先に答えたのは海華だった。


 「私は……兄様と元気で暮らしてます、もう一人の兄上様も、お心を掛けて下さいます。だから、もう心配しないで下さい……って」


 「何だ、俺の事まで伝えたのか。……朱王、お 前はどうだ?」


バリバリと頭を掻き、しかし僅かに頬を緩めた修一郎。

それを眺めながら、朱王はポツリと呟く。


「謝りました……今までの事を全部。それしか出来ませんでした……」


母親の事情を何も知らず、知ろうともせず、一方的に憎んでいた。

酷い仕打ちもした。

今更だが、どうか許してほしい、と……。

そうか、と神妙な声色が返り、ピタリと修一郎の足が止まったかと思うと、彼は二人の方へと振り向いた。


 「朱王、誤解しないで欲しいのだが……俺はな、生者が死者に翻弄されて生きるのは間違いだと思っている。だから『許されたのだ』と、自身の気持ちでケリをつける他は無いのだと、そう思う」


 食い入るような目付きで修一郎を見る二人。

それから逃れるように、修一郎はフッと視線を逸らせた。


 「――鬼籍に入ってまで我が子を責め苛む親はいないはずだ。朱王、お前も自分を責めるな。許してやれ」


 穏やかな声色で言われた途端、朱王の唇がギュッと噛み締められる。

その横を風車を手にした幼子が母親に手を引かれ、にこやかな笑みを浮かべながら通りすぎていく。


 「確かに……修一郎様の仰る通りです。母はこれからも……私達を見ていてくれるかと。 ……修一郎様と同じように」


 だから、両親にも、修一郎にも恥じない生き方をしよう。

朱王は、そう決めていた。

横にいる海華も、笑顔で大きく頷く。


 「うむ。俺は父上からお前達の事を頼まれているからな。……だが、なぜ父上は一度も夢に出てこないのか。それが不思議だ。心配しておらぬ訳はないのだが……」


 思案顔で首を傾げる修一郎に、海華が満面の笑みを向けた。


 「私達には修一郎様がいて下さいますから、 きっと安心しておられるのです。私は、そう思っています」


 海華の言葉を聞いた修一郎は、難しい思案顔から一転、ひどく嬉しそうに顔を綻ばせたのだった。





 「昨日も、母さん出てこなかったわね……」


 墓参りから数日後、毎朝海華の口から出る最初の台詞はこれだった。

熱が下がってからというもの、母親の亡霊、幻はパッタリ二人の前に姿を現さなくなったのだ。

彼女の言葉を聞いた朱王も、少しばかり沈んだ表情で、ああ、と答えた。

海華は勿論、朱王も母親が現れるのを待っていたのだ。


 修一郎の言葉で一応気持ちに区切りは着けたつもりだ。

しかし、墓石の前ではなく、幻でも亡霊でもいい、直接会って謝りたかったのだ。


 「あたし達の事、もう心配いらないって思ったのかしら?」


 着物に着替え、朝飯の支度を始めた海華がポツリと呟く。

作業机に肘を着き、包丁を握る妹の姿をボンヤリ眺めている朱王は、何も答えなかった。

トントン……と包丁の立てる軽やかな響きと、 火鉢の炭がはぜる乾いた破裂音。

飯の炊ける甘い香りが部屋に充満し始めた頃、やっと朱王が口を開いた。


 「母さんはなぜ……一人は寂しいなんて言ったんだろうか……。父上様は……」


 ――母親の側に居ては下さらないのか……? ――


 兄の言葉に合わせたように、海華の包丁が止まる。

ふと、妹に目を遣ると、じっとまな板の上で刻まれた野菜を見詰めたままだった。


 「父上様はきっと、お静様と一緒にいるのよ。……だって、夫婦だから……」


 カタン……と包丁が置かれ、ゆっくりと海華の顔が上げられる。

どこか寂しげな、それでいて薄い微笑みを浮かべた表情。


 「あたし達が、母様を忘れないでいればいいのよ。忘れないで……お墓にも行ってあげれば、きっと寂しくなんかないと思うわ……」


 気持ちの中で思っていれば、いつでも母には会えるのだ。

妹の台詞に朱王も僅かに頬を緩ませる。

軽く頷いた後、何か思い出したように身を起こした。


 「もう一つだけわからない事があるんだ。なぜ母さんは今頃出てきたのか……? こんな、十年以上もたってから……」


 「ああ、それは多分あたしのせいだと思うわ……」


 舌先をチロリと覗かせ、海華は上条家の墓を訪れた事を話した。

お静に、もう出て来ないで欲しい、と頼んだことを。


 「きっと今までは、お静様が兄様の所へ来てたから母様は来たくても来れなかったのよ」


 そこまで言われて朱王は気付いた。

毎年秋には、必ずお静の夢にうなされる。

しかし、今年はそれが無かった。

海華が墓参りをしてくれたお陰なのだろうか?


 「お前、一人で行ってくれたのか……。ありがとうな、次は一緒に行こう。母さんの墓にも、一緒に……」


 うん! と嬉しそうに海華が頷く。

そして、水桶を手にして戸口へと向かった。


 「ご飯、すぐにできるから。少しだけ待ってね」


 そう言い残し、ガラリと戸口を開け放つ。

見上げた空は、見事なまでの秋晴れ。

千切れたような白い雲が吸い込まれそうな蒼に散らばっている。

水桶を持ち、井戸へと走る海華の頭上を二匹連なった赤蜻蛉が風に乗り、流れるように飛び去って行った。







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